【完結】嘘も恋も、甘くて苦い毒だった

巧妙な罠

「ねぇ、やっぱりエリシアの態度って、ちょっと気にならない？」
　昼休み、教室の隅。数人の女子が輪になって、声を潜めながらも楽しげに囁いていた。
「最近、ユリウスとばかり一緒にいるし。みんなユリウスが好きなのに、独り占めしてるみたいじゃない？」
「しかも、婚約者はレオンハルト様なんでしょう？ どっちが本命なのかしらね。」
「ほんと、それ。ちょっと計算高いっていうか…」
　その会話の中で、メリッサはただ穏やかに微笑んでいた。
「でも、それって本当にエリシアのせいなのかしら？」
ふと、柔らかく呟く彼女の声に、皆が注目する。
「ユリウスって誰にでも優しいし、エリシアが困っていたら放っておけないだけかも。もしかして、それをエリシアが…分かってて甘えてるとか？」
一瞬の沈黙ののち、疑念の火種が広がる。
「それ…あり得るかも。」
「そうよね。婚約者がいるのに、他の殿方に頼るなんて…。」
「やっぱりエリシアって、ずるいのかもしれない。」
結論が導き出されたその瞬間、メリッサは何も言わずに、ただ満足げに視線を落とした。
（ふふ…そのくらいでいいのよ）
彼女は誰にも非難されるようなことは言っていない。ただ、ほんのひと言、火種を落としただけ。それだけで、元々エリシアを快く思っていなかった者たちの感情に、ゆっくりと火がついていく。
　そして、その火は徐々に燃え広がっていった。

　エリシアが教室で浮き始めていることに、真っ先に気づいたのはリリィだった。
　皆が笑顔で接しているようで、どこかよそよそしい。話しかければ答えるが、会話が長く続かない。──明らかに、距離が生まれている。
「エリシアがユリウスの気を引こうとしてる？ そんなの、あるわけないじゃない…」
リリィは、ただ否定するだけでは意味がないと分かっていた。正面から反論すれば、「庇ってる」と思われ、かえって逆効果になる。
　だから彼女は、別の策を取ることにした。
「ねえ、聞いた？ 昨日の夜会で侯爵令嬢が着てたドレス、すごく素敵だったらしいの」
「え、どんなの？」
流行と社交界の話題に敏感な令嬢たち。リリィは巧みに興味をそちらへ向け、噂から意識を逸らした。
　その効果はすぐに現れた。冷たかった視線は和らぎ、クラスに少しだけ穏やかな空気が戻る。エリシアもどこかほっとしたように笑い、静かに「ありがとう、リリィ」と呟いた。
「気にしないで。でも、まだ油断はできないわ」
しかし──
その変化を見逃すはずがなかった。
メリッサは、再び静かに動き出す。

　エリシアが重い本を抱えて歩いているとき、メリッサはそっとユリウスの耳元に囁いた。
「ユリウス、エリシア、ちょっと大変そうじゃない？」
ほんのひと言。それだけで、ユリウスはすぐに彼女のもとへ駆け寄り、本を引き受けた。
──ちょうどその瞬間、数人の女子がその様子を目撃する。
「ほら、またユリウスに甘えてるわ…」
「婚約者がいるのに、あんなに親しげで大丈夫なのかしら」
メリッサはあくまで「心配そうに」言葉を添える。
「本当…。ああいうのって、婚約者に失礼じゃない？」
　再びささやかれる「悪意」は、誰のものとも知れぬ形で広がっていく。
　リリィはその空気の変化にすぐに気づいた。
（また…戻ってきてる）
彼女は冷静に、そして慎重に周囲を観察し始める。そして、確信に近い違和感を持つようになった。
（メリッサ……？）
だが、彼女はあまりにも自然に振る舞い、何の証拠も残していない。
「下手に動けば、エリシアをもっと追い詰めることになるわね」
　リリィは歯を食いしばりながら、新たな手を考え始める。
──それでも、冷たい空気はじわりじわりとエリシアを蝕んでいくのだった。