さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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四章

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夏が過ぎていく。
ステファンのいない、初めての夏が──…………


さて。
チャムレー伯爵領の古びた教会の地下墓地で秘密の取引が行われているという密告があったということで、マルムフォーシュ伯爵に連れられてさっくり解決してきた。

ヴァンパイア夫婦を知る私にとって、悪徳司祭など恐れるに足らない。
多少、地下墓地が暗くてひんやりしていたくらいで、あの程度のことなら恐くもなんともない。取引されていたのも、只の金貨。

「なぁ。どうしても、キティって呼んじゃ駄目?」

馬車の中。
耳元に、溜息まじりの湿った低い声が纏わりつく。

四人掛けの馬車では、エスコートしているかに見せて私を先に乗せわざわざ隣に座ってくるようになったので、静々と向かいの座席へ移るということを繰り返していたら、ついにマルムフォーシュ伯爵が二人掛けの小さな馬車を移動に使うようになってしまった。

必然的な、横並び。

不覚にも泣き言を言ってしまったせいで、完全に甘く見られるようになってしまった。
あの醜態を晒してしまってからというもの、マルムフォーシュ伯爵の馴れ馴れしさには拍車が掛かり、恋人のふりをする為の呼称に拘るようになって困っている。

「……嫌です」
「どうして?」

マルムフォーシュ伯爵の口調に甘えが見られるのも、厄介な問題だった。
馴れ馴れしいというより親密な接触と表現したほうが適切なのではと錯覚してしまうほど、親しみと愛情が込められているように感じられる。キティであれば、それでいいのだろう。

私はマルムフォーシュ伯爵のキティではない。

「母が、そう呼んでいたので」
「今、母上の次に君を大切に想っているのは俺だと思うよ」

王家の密偵の助手としてとはいえ、過分に大切にされている自覚はある。

「子どもっぽくて」
「恥ずかしい?」

低い声で囁かないでほしい。

「恥ずかしいですよ?まさか、お気づきにならない?」
「じゃあ、二人の時だけ」
「概ね、二人で過ごしているのですけれど……」
「あぁ、嬉しい」
「嬉しい?」

今、この会話は何処へ向かっているのか。
私はマルムフォーシュ伯爵の機嫌を取る為に居る恋人ではない。お人形でもないし、情婦でもない。

「お寂しいなら、もう何人か助手をお雇いになられては?」
「そんな勿体ないことはしない」
「……え?私、そんなに過分な報酬を頂いてしまっているのですか?」

王家の密偵の助手を務めた報酬は、月毎に計算され、翌月末までにオースルンド伯爵家へ届けられる段取りになっていると聞いていた。なので私は未だその詳細までは知らなかった。

「額は問題じゃない。俺と、君だけでいい」

強情に言い切られ、数秒考えてから貞操の危機を感じた。
マルムフォーシュ伯爵は寛大で、私自身、甘やかされている自覚はあった。王家の密偵としての姿を目の当りにし、遊び人のふりをしているだけというのは建前ではなく本当なのではと思い始めていた。

「キティ」

不埒な噂が絶えないのは、遊び人のふりとは関係ないのでは?

「伯爵」
「ん?」

目尻を下げた優しい目つきで至近距離から目を覗き込んでくる。

「……」

どんなに高価な宝石でも強請れば買ってくれそうな顔をしている。
それなのに、もう少し距離を取って欲しいという願望は叶えてくれない。

「キティはやめてください」
「嫌だ」

マルムフォーシュ伯爵は実に堂々としている。これを人は暴君と呼ぶ。

「本当に嫌がっているなら呼ばない。恥ずかしいだけだろう?ちっちゃくて可愛くてふにゃふにゃなあの頃の自分に戻ってしまいそうで」
「!」

やはり、醜態を晒したせいだ。
私は、弱味を握られている……!

「ひっ、卑怯です!」
「俺が卑怯な分、君も俺に何したっていいんだぞ」
「なんと悪辣な……っ」
「そう悪いもんじゃない。ほら、試しに、何か強請ってみろ。ドレスでも宝石でもやしきでも土地でも、何でもあげるよ」

王家に連なる高貴な血筋、ノルディーン公爵令息としての強みをこれでもかと振り翳し始めた。
私は理性を取り戻した。誰もこの恵まれた遊び人を止められないなら、私がその一人目になるしかない。誰も助けてはくれない。

……ユーリアが助けてくれるかもしれないけれど、それは話が違ってくる。

「では、是非お願いが」
「うん?」

この笑顔が数多の貴婦人や令嬢を惑わし、争いを誘発してきたのだろう。キティなどと呼ばれ過度な甘やかしを受けようと、私がしっかりしていればいいだけのことなのだ。

「何か一つでいいので、幼い頃の恥ずかしい思い出を聞かせてください」

それなりの覚悟を以て、私をキティと呼んでもらう。
マルムフォーシュ伯爵は面白いくらい蒼褪め、戦慄いた。

「それを、聞いてしまうのか……!」
「ええ。そうですね。伯爵のキティですから、伯爵のこと、なんでも知りたいと思って」
「ぅおお……そうか……」

震えるがいい。
最早、私に恐いものなどない。

「では……言うが……」
「はい」
「実は、俺は、五才のある秋の日に…………──」

それから私は、幼かりし日のマルムフォーシュ伯爵がユーリアのせいでとても恥ずかしい思いをさせられたという話を聞いた。

「まあ……!そんな……!」
「ああ……!」
「伯爵……っ!」

同情した。

「7才まで、女装が趣味だったなんて……!」
「俺は可愛かったんだ……!!」
「今はこんなに男らしくいらっしゃるのに……!」
「お気に入りの口紅の色はローズピンクだった……!」

これは遊び人に仕上がっても責められないという気がしてしまったので、マルムフォーシュ伯爵の弱味を握る試みは失敗したと諦めるしかないだろう。

「キティ、慰めてくれ」
「は?」

但し、調子に乗らせてはいけない。
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