30 / 79
四章
30(ドグラス)
しおりを挟む
シュテルン伯爵の九十回目の誕生日を祝う宴の前夜祭は盛大な盛り上がりを見せている。無論、明日の本番に備えて本人は不在である。
相変わらず挨拶の列は途切れなかったが、ふとした隙をついて素早く俺の隣を陣取った人物がいた。
「君から来てくれるとは、嬉しいな」
カタリーナは憮然とした表情のまま、一言も言葉を発さずにただ俺の隣に立っている。珍しい状態なのは気掛りだが、輝く若さを上品に際立たせる萌黄色のドレスがよく似あっていて、美しい。更に、随分と気合いを入れて結い上げたらしい髪も繊細な編みかたがされていて、美しい。
「綺麗だよ」
「……」
眩しいほど美しいカタリーナが怒っていることはよく理解できた。
できるだけ早く二人きりになり話を聞く必要がある。そうは思うものの、カタリーナの存在に気づいたかのように一度挨拶を済ませた貴族たちまでまた戻ってきて、長い時間を拘束された。
「御一緒にいらっしゃったのですか?」
興味津々といった様子でとある貴婦人が尋ねてきたとき、カタリーナが僅かに俯いた。建前上とはいえ、二人の仲をこれだけ豪勢な夜会で明言されるのは望んでいないだろう。
俺はカタリーナの腕に手を添えた。
「いえ、御両親と招かれていますよ。只、いると知っていながら放っておくなど、私の方が我慢できませんので」
「まあ、お熱いこと!」
「レディ・カタリーナは幸せ者ですわ!」
「冴えない幼馴染など、縁が切れて正解だったというところですな」
こうやって、要らぬことを言う奴がいる。
「あまり言わないでください。彼女は、今、私と幸せなのですから」
上品ぶって貴族たちを受け流しながら、当の幼馴染の姿が今のところ目に入らないのは実によかったと心から思う。
聞いた限りではカールシュテイン侯爵家は招待を受けているらしい。恐らく、婚約者としてロヴィーサ嬢に伴われ来ているはずだった。
「……」
まさか。
カタリーナは既に何処かで愛しの幼馴染を目にしてしまい、身も心も行き場を失くして、取り乱して俺の元へ逃げてきたのだろうか。
だから押し黙っているのか。
「では、そろそろ二人きりで過ごす時間をいただこうかな」
余所行きの上品さで取り囲む貴族たちを退け、カタリーナの背に手を添えて歩き出した。腕に手を掛けてくれてもよかったが、カタリーナは楚々とついてくるだけだった。
「サンルームに行こう。今の時間、星は見えるが人はいない」
耳元に囁くと、やっとカタリーナが頷いた。
周囲の視線など俺は気にならないが、カタリーナは違う。これだけの顔ぶれがある中で、二人きり個室に入るのはさすがに憚られる。カタリーナの品位に関わる問題だ。
夜のサンルームはどこか幻想的な雰囲気に包まれている。
実際、二人きりになるとカタリーナの表情は幾らか和らいだ。
「どうした?」
これでもかと優しく声をかける。
「私、ここが嫌いです」
カタリーナは俺を見ずに言った。声には微かな怒気が含まれている。そこで俺は、はたと思い至る。
あの幼馴染にばったり出くわしていたとしたら、怒りはしないはずだ。
今の時点でその心配がなくなり、俺も気が楽になった。更に、何があったかは知らないが怒るだけの出来事がまずあり、その上で一緒に来ているはずの両親ではなく俺の元に来た事実に内心静かに浮かれてしまう。
「嫌いか。理由は?」
我ながら、甘ったるい声が出た。
もう少し気を引き締めてもいいかもしれない。何しろ、カタリーナは怒っている。
「ふん」
ぷりぷりしている。
睨むような目つきで俺を見ても、可愛いものは可愛い。やっと目が合った。
「シュテルン伯爵の曾孫を御存じですか?」
「あぁ、何人もいるな」
まさか口説かれたとか?
「その中にアンジェリカという伯爵令嬢がいるのですが」
メリーポート伯爵令嬢の件があるから、相手が令嬢と言えど油断はできない。令息よりはましなくらいだ。
「纏わりつかれてしまって、その……私としては気が合わないのです」
「無視すればいい」
「それが、滞在中は一緒の部屋で過ごそうと言われて、押し切られてしまいまして……」
「……」
俺に助けを求めるほどのことだろうかと、一瞬、考える。
もしかして、俺と過ごす口実か?否、カタリーナに限ってそれはないか。余程、気が合わない相手なのだろう。俺にも同じ空気を吸いたくない相手の一人や二人や三人はいる。
「わかった。俺が、うまく言ってやる」
「お願いします」
お願いします?
カタリーナにしては殊勝な態度が気にかかった。
「……虐められたのか?」
「いいえ」
即答すぎた。
強がる顔なら見慣れたが、これは美しいというより可哀相だな。
気の毒に。
相手がシュテルン伯爵の曾孫となれば、オースルンド伯爵家のほうが弱い立場に立たされる。俺の新しい恋人と偽って連れ回したせいで、嫉妬に狂う貴族が出て来てもおかしくない。
俺の責任だ。
だが、俺のカタリーナに如何なる手も出せないことをわからせるのは難しくない。
「俺らしく、俺と最も近い客室を君専用に用意してもらおう」
「……ありがとうございます」
「そんな顔するなよ」
「失礼しました。考えてみると、泊りがけの時と同じ感じですね」
「そ」
美しく着飾って、俺を頼り、不貞腐れている。
こんな態度は、本来ならば気を許した相手にしかとらない。
「戻ろうか、キティ。まずは見せつけてやらないと」
「そうですね」
不服そうに答えつつ、カタリーナが俺の腕に手を絡めた。
相変わらず挨拶の列は途切れなかったが、ふとした隙をついて素早く俺の隣を陣取った人物がいた。
「君から来てくれるとは、嬉しいな」
カタリーナは憮然とした表情のまま、一言も言葉を発さずにただ俺の隣に立っている。珍しい状態なのは気掛りだが、輝く若さを上品に際立たせる萌黄色のドレスがよく似あっていて、美しい。更に、随分と気合いを入れて結い上げたらしい髪も繊細な編みかたがされていて、美しい。
「綺麗だよ」
「……」
眩しいほど美しいカタリーナが怒っていることはよく理解できた。
できるだけ早く二人きりになり話を聞く必要がある。そうは思うものの、カタリーナの存在に気づいたかのように一度挨拶を済ませた貴族たちまでまた戻ってきて、長い時間を拘束された。
「御一緒にいらっしゃったのですか?」
興味津々といった様子でとある貴婦人が尋ねてきたとき、カタリーナが僅かに俯いた。建前上とはいえ、二人の仲をこれだけ豪勢な夜会で明言されるのは望んでいないだろう。
俺はカタリーナの腕に手を添えた。
「いえ、御両親と招かれていますよ。只、いると知っていながら放っておくなど、私の方が我慢できませんので」
「まあ、お熱いこと!」
「レディ・カタリーナは幸せ者ですわ!」
「冴えない幼馴染など、縁が切れて正解だったというところですな」
こうやって、要らぬことを言う奴がいる。
「あまり言わないでください。彼女は、今、私と幸せなのですから」
上品ぶって貴族たちを受け流しながら、当の幼馴染の姿が今のところ目に入らないのは実によかったと心から思う。
聞いた限りではカールシュテイン侯爵家は招待を受けているらしい。恐らく、婚約者としてロヴィーサ嬢に伴われ来ているはずだった。
「……」
まさか。
カタリーナは既に何処かで愛しの幼馴染を目にしてしまい、身も心も行き場を失くして、取り乱して俺の元へ逃げてきたのだろうか。
だから押し黙っているのか。
「では、そろそろ二人きりで過ごす時間をいただこうかな」
余所行きの上品さで取り囲む貴族たちを退け、カタリーナの背に手を添えて歩き出した。腕に手を掛けてくれてもよかったが、カタリーナは楚々とついてくるだけだった。
「サンルームに行こう。今の時間、星は見えるが人はいない」
耳元に囁くと、やっとカタリーナが頷いた。
周囲の視線など俺は気にならないが、カタリーナは違う。これだけの顔ぶれがある中で、二人きり個室に入るのはさすがに憚られる。カタリーナの品位に関わる問題だ。
夜のサンルームはどこか幻想的な雰囲気に包まれている。
実際、二人きりになるとカタリーナの表情は幾らか和らいだ。
「どうした?」
これでもかと優しく声をかける。
「私、ここが嫌いです」
カタリーナは俺を見ずに言った。声には微かな怒気が含まれている。そこで俺は、はたと思い至る。
あの幼馴染にばったり出くわしていたとしたら、怒りはしないはずだ。
今の時点でその心配がなくなり、俺も気が楽になった。更に、何があったかは知らないが怒るだけの出来事がまずあり、その上で一緒に来ているはずの両親ではなく俺の元に来た事実に内心静かに浮かれてしまう。
「嫌いか。理由は?」
我ながら、甘ったるい声が出た。
もう少し気を引き締めてもいいかもしれない。何しろ、カタリーナは怒っている。
「ふん」
ぷりぷりしている。
睨むような目つきで俺を見ても、可愛いものは可愛い。やっと目が合った。
「シュテルン伯爵の曾孫を御存じですか?」
「あぁ、何人もいるな」
まさか口説かれたとか?
「その中にアンジェリカという伯爵令嬢がいるのですが」
メリーポート伯爵令嬢の件があるから、相手が令嬢と言えど油断はできない。令息よりはましなくらいだ。
「纏わりつかれてしまって、その……私としては気が合わないのです」
「無視すればいい」
「それが、滞在中は一緒の部屋で過ごそうと言われて、押し切られてしまいまして……」
「……」
俺に助けを求めるほどのことだろうかと、一瞬、考える。
もしかして、俺と過ごす口実か?否、カタリーナに限ってそれはないか。余程、気が合わない相手なのだろう。俺にも同じ空気を吸いたくない相手の一人や二人や三人はいる。
「わかった。俺が、うまく言ってやる」
「お願いします」
お願いします?
カタリーナにしては殊勝な態度が気にかかった。
「……虐められたのか?」
「いいえ」
即答すぎた。
強がる顔なら見慣れたが、これは美しいというより可哀相だな。
気の毒に。
相手がシュテルン伯爵の曾孫となれば、オースルンド伯爵家のほうが弱い立場に立たされる。俺の新しい恋人と偽って連れ回したせいで、嫉妬に狂う貴族が出て来てもおかしくない。
俺の責任だ。
だが、俺のカタリーナに如何なる手も出せないことをわからせるのは難しくない。
「俺らしく、俺と最も近い客室を君専用に用意してもらおう」
「……ありがとうございます」
「そんな顔するなよ」
「失礼しました。考えてみると、泊りがけの時と同じ感じですね」
「そ」
美しく着飾って、俺を頼り、不貞腐れている。
こんな態度は、本来ならば気を許した相手にしかとらない。
「戻ろうか、キティ。まずは見せつけてやらないと」
「そうですね」
不服そうに答えつつ、カタリーナが俺の腕に手を絡めた。
822
あなたにおすすめの小説
〖完結〗旦那様が愛していたのは、私ではありませんでした……
藍川みいな
恋愛
「アナベル、俺と結婚して欲しい。」
大好きだったエルビン様に結婚を申し込まれ、私達は結婚しました。優しくて大好きなエルビン様と、幸せな日々を過ごしていたのですが……
ある日、お姉様とエルビン様が密会しているのを見てしまいました。
「アナベルと結婚したら、こうして君に会うことが出来ると思ったんだ。俺達は家族だから、怪しまれる心配なくこの邸に出入り出来るだろ?」
エルビン様はお姉様にそう言った後、愛してると囁いた。私は1度も、エルビン様に愛してると言われたことがありませんでした。
エルビン様は私ではなくお姉様を愛していたと知っても、私はエルビン様のことを愛していたのですが、ある事件がきっかけで、私の心はエルビン様から離れていく。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
かなり気分が悪い展開のお話が2話あるのですが、読まなくても本編の内容に影響ありません。(36話37話)
全44話で完結になります。
【完結】愛で結ばれたはずの夫に捨てられました
ユユ
恋愛
「出て行け」
愛を囁き合い、祝福されずとも全てを捨て
結ばれたはずだった。
「金輪際姿を表すな」
義父から嫁だと認めてもらえなくても
義母からの仕打ちにもメイド達の嫌がらせにも
耐えてきた。
「もうおまえを愛していない」
結婚4年、やっと待望の第一子を産んだ。
義務でもあった男児を産んだ。
なのに
「不義の子と去るがいい」
「あなたの子よ!」
「私の子はエリザベスだけだ」
夫は私を裏切っていた。
* 作り話です
* 3万文字前後です
* 完結保証付きです
* 暇つぶしにどうぞ
さようなら、わたくしの騎士様
夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。
その時を待っていたのだ。
クリスは知っていた。
騎士ローウェルは裏切ると。
だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
【完結済】後悔していると言われても、ねぇ。私はもう……。
木嶋うめ香
恋愛
五歳で婚約したシオン殿下は、ある日先触れもなしに我が家にやってきました。
「君と婚約を解消したい、私はスィートピーを愛してるんだ」
シオン殿下は、私の妹スィートピーを隣に座らせ、馬鹿なことを言い始めたのです。
妹はとても愛らしいですから、殿下が思っても仕方がありません。
でも、それなら側妃でいいのではありませんか?
どうしても私と婚約解消したいのですか、本当に後悔はございませんか?
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜
くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。
味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。
――けれど、彼らは知らなかった。
彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。
すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、
復讐ではなく「関わらない」という選択。
だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる