さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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四章

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「貴殿には、御退場願おうか」

マルムフォーシュ伯爵が低く告げる。
以前、ウィリアムズ侯爵へ向けた軽蔑とも違う、明らかに怒気を含んだ恐ろしい声だった。

「くっ……」
「なあ」

口調も野蛮になっている。
王家の密偵の助手として危機感で頭が冷える。私はあらゆる意味でステファンが引いてくれるのを願った。

「自分が裏切ったんだろ。弁えろ、滓」

先にマルムフォーシュ伯爵の本性が彼方に消え失せ、次いで、ステファンの手が私の腕を解放した。私は傷む腕を摩りながらマルムフォーシュ伯爵の背後に隠れた。僅かにでも冷静になったはずなのに、咄嗟に、そうしていた。

「まさか、カタリーナにも暴力を……!?」

ステファンが見当違いの憤慨を表し、マルムフォーシュ伯爵が険悪な嘲笑を返す。人目があるというのに酷い有様だ。

「傷つけて泣かせたのは俺じゃない」
「カタリーナ。見ただろう。下級貴族と見れば力で訴える男なんだ。言いなりになってはいけない」
「なんだ?まるで自分がされたみたいな口ぶりだな。ロヴィーサ嬢には絶対服従か?情けないねえ。俺のキティは服従なんかしないぜ」
「キティだって?君は、男にそんな呼び方を許しているのか……!?」
「なぁ、こっち見ろ。俺のキティを見るんじゃねぇよ」
「なんと野蛮な……!」
「自分の女だった時代は終わったんだよ。その手で終わらせたんだろ。消えろ、屑」
「目を覚ませ、カタリーナ。君にはもっと相応しい相手が────」

本当に恥ずかし喧嘩になっているから、もう二人ともやめて欲しい。

「やめて!!!」

予定の三倍大きな声が出た。
大声を出したら、すっきりした。

「ステファン。あなたこそ目を覚まして。いくら粗野な振る舞いをなさろうと、この方はマルムフォーシュ伯爵。ノルディーン公爵家の御令息なのよ」
「庇うのか、君は……」

この場合、冷静にロヴネル伯爵としてのステファンを庇っているのだけれど、伝わらなかったようだ。残念極まりない。

ステファンが息を震わせ、眼差しで私を責める。

「持て囃されて、変わってしまったんだね……」
「……っ」

誤解されたのが堪えたのか、話しが通じないのがもどかしいのか、とにかく、またしても私の胸はずきりと痛んだ。変わってしまったのは、あなたよ。ステファン。

マルムフォーシュ伯爵がくるりと此方を向いた。

「悪かった。ご免。もう行こう。な?」

いつもの機嫌を取る猫なで声にも少しばかり真剣さが滲んでいる。私もこの場を去りたかった。誰の目にも触れないところへ逃げたい。
そして、ステファンにはもう……会いたくない。傷付くだけだもの。

頷くと、ステファンが慌てた声を上げた。

「待ってくれ!」
「二度と話しかけないで、ステファン。現れないで。私はもう一人で歩き出したの。あなたといた頃の私とは違うのよ」

大口を切ったけれど、実際はマルムフォーシュ伯爵にしがみついて声を絞り出していた。悔しそうに呻るステファンの声が聞こえたけれど、耳を塞ぎたくて、マルムフォーシュ伯爵の胸に頭ごと擦りつけて現実に抗う。

「そういう事だ。達者でな」

マルムフォーシュ伯爵がステファンにした挨拶はそんなものだった。私は恭しく肩を抱かれ、宿に戻り、荷物を纏めて即刻この忌々しい再会の場となった宿場町から旅立った。
馬車の中では情けないくらい泣いた。それも、自分からマルムフォーシュ伯爵に甘えて泣きじゃくった。

マルムフォーシュ伯爵は、いつかのように「よしよし」と言いながら、幼子をあやすような優しさで私を受け止め、慰めてくれた。

私とは、なんだったのだろう。
今までたった一人の愛を信じて生きてきた私は、捨てられた挙句その人から認めてさえ貰えなくなっている。

ありのままの私を丸ごと受け入れてくれているのは、マルムフォーシュ伯爵だ。
それは密偵の助手への親切なのかもしれない。単純な人柄なのかもしれない。なんでもいい。只、私には今マルムフォーシュ伯爵がいてくれることが、救いに感じられた。

はじめは嫌いだったのに……
噂通りの軽薄な遊び人だと思っていたのに……

マルムフォーシュ伯爵の傍が、今、世界でいちばん安心できる場所だと私は理解してしまった。

「ふぃぃぃ~ん」
「よしよし、嫌だったな。大丈夫。もう二度と、俺が近づけさせない。俺が顔を出す場には出入禁止にしてやる。キティは何も心配しなくていい。大丈夫。大丈夫だよ」

甘やかされるのが、心地いい。
甘やかされていたい。

そんな気持ちが、私の中に芽生え始めている。

いつまで続くとも知れない仮初の恋人だとしても、此処は、私の特等席。誰にも譲らないし、邪魔させない。文句も言わせない。
私は王家の密偵の助手。

マルムフォーシュ伯爵のキティなのだから。
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