さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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五章

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夏が過ぎていく。
謎とスリルに彩られた、新しい夏が──…………


マルムフォーシュ伯爵に連れられて、建設中の大劇場を視察した。
社交界でもない男性の仕事場にまで私が御供するのは、さすがに現場の職人たちに嫌な顔をされたけれど、中には笑顔で会釈してくれる人物もちらほらいた。

まさか、その一人が後に歴史に名を残す彫刻家になるとは、この時、知る由もなかった。
そのようなわけで王国の大劇場には私にそっくりな女神像が配置されることになるのだけれど、それはまったく未来の話。

さて。

王家の密偵の助手として、ドリューウェット伯爵家の夜になると顔が変わる肖像画についてさっくりと謎を解明して帰って来ると、メリーポート伯爵家のファロンから大きな包みが届けられていた。

「何かしら……」
「気になるな」
「でしたら、少しお茶でも如何です?中を確認しますので」
「えっ?一応、いい年の御令嬢から妙齢の令嬢に贈られた私的な荷物を男の俺が検閲するのは……」
「は?暑さで頭がぼうっとされているのでは?贈り物なのだから私が一人で開けます。礼儀でしょう」
「悪かったよ」
「しっかりしてください。ファロンに悪いです。本当に」
「ご免って。……だが、やけにレディ・ファロンの肩を持つなぁ」
「何か?」
「否、なんでもない。お茶をいただこう」

マルムフォーシュ伯爵には少し応接室で待っていてもらい、私はファロンからの包みを開けた。
内容は以下の通り。

私にぴったりのサイズのドレス一式。
私が好きな色の靴。
私が見たいと言っていたオペラの一場面をモチーフに作られたオルゴール。
ファロンの好きな詩集。
ファロンの贔屓にしている調香師に配合させたという、私の名前がついた香水。同じく、虫除け軟膏。軟膏に重ねる粉。口紅。
あとは、先日の件についてのお礼と、近況、それから貞操についての助言が書き連ねられた手紙。

「……愛が重いわね」

まあ、悪い気はしないけれど。
ファロンは同じ女性の目から見ても凛としていて美しいから、親切にされて鬱陶しいという事はまずない。チェルシーもクレアと共にファロンの元で幸せに暮らしているというから、何よりだ。

今夜、お礼の手紙を書くわねファロン。
愛を込めて、こってりと感謝を書き連ねてあげる。

「ふふ……」

全ては持ち運べないので、いちばん嬉しかったオルゴールと、ちょっとした悪戯心で香水を持って応接室に向かった。

マルムフォーシュ伯爵はご機嫌な様子で父と歓談しながら焼き菓子をつまんでいる。
私が入室すると二人が同時に笑顔を向けた。

「おっ、可愛らしいものを持ってるな」
「ファロンがくれました。私、このオペラとても好きで」
「では、私はこれで」

父が入れ違いに応接室を出る。

「パパは、ほら。秘密の話は聞いてはいけないから」

などと言って私の肩を軽く叩いた。
マルムフォーシュ伯爵が更に上機嫌になり、ニコニコ顔で椅子を引いて待っている。

早くオルゴールを鳴らせたくてうずうずしていた私は、小走りでテーブルに近づいた。
オルゴールを丁寧に置く時、マルムフォーシュ伯爵の手がそっと添えられた。私が、もう片方の手に香水を持っていたから気を利かせてくれたのだ。悪い気はしない。親切な人である。

「早く聞きたいわ」
「ほら、座って。巻けるか?」
「ええ。わくわくする」
「よし、巻け巻け」

マルムフォーシュ伯爵と二人でオルゴールに顔を寄せてネジを巻いた。
そして上の部分のからくり人形が踊り出し、私の大好きな曲が軽やかに奏でられた。

「わぁ……!」

感動。
私もニコニコしてマルムフォーシュ伯爵とこの気持ちを分かち合い、うっとりとからくり人形を眺めて耳を澄ませる。

「……」
「……」
「……」
「……スゥー……」

おっと。
うっかり、気を抜きすぎて燥いでしまったようだ。

「失礼しました。つい、気持ちが昂ってしまって」
「なんだよ。可愛いキティが見れて俺が喜ばないとでも思うか?」
「いえ、その……迂闊に喜ばせすぎるのも癖になるかと思いまして」
「いいじゃん。その癖くれよ」
「あの、顔が近い……です……」

最早、珍しいことではなかった。
調査に赴いた先で対象物を確認する際など、こうして顔を寄せて注意深く観察する場面は多々ある。公には恋人のふりもしている。

顔が近いなんて、今更だった。

「………………」

マルムフォーシュ伯爵が私を注意深く観察している。

「……伯爵?」
「……ぅああ、ご免。キスするところだった」

咄嗟に香水をワンプッシュ。

「うわっ!」

マルムフォーシュ伯爵の顔面に霧散し付着した芳しい甘い香りは、至近距離にいた私の鼻腔にも駆け抜けた。
いい匂いだ。

「なっ、なんだこれ!」
「ファロンからもらった香水です」
「香水!?」
「はい。特注で作ってくれたそうです。凄いですよね。チェルシー様もお持ちなのかしら」
「なんだよ、男みたいなことするな……ファロギヌスめ!」
「え、やめてください。あのように強く気高く美しい方に変な綽名を付けないでください」
「あ……でも、案外いい匂いかも」

単純な人である。
私の手から香水の瓶を取り、銘打たれた文字に目を凝らしてまた憤慨した。

「おい!俺より先にこんなことしやがって!あいつ!!」
「お気に召したならお貸ししますよ?私がそれを使うのは、伯爵と公の場に出る時に限られると思いますので」
「……淫靡だな」
「はあっ!?」

なんてことを言うのだろう、この遊び人は。
私はちょっと肩にでも吹きつけて「あら、伯爵。肩にキティが乗っていますわ。肩乗りキティですわね。おほほ」などというささやかな冗談でも言おうかと思っていたのに。

「やっぱり返してください」
「否、預かる」
「何故」
「レディ・ファロンが余計なものを混ぜ込んでいたら、キティを守れるのは俺しかいない」
「ファロンはそんなことしません」
「お抱え調香師がいる両性愛者が意味もなくそんなもの作るか!そして贈るか!」
「……やっぱり、そうですか?では一理ありますね」
「納得するな!くそ……っ、無駄に悔しい……!」

オルゴールの音が止まった。
ネジを巻き直そうとしてまた手が触れた。

「……」
「ほら、巻けよ」
「はい……」

オルゴールのネジを巻く。
甘い香りに包まれて、一瞬の静けさの中、ネジを巻く音と吐息の音だけが膨張していくような不思議な感覚があった。

「今度、一緒に観に行こう」

マルムフォーシュ伯爵が低く囁いた。
普段の優しさより深い甘さが耳を擽る。私は頬が熱くなるのを感じて俯き、それから、一度頷いた。
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