さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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六章

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普段通りオースルンド伯爵家まで送り届けられた。
私は特別の理由は思いつかなかったけれど、マルムフォーシュ伯爵をお茶に誘った。

ところが、笑顔で応じるものと信じて疑わなかったマルムフォーシュ伯爵は困ったように眉尻を下げて私に詫びたのだった。

「ご免。キティの誘いを断るなんて俺がこの世で一番したくないことなんだが、急用で」
「……そう、ですか……」
「ご免な」
「わ、かりました……」

あまりに驚いて呆然と返事をしてしまったものの、数秒で頭が動き出す。

「例の、詩集の件ですか?」

サルヴァゲートで急を要する相手という人物から詩集を受け取っていた。急用といわれて真っ先に思いつくのはそれだ。
マルムフォーシュ伯爵は頷いたけれど、どこか歯切れの悪さを感じ取り、私は嫌な胸騒ぎがして追及する。

「密偵としてのお仕事なら、私も一緒に……」
「否。今回のは、君を連れて行ける調査じゃない」
「……それは……」

危険が伴うという事だ。

「伯爵」
「大丈夫。そんな顔するな」
「でも」
「君と出会う前から、俺はこのお役目をちゃんと熟して来たんだぜ」
「ですが……」
「心配するな」

マルムフォーシュ伯爵の様子から、そこまで深刻な事態に対応するわけではないような気がして私は渋々頷いた。

もしかすると、危険だからではなく、女性だから立ち会えない調査なのかもしれない。
そんな場所にマルムフォーシュ伯爵が足を踏み入れるのは嫌な気がするけれども、私が意見できる立場でもなかった。

「わかりました。いつ頃、お戻りになりますか?」
「はっきり言えないな」
「長くかかるという事ですか?」
「なんだ。俺と離れるのは寂しいか?」

マルムフォーシュ伯爵がわかり易く目尻をさげて破顔する。

「ち、ちがっ……違います」
「嬉しいなぁ。キティもここまで俺に懐いたか。頑張ってよかった」
「頑張ったのは私です」
「そうだな。偉い偉い」

よしよしされる。
どうもこのまま有耶無耶にされそうだったので、私はマルムフォーシュ伯爵の手を掴んで頭から下ろさせ、正当な理由をつけて問い質すことにした。

「伯爵。私は伯爵の助手です。期間は調査の進捗にもよるとして、どちらにいらっしゃるか、居場所くらい教えておいていただかないと」
「……んー」
「私には言えないような、如何わしい場所へ赴かれると?」
「それだけは違う!」
「では、どちらに?」
「いやぁ……」
「伯爵……私のこと、信頼してくださっていると思っていたのに……」

私は甘やかされてここまで育った。
上目遣いで瞳を潤ませるくらい、やってできないことは無い。

マルムフォーシュ伯爵は一瞬で折れた。

「バムフォード辺境伯領に行ってくる」

辺境────?

「遠いじゃない!!」

思わず大声も出るというものよ。
それも、礼儀も弁えない口調になっている。

マルムフォーシュ伯爵が困り顔で私を宥めにかかる。でも私は私を止められなかった。私の方からマルムフォーシュ伯爵に取り縋っていた。

「待って」
「わかるだろう?君を連れて行ける距離じゃないんだ」
「嫌よ。そんな遠くに行かれてしまったら、今までのように……」

会えない。
一緒に過ごせない。

「寂しいか?」

言い淀む私を抱きとめるようにして、マルムフォーシュ伯爵が声を潜めた。そんなことを、これから会えなくなるという時に真剣な声で尋ねられたら、此方も強がってはいられなくなる。

「寂しいわ。絶対に嫌。私も連れて行って」
「駄目だ」
「なんでもするから!」
「男にそんなことを言うもんじゃない」
「私が女だからいけないの?男装したらついて行ける?」
「キティ。聞き分けてくれ」
「離れたくないの……っ、今、いなくならないで……!」

涙が溢れた。
次の瞬間、マルムフォーシュ伯爵が私の頬を掌で包み、唇が重なるキスをした。

「────」

時が止まる。
何も、考えられなくなった。

今、何が、起こったの……?

「カタリーナ」

マルムフォーシュ伯爵の声は、低くて、優しい。
そっと抱きしめられる。優しいのに決して逃がさない腕の力が、まるで私を守ってくれているようで、あたたかい。
それからマルムフォーシュ伯爵は私の頭に手を当てて、彼の胸元へ顔を埋めさせた。

この人の鼓動が、聞こえる。

「……」
「帰って来るよ」
「……」
「帰ったら、君に伝えたい言葉がある。わかるよな?」
「……」

私は、彼の腕の中で、頷いた。

そう。
もう、わかっていた。

どうしたらいいか、答えがわからなかっただけ。

「よし。じゃあ」

マルムフォーシュ伯爵が抱擁を解き、私の腕に手を添えて笑顔で顔を覗き込んでくる。

「『いってらっしゃい、ドグラス』」
「……」
「ほら、言えよ」
「……いって、らっしゃい……ドグラス……」
「『待ってるわ』」
「待って……いるわ……」
「愛してる」

彼の唇が、また、私の唇に重なった。
そして私の復唱を待たずに踵を返して駆けて行ってしまった。

私は、追う事ができなかった。

名前を呼んでしまったから。
キスを、してしまったから。

それに……

「……愛して、る……?」

愛の言葉を、もらってしまった。
帰ってきたら伝えると言ったのに。

私は走り去るマルムフォーシュ伯爵家の馬車を呆然と見送りながら、また、答えを探していた。

愛していると、伝えてくれるのだと思った。
サルヴァゲートでは聞こえなかったあの告白を、改めて、してくれるのだと思った。それを楽しみに待つよう言われたのかと思った。

だから、私は頷いたのに。

「……ドグラス……」

もう一度、名前を呼んでみる。
彼の唇の感触を覚えているうちに、もう一度。

「ドグラス……」

本当に、一秒でも早く帰ってきてほしい。
そして伝えると約束してくれた言葉を、私に、言ってほしい。

本音はバムフォード辺境伯領になど行かず、今すぐ引き返して来て言ってほしい。でも、その願いは叶わない。あまりにも我儘がすぎる。

「……っ」

寂しくて、もう泣けてきた。
こんなに唐突に遠くへ旅立つ予定があるなら、無暗に甘やかさないでほしかった。私はもう、彼に甘えていなければ駄目になってしまう。

小指に光るアレキサンドライトが目に映る。
そっと唇を押し当てた。

離れていても、大丈夫。
此処に、二人で一つの証がある。

けれど自分を励ましている内に嗚咽が抑えきれなくなり、私は指輪を嵌めた方の手を反対の手で握りしめて自室まで走った。
彼を恋しがって泣く姿なんて誰にも見られたくはない。

毎日、毎日。
そうして彼のことばかり考え、彼の無事を祈り、彼の帰りを待つ。
つい数ヶ月前までは彼のいない人生を送ってきたというのに、隣にいないことが辛過ぎて胸が張り裂けそうになって何度も泣いてしまった。

それでも、私は約束をした。
帰って来ると約束してくれたから、私も、待っていると約束した。


私は、その約束を破ることになる。


マルムフォーシュ伯爵がバムフォード辺境伯領へと旅立った、十八日後。
バムフォード辺境伯オーレリアス卿に叛乱の疑い有りという噂が、王国中に影を落とし、嵐のように駆け抜けたのだ。
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