巻き込まれた薬師の日常

白髭

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2B-霊薬と立証

2B-06 霊薬を求めて――ネル高地の戦い

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 パラケル爺は、当時のやり取りを昨日の時の様に思い出す。

 ♢

「金貨一万枚を用意した。霊薬の金額としては最低金額だと聞いている。すまん、これしか用意できなかった。手伝えることは何でもする。パラケル、エリス、バスタ……頼む。リンメルを助けるには霊薬しかない。ハイポーションでは駄目だ。状態は戻っても一時的、根本的な体力が回復せぬのだ」
 アゼルの声は震えていた。必死に感情を抑え込んでいるのが伝わってきた。

「パラケル、エリス。師匠から受け継いだ本はまだ持っているかしら? あの記述だと、あと二種で足りるはず。アゼル。お金が足りないのなら、あなたにも働いてもらうわよ。バニラの伝手はできているのでしょうね?」

「当然だ。商人は伝手が命。ベイノイ領からの便で交易している者を確保してある」
「それだけでは弱いわね。追加で私が手紙を書くわ。流通外の《魔素入り》バニラを欲していると。弟がベイノイ男爵の地位を継いでいる。交易先の領主に働きかけて、確実に入手できるよう取り計らいましょう」

「ありがとうございます、夫人。恩に着ます」

「困ったときはお互い様。住民を助けるのも貴族の役目。私達が困ったときは、あなたも力を貸してちょうだい」

 クリスティーヌは『古方薬経』の存在を当然のように知っていた。鍵となるのはバニラとオフィキナール。バスタはネル山脈に明るく、原本の挿絵を見せると即座に頷いた。紫の花弁、三叉に分かれた黄色の雄しべ、緑の大きな葉――その特徴を彼は覚えていた。三国境のネル高地に自生する植物。依頼で訪れた経験があるという。

 なるほど。クリスティーヌはギルドを通じて我らの動向を把握していたのだ。勝算のない戦いはしない女。抜け目なく策を講じ、当主を支える夫人の座に収まったのも当然といえた。

「パラケル。本の研究はどこまで進んでいるの?」
「残念ながら、あまり進んでおらぬ。器具と手技は問題ないと思うが……作成期限は?」

 クリスティーヌがアゼルを見ると、苦渋の表情で答えた。
「一か月を見ている。ベイノイ男爵からマダガスタ島までは船便だ。特殊バニラを入手するにはそのくらいかかる」
「了解した。それなら準備を開始し、向かわねばならぬな」

 パール家にて地図を広げ、経路を確認する。バスタは以前の旅程を記し、ウオルク領からネル高地へ至る道を示した。旅程一か月。だがそれでは間に合わない。

 地図を覗き込んだエリスが言う。
「ここベンベルクからホーミィー村を抜け、鎮守の森に入る。里を抜け、ネル川を遡りましょう。他の薬草も森で採取する必要があるのだから」

 なるほど。魔の森を抜ければ半月もかからぬ。バスタとエリスという道案内がいることが、これほど頼もしく思えたことはなかった。

 残るは自分の役割。ぶっつけ本番となるのが不安要素だが、文献で当たりはつけてある。魔術師としての経験も積み、自信もあった。必ず成功する――そう信じていた。だが今思えば、その甘い見積もりが事態を悪くしたのだ。

 ホーミィー村を経由し、鎮守の森へ。族長に自生場所を尋ね、エリスの顔で協力を得る。三日かけて薬草を揃え、ネル川を舟で遡り、山脈の麓へ。そこからは徒歩。魔獣を避けつつ高度を上げ、十日後、紅月の下で目的地に辿り着いた。

「くそ、まただ! 魔素が飛んでいく。絶叫は回避したが、解凍が悪い。解凍後に絶叫するなど聞いたことがないぞ!」

 初めて扱うオフィキナールに苦戦する。凍結を解けば絶叫し、魔素が霧散する。
「パラケル! 凍結して粉砕するのはどう? 形を留めないくらいに」
「なるほど……それでいこう」

 絶叫のたびに魔獣ガルーダが飛来する。バスタとエリスが必死に応戦するが、後衛が足りない。
「粉砕は良い手だ。よし、次だ。バニラはまだだが、製法を確保しておきたい。もう少し耐えてくれ!」


『古方薬経』を再確認する。“般若に集わせ”――意味は不明。特殊な水か? 簡易蒸留装置を取り出し、通常の水で抽出を試みる。八種の薬草を袋に入れ、加熱。高地ゆえ蒸留は早い。魔力で抽出を補助するが、魔素の気化は複雑を極めた。必死に制御し、凝結水に押し込む。ようやく規定量を確保したとき、汗が背を伝い落ちていることに気づいた。
 周囲には三十体ものガルーダの死骸。バスタとエリスが荒い息を吐きながらこちらを見ていた。無言でうなづく。

「ようやくか」
「無事に抽出できたようね。どう?」

「蒸留は早い……ん? 魔素が! 霧散が早すぎる! 留出液に留め置けぬ。もうほとんど消えてしまった!」

“磁の封器”――保存の鍵はそこにあった。だが今は失われた古代技術。代用品では役に立たない。
 保存ができぬなら、都度作成するしかない。一回分の投与を五度作る。オフィキナールが五株あれば……。だが群生地にはあと一株しかないとバスタはいう。

「なに! 今度は採取の問題か……仕方がない。凍結して城郭都市で勝負をかけるしかない」
 凍結すれば霧散は防げる。粉砕すれば絶叫も回避できる。問題は維持だ。あとは一度の投与で効果があることを祈るしかない。

「パラケル。どうするの? 不確定要素が多すぎるわ」
「どうするも何も……できることをするまでだ」

「気軽に試せないのは歯がゆいわね。時間が少ないのも。……むしろ今回は恵まれていると見るべきか」

 エリスの言葉に自分は唇を噛み、心の奥で呟いた。

 必ず成功させる。
 たとえ不確定要素が山積みだ。
 ここで退くわけにはいかぬのだ。

 ♢♢

 パラケル爺さんは、そこで言葉を切った。残りの酒を一息に煽り、深く息を吐く。その仕草と、アゼル爺の夫人がここにいないこと、そして『古方薬経』に残された注釈の数々が物語る――すでに結論は見えていた。わざわざ確認を取るまでもない。

 それでも爺さんは、覚悟を決めたのだろう。空になったグラスを脇へどかし、古びた本を広げ、さらに一枚の用紙を差し出してきた。真っ直ぐにこちらを見据え、重い声で語り始める。

「結果は、この紙に記した通りだ。……全く、ワシの研鑽不足よ。作成した霊薬は、せいぜいハイポーションを少し超える程度だった。アゼルとクリスティーヌには、金貨一万枚など受け取れぬと固辞した。だがアゼルは“成功報酬ではない、必要経費だ”と再び全額を差し出してきた。成果が不十分な以上、受け取るわけにはいかぬ。結局、クリスティーヌの仲立ちで条件を交わし、半分だけを受け取ることで折り合いをつけた。……それが、次代へ託すための誓いでもあった」

 爺さんの声は、悔恨と責務の狭間で揺れていた。

「肝心のリンメルだが……服用後は体が軽くなり、随分と楽になったとアゼルから聞いた。だが、亡くなったのは服用から一年後だ。小さな子を残しながらも、それまで延ばせたのは薬のおかげだと、本人は満足して旅立ったと聞いた。……だがな、アゼルをはじめ、リンメルの実家ティンパリー家、ベルナル一族には、力及ばず申し訳なく思っている。エリスも、バスタも、皆が手を尽くした。だが結局は、ワシの見通しの甘さが招いた結果だ」

 爺さんは深く頭を下げた。その背に、長年の重荷がのしかかっているのを自分は感じた。

「だからこそ、アゼルとの約束として決めたのだ。年に一度は必ず、入手の手段を考慮し、後世に繋げることを。……それが、ワシにできる唯一の償いだ」
 そして爺さんは顔を上げ、真剣な眼差しで自分を射抜いた。

「レッドよ。この件は『古方薬経』と共に、お主に託す。ワシはもう、ネル山脈に登って試作を繰り返すことはできぬ。ただ、過去を振り返り、語ることはできる。……だからこそ、師弟の枠を超えて問いたい。当時のワシにはもう戻れぬことは承知している。だが薬師として見て、どこに問題があったのか――指摘して欲しい」

 その問いは、重く真摯で、逃げ場のないほど切実なものだった。

 自分は、受け継ぐ者として答えねばならない。
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