サラマ・アンギュース~王位継承者

若山ゆう

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【第五部:聖なる村】第六章

エルシャの母

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 その夜は、エルシャがハーレルの看病をしていた。体力は徐々に取り戻しつつも、眠っている間はうなされることも多かった。それが耐えがたい拷問に曝された記憶であろうことは、聞くまでもなかった。
 その日は珍しく数時間のまとまった睡眠をとり、付き添っていたエルシャも、いつの間にか軽い睡魔に襲われていた。

 現実に引き戻したのは、かすかな物音だった。エルシャは咄嗟に腰を上げ、腰の剣の柄に右手をあてがった。ハーレルの眠る部屋の隣、階段のほうから、古びた木のきしむ音がする。誰かが昇ってくる音だ。ハルは熟睡している。エルシャは扉の横に身を寄せ、耳を澄ませた。人目をはばかる様子のない軽い足音に、剣から手を放し静かに扉を開ける。すぐ外に、ラミが立っていた。ラミはエルシャの姿を認めるとパッと顔を輝かせた。

「エルシャ! ラミね、どうしても眠れなくて、おしゃべりしに来ちゃった!」

 エルシャはとりあえずラミを部屋に引き入れると、低く抑えた声でいった。

「ラミ! こんな夜中にひとりで来ちゃダメじゃないか! どれだけ危ないかわかっているのか? フェランやナイシェたちはどうした」

 ラミはびくっと肩をすくめた。

「みんな、寝てる……。私、ハルやエルシャとおしゃべりしたくて」

 エルシャはため息をつくと、ラミの頭をそっと撫でてからその小さな体を引き寄せた。

「ハルは寝ているからお話はできないよ。とりあえず、朝まで俺のそばにいてくれ。もう絶対ひとりでどこかに行くんじゃないぞ」

 確約させたあと、エルシャはラミをつれて静かにハルのそばへ戻った。

 一軒挟んですぐ隣の宿とはいえ、こんな夜中に六歳そこそこの女の子が外に出ていいはずがない。何事もなくここへ辿り着けたからよかったものの、朝起きてラミが消えているのを見つけたら、フェランたちは生きた心地がしないだろう……。

 そんなことを考えながら、ラミの横顔を見つめていると、不意にラミが振り返った。

「ねえ、エルシャ。エルシャのお母さんは、どんな人なの?」

 唐突な質問に、エルシャは戸惑いを隠すので精いっぱいだった。

「えっと……どうしてそんなことを?」
「ラミね、ハルのお母さんは何度も見かけたことあるの。あまりしゃべらなくて、いつもゆっくり歩いてて、でも目が合うといつも笑ってくれるの。ハルの顔見てたら、思い出しちゃったんだ。だからね、エルシャのお母さんはどうなのかな、って」

 エルシャは思いを巡らせた。母親のことは、もう何年もよく思い出したことはなかった。いい母親だったことは間違いない。だが、思い出にはいいものと悪いものがあり、不思議なことに、思い出すのはかすかに苦い感情と、その後ろに隠れようとする得もいわれぬ罪悪感だった。

「俺のお母さんはね……とても、やさしい人だったよ。絶対人のことを悪くいわない、お手本みたいな人だった。病気で、俺が子供のころに亡くなってしまったけどね」

 するとラミは大きな目を輝かせてエルシャを見つめた。

「じゃあ、エルシャはお母さんが大好きだったんだね!」
「うん……そうだね」

 エルシャはラミのまなざしを受け止めきれずに、途中で目を逸らした。

 もともと、子どもという種類の生き物は、得意なほうではない。まっすぐにこちらを見つめ、遠慮なく真実をいい放ち、それでいて自由気ままな分時折突拍子もない行動をとる。同じ言語を話しているはずなのに、なぜだか言葉が通じていないような落ち着かない気持ちにさせる、そんな不思議な生き物だと思っている。反応が読めない分、どうしても身構えてしまうのだ。
 初めて二人きりになり、誰からの助け舟も期待できないこんな状況のときに限って、ラミはエルシャの心の奥底に波風をたてる。

 お母さんが大好きだったんだね!

 その問いかけに、咄嗟に言葉が詰まった。親を好きとか嫌いとか、そういう感情は、ずいぶん前から意識して封じ込めていた気がする。あれはたぶん、あの親子が来てからだ。あのときは目を逸らそうとしていたが、今なら冷静に向き合うことができる。

 母は、天使みたいな人だった。そんなところが、嫌いだった。

 母を愛していた。だから、父が妾とその息子を宮殿に迎え入れたとき、愛する母を悲しませる父のことを、心から憎んだ。しかし、母はその悲しみをまったく見せることなく、エルシャにこういったのだ――大切なお父様が、大切だと想う人たちを招き入れたのよ。あなたも、本当の家族だと思って、大切にしなさい。

 母上は、本心からそうおっしゃるのですか。

 心の中で問いかけたが、口にすることはできなかった。そして、自分だけは母の味方でいようと思っていたその心を、裏切られたような気持ちになったのだ。
 その日から、母に対する愛情に不快なもやがまとわりつくようになった。母を愛せば愛すほど、父の仕打ちに対し聖人のように振舞う母に嫌悪すら覚え、嫌悪するほど、醜い自分の心に唾棄の念を抱いた。まだ若く母や異性に清らかな何かを求めていた自分は、結局、母への愛情にも嫌悪にも蓋をして暮らすことを選んだのだ。
 父が選んだ二人目の女性とその息子は、そんな目で見ても文句のつけようがないくらい、善意の人間だった。母の教えのためか、腹違いの弟とその母親には、つらく当たろうと思ってもできなかった。宮殿に住む関係のない輩は、金目当てで取り入ったとか正妻の座を狙っているとかいろいろ噂をしていたけれど、そんなふうには見えなかった。立場をわきまえ身を小さくして振舞うその様は、むしろ同情を誘うほどだった。結局自分は、母を憎むことも、新しく来た母子を憎むことも、父を憎み切ることもできずに、新しい家族のおぼろげなつながりと不思議な距離を、受け入れることにしたのだ――。

 数年ぶりに思い返し、やはり自分は母を愛していたのだと、エルシャは再確認した。それを、母が死ぬまでに表現できなかったことが、心残りだった。母の教えがあってこそ、自分はリキュスといい関係が築けているのだ――そう、多少の遠慮はあれど、腹違いの兄弟としては充分、良好な関係を。

 視線を逸らされたラミが、それに気づいて何か深い説明を待っているかもしれない――そう思い、慌てて取り繕おうと振り返ると、ラミはいつの間にかハルの寝台の足元に上半身を倒して眠りについていた。無防備に寝息を立てている姿を見て、頬が緩む。

「眠れないといいながら、結局寝てるじゃないか……」

 エルシャはあたりを見回した。夜風が建物の隙間から入り、肌寒い。ラミが来るとは思っていなかったから、ナイシェに創ってもらった予備の毛布は隣の部屋に置きっぱなしだ。エルシャは二人を起こさないよう慎重な足取りで部屋を出ると、簡易の椅子にかけてあった毛布を手に取った。その瞬間だった。ハルの寝室から、窓ガラスの割れる大きな音がした。
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