拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

羽村 美海

文字の大きさ
95 / 111

#94 父であるなら

しおりを挟む

 けれども、すぐに我に返ったらしいご当主が何故か恭平兄ちゃんの方に、何故だか同情するような眼差しを向けていて。

 それに倣うようにして、他の皆も一斉に恭平兄ちゃんへと注目してしまっている。

 当の恭平兄ちゃんはなにやら気まずそうな面持ちで。

「……だから言ったじゃないですか? 菜々子は俺のことなんか兄としてしか見てないって。これ以上傷口抉られたくないんで、もう店に戻っていいですか?」

 この場に居る私を除く全員に向けて、ブスくれた様子で悪態をついていたようだったけれど、私はそれどころじゃなかった。

 その間にも、恭平兄ちゃんの言葉に、皆が示し合わせたように一斉に。

「どうぞどうぞ」

 そう言って、店へと向かう恭平兄ちゃんの背中をなにやら複雑そうな表情で見送っていたけれど。

 それどころじゃなかった私は、そんなことにイチイチ気を配っているような余裕なんてものも一切なかった。

 なぜなら、今ここに居ない創さんのことがどうにも気にかかっていたからだ。

 そりゃ無理もないだろう。

 私から身を引こうと決めた創さんは、もしかしなくても、私のことをキッパリと諦めて私の前から去る前に、最後の想い出にと、この夢のような一週間を私と過ごしていたのだ。

 そんなの気にならない訳がない。

 否、現にもう既に居ないのだ。

 昨夜だって、海外出張に行くと言ってもいたし。

 銀製のカトラリーのセットをくれた時なんて。

『菜々子には、幸せになって欲しいんだ。そんな願いを込めて用意したモノだ。だから、遠慮なく受け取って欲しい。そして使うたびに俺のことを思い出して欲しいんだ』

  あんなこと言ってたし。

――創さんは、私とはもう二度と逢わないつもりでいるんじゃないだろうか?

 今もこうしている間に、創さんがどこか遠くに行ってしまうんじゃないかって不安で押しつぶされてしまいそうだ。

「あのっ、創さんは!? 創さんは今どこに居るんですか!?」

 だから、正面の長方形の座卓に両手をドンッとついて、ご当主に真正面から迫ったというのに。

「否、それが、創に口止めされていてね」

 この期に及んで言い淀んでしまったご当主に向けて。

「この、分からず屋ッ! 私のことを人質にした創さんもどうかと思いますけど。元はといえば、創さんのことをずっと一人にしてしまってたご当主にも責任があるんじゃないですか?

もっと前からちゃんと色んなことを話し合っていれば、私の父親が道隆さんだって誤解することもなかっただろうし。創さんが自分を責めることもなかったんじゃないですか?

今だって、創さんのこと全部理解したつもりになって、意思を尊重してるつもりかもしれないですけど、子供が勘違いして間違った答え出したら、それを正してあげるのが親なんじゃないですか? こんなの放任主義でも何でもありませんよッ! ただの育児放棄ですッ! それでよくも父親だなんて言えますねッ!

自分が悪者になりたくないからって、奧さんと創さん、どっちにも良い顔して、面倒ごとから目を背けて、ちゃんと向き合ってこなかった結果なんじゃないですか? 頭下げるだけなら、カメ吉だってできますよッ!

こういう時に一番に頼れるのが家族じゃないなんて、あんまりですッ! もういいですッ! 菱沼さんに聞きますからッ!」

 以前菱沼さんから聞かされてからずっと引っかかっていたこともひっくるめて、ご当主に言いたいことを勢い任せにぶつけた私は、廊下で控えてくれているだろう菱沼さんの元へ脚を進めかけたところ。

 私の背中にご当主から声が放たれて。

「実は前々から、ロスにMBAの資格を取りに行きたいと言ってたんだけどね、アレルギーのこともあるし、ずっと踏み切れないでいたんだけど。この機会に、向こうで一人で頑張ってみるからって。帰国したら家にちゃんと戻るから、それまで待っていて欲しいって。午前一一時四五分発の便に乗る予定だと聞いてる。菜々子ちゃん、創のことをよろしく頼みます」

 私の必死な想いが通じたのか、最後には頭を下げて、私に創さんのことを託してくださった。

 ちょうどそこへ、私の声に気づいたらしい菱沼さんが襖の向こうからヒョッコリと顔を出して。

「お呼びでしょうか?」
「菱沼、菜々子ちゃんを創の元に送ってあげなさい」
「……否、しかし」
「これは当主である私の命令だ。さっさと行きなさいッ!」
「はっ、はいッ。畏まりました」

 どうやらご当主同様、創さんから口止めされていたらしい菱沼さんはどうしたものかと躊躇していたようだったけれど、さすがにご当主からの命令には背けなかったようだ。

 ご当主の命を受けた菱沼さんの先導により私はパティスリー藤倉を後にした。

 その直後、私は予想外なことに直面することとなる。

 それは、羽田空港に向かうため、来たときと同じ黒塗りの高級車に乗り込んですぐのことだった。

 運転手の鮫島さんが菱沼さんから事の経緯を聞いて、ハンドルを握りつつも感極まって啜り泣くなかで。

「創様のこと、どうか、よろしく頼む」

 これまた来たとき同様、助手席に乗っている菱沼さんから創さんのことを託されただけでも驚きなのに。

「これは、お前のパスポートとロサンゼルス行きのチケットだ。……余計なことだとは思ったんだが、創様がどうにも不憫で。実は後でお前に渡そうと準備しておいたものだ。

ゆくゆくは必要になると思って、念の為パスポートを用意してはあったが、まさか、こんな形で役に立つとはなぁ。

創様からひとりで行くと聞かされた時には、どうなることかと案じていたが、どうやら創様の思い違いだったようだし。なにより、お前のお陰で、ご当主ともわだかまりが解けたようだし、本当によかった。お前では少々頼りない気もするが、創様は大変お喜びになるだろう」

 私も一緒にロサンゼルスへ行くことが前提で、しかも安堵して涙ぐんでいるのか、僅かに声を震わせながら話を進める菱沼さんを前に、創さんのことを想って泣いてくれる人が周りにいてくれて良かったと安堵しつつも、私は唖然としてしまっていた。

 けれどもそれも一瞬のことで。

――もうこうなったら、私のためにひとりで異国の地に旅立とうとしてくれた創さんのために、ロサンゼルスでもどこへでもついて行こうじゃないか。

 こうして、うっかり者の私らしい成り行きから覚悟を決めるに至った私の気持ちは、このとき既に、ロサンゼルスへと旅立っていたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました

藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。 そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。 ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。 その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。 仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。 会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。 これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。 次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。

処理中です...