拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

羽村 美海

文字の大きさ
82 / 111

#81 誤算まみれの恋情〜創視点〜 ⑷

しおりを挟む

 だから、まだあの日から二月後ほどしか経っていないのに、報告を受けた早期退職者の名簿の中に菜々子の名前を見つけた時には、信じられずに己の目を疑ったくらいだ。

 ――見るからにパティシエールの仕事が好きで好きで堪らないって感じだったのに。自分から辞めるなんて一体どういうことだ?

 何度目を凝らしてみても、名簿には間違いなく菜々子の氏名が記されている。

 けれどどうしても合点がいかなかった。

 ――やむを得ない理由があるはずだ。

 そうとしか思えなかったのだ。

 あまり気乗りはしなかったが、経営の立て直しにリストラは必要不可欠だった。

 でもそれは、これまで築き上げてきた信用を落とさぬように、これまで同様のサービスの質を保ちつつ、尚且つコストを最小限に抑えるためには、功績に関わりなく経営者一族だというだけで、自分の地位や名誉に胡座をかいて、甘い蜜を吸っていた名誉職など役員連中を筆頭に、長年年功序列を重んじてきた古い体質を崩すのが目的だったのだ。 

  だからといって、誰彼関係なく対象者に選んでいたわけじゃない。

 比較的若い者は残して、定年間近の者を最優先に、桜小路グループの関連企業への再雇用を希望する者から早期退職者を募っていた。

 ――それなのに、どうして彼女が?

 どうにも合点がいかず菱沼に調べさせてみたら、なるほどというか、お人好しというか、シングルマザーの先輩の代わりに退職を願い出たのだという。

 正直、バカなのか? としか思えなかった。

 まぁ、お陰で、菜々子のことを俺の専属パティシエールとして雇い入れることができたのだから、好都合だったのだが。

 でもまさか、ハローワークに行く途中にあんな事故に遭うとは、つくづく運のない女だな、とも思ったけれど、俺に目をつけられた時点で、そもそも運が尽きていたのかもしれない。

 おそらくとしか言いようがないが、今の菜々子が、従兄を好きだという、自分の本当の気持ちに気づいてないんだとして。

 もしもそのことに菜々子が気づいた時、一体どうなるんだろうな?

 それ以前に、人質にされてるんだから、菜々子にはどうしようもないのか。

 てことは、このまま菜々子とずっと一緒に居られるのか。だったらなんの問題もないじゃないか。

――運が悪かったな、諦めろ。でもこの俺が責任持って幸せにしてやるから、安心しろ。

 それでいいじゃないか。

……そのはずなのに、ちっとも嬉しくないのはどういう訳だ。

 本当はどうしてかなんて、そんなこと、自分がよーく分かっている。

 菜々子の身体は手に入れることができても、心まで手に入れることが叶わなかったからだ。

 それと、菜々子を人質になんてしてしまったことに対する罪悪感のせいだ。

 生まれてからこれまで、『桜小路家の御曹司』なんて言われてきた俺の周りには、男女問わず媚びへつらうヤツばっかりだった。

 女に至っては、臭いとしか思えないような甘ったるい香水を撒き散らしながら猫なで声ですり寄ってくるような、損得勘定しかない尻の軽そうな女ばかり。

 その度にアレルギー発作や蕁麻疹に苦しめられたのも一度や二度じゃない。

 そういう女たちに触れられるのが嫌などころか、傍に来られるのも嫌だったくらいだ。

 裏しかない女の存在自体がただただ不快でしかなかった。気づいた時には、女を寄せ付けなくなっていた。

 ――なのにどうして菜々子は違ったんだ?

 菜々子が傍に居てくれることで、心身共に安定していたからなのだろうか。

 だったら、アレルギーだけが原因じゃなかったのかもしれない。

 そうじゃなければ、菜々子が元々アレルギー体質でほとんど化粧していないからといっても、説明がつかない。

 そう思うくらいに、菜々子と一緒に暮らすようになってからというもの、今まで当たり前だったことがことごとく覆されていった。

――もし今菜々子が居なくなったら、なんてことを想像しただけで、目の前が真っ暗になりそうだ。

 想像もつかないし、今まで一体どうやっていたかすらも思い出せない。

 否、違う。思い出したくないんだ。もう菜々子なしではいられなくなってるんだ。

 どうやら俺は菜々子のことを随分と好きになってしまっているらしい――。

「創様? どうかいたしましたか?」
「――あっ、いや、なんでもない」
 
 今までのことをぼんやりと思い返しているうち、人を好きになることがどういうことか思い知らされた俺は、いつの間にか伯父、道隆の見送りから帰ってきていたらしい菱沼の声によって、思い通りにいかない現実世界へと引き戻された。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。

恩田璃星
恋愛
清永凛(きよなが りん)は平日はごく普通のOL、土日のいずれかは交通整理の副業に励む働き者。 副業先の上司である夏目仁希(なつめ にき)から、会う度に嫌味を言われたって気にしたことなどなかった。 なぜなら、凛には付き合って三年になる恋人がいるからだ。 しかし、そろそろプロポーズされるかも?と期待していたある日、彼から一方的に別れを告げられてしまいー!? それを機に、凛の運命は思いも寄らない方向に引っ張られていく。 果たして凛は、両親のように、愛の溢れる家庭を築けるのか!? *この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 *不定期更新になることがあります。

ワケあって、お見合い相手のイケメン社長と山で一夜を過ごすことになりました。

紫月あみり
恋愛
※完結! 焚き火の向かい側に座っているのは、メディアでも話題になったイケメン会社経営者、藤原晃成。山奥の冷えた外気に、彼が言い放った。「抱き合って寝るしかない」そんなの無理。七時間前にお見合いしたばかりの相手なのに!? 応じない私を、彼が羽交い締めにして膝の上に乗せる。向き合うと、ぶつかり合う私と彼の視線。運が悪かっただけだった。こうなったのは――結婚相談所で彼が私にお見合いを申し込まなければ、妹から直筆の手紙を受け取らなければ、そもそも一ヶ月前に私がクマのマスコットを失くさなければ――こんなことにならなかった。彼の腕が、私を引き寄せる。私は彼の胸に顔を埋めた……

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

処理中です...