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不気味な
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それから数日間、狭山はしっかり療養をして、無事回復を果たした。
だけど良くなったと思ったら次は案の定、俺に移ってしまい、狭山と入れ替わる形で寝込むこととなった。
ここ数年は全く熱なんて出さなかったのに、狭山がいつでもくっついてこようとしたせいだ。
それにアイツは俺が風邪になったと知るや否や、嬉々として奉仕をし始めた。
本当はそろそろ仕事に行った方がいいんじゃないかって、そう思った時もある。けど、その表情があまりにも緩みすぎていて、余計なことは言えなかった。
多分、俺もなんだかんだ嬉しかったんだと思う。熱を出したらいつもより心細くなるから。
これまでの悲しい記憶ばかりだった俺にとっては、その十分すぎるくらいの甘やかしが丁度よくて、到底抜け出せるものじゃなかったんだ。
背中の怪我も、なんとかバレずに過ごせたし、数日間安静にしていられたおかげで大分良くなった。これなら例え狭山が触ってこようとしても、背中さえ見られなければ大丈夫だろう。
でも、何処に行くにも抱っこで移動させられて、ご飯も食べさせられて、お風呂はなんとか断ったけど、歯磨きまでされたのは、流石に看病じゃなくて介護だったような気がする……。
***
朝、起床のアラームが鳴る前に、俺は違和感を感じ目を覚ました。時計を見れば、起きるにはまだ少し早い時間。
だけど、隣は空っぽで、いつもそこにある狭山の温もりが見当たらなかった。
「えっ……!?」
思わず跳び跳ねるようにして、体を起こした。こんな状況は始めてで、嫌な予感にドッと汗が滲み出す。
────狭山はいつも俺が起きるまで待ってくれるのに、どうしていないんだ? トイレ……とかだよな? でも、もしかして、俺にもう飽きたとか? それで……俺を置いて出ていった?
ずっと心の奥底にあった、一番恐れていたことが自然と表に出てくる。
でも、よく考えて頭を振った。
────いやいや、そんなわけない。だって、昨日も普通だった。俺の熱も下がって、ようやく今日から仕事に行けるのに、狭山がずっと二人でいたいと駄々を捏ねてしょうがなかったんだ。
だからそれはあり得ない。あり得ないのに、絶えず湧き出てくる焦燥感が俺をマイナス思考に陥らせる。
「さ、探さないと……!」
俺は混乱した頭のまま、ベッドを降りた。じっとなんてしていられなかった。とにかく早く狭山の顔が見たくて、声が聞きたくてドアを開けた。
「────あれ、おはよう広崎。もう起きたの?」
「っ、狭山……!」
寝室を出たそのすぐ先に、狭山はいた。その表情は驚きに満ちあふれ、こちらを見ている。
「どうした? こんなに早く起きるなんて珍しいじゃん」
「え……、あっ、だって、狭山がいなかったから……」
「なに、もしかして俺がいなくて寂しくて目覚めちゃった?」
「……っ!」
図星だった。なにせ、ここ最近はずっと一緒に過ごしていたから。
俺はそれを当然のものだと思い込んでしまっていたのだ。
改めて思い返すと、なんだか物凄く恥ずかしい。狭山がいないだけで、こんなに焦って部屋を飛び出してしまうなんて。俺はどんどん、狭山に依存していってるじゃないか……。
「いい傾向だな。広崎が俺のことで頭いっぱいにしてくれて、すごく嬉しいよ」
そう呟いた狭山は、楽しそうに俺の顔へ、リップ音を鳴らしてくる。
「うわっ、待て……! 俺まだ顔も洗ってないからっ!」
でも俺は、必死に腕でガードして、それを止めさせた。
「えー、そんなの関係ないって。むしろこっちの方が、広崎のことたくさん味わえるじゃん」
「いっ、意味分かんないこと言うな! 俺もう顔洗ってくる……!!」
不服そうな狭山を押し退けて、洗面所へ向かう。背後からはまだ、ぶつぶつと不満を垂らす声が聞こえている。俺はそれも潔く無視して、洗面台まで歩いたけど────
「ん? なんだこれ……」
台の上に、見慣れない黒色の服があった。しかもそれは濡れているようで、何故か赤黒い液体がそこから滴り落ちている。匂いもどこか、鉄臭い。
浴室からは軽い熱気も感じるし、狭山はシャワーを浴びていたのだろうか。だとすれば、この服も俺が寝ている間に狭山が置いたものなのか?
気になって、俺はそれに手を伸ばそうとした。
その瞬間だった。
「広崎……もしかして見ちゃった?」
耳元で囁かれる狭山の声。俺の目元には、覆い隠すように置かれた狭山の手のひら。
突然の暗闇に、俺は叫びだしそうになった。
だけど、おぞましい程感情の見えないその声が、それを思い止まらせた。もはや俺の口からは、吸った息をはくはくと吐き出すことしかできない。
「なあ……これが何か分かった?」
「っ! わ、分から……ない……!」
「あっ、マジ? それならよかった。……さっき実は俺、いらないもん処分しに行ってたんだよね。でも、その時にけっこう汚れちゃってさ。広崎には汚いもの見せたくなかったから、洗って捨てるつもりだったんだけど、まさかこんなに早く起きてくるとは思わなかったなあ。……あー、油断した」
ぼそぼそと呟く狭山の吐息が、思いの外近くにあって、耳の中を刺激する。
きっと、視界を塞がれているせいだ。俺の体がいつもより敏感に感じ取ってしまい、狭山の話も途中から碌に聞けていなかった。
「さ、狭山! ちょっと……離して……っ、」
「んー、じゃあ顔洗うの、もうちょい待ってくれる? 俺、これ片付けないといけないからさ」
「分かった……! 分かったから早く!!」
コクコクと俺は頷く。耳に熱が集まっている感じがするから、多分真っ赤になっているだろう。
でも狭山はそれに気づいていないのか、俺をそのまま洗面所から出すと、そこでようやく手を離してくれた。
振り返ろうとすると、背中をそっと撫でるようにして押される。怪我が痛むほどではなかったけど、少しだけ俺は体をビクつかせた。
「────ごめんな、すぐに助けてやれなくて。でも、もう大丈夫だから」
ポツリと、狭山は言葉を溢した。
だけど背中に気をとられていた俺にはよく聞こえなくて。
振り返って尋ねようとすれば、洗面所の扉は既に閉じられていた。その奥から、狭山の呼び掛けだけが聞こえてくる。
「広崎ー! 悪いけど俺が出てくるまで、ここには入らないでおいてくれる?」
「え……」
「あと、さっきの広崎可愛すぎたから、後でちゃんと触らせてー!」
「っ……はあ!?」
狭山の発した言葉に目を見開く。
────やっぱり、俺が狭山の息で感じてたのバレてたんだ……!!
てっきり狭山は気づいていなかったのだと思って安心していたのに、現実はそう甘くなかった。
顔が燃えるように熱い。俺は今すぐにでも喚き散らかしたいくらいの羞恥心に襲われ、足早にこの場を離れる。先程見た、得体の知れない物に関しては、とっくに頭の中から抜け落ちていた。
だけど良くなったと思ったら次は案の定、俺に移ってしまい、狭山と入れ替わる形で寝込むこととなった。
ここ数年は全く熱なんて出さなかったのに、狭山がいつでもくっついてこようとしたせいだ。
それにアイツは俺が風邪になったと知るや否や、嬉々として奉仕をし始めた。
本当はそろそろ仕事に行った方がいいんじゃないかって、そう思った時もある。けど、その表情があまりにも緩みすぎていて、余計なことは言えなかった。
多分、俺もなんだかんだ嬉しかったんだと思う。熱を出したらいつもより心細くなるから。
これまでの悲しい記憶ばかりだった俺にとっては、その十分すぎるくらいの甘やかしが丁度よくて、到底抜け出せるものじゃなかったんだ。
背中の怪我も、なんとかバレずに過ごせたし、数日間安静にしていられたおかげで大分良くなった。これなら例え狭山が触ってこようとしても、背中さえ見られなければ大丈夫だろう。
でも、何処に行くにも抱っこで移動させられて、ご飯も食べさせられて、お風呂はなんとか断ったけど、歯磨きまでされたのは、流石に看病じゃなくて介護だったような気がする……。
***
朝、起床のアラームが鳴る前に、俺は違和感を感じ目を覚ました。時計を見れば、起きるにはまだ少し早い時間。
だけど、隣は空っぽで、いつもそこにある狭山の温もりが見当たらなかった。
「えっ……!?」
思わず跳び跳ねるようにして、体を起こした。こんな状況は始めてで、嫌な予感にドッと汗が滲み出す。
────狭山はいつも俺が起きるまで待ってくれるのに、どうしていないんだ? トイレ……とかだよな? でも、もしかして、俺にもう飽きたとか? それで……俺を置いて出ていった?
ずっと心の奥底にあった、一番恐れていたことが自然と表に出てくる。
でも、よく考えて頭を振った。
────いやいや、そんなわけない。だって、昨日も普通だった。俺の熱も下がって、ようやく今日から仕事に行けるのに、狭山がずっと二人でいたいと駄々を捏ねてしょうがなかったんだ。
だからそれはあり得ない。あり得ないのに、絶えず湧き出てくる焦燥感が俺をマイナス思考に陥らせる。
「さ、探さないと……!」
俺は混乱した頭のまま、ベッドを降りた。じっとなんてしていられなかった。とにかく早く狭山の顔が見たくて、声が聞きたくてドアを開けた。
「────あれ、おはよう広崎。もう起きたの?」
「っ、狭山……!」
寝室を出たそのすぐ先に、狭山はいた。その表情は驚きに満ちあふれ、こちらを見ている。
「どうした? こんなに早く起きるなんて珍しいじゃん」
「え……、あっ、だって、狭山がいなかったから……」
「なに、もしかして俺がいなくて寂しくて目覚めちゃった?」
「……っ!」
図星だった。なにせ、ここ最近はずっと一緒に過ごしていたから。
俺はそれを当然のものだと思い込んでしまっていたのだ。
改めて思い返すと、なんだか物凄く恥ずかしい。狭山がいないだけで、こんなに焦って部屋を飛び出してしまうなんて。俺はどんどん、狭山に依存していってるじゃないか……。
「いい傾向だな。広崎が俺のことで頭いっぱいにしてくれて、すごく嬉しいよ」
そう呟いた狭山は、楽しそうに俺の顔へ、リップ音を鳴らしてくる。
「うわっ、待て……! 俺まだ顔も洗ってないからっ!」
でも俺は、必死に腕でガードして、それを止めさせた。
「えー、そんなの関係ないって。むしろこっちの方が、広崎のことたくさん味わえるじゃん」
「いっ、意味分かんないこと言うな! 俺もう顔洗ってくる……!!」
不服そうな狭山を押し退けて、洗面所へ向かう。背後からはまだ、ぶつぶつと不満を垂らす声が聞こえている。俺はそれも潔く無視して、洗面台まで歩いたけど────
「ん? なんだこれ……」
台の上に、見慣れない黒色の服があった。しかもそれは濡れているようで、何故か赤黒い液体がそこから滴り落ちている。匂いもどこか、鉄臭い。
浴室からは軽い熱気も感じるし、狭山はシャワーを浴びていたのだろうか。だとすれば、この服も俺が寝ている間に狭山が置いたものなのか?
気になって、俺はそれに手を伸ばそうとした。
その瞬間だった。
「広崎……もしかして見ちゃった?」
耳元で囁かれる狭山の声。俺の目元には、覆い隠すように置かれた狭山の手のひら。
突然の暗闇に、俺は叫びだしそうになった。
だけど、おぞましい程感情の見えないその声が、それを思い止まらせた。もはや俺の口からは、吸った息をはくはくと吐き出すことしかできない。
「なあ……これが何か分かった?」
「っ! わ、分から……ない……!」
「あっ、マジ? それならよかった。……さっき実は俺、いらないもん処分しに行ってたんだよね。でも、その時にけっこう汚れちゃってさ。広崎には汚いもの見せたくなかったから、洗って捨てるつもりだったんだけど、まさかこんなに早く起きてくるとは思わなかったなあ。……あー、油断した」
ぼそぼそと呟く狭山の吐息が、思いの外近くにあって、耳の中を刺激する。
きっと、視界を塞がれているせいだ。俺の体がいつもより敏感に感じ取ってしまい、狭山の話も途中から碌に聞けていなかった。
「さ、狭山! ちょっと……離して……っ、」
「んー、じゃあ顔洗うの、もうちょい待ってくれる? 俺、これ片付けないといけないからさ」
「分かった……! 分かったから早く!!」
コクコクと俺は頷く。耳に熱が集まっている感じがするから、多分真っ赤になっているだろう。
でも狭山はそれに気づいていないのか、俺をそのまま洗面所から出すと、そこでようやく手を離してくれた。
振り返ろうとすると、背中をそっと撫でるようにして押される。怪我が痛むほどではなかったけど、少しだけ俺は体をビクつかせた。
「────ごめんな、すぐに助けてやれなくて。でも、もう大丈夫だから」
ポツリと、狭山は言葉を溢した。
だけど背中に気をとられていた俺にはよく聞こえなくて。
振り返って尋ねようとすれば、洗面所の扉は既に閉じられていた。その奥から、狭山の呼び掛けだけが聞こえてくる。
「広崎ー! 悪いけど俺が出てくるまで、ここには入らないでおいてくれる?」
「え……」
「あと、さっきの広崎可愛すぎたから、後でちゃんと触らせてー!」
「っ……はあ!?」
狭山の発した言葉に目を見開く。
────やっぱり、俺が狭山の息で感じてたのバレてたんだ……!!
てっきり狭山は気づいていなかったのだと思って安心していたのに、現実はそう甘くなかった。
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