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ヴェラリール学園②
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なんとか準備が整い、忘れ物がないことを確認してから玄関へ向かう。
靴を履き終えると、ミカイルは僕の全身を眺めてしみじみと呟いた。
「……今さらだけど、ユハと一緒に通えることになって本当に嬉しい。制服、すごく似合ってるよ」
ミカイルは本気で言っているのだろうが、どう見たって僕より目の前の男の方が段違いに似合っている。
顔が良いのはもちろんのこと、濃い紺色のブレザーは彼の金の髪をよく映えさせており、黒を基調とした細身のボトムスは彼の長い足をより際立たせている。白馬にでも乗せればさながら一国の王子とでも言ったところか。すれ違えば誰もが振りかえってしまいそうな程、完成された美しさがそこにはあった。
一方の僕はと言うと、全体的に色味が暗く、身長もミカイル程はないからどうにも着せられてる感が否めない。というか、はっきり言って地味だ。ミカイルの隣にいれば余計に周りの人はそう思うだろう。
別に自分の容姿に対して特別コンプレックスがあるというわけではないが、そんなミカイルに似合っていると言われるのはなんだか癪だった。
「ミカに言われても、誉められてる感じがしない……」
「ええっ?どうして?」
何も分かっていない様子のきょとんとした顔にイラッとする。僕はそのままミカイルの視線を受け流すと、何も言わず部屋を出た。
「あ!置いていかないでユハ!」
慌ててミカイルも追いかけてくる。先に出たはいいものの、場所が分からない僕は結局彼が追いつくまで待たざるを得ないのだった。
校舎は寮からゆっくり歩いて10分ほどの距離の場所にある。教室までは更に時間がかかるみたいだから、明日も余裕をもって起きた方がいいだろう。今日はなんとか取り返しのつかない寝坊にならなくて済んだが、明日以降も気を引き締めなければ。
通学路を歩くのは、本を片手に歩く生徒、談笑しながら向かう生徒達。そんな彼らに混ざりながら、僕もミカイルの隣でキョロキョロと辺りを見渡す。
「ユハが隣にいるなんて、夢みたい」
ミカイルは眩しいものを見るように目を細めていた。
「これからは毎日一緒に通うことになるんだから早く慣れてくれよ」
「そうだよね。……嬉しいな」
これからはずっと一緒だね、とミカイルが小さく呟く。
しかし、周りの景色を見ることで夢中な僕には全く聞こえていなかった。
「なんか……思ったよりも歩いている人が少ないな」
「まだ朝が早いからじゃない?たぶんこの時間は支度をしてる人がほとんどだと思うよ」
「たしかに、教室へ行くにはまだ早いか。……あ、あの人、ネクタイの色が違う」
後ろをちらりと見ると、赤色のネクタイを着けている生徒がいた。
僕達は深緑色のネクタイだ。てっきり全員同じだと勝手に思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「ネクタイは学年ごとに色が決まってるんだ。あの人は赤色だから、一つ上の第三学年だね」
「へえー」
ネクタイの色で学年が区別されているのか。それなら学園のどこで見かけてもすぐに分かって良い。
他にも第一学年は黄色、第四学年は青、第五学年は白だと教えてもらった。
校舎の中は想像はしていたが、内装も外見に劣らず立派な造りだった。
大理石のようにピカピカで、お洒落なデザインがあしらわれている床。等間隔に灯されているのは、光輝くシャンデリア。壁は上質な木を使っているのか艶々と照っている。
学校とはいえ想像以上の様相にもはや感嘆することしかできず、ミカイルはそんな僕を見て楽しそうに声を上げて笑っていた。
気を取り直して目的地に向かうと、職員室は西館の二階にあった。
西館は主に先生たちが使う部屋が多く、僕達生徒はあまり出入りすることはないらしい。確かに、ここに入ってからは生徒を全然見かけなかった。
ミカイルが先に扉をノックして中へ入る。
室内には数人の先生がちらほらといるのが見えて、心なしか緊張も増す。
そっと僕はミカイルの後ろについていけば、彼はある一人の人物の前で立ち止まって、軽く会釈をした。
「おはようございます、先生。今日から編入する生徒を連れてきました」
「あ~?……あぁ~、そういや今日からそんなやつもいるんだったなァ」
間延びした男の低い声が聞こえる。
椅子に凭れて座っているその人は、父さんよりもいくつか年上に見える男性で、だらしなく着崩したシャツに、何も整えられていない髪の毛、さらには口元に無精髭を生やしており、おおよそこの学園の先生だとは思えない風貌をしていた。
由緒正しき学園にもこんな身なりの先生がいるのか────そう驚きを隠せなかったが、しかし、そんなことよりももっと気になることが目の前の男にはあった。
「王族の方も、教師をされてるんですね……」
「あ?お前、今なんつった」
「え?だから、王族の方も……って…………」
先生が眉を寄せてこちらを睨み付ける。あまりにも強い眼光に、思わず僕の首はすくんでいた。
「ちょっと、急に怖がらせないでください」
ミカイルは何か異変を察知して庇うように僕の前へ出る。
「アイフォスター。お前はもう用済みだ。とっとと教室へ行け」
「……何を言ってるんですか?ユハンはまだ教室の場所も知りません。僕が一緒に連れていくので──」
「うるせえなァ。そんなのは俺が連れていけば済む話だろうが。邪魔だから早く出てけっつってンだよ」
「……っでも…!」
先生がミカイルを鬱陶しそうに追い払う。
僕はその珍しすぎる光景にただ黙って見ていた。
まさか、ミカイルのわがままに逆らう人間がいるとは思わなかったのだ。
「……話をするだけなのに、僕が出ていく必要はないですよね?」
「お前がここにいる必要もねェけどな」
「……僕はユハの推薦者です。話を聞く権利は僕にもあると思いますが」
「ああ言えばこう言うヤツだな……。めんどくせェ……」
げっそりと頬を引きつらせて先生が告げる。
「いいか?これ以上駄々捏ねンなら俺にも相応の対応がある。いくらお前が公爵家の人間とはいえ、ここではそんなもん関係ねェぞ」
「…………じゃあせめて、職員室の外で待たせてください。話が終わったら僕が連れていくので」
ミカイルは数秒の溜めの後、酷く忌々しそうにそう言った。
「はぁ…………好きにしろ」
先生は頭が痛そうに顔をしかめ、重いため息をつく。どうやら決着はついたようだ。
そのままミカイルは僕の方を向き、「待っているから、何かあったら僕を呼んで」と言うと先生には見向きもせず職員室から出ていった。
「お前、よくあれを相手にできンな……」
先生はこの数分の間に随分と疲れた顔をしていた。僕が悪い訳ではないのに、何故か申し訳ない気持ちになる。ああなったミカイルは梃子でも動かないことを知っているから、先生の心労がいっそう計り知れた。
とはいえ、これまでミカイルの言うことに従わない人間を一度も見たことがなかったから、こんなに誰かと言い合っているのはかなり新鮮な光景だった。見た目は不清潔だが、実はすごい人なのかもしれない。最初の印象よりもだいぶ先生への評価が高くなっていた。
「────」
気を取り直した先生はこちらに聞こえない小さな声で何かを呟くと、改めて僕を品定めするように、頭のてっぺんから爪先までゆっくりと見た。
「お前、さっき俺のことを王族だとか言ったな?」
「あ……、はい。すみません、何か問題がありましたか?」
「ああ。問題大アリだよ」
先生は面白そうに口角を吊り上げる。僕には一体何が悪かったのか全く分からなかった。
「髪の毛だよ、髪の毛」
「か、髪の毛……?」
「そうだ。お前はさっき俺を王族だと判断した。それは何故だ?」
「それは、髪の色が黒く見えたからで……」
「そう。つまり、お前の目には俺の髪の色が黒く見えてる。でもなァ、それは可笑しいんだよ」
そう言うと先生は立ち上がって、僕の顔を覗き込んだ。深い緑色の瞳に見つめられ、こんな状況にも関わらず綺麗だなと思う。
「俺は王族だってバレたくねェから、普段は魔法で認識阻害してンだよ。だから黒に見えるのはおかしい。ありえねェんだ」
「え……?そ、そうなんですか?」
そうは言っても僕には黒にしか見えない。似ている色ならまだしも黒を他の色に見立てるのはかなり難しかった。
しかし、先生が冗談を言っているように思えないのも確かだ。
そういえば、前にも似たようなことがあったことを思い出す。あの時は第二王子だったが、王族にはもしや変な人しかいないのだろうか。それか、本当にただ僕が可笑しいだけの説もあるが。
「おいおい、そんなに警戒すんなよ。別に取って食ったりなんかしねェから」
「す、すみません……。でも、僕には魔法が効いてないってことですよね?そんなことが本当にあるんでしょうか……」
「目の前で実際に起きてるだろうが」
「それは、そうですけど……」
「まあだから、あいつのアレにも耐えられてんだろうなァ」
「……あいつ?」
急に出てきた見知らぬ登場人物に首をかしげる。
けれども先生はそんな僕にお構い無く「一旦様子見か……」と言うと、質問に答えることなく椅子に座り直した。
その後は何事もなかったかのように、学園生活における注意点などを教えてもらった。
本当はもっと魔法についていろいろ話を聞きたかったが、時間もあまりない。そもそもここへ先に来たのは、諸々の残っていた手続きをするためであった。
先生は一通り説明し終えると、再度僕を真剣な目つきで見て言い聞かせるように言った。
「さっきの話のことは、誰にも言うんじゃねェぞ。もちろんアイフォスターにもなァ」
「わ、分かりました。でもここ、けっこう他の先生もいますけど聞こえてなかったですかね?」
「消音魔法を掛けてあるから聞こえてねェよ。……話は以上だ。お前は先に教室へ行ってろ」
「あ、はい」
話は終わったみたいだ。先生はもう用はないといった様子で机の方を向いている。残念ながら、魔法についての話はもう聞けなさそうだった。
仕方なく扉の方へ向かおうと足を向けて、そういえば先生の名前を聞いていなかったことを思い出す。これだけならば答えてくれるだろうと思い、口を開いた。
「あの、先生の名前は何ですか?」
「あ~、俺はタルテだ」
「タルテ?そんな名前の王族の方、いなかった気がしますけど……」
「偽名に決まってんだろうが。本名は教えるつもりねェからな」
姿を変えているくらいだから、それはそうか。それに遠縁の王族であれば、本名を聞いたところで何も分からない可能性の方が高い。
僕はそのままタルテ先生に挨拶をして、職員室を出た。
チャイムの音が廊下を鳴り響く。
ミカイルは宣言通り、職員室の外。そのすぐ傍の廊下で待っていた。
僕が出てくるのに気が付くと、急ぎ足で駆け寄ってくる。
「ユハ!何もされなかった?大丈夫?」
「相手は先生なのに、何をそんなに心配してるんだ」
「それは………」
ミカイルは苦々しそうに顔を歪めて口を結んだ。
もしかして、タルテ先生と何かあったのだろうか?
そうでなければ、彼がこんな顔をする理由が見当たらない。
「おい、ミカ──」
「そんなことより、早く教室に行こう。もう予鈴も鳴ったからね」
何も説明する気はないのか、ミカイルは僕の言葉を遮ると直ぐに歩き出した。
まあ、誰だって聞かれたくない話の一つや二つはあるだろう。もしかすると先程の言い合いは、今に始まったことではなかったのかもしれない。多少の疑問はやはり残るが、僕はあまり気にしないことにして彼の隣に並んだ。
本校舎の廊下に生徒の姿はもう見当たらない。先程の予鈴で皆教室へと入ったようだ。
ミカイルと急ぎ気味に歩けば、彼は2―Bと書かれた扉の前で止まった。
「ここが僕達のクラスだよ」
「……そういえば聞いてなかったけど、ミカも一緒なんだな」
「うん。同じでよかった?」
「まあ、ミカがいてくれたら色々安心はするよ」
「ふふ、何か困ったことがあれば全部僕に言ってくれればいいからね」
ミカイルは目を細めて微笑む。本来なら安心するべきなのだろうが、何故か嫌な予感がして、僕は背筋を震わせた。
困ったことなんてそんなにないはずだ───そう思いたいのに、室内から漏れでる微かな喧騒が僕の不安を掻き立てる。緊張で心臓が口から飛び出そうだった。
「じゃあ行くよ」
扉を開けたミカイルがこちらに目配せする。僕は胸に不安を抱えたまま、彼と一緒に教室へ入った。
靴を履き終えると、ミカイルは僕の全身を眺めてしみじみと呟いた。
「……今さらだけど、ユハと一緒に通えることになって本当に嬉しい。制服、すごく似合ってるよ」
ミカイルは本気で言っているのだろうが、どう見たって僕より目の前の男の方が段違いに似合っている。
顔が良いのはもちろんのこと、濃い紺色のブレザーは彼の金の髪をよく映えさせており、黒を基調とした細身のボトムスは彼の長い足をより際立たせている。白馬にでも乗せればさながら一国の王子とでも言ったところか。すれ違えば誰もが振りかえってしまいそうな程、完成された美しさがそこにはあった。
一方の僕はと言うと、全体的に色味が暗く、身長もミカイル程はないからどうにも着せられてる感が否めない。というか、はっきり言って地味だ。ミカイルの隣にいれば余計に周りの人はそう思うだろう。
別に自分の容姿に対して特別コンプレックスがあるというわけではないが、そんなミカイルに似合っていると言われるのはなんだか癪だった。
「ミカに言われても、誉められてる感じがしない……」
「ええっ?どうして?」
何も分かっていない様子のきょとんとした顔にイラッとする。僕はそのままミカイルの視線を受け流すと、何も言わず部屋を出た。
「あ!置いていかないでユハ!」
慌ててミカイルも追いかけてくる。先に出たはいいものの、場所が分からない僕は結局彼が追いつくまで待たざるを得ないのだった。
校舎は寮からゆっくり歩いて10分ほどの距離の場所にある。教室までは更に時間がかかるみたいだから、明日も余裕をもって起きた方がいいだろう。今日はなんとか取り返しのつかない寝坊にならなくて済んだが、明日以降も気を引き締めなければ。
通学路を歩くのは、本を片手に歩く生徒、談笑しながら向かう生徒達。そんな彼らに混ざりながら、僕もミカイルの隣でキョロキョロと辺りを見渡す。
「ユハが隣にいるなんて、夢みたい」
ミカイルは眩しいものを見るように目を細めていた。
「これからは毎日一緒に通うことになるんだから早く慣れてくれよ」
「そうだよね。……嬉しいな」
これからはずっと一緒だね、とミカイルが小さく呟く。
しかし、周りの景色を見ることで夢中な僕には全く聞こえていなかった。
「なんか……思ったよりも歩いている人が少ないな」
「まだ朝が早いからじゃない?たぶんこの時間は支度をしてる人がほとんどだと思うよ」
「たしかに、教室へ行くにはまだ早いか。……あ、あの人、ネクタイの色が違う」
後ろをちらりと見ると、赤色のネクタイを着けている生徒がいた。
僕達は深緑色のネクタイだ。てっきり全員同じだと勝手に思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「ネクタイは学年ごとに色が決まってるんだ。あの人は赤色だから、一つ上の第三学年だね」
「へえー」
ネクタイの色で学年が区別されているのか。それなら学園のどこで見かけてもすぐに分かって良い。
他にも第一学年は黄色、第四学年は青、第五学年は白だと教えてもらった。
校舎の中は想像はしていたが、内装も外見に劣らず立派な造りだった。
大理石のようにピカピカで、お洒落なデザインがあしらわれている床。等間隔に灯されているのは、光輝くシャンデリア。壁は上質な木を使っているのか艶々と照っている。
学校とはいえ想像以上の様相にもはや感嘆することしかできず、ミカイルはそんな僕を見て楽しそうに声を上げて笑っていた。
気を取り直して目的地に向かうと、職員室は西館の二階にあった。
西館は主に先生たちが使う部屋が多く、僕達生徒はあまり出入りすることはないらしい。確かに、ここに入ってからは生徒を全然見かけなかった。
ミカイルが先に扉をノックして中へ入る。
室内には数人の先生がちらほらといるのが見えて、心なしか緊張も増す。
そっと僕はミカイルの後ろについていけば、彼はある一人の人物の前で立ち止まって、軽く会釈をした。
「おはようございます、先生。今日から編入する生徒を連れてきました」
「あ~?……あぁ~、そういや今日からそんなやつもいるんだったなァ」
間延びした男の低い声が聞こえる。
椅子に凭れて座っているその人は、父さんよりもいくつか年上に見える男性で、だらしなく着崩したシャツに、何も整えられていない髪の毛、さらには口元に無精髭を生やしており、おおよそこの学園の先生だとは思えない風貌をしていた。
由緒正しき学園にもこんな身なりの先生がいるのか────そう驚きを隠せなかったが、しかし、そんなことよりももっと気になることが目の前の男にはあった。
「王族の方も、教師をされてるんですね……」
「あ?お前、今なんつった」
「え?だから、王族の方も……って…………」
先生が眉を寄せてこちらを睨み付ける。あまりにも強い眼光に、思わず僕の首はすくんでいた。
「ちょっと、急に怖がらせないでください」
ミカイルは何か異変を察知して庇うように僕の前へ出る。
「アイフォスター。お前はもう用済みだ。とっとと教室へ行け」
「……何を言ってるんですか?ユハンはまだ教室の場所も知りません。僕が一緒に連れていくので──」
「うるせえなァ。そんなのは俺が連れていけば済む話だろうが。邪魔だから早く出てけっつってンだよ」
「……っでも…!」
先生がミカイルを鬱陶しそうに追い払う。
僕はその珍しすぎる光景にただ黙って見ていた。
まさか、ミカイルのわがままに逆らう人間がいるとは思わなかったのだ。
「……話をするだけなのに、僕が出ていく必要はないですよね?」
「お前がここにいる必要もねェけどな」
「……僕はユハの推薦者です。話を聞く権利は僕にもあると思いますが」
「ああ言えばこう言うヤツだな……。めんどくせェ……」
げっそりと頬を引きつらせて先生が告げる。
「いいか?これ以上駄々捏ねンなら俺にも相応の対応がある。いくらお前が公爵家の人間とはいえ、ここではそんなもん関係ねェぞ」
「…………じゃあせめて、職員室の外で待たせてください。話が終わったら僕が連れていくので」
ミカイルは数秒の溜めの後、酷く忌々しそうにそう言った。
「はぁ…………好きにしろ」
先生は頭が痛そうに顔をしかめ、重いため息をつく。どうやら決着はついたようだ。
そのままミカイルは僕の方を向き、「待っているから、何かあったら僕を呼んで」と言うと先生には見向きもせず職員室から出ていった。
「お前、よくあれを相手にできンな……」
先生はこの数分の間に随分と疲れた顔をしていた。僕が悪い訳ではないのに、何故か申し訳ない気持ちになる。ああなったミカイルは梃子でも動かないことを知っているから、先生の心労がいっそう計り知れた。
とはいえ、これまでミカイルの言うことに従わない人間を一度も見たことがなかったから、こんなに誰かと言い合っているのはかなり新鮮な光景だった。見た目は不清潔だが、実はすごい人なのかもしれない。最初の印象よりもだいぶ先生への評価が高くなっていた。
「────」
気を取り直した先生はこちらに聞こえない小さな声で何かを呟くと、改めて僕を品定めするように、頭のてっぺんから爪先までゆっくりと見た。
「お前、さっき俺のことを王族だとか言ったな?」
「あ……、はい。すみません、何か問題がありましたか?」
「ああ。問題大アリだよ」
先生は面白そうに口角を吊り上げる。僕には一体何が悪かったのか全く分からなかった。
「髪の毛だよ、髪の毛」
「か、髪の毛……?」
「そうだ。お前はさっき俺を王族だと判断した。それは何故だ?」
「それは、髪の色が黒く見えたからで……」
「そう。つまり、お前の目には俺の髪の色が黒く見えてる。でもなァ、それは可笑しいんだよ」
そう言うと先生は立ち上がって、僕の顔を覗き込んだ。深い緑色の瞳に見つめられ、こんな状況にも関わらず綺麗だなと思う。
「俺は王族だってバレたくねェから、普段は魔法で認識阻害してンだよ。だから黒に見えるのはおかしい。ありえねェんだ」
「え……?そ、そうなんですか?」
そうは言っても僕には黒にしか見えない。似ている色ならまだしも黒を他の色に見立てるのはかなり難しかった。
しかし、先生が冗談を言っているように思えないのも確かだ。
そういえば、前にも似たようなことがあったことを思い出す。あの時は第二王子だったが、王族にはもしや変な人しかいないのだろうか。それか、本当にただ僕が可笑しいだけの説もあるが。
「おいおい、そんなに警戒すんなよ。別に取って食ったりなんかしねェから」
「す、すみません……。でも、僕には魔法が効いてないってことですよね?そんなことが本当にあるんでしょうか……」
「目の前で実際に起きてるだろうが」
「それは、そうですけど……」
「まあだから、あいつのアレにも耐えられてんだろうなァ」
「……あいつ?」
急に出てきた見知らぬ登場人物に首をかしげる。
けれども先生はそんな僕にお構い無く「一旦様子見か……」と言うと、質問に答えることなく椅子に座り直した。
その後は何事もなかったかのように、学園生活における注意点などを教えてもらった。
本当はもっと魔法についていろいろ話を聞きたかったが、時間もあまりない。そもそもここへ先に来たのは、諸々の残っていた手続きをするためであった。
先生は一通り説明し終えると、再度僕を真剣な目つきで見て言い聞かせるように言った。
「さっきの話のことは、誰にも言うんじゃねェぞ。もちろんアイフォスターにもなァ」
「わ、分かりました。でもここ、けっこう他の先生もいますけど聞こえてなかったですかね?」
「消音魔法を掛けてあるから聞こえてねェよ。……話は以上だ。お前は先に教室へ行ってろ」
「あ、はい」
話は終わったみたいだ。先生はもう用はないといった様子で机の方を向いている。残念ながら、魔法についての話はもう聞けなさそうだった。
仕方なく扉の方へ向かおうと足を向けて、そういえば先生の名前を聞いていなかったことを思い出す。これだけならば答えてくれるだろうと思い、口を開いた。
「あの、先生の名前は何ですか?」
「あ~、俺はタルテだ」
「タルテ?そんな名前の王族の方、いなかった気がしますけど……」
「偽名に決まってんだろうが。本名は教えるつもりねェからな」
姿を変えているくらいだから、それはそうか。それに遠縁の王族であれば、本名を聞いたところで何も分からない可能性の方が高い。
僕はそのままタルテ先生に挨拶をして、職員室を出た。
チャイムの音が廊下を鳴り響く。
ミカイルは宣言通り、職員室の外。そのすぐ傍の廊下で待っていた。
僕が出てくるのに気が付くと、急ぎ足で駆け寄ってくる。
「ユハ!何もされなかった?大丈夫?」
「相手は先生なのに、何をそんなに心配してるんだ」
「それは………」
ミカイルは苦々しそうに顔を歪めて口を結んだ。
もしかして、タルテ先生と何かあったのだろうか?
そうでなければ、彼がこんな顔をする理由が見当たらない。
「おい、ミカ──」
「そんなことより、早く教室に行こう。もう予鈴も鳴ったからね」
何も説明する気はないのか、ミカイルは僕の言葉を遮ると直ぐに歩き出した。
まあ、誰だって聞かれたくない話の一つや二つはあるだろう。もしかすると先程の言い合いは、今に始まったことではなかったのかもしれない。多少の疑問はやはり残るが、僕はあまり気にしないことにして彼の隣に並んだ。
本校舎の廊下に生徒の姿はもう見当たらない。先程の予鈴で皆教室へと入ったようだ。
ミカイルと急ぎ気味に歩けば、彼は2―Bと書かれた扉の前で止まった。
「ここが僕達のクラスだよ」
「……そういえば聞いてなかったけど、ミカも一緒なんだな」
「うん。同じでよかった?」
「まあ、ミカがいてくれたら色々安心はするよ」
「ふふ、何か困ったことがあれば全部僕に言ってくれればいいからね」
ミカイルは目を細めて微笑む。本来なら安心するべきなのだろうが、何故か嫌な予感がして、僕は背筋を震わせた。
困ったことなんてそんなにないはずだ───そう思いたいのに、室内から漏れでる微かな喧騒が僕の不安を掻き立てる。緊張で心臓が口から飛び出そうだった。
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