初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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執務室にて

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 夜も更け、執務室には蝋燭の明かりだけが灯っていた。
 昼の喧騒が嘘のように静まり返った空間の中、セシリアは机に向かって黙々と作業を続けている。
 大きな地図が広げられた机の上にはガーネット侯爵領内の村の被害状況を記した書類や、支援物資の調達表、建築資材の注文書が整然と並ぶ。
 
 セシリアは動きやすい質素なドレスの上に簡素な作業用のケープを羽織り、椅子に腰かけて真剣な眼差しで書類に目を通している。その表情には領主夫人としても責任感と、侯爵夫人としての気品が備わっていた。

 その隣には老執事が控えており、彼女の問いかけに即座に返答する。
 彼は公爵の厚意により一時的に仕えることになった有能な執事である。

「こちらの集落では、水路が完全に寸断されており、農作物の再開には新たな設計が必要かと存じます、奥様」

「ならば技師を呼び寄せて、今週中に視察を」

 老執事は深く一礼し、すぐにその指示を控えていく。彼の手際は的確で無駄がない。そしてその手には、村から届いた手紙や報告書が何通も握られていた。

 書類をめくるたび、セシリアが小さくため息をつく。その様子に気づいた老執事は、そっと案じるような声をかけた。

「奥様、お疲れではありませんか?」

 老執事の指摘にセシリアは苦笑いをした。

「……少しね。こういった作業は慣れていないから」

 冷めた紅茶に手を伸ばしたセシリアは、急く気持ちを隠せないままそれを口に運んだ。
 その佇まいからはどこか疲れが感じられる。

「どうかご無理をなさらないでください。書類の決裁は公爵家にて再教育中のエリオット様にお願いしますので、奥様がご自身を犠牲にしてまでご無理をなさる必要はありません」

「いえ、それじゃどうしても往復の移動で時間を取られてしまうわ。それなら邸にいる私が代理で決裁した方が早いもの」

 決裁が早ければ早いほど、その分復興も早まる。
 そう言いながらセシリアは紅茶のカップを置き、次の書類に目を通した。
 そして、ガーネット家の印章を取り、迷いなく押印する。その姿には夫の代理人ではなく、一人の“責任者”としての覚悟が滲んでいた。

「それに、領地に代官を派遣したから随分と安心できるようになったわ。どうしても私だけでは采配が合っているのかが分からないし、間違っていてもそのままだと思うと恐ろしくて……」

 公爵が代官を派遣し、現地で采配を振ってくれているおかげで随分と安心できた。
 当主としての教育を受けてこなかったセシリアにとって、分からないことは少なくなかった。
 自らの采配ひとつで領地が立ち行かなくなってしまったら――そう思うと、不安でならなかったのである。

 それでも代官に丸投げというわけにはいかない。その権限には限界がある。
 今回の災害復興においても、応急措置の指示や災害報告の作成等は可能だが、外部からの人手や資材を受け入れることや長期的・大規模な復興事業は領主の許可が必要だ。

 この国では領主の代理として決裁権限がるのは夫人もしくは先代の領主のみとの決まりがある。
 それゆえセシリアは公爵から借りた老執事の助けを借りて夜な夜な書類作業に勤しんでいた。

「ご立派なお覚悟、感服いたしました。エリオット様に奥様ほどのご覚悟とご責任感がおありであれば、貴女様にこのようなご無理をお願いすることもなかったのでございますが……」

 情けない、と老執事はそう一言低く呟いた。

「心意気は大変ご立派でございますが、どうかご無理なさらぬよう。…お身体を崩されては、誰も喜びませぬ」

 それは押しつけがましくも、命令めいてもいない。ただ、セシリアを心から案じる言葉だった。

「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。体力には自信があるから」

「ですが、日中は終日オニキス子爵令嬢のご指導にあたっておられますし、休憩もほとんど取らずに慣れぬ執務を続けるのは御身にも心にも大きなご負担となりましょう。せめてご令嬢へのご指導は専門の家庭教師を雇ってはいかがでしょうか?」

「うーん……そうね。幼児並みの礼儀作法しか出来ない令嬢を三か月で侯爵夫人に相応しい器に育てるような家庭教師の宛てはある? 私はないわ」

「……申し訳ございません。流石にそれはどんな家庭教師でも無理な案件かと。しかし、そこまで酷いとは……。そしてそんな酷い状態のご令嬢を選ぶエリオット様は気が触れているとしか思えません」

「まあ……異性の趣味は人それぞれよ。エリオット様がオニキス子爵令嬢を選んだ以上、彼女には何が何でも侯爵夫人として相応しい淑女になってもらわなくては。それこそ性根から叩き直すくらいじゃないと、とてもじゃないけど務まりそうにないもの」

 そう言ってセシリアは次の書類に手を伸ばした。
 領地の復興を遅らせないよう、彼女は休憩時間を極限まで削り執務にあたっている。
 己で己の首を絞めているような状況だが彼女はそれで構わなかった。自分が納得するやり方がこの方法しかないのだから。
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