初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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おかしい。ここは貴族の邸であって、破落戸の住処ではないはず

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 客人が戸惑いながらも足を踏み入れると、セシリアは床を滑るような足取りでサロンへと導き、何の動揺も見せずに銀器のティーセットに手を伸ばした。

「まあ、お茶でもどうぞ。騒いで喉が渇いたでしょう?」

 彼女の指先から注がれる紅茶はまるで絹糸のように静かで優雅だが、傍らに置いたボウガンのせいで場の空気が和らぐことはない。むしろ重苦しい空気が部屋中に漂っている。
 セシリアはカップを持ち上げると、まるで重さなど存在しないかのように静かに歩を進めた。
 スカートの裾が床をさらりと撫で、紅茶の香りがふわりと客人の鼻先をくすぐる。

「どうぞ」と言葉を添えることなく、彼女はティーカップを客人の前に置いた。
 その所作は一分の狂いもなく、手首の角度までもが計算され尽くしたようだった。
 カップがソーサーごとテーブルに触れる際も音一つ出しやしない。その洗練された所作はまさに高位の貴婦人のもの。客人は自分とセシリアの格の違いを嫌でも痛感した。

「い……いただくわ……」

 ぎこちない礼の言葉が、まるで別人のような小さな声で漏れた。
 客人の中にあった怒気は薄れ、代わりに居心地の悪さと言いようのない恐怖が胸に広がっていく。

 セシリアもまた、優雅な所作で紅茶を一口飲み、視線を客人──オニキス子爵夫人へと向け「本日はどういったご用で?」と問いかけた。

「あ、えっと……それは……」

 ここへは文句を言いにきたはずのオニキス子爵夫人は今やその勢いをすっかり失っている。
 理由はひとつ。セシリアの傍らに置かれた、あの無骨なボウガンだ。

「あの、その前にソレ……しまってもらえないかしら……?」

 ためらいがちな夫人の頼みを、セシリアは「考えておきます」と軽く受け流した。

、手紙の文句を言いに来たのでしょう? 小娘が生意気に抗議文を出してきた……とでも思ったのでは?」

「それは……そうだけど、その……」

 まったくその通りだけど、今そんな強気なことを言う勇気はない。
 何故なら視界にボウガンという名の凶器がちらつくからだ。目の前の、自分の娘とそう年の変わらない少女がどうしてそれを傍らに置いておくのか……。それは十中八九、こちらへの脅しだろうことは嫌でも分かる。

 オニキス子爵夫人は混乱していた。
 自分は確かに娘の元婚約者、ガーネット侯爵の邸を訪れたはずだ。そして、カトラリーよりも重い物を持ったことがないか弱い貴族の女を相手にしているはず。

 なのに、この……まるで破落戸の住処へと足を踏み入れ、まさに命を奪われるかどうかの瀬戸際にいるかのような状況は何なのか。どうしてこんな状況になっているのか、夫人はまったく理解が出来なかった。

「お、お願いよ……。ソレ、しまってちょうだい。怖いのよ……」

「貴女がそれをおっしゃいます? いきなりあんな大声をあげてやってきて……とても怖かったですわ」

「それは……悪かったわ。もう、あんな大声を出さないと誓うから……」

 命の危険を察したオニキス子爵夫人はしおらしい態度で懇願する。
 その様をセシリアは一瞥し、「仕方ないですね……」とボウガンを壁際へとよけた。

「ああ、その前に人払いをしましょうか」

 思い出したかのようにセシリアはメイドに下がるよう命じた。
 一瞬驚いたメイドだが、すぐに深々と頭を下げ、退いた。

「さて、では改めまして……。ご息女のキャサリン様に関する件ですよね? なんです? エリオット様とやり直したいのに、私が邪魔だと言いたいので?」

「い……いや、そう、だけど……」

 そんな真正面から言わなくても……とオニキス子爵夫人は言葉に詰まる。
 ここに来て初めて彼女は悟った。これは――相当に危険な相手だと。

「娘はあんなに苦しんでいるのに、こんな手紙を送ってくるなんて許せない──ということですよね?」

 オニキス子爵夫人はもはや何も言えない。ただただ恐ろしいものを見るような目をセシリアへ向けていた。

「それで……そちらはどうしたいのです? もう一度エリオット様とやり直したいと? でも、それには妻の私が邪魔だと。……さあて、じゃあどうしましょうね?」

 狂気を含んだかのようなぎらついたセシリアの視線にオニキス子爵夫人は「ひいいっ……!」と小さな悲鳴をあげる。そしておもむろに立ち上がった。

「よ……用事を思い出しましたわ! 突然の訪問、失礼いたしました。これでお暇させていただ「あら、まだよろしいではありませんか」」

 セシリアは帰ろうとするオニキス子爵夫人の肩に手をかけ、力を込めてソファーへと再び座らせた。
 年若い貴婦人のか細い手とは思えないほどの力強さに彼女は涙を滲ませるのだった……。
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