最初から間違っていたんですよ

わらびもち

文字の大きさ
10 / 18

下働き

しおりを挟む
「新入り! シーツの洗濯にいつまでかかってんだい!?」

「す、すみません……」

「汚れ物はまだまだあるんだよ! そんな調子じゃ日が暮れちまうじゃないか! もっと腰入れてやりな!!」

 逞しい体躯の中年女性がエーリックの背中をパーンと音を立てて叩く。
 その衝撃で彼の体は前のめりになり、危うく洗濯桶に顔から突っ込むところであった。

「いたた……。くっ……どうして僕がこんなことを……」

 貴族から一転、落ちぶれたエーリックは現在セレネ伯爵家の下働きへと成り下がっていた。
 どうしてこうなったのか。それは数日前まで遡る―――



 駆け落ちまでした相手に逃げられたと知ったエーリックは、何を思ったのか再び

 もう何の関係もないのに戻られても迷惑だ。
 そう告げても彼は斜め上の考えで非常識な言葉を吐く。

『君と僕は一度は愛を誓い合った仲だろう!? 見捨てるつもりなのか!』

 その誓いを立てた直後で破った人間は、どこのどいつだ。
 対応にあたったディアナはウンザリとした顔でため息をつく。

『下働きとしてなら邸に置いてあげます。使えなければ追い出しますので、精一杯頑張ってくださいましね?』

 意外にもディアナは追い出すことはせず、エーリックを使用人として雇うことにした。

 自分を裏切った男に対して破格の対応。
 少なくともこれでエーリックは路頭に迷わずに済んだのだから。
 
 だが、恩知らずを体現したかのような彼がディアナの温情に感謝するわけもなく……

「なんで僕がこんな下男のような真似をしなければいけないんだ……」

 置いてもらってる、という謙虚な気持ちなどない。
 頭にあるのは『どうして自分がこんな目に……』という被害者意識のみだ。

 おまけに彼は”下男のような真似”と言うが、厳密に言えばこれは下女の仕事。
 力仕事が主な下男の仕事では使い物にならなかったため、こうして洗濯女中の元まで回されたのだ。

 だがそんなことすらもエーリックは理解していない。
 貴族の頃から下男の仕事と下女の仕事に違いがあるとすら分かっていなかったのだから。
 つくづく当主の器などこれっぽちもない男である。

「ほらっ、休憩終わったらさっさと次の洗濯に取り掛かりな!」

「は、はい……!」

 おまけにこの指導係のような中年の洗濯女中は迫力が凄まじい。
 一度反抗したら「お嬢様を捨てたろくでなしが何言ってんだい!」と鬼の形相で怒鳴りつけられた。

「うう……どうしてこんな目に……」

 エーリックは下働きとして雇ってほしいなどこれっぽっちも思っていなかった。

 ただディアナと、セレネ伯爵家で優雅に暮らしたかっただけだ。

 考え無しのエーリックはそんな都合のいい妄想を働かせていた。
 仮にディアナと夫婦になっても彼がセレネ伯爵家に住むことはないというのに。

「ディアナ……ディアナに会いたい……」

 大人しく自分のやらかした事と向き合うことなどしないエーリックは、己の置かれている状況すら理解せず、機会があればディアナに会おうとする。
 
 だがその度に同僚の洗濯女中達にしこたま怒られるはめになった。

「お嬢様に会おうとするなんて図々しい! 下働きは主人一家の前に姿を見せちゃいけないっていう決まりを知らないのかい!?」

「浮気して逃げた盆暗がお嬢様に会ってどうしようって言うんだい!? 馬鹿言ってないでとっとと仕事に戻りな!」

 人生経験の長い女性の迫力にエーリックは何も言えず、ディアナの姿を遠目から眺めることしか出来ない。

 そんなことが続いたある日、エーリックは衝撃的な光景を目撃することとなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。 結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに 「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

旦那様はとても一途です。

りつ
恋愛
 私ではなくて、他のご令嬢にね。 ※「小説家になろう」にも掲載しています

いくつもの、最期の願い

しゃーりん
恋愛
エステルは出産後からずっと体調を崩したままベッドで過ごしていた。 夫アイザックとは政略結婚で、仲は良くも悪くもない。 そんなアイザックが屋敷で働き始めた侍女メイディアの名を口にして微笑んだ時、エステルは閃いた。 メイディアをアイザックの後妻にしよう、と。 死期の迫ったエステルの願いにアイザックたちは応えるのか、なぜエステルが生前からそれを願ったかという理由はエステルの実妹デボラに関係があるというお話です。

私はあなたの正妻にはなりません。どうぞ愛する人とお幸せに。

火野村志紀
恋愛
王家の血を引くラクール公爵家。両家の取り決めにより、男爵令嬢のアリシアは、ラクール公爵子息のダミアンと婚約した。 しかし、この国では一夫多妻制が認められている。ある伯爵令嬢に一目惚れしたダミアンは、彼女とも結婚すると言い出した。公爵の忠告に聞く耳を持たず、ダミアンは伯爵令嬢を正妻として迎える。そしてアリシアは、側室という扱いを受けることになった。 数年後、公爵が病で亡くなり、生前書き残していた遺言書が開封された。そこに書かれていたのは、ダミアンにとって信じられない内容だった。

完結 貴方が忘れたと言うのなら私も全て忘却しましょう

音爽(ネソウ)
恋愛
商談に出立した恋人で婚約者、だが出向いた地で事故が発生。 幸い大怪我は負わなかったが頭を強打したせいで記憶を失ったという。 事故前はあれほど愛しいと言っていた容姿までバカにしてくる恋人に深く傷つく。 しかし、それはすべて大嘘だった。商談の失敗を隠蔽し、愛人を侍らせる為に偽りを語ったのだ。 己の事も婚約者の事も忘れ去った振りをして彼は甲斐甲斐しく世話をする愛人に愛を囁く。 修復不可能と判断した恋人は別れを決断した。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

処理中です...