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セレスタンの暴走
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「フランチェスカ! アンを差し置いて平民の侍女を選んだとは何事だ!?」
ある日、セレスタンがいきなり王宮に押しかけてきた。
先触れもなければ、挨拶すらない。
紳士らしさの欠片もなく喚く様子はとても高位貴族の子息とは思えない。
その異常ともとれる言動に、周囲にいた衛兵が手に持った槍を彼に向ける。
すると先ほどまでの威勢はどこに行ったのか、彼は「ヒイッ!?」と情けない悲鳴をあげて腰を抜かした。
「挨拶もなく、いきなり恫喝とは……。ヨーク公爵家の教育は随分と斬新ですこと……」
扇子で口元を隠し、いきなりやって来た無礼な婚約者に非難の目を向ける。
冷たく、圧の籠った眼差しに恐れをなしたのか、彼は慌てたように取り繕った。
「い、いやっ……これは、その……君が、アンに酷いことをしていると聞いて……」
「アン? アンという名の侍女はおりませんけど? どなたのことを言っていますの?」
「は? アンは君に長く仕えている侍女じゃないか? よくそんな酷いことが言えるな!」
「ですから、それは誰だと聞いているのです。“アン”という名の侍女などおりませんわ。もしかして愛称ですの? でしたら困りましたわね……アンジェ、アンナ、アンゼリカ……最初に“アン”がつく侍女は沢山おりましてよ? どなたのことを言っているのかしら……」
わざとアンヌマリーの名を出さず、セレスタンの反応を窺うことにした。
ここで引き下がれば、まだ体裁は取り繕えるだろう。
だがそうすることもせず、アンヌマリーの名を出せばどうなるか……。
少し頭を働かせれば分かる事なのだが、恋に頭を汚染された男には無理だったようだ。
「ふざけるのもいい加減にしろ! アンヌマリーのことに決まっているじゃないか! 彼女は長い間、誠心誠意君に仕えていたのに、正当な評価を得られないと泣いていたのだぞ!?」
(ああ……言っちゃった。馬鹿ね……)
ふと周囲を見渡せば、より多くの人がこちらを凝視していた。
その見物人の中には着飾った貴婦人や、デビュタント前の初々しい令嬢の姿がある。
そういえば今日は母がデビュタント前の令嬢を呼んでお茶会をすると言っていたな。
なら彼女達はその参加者で、連れ添っているのはその母親なのだろう。
「あの……そのような大きな声を出さないでくれますか? ここを何処だと思っていますの?」
セレスタンの声が無駄に大きいせいで、茶会の参加者達に先ほどの馬鹿な台詞が聞かれてしまったではないか。
皆、足を止めて興味津々にこちらを見ている。
彼には周囲の姿が目に入らないのだろうか?
こんな大勢の前で、婚約者以外の女を親密な関係ですと宣言しているようなものなのに。
「そうやって話を逸らすのは止めろ! アンが可哀想だと思わないのか!?」
「可哀想? なぜ可哀想なのか分かりません。そんなことより、セレスタン様はアンヌマリーの親戚ですの?」
「は……? 親戚だと? 何を意味の分からないことを言っているんだ?」
「意味が分からない、というのはわたくしの台詞です。何故、親戚でもない女性を愛称で呼び、あまつさえその女性が特別扱いされて当然のように仰るの? それに……何故、アンヌマリーは貴方に泣きついたのです?」
冷静にそう問いかけると、彼は自分の過ちに気が付いたのか、途端に言葉を詰まらせた。
先ほどまで怒りで赤く染まった顔は見る見るうちに青褪め、顔を俯かせる。
やっと理解したようだ。自分がアンヌマリーと特別な関係だということを、わざわざ婚約者に向かって知らしめたということを。
「あ、いや……その、それは……」
みっともなく言い訳を探しているようだが、既に吐いてしまった言葉は戻らない。
この茶番劇を目撃した見物人である、茶会の参加者はいずれも名家の夫人や令嬢ばかりだ。
きっと明日には社交界中に彼の愚行が広まるだろう。
「答えられないのであれば結構です。迷惑ですから、もうお帰りになって」
こんなに大勢の見物人さえいなければ、もっとチクチクと責めてやったのに。
セレスタンがなりふり構わず突撃してきたせいで、それも叶わないではないか。
ふと、アンヌマリーの方に目を向けると、こちらはひたすら縮こまってガタガタ震えていた。
(何震えてんのよ? ここはお花畑ヒロインらしく、『わたくしが悪いのです! セレスタン様を責めないで!』と飛び出してくるくらいしなさいよ!)
関わりたくない、とばかりに目を逸らすアンヌマリーの方がセレスタンよりいくらか現実を見ているのだろう。
彼女の様子から察するに、ちょっと愚痴を言っただけでまさかこんな馬鹿な真似をするとは思いもしなかった、というところか。
でもそれは私もそうだ。ちょっとアンヌマリーが墓穴を掘るところを見たかっただけなのに、それでセレスタンが暴走するとは予想だにしていなかった。
「いや、その……私はただ、アンヌマリーが可哀想で……」
「何も仰らなくて結構です、お早くお帰りください」
上手い言い訳が見つからないのか、セレスタンはしどろもどろになりながらせわしなく視線を動かしている。
いくら容姿がよくてもそのみっともない姿を見れば百年の恋も冷めそうだ。
まあ私は元々こいつの見た目も好みじゃないが。
「お早く、お帰りを。……これ以上言わせないでくださいませ」
セレスタンが馬鹿みたいにその場でオロオロしていたので、つい口調を強めてしまった。
この男は何がしたかったのか、それは十分理解している。
愛するアンヌマリーにもブローチを与えてほしかった、ただそれだけだろう。
ただそれだけのためにここまでの失態を犯すなんて、どこまで愚かで考え無しなのか。
謝罪もせず、逃げるようにこの場から立ち去るセレスタンの背中を冷めた眼で見つめる。
もう会うことはないであろう、婚約者の情けない後ろ姿を。
ある日、セレスタンがいきなり王宮に押しかけてきた。
先触れもなければ、挨拶すらない。
紳士らしさの欠片もなく喚く様子はとても高位貴族の子息とは思えない。
その異常ともとれる言動に、周囲にいた衛兵が手に持った槍を彼に向ける。
すると先ほどまでの威勢はどこに行ったのか、彼は「ヒイッ!?」と情けない悲鳴をあげて腰を抜かした。
「挨拶もなく、いきなり恫喝とは……。ヨーク公爵家の教育は随分と斬新ですこと……」
扇子で口元を隠し、いきなりやって来た無礼な婚約者に非難の目を向ける。
冷たく、圧の籠った眼差しに恐れをなしたのか、彼は慌てたように取り繕った。
「い、いやっ……これは、その……君が、アンに酷いことをしていると聞いて……」
「アン? アンという名の侍女はおりませんけど? どなたのことを言っていますの?」
「は? アンは君に長く仕えている侍女じゃないか? よくそんな酷いことが言えるな!」
「ですから、それは誰だと聞いているのです。“アン”という名の侍女などおりませんわ。もしかして愛称ですの? でしたら困りましたわね……アンジェ、アンナ、アンゼリカ……最初に“アン”がつく侍女は沢山おりましてよ? どなたのことを言っているのかしら……」
わざとアンヌマリーの名を出さず、セレスタンの反応を窺うことにした。
ここで引き下がれば、まだ体裁は取り繕えるだろう。
だがそうすることもせず、アンヌマリーの名を出せばどうなるか……。
少し頭を働かせれば分かる事なのだが、恋に頭を汚染された男には無理だったようだ。
「ふざけるのもいい加減にしろ! アンヌマリーのことに決まっているじゃないか! 彼女は長い間、誠心誠意君に仕えていたのに、正当な評価を得られないと泣いていたのだぞ!?」
(ああ……言っちゃった。馬鹿ね……)
ふと周囲を見渡せば、より多くの人がこちらを凝視していた。
その見物人の中には着飾った貴婦人や、デビュタント前の初々しい令嬢の姿がある。
そういえば今日は母がデビュタント前の令嬢を呼んでお茶会をすると言っていたな。
なら彼女達はその参加者で、連れ添っているのはその母親なのだろう。
「あの……そのような大きな声を出さないでくれますか? ここを何処だと思っていますの?」
セレスタンの声が無駄に大きいせいで、茶会の参加者達に先ほどの馬鹿な台詞が聞かれてしまったではないか。
皆、足を止めて興味津々にこちらを見ている。
彼には周囲の姿が目に入らないのだろうか?
こんな大勢の前で、婚約者以外の女を親密な関係ですと宣言しているようなものなのに。
「そうやって話を逸らすのは止めろ! アンが可哀想だと思わないのか!?」
「可哀想? なぜ可哀想なのか分かりません。そんなことより、セレスタン様はアンヌマリーの親戚ですの?」
「は……? 親戚だと? 何を意味の分からないことを言っているんだ?」
「意味が分からない、というのはわたくしの台詞です。何故、親戚でもない女性を愛称で呼び、あまつさえその女性が特別扱いされて当然のように仰るの? それに……何故、アンヌマリーは貴方に泣きついたのです?」
冷静にそう問いかけると、彼は自分の過ちに気が付いたのか、途端に言葉を詰まらせた。
先ほどまで怒りで赤く染まった顔は見る見るうちに青褪め、顔を俯かせる。
やっと理解したようだ。自分がアンヌマリーと特別な関係だということを、わざわざ婚約者に向かって知らしめたということを。
「あ、いや……その、それは……」
みっともなく言い訳を探しているようだが、既に吐いてしまった言葉は戻らない。
この茶番劇を目撃した見物人である、茶会の参加者はいずれも名家の夫人や令嬢ばかりだ。
きっと明日には社交界中に彼の愚行が広まるだろう。
「答えられないのであれば結構です。迷惑ですから、もうお帰りになって」
こんなに大勢の見物人さえいなければ、もっとチクチクと責めてやったのに。
セレスタンがなりふり構わず突撃してきたせいで、それも叶わないではないか。
ふと、アンヌマリーの方に目を向けると、こちらはひたすら縮こまってガタガタ震えていた。
(何震えてんのよ? ここはお花畑ヒロインらしく、『わたくしが悪いのです! セレスタン様を責めないで!』と飛び出してくるくらいしなさいよ!)
関わりたくない、とばかりに目を逸らすアンヌマリーの方がセレスタンよりいくらか現実を見ているのだろう。
彼女の様子から察するに、ちょっと愚痴を言っただけでまさかこんな馬鹿な真似をするとは思いもしなかった、というところか。
でもそれは私もそうだ。ちょっとアンヌマリーが墓穴を掘るところを見たかっただけなのに、それでセレスタンが暴走するとは予想だにしていなかった。
「いや、その……私はただ、アンヌマリーが可哀想で……」
「何も仰らなくて結構です、お早くお帰りください」
上手い言い訳が見つからないのか、セレスタンはしどろもどろになりながらせわしなく視線を動かしている。
いくら容姿がよくてもそのみっともない姿を見れば百年の恋も冷めそうだ。
まあ私は元々こいつの見た目も好みじゃないが。
「お早く、お帰りを。……これ以上言わせないでくださいませ」
セレスタンが馬鹿みたいにその場でオロオロしていたので、つい口調を強めてしまった。
この男は何がしたかったのか、それは十分理解している。
愛するアンヌマリーにもブローチを与えてほしかった、ただそれだけだろう。
ただそれだけのためにここまでの失態を犯すなんて、どこまで愚かで考え無しなのか。
謝罪もせず、逃げるようにこの場から立ち去るセレスタンの背中を冷めた眼で見つめる。
もう会うことはないであろう、婚約者の情けない後ろ姿を。
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