どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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三話 可哀想であろう、やめてやれ

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 善得寺に帰参すると、寺の大門は閉じられていたものの、
 館の奥から荒げた声が聞こえてくる。

「織田信秀などと親しくしてはなりませぬ。犯土ぼんどのけがれがうつりまする」

 左兵衛の父、一宮宗是いちのみやむねこれの声であった。
 「犯土のけがれなど迷信、迷信、なんぞ恐れることがあろうか。
  織田信秀殿は文弱な神主の小倅、なんぞ大今川に刃向かう度量などあろうか」

 「ですから、信秀が逆らわいでも、
 犯土のけがれがうつれば氏豊殿の御身に災いが降りかかりまする」

 「今時の時代、左様な迷信を信じる者がどこにおろうか、古い古い、宗是は古すぎるわ」

 「そのような……某は唯々氏豊殿の御身を案ずればこそ」

 寺の大門の脇にある小門が開いた。
 凡庸そうな風体の氏豊が姿を表した。
 左兵衛は嫌な気分になった。

 恐らくは今川館で金の無心を断られ、
 梅岳承芳様のご養育のため潤沢な資金を寄進されている善得寺に来られたに違いない。

 それを察知した勘定方の一宮宗是が寺への不調法をやめさせるため、
 同行したものであろう。

 「おお、一宮の小倅ではないか」

 「これは氏豊様ご機嫌うるわしゅう」

 「うるわしゅうないわ。そちの親爺が煩うての、
 おや、これはご本家のご子息ではござらぬか。ごきげんよう」

 氏豊は梅岳承芳様を見つけると、
 恭しく頭を垂れた。
 「これは氏豊殿、ご機嫌うるわしゅう」

 芳菊丸様が頭をお伏せになると、
 氏豊はもう一度頭をさげた。さすがにご本家には気兼ねしていると見える。

 「犯土の事はさておき、
 尾張衆にはくれぐれもお気を許されまするな。
 愛想が良くともそれは表面上の事。奸智には熟達すれど、
 駿河衆のような実直さ生真面目さはござませぬ」

 「それは存じ上げておりまする、ご心配めさるな」

 梅岳承芳様の注意に対し、氏豊は笑顔でそう答えると今出てきた門の方を向いた。

 「梅岳承芳様のお帰りぞ、たれかある」
 氏豊の声を聞いて下人たちが行灯を思って小走りに外に出てきた。
 行灯の中にはロウソクが入っている。

 下人たちは手に、手に行灯を持ち、梅岳承芳様の足下を照らした。

 煌々と明るい。
 かような贅沢ができるのも、今川家が繁栄しているからである。

 門の外に宗是が慌てて飛び出してきた。
 
 「今日の処はこれで」
 懐から取り出した金子一枚を氏豊に掴ませる。

 「本日は梅岳承芳様のご機嫌をお伺いするために参ったが、
 御健常でなによりでございまする。されば某はこれで退散いたしまするかな」

 氏豊は小躍りするように軽やかに帰っていった。

 かような夜中まで逗留しておいて言う言葉ではない。

 左兵衛はしばし氏豊の後ろ姿を眺めていたが梅岳承芳様の方へ向き直った。

 「それではこれで」

 「しばし待て」

 左兵衛が己の庵へ退散しようとすると梅岳承芳様が呼び止められた。

 「何事でございましょう」

 「そなた、足に泥が跳ねてよごれておる。湯で足を洗って帰れ」

 「そのような恐れ多い」

 「我が言いつけが聞けぬというか」
 
 「いえ、滅相もない」

 梅岳承芳様の温情に左兵衛の目頭が熱くなった。

 門の中に入ると、そこには父の宗是がいた。

「これ、左兵衛、何を厚かましく御屋敷の中に入りたるか」

「我がゆるした。差し出口は無用じゃ」

 厳しい口調で梅岳承芳様がのたまうと父は
 恐縮して頭を下げながら三歩後ろに下がった。

 屋敷の入り口の土間では下人たちがすでに
 梅岳承芳様の足を洗うための湯を桶に入れられて用意している。

 梅岳承芳様の指図で、もう二つ、
 親永殿と左兵衛の盥桶が用意された。

 恐縮しつつも左兵衛は下駄を脱ぎ、湯で足を洗う。

 ちょうどぬるま湯で気持ち良かった。

 ついでに、下駄に挟まった雪をお湯で溶かして落そうと片手に湯をすくい、
 下駄を持って下駄にお湯をかけようとしたところ、

 梅岳承芳様が御不興の陰りを眉に潜ませておいでになられた。

 その気配に気づいて左兵衛は手を止める。

 「何をしておる」

 「いや、湯をかけて下駄の雪を落そうかと思い……」

 「可哀想であろう、やめてやれ」

 「申し訳ございませぬ」

 ふと親永殿を見ると、必死に笑いをこらえて口をつぐんでおられた。
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