どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

文字の大きさ
25 / 76

二十五話 甲州乱波

しおりを挟む
 天文九年六月、三河の安祥城が織田信秀の軍勢に落された。

 この報は駿河の今川方に大きな衝撃を与えた。

 たかが斯波の奉行にすぎぬ男が堅城安祥城を落したのだ。

 以前尾張那古野城を信秀が簒奪せしおりは、
 斯波家守護代織田達勝に銭と兵糧を与えて信秀を討とうとしたが、
 攻めきれなかった。

 此度また守護代織田家に討伐を依頼したが
 今に至っては信秀の勢力が尾張一円に及び、
 兵を起こせばむしろ守護代家が滅ぼされると返信してきた。

 これまで何度も公家衆を京より招き入れ、
 宴席を開き接待し、諸国の情報を集めてきたが、
 信秀の風評を聞けば女好きの遊び人、
 家臣郎党と遊び惚けて惰眠をむさぼり、
 汗をかかず、米の相場を見ては
 米を右から左、左から右の倉に売買して動かすだけで銭を儲けているという。

「そのような事、嘘に決まっておる」

 今川館における軍議で眉間に深い皺をよせて義元公はのたまった。

「銭は額に汗して働いてこそ手に入れるもの。
 怠け、遊び、指先一つで、売るだの買うだのと一筆書いただけで
 銭が儲かるなど断じて嘘である。
 かつて遠州方が公家の口はあてにならぬと言っておったが、
 満更嘘ではないようである。まして此度の安祥落城の件、
 公家は何等役にも立たなかった。たれか心効きたる者があればよいのだが」

 「恐れながら」

 安部信真アベノブザネが声をあげた。

 「言うてみよ」

 義元公が発言をお許しになられた。

 「甲斐守護武田信虎殿の御嫡子、晴信殿は甲賀(こうか)衆を用いておりまする」

 「甲賀衆とな。して、その者の名は何という」

 「はい……」

 信真が口ごもった。

 「かまわぬ」

 「はい、千代女と」

 場内がざわめいた。

 「変わった名であるな、何ゆえ女の名など付けるのだ」

 「いいえ、女でございます」

 「我が聞きたるは頭目の名前ぞ、端下の乱波ラッパ(忍者)の事など聞いてはおらぬ」
 
 「恐れながら、歩き巫女の頭目を務めさせておりまする」

 「女を頭目に据えたか、信虎殿は何と言うておいでじゃ」

 「軟弱に過ぎると仰せになり、
 最近は晴信殿を遠ざけ弟君の繁信殿をご寵愛のご様子」

 「さもあらん。我とて女と政など話せぬ。
 その頭目とやらの上役はおるか」

 「はい、望月盛時でございます」

 「おお、望月か、そなたの身内筋であるな。
 海野の一族なれば素性もはっきりしておる。いや待て」

 義元公は不審な顔をされ、首をかしげられた。

 「望月は信濃の国人にて武田に抗うてはおらなんだか」

 「それは息子の源三郎にございまする。
 源三郎は信濃守護小笠原に義理立てしておりまする。
 甲斐守護と信濃守護の大戦なれば、
 勢力を二分して双方に味方するは
 いずこの国人、小名もやっていることでございまする」

 「そうか、ならば望月盛時を通じてその甲賀衆なるを紹介させよ」

 「ははっ」

 安倍信真は平伏した。
 
 この事がその後大きな波紋を引き起こすこととなった。
 安倍氏より甲斐の望月氏に甲賀衆の秀でたる者を寄越すよう伝手を頼ったところ、
 岩室長門守という者を甲斐に呼び寄せたようであった。
 これを見とがめられた信虎殿は岩室長門守を歩き巫女の頭目に据えようとしたが、
 それでは千代女の面子が立たぬと晴信殿が仰せになり、
 言い争いになったようであった。
 結局のところ岩室長門守は信虎殿付きとなることで収まったようだ。
 しかし、このため、甲賀随一と言われる岩室長門守は
 今川に来なくなったため、
 次なる適任者を探さなくてはならなくなった。
 騒動はそれで収束したかに思われた。

しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

処理中です...