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二十四話 龍王丸_
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天文七年三月十六日、
瀬名氏貞殿は書状の執筆中、
急に胸の痛みを訴えられ、
そのまま硯に顔をつっぷしてお亡くなりになられたとの事であった。
享年四十二才である。
瀬名氏貞の落命をお知りになった義元公は大層お嘆きになり、
その怒りは息子の瀬名貞綱に向かった。
瀬名貞綱が怠けていたため、氏貞の命が縮まったのだと叱責されると、
瀬名貞綱は、氏貞が義元公を見習い寝る間を惜しんだからだと反論したため、
義元公のお怒りは益々深まり、瀬名貞綱に二俣城の相続を許さず、
松井宗信に与えた。この事を知った瀬名貞綱はその場で行方をくらまし出奔した。
瀬名氏貞の死以降、義元公は下々の者達の労苦を少しでも減らしたいとのたまい、
食事の時に少しだけご飯を残す習慣を止められた。
義元公お一人がそのようにされてもさしたる量ではあらねど、
お家の頂がそうされれば下はすべてそれに倣う。
それをご理解の上での事であった。
そのお心を汲むように、臨済寺では太原雪斎様のご指導のもと、
食後の椀に茶を入れ、蕪や大根の漬物で綺麗に椀を拭いて
米のカケラも残さぬ徹底ぶりであった。
これに倣い、駿河一帯の寺院ではそのような質素な食事が奨励された。
それを俗に懐石と言った。
懐石とは暖めた石を懐に抱いて空腹を和らげるということ。
それほど質素な食事が奨励された。
この天文七年という年は悪いことばかりではなかった。
正妻の定様がご長男を出産されたのだ。
義元公は大変お喜びになり、
男であれば大将首をあげたほどの功績であると定様を褒められた。
定様はそのお褒めの言葉に涙を流して喜ばれた。
案外お似合いのおつれあいなのかもしれぬ。
定様は見事男の子をご出産になられた。
ご長男は龍王丸との御名を義元公より賜った。
この御名は恐れ多くも御父君今川氏親公の御幼名にあらせられる。
傅役には三浦内匠助(みうらたくみのすけ)が選ばれた。
瀬名氏貞殿は書状の執筆中、
急に胸の痛みを訴えられ、
そのまま硯に顔をつっぷしてお亡くなりになられたとの事であった。
享年四十二才である。
瀬名氏貞の落命をお知りになった義元公は大層お嘆きになり、
その怒りは息子の瀬名貞綱に向かった。
瀬名貞綱が怠けていたため、氏貞の命が縮まったのだと叱責されると、
瀬名貞綱は、氏貞が義元公を見習い寝る間を惜しんだからだと反論したため、
義元公のお怒りは益々深まり、瀬名貞綱に二俣城の相続を許さず、
松井宗信に与えた。この事を知った瀬名貞綱はその場で行方をくらまし出奔した。
瀬名氏貞の死以降、義元公は下々の者達の労苦を少しでも減らしたいとのたまい、
食事の時に少しだけご飯を残す習慣を止められた。
義元公お一人がそのようにされてもさしたる量ではあらねど、
お家の頂がそうされれば下はすべてそれに倣う。
それをご理解の上での事であった。
そのお心を汲むように、臨済寺では太原雪斎様のご指導のもと、
食後の椀に茶を入れ、蕪や大根の漬物で綺麗に椀を拭いて
米のカケラも残さぬ徹底ぶりであった。
これに倣い、駿河一帯の寺院ではそのような質素な食事が奨励された。
それを俗に懐石と言った。
懐石とは暖めた石を懐に抱いて空腹を和らげるということ。
それほど質素な食事が奨励された。
この天文七年という年は悪いことばかりではなかった。
正妻の定様がご長男を出産されたのだ。
義元公は大変お喜びになり、
男であれば大将首をあげたほどの功績であると定様を褒められた。
定様はそのお褒めの言葉に涙を流して喜ばれた。
案外お似合いのおつれあいなのかもしれぬ。
定様は見事男の子をご出産になられた。
ご長男は龍王丸との御名を義元公より賜った。
この御名は恐れ多くも御父君今川氏親公の御幼名にあらせられる。
傅役には三浦内匠助(みうらたくみのすけ)が選ばれた。
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