どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

文字の大きさ
55 / 76

五十五話 所詮は他人事

しおりを挟む
 財政破綻を危惧した義元公が財政均衡をはかるため、
 治水工事を減らし、代官所を廃しして年貢を上げたることに
 雪斎様が猛然と反対して以来、
 義元公は雪斎様に対して本気で怒ることはなくなった。

 雪斎様が厳しい口調で諫言しても、口答えせず、笑いながら聞き流された。

 雪斎様は恥じ入られ、義元公にお暇を請うた。

 義元公は引き留めることなくそれをお許しになった。
 
 雪斎様は隠遁する長慶寺に向かう前、
 一宮の屋敷にお立ち寄りになられた。

 そこで父ではなく元実を直接お呼びよせになった。

 「そなたは義元公よりお目をかけられているゆえ、
 まだお話をお聞きになるやもしれぬ。義元公はこれより、
 御公約を守られるため、
 織田信長討伐の兵を挙げられる。
 その時の陣立てを献策するのじゃ」

 「はい」

 「まず、義元公はご隠居なさり、
 今川氏真公を御大将として大軍をもって尾張を攻める。
 信長は数では勝てぬことを知っているので乾坤一擲、
 今川方本陣に奇襲をかけてくることとなろう。
 信長本隊が今川本隊を襲うている時、
 ご隠居様の軍が背後から信長隊を挟撃する。
 さすれば信長の首は取れる」

 「しかし、それでは氏真公のお命が危のうございます」

 「分かっておる。天下を取るためには、我が子とて殺す気概なくば取れぬものだ」

 「まさか、それを御屋形様に仰せになられたのですか」

 「いかにも」

 「それは遠ざけられて当然でございまする」

 「甘い、それでは天下は取れぬ」

 「他に誰かに仰せになりましたか」

 「松平の竹千代に言うた」

 「幼き故、理解できますまい」

 「いや、理解した」

 「理解したふりをしただけでございましょう。あれは粗忽者にて背伸びをするところがございます」

 「そうかの」

 「そうでございます」

 「では、頼んだぞ、元実」

 「御屋形様に無礼打ちされまする」

 「今川家のために死んでくれぬかな」

 「我が死んで今川家が守れるならまだしも、義元公はご意見を変えられるとはおもいませぬ。
 当方犬死にの上、不忠者の誹りをうけてはたまりませぬ。
 恐れながら他をおあたりくださりませ」

 「そうか、それは残念じゃの、竹千代に言うておいてよかった」

 雪斎様はよろよろと蛇行しながらお帰りであった。

 長慶寺に入られると、雪斎様は弘治元年のうちに亡くなられた。

 雪斎様が亡くなられると、朝比奈泰能殿も病気を理由に出仕しなくなり、
 以後は嫡子の朝比奈泰朝が参上するようになった。


 雪斎様がお亡くなりになると、
 義元公は織田信勝の借書を集めるよう勘定方にお命じになられた。
 元実は驚いて御用商人友野二郎兵衛と共に義元公の御前に参上した。

 「恐れながら、明日にも織田信長を討伐せんとする時に
 その弟の信勝の借書をお集めになる意図が我ら浅学の身には理解しかねます。
 なにとぞご教授いただきたく、伏して御願いもうしあげます」

 義元公のお怒りに触れぬよう、元実は慎重に言葉を選んでたずねた。

 「信長は攻めぬことにした。すぐ和議にいたす」

 「では、今川家中に対し、織田信長を攻めると公約された事は反故になさいますか」

 「うむ、状況がかわった」

 公約破りであった。

 「もし、差し支えなくば、その変わりし状況をお教えたまえれば、
 我ら今川家中の諸将に説明して回りまする」

 「誰か不満を言うておるか」

 「いえ、決して。ただ、御屋形様の英知の片鱗だけでも賜り、
 より優れたご見識を学びたいその一心でございまする」

 「ならば教えてやろう。藤林長門の偵察によるとな、
 信長の動員兵力は約七百、弟信勝の動員兵力は二千に及ぶそうじゃ。
 戦は数が多い方が必ず勝つ。
 七百対二千なら必ず二千が勝つ。
 戦うまでもなく信長は弟に屈服するであろう。
 それでも合戦するなら、信長は真性のうつけじゃ。
 それもまたよい、死にっぷりを見物してやろう」

 「かしこまりました。早速、織田信勝の借書を集めまする」
 
 今川館からの帰り道、元実はとぼとぼと歩きながら二郎兵衛と話をした。

 「本当にこれでよいのであろうか」

 「御屋形様がご判断なされた事、失敗しても我らが責任を問われることはございませぬ」

 「真にそう思うか」

 「はい、されど、上役に命令された時はご注意でございます。
 上役に無理難題押し付けられて失敗した時、
 上役はあなた様に罪をなすりつけて参ります。
 それを防ぐため、事前にその上役の上役か、
 それとも御屋形様に密告しておくのです。
 さすれば、あなた様は死なずに済みまする。
 情にほだされて上役をかばい立てすれば全ての罪をなすりつけられまする。
 頂点と中堅の違いでございまする」

 「そなた、今川のお国が良くなるよう考えて居るのではなく、そのような人事の駆け引きばかり
 かんがえておるのか」
 
 「国のためを思い讒言して、それが受け入れられましょうや。人は己の見たいものを見ます。
 我が身を捨て、諫言しつづけた雪斎様はどうなりましたか。」

 「しかし、今川のお国が滅びれば、そなたも職を失い路頭に迷うであろう」

 「今川が滅べば、金を持って……いや、なんでもございませぬ。今川はほろびませぬ。
 今まで長年続いた今川家、簡単に滅ぶものではございませぬ」
 
 「まことにそう思うか」

 「さてはて」
 
 二郎兵衛はとぼけて顔をそらした。
 そんな姿を見ながら元実は、とぼとぼ歩いて帰った。

しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』でも同時掲載しています◇

処理中です...