どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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五十四話 折衷案

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 数日後、義元公は内密に一宮の屋敷を訪れられた。

 ここの奥座敷で義元公は号泣された。

 「我は、常に民を思い臣を思うてこの身を犠牲ににしてきた。
 我とて人じゃ。若い頃は遊びたかった。
 女とうつつをぬかしたかった。
 物見遊山に行きたかった。
 されど、民を思えば、臣を思えばそれもならず、
 ひたすら我慢して、質素倹約に励み、
 己が勤勉に働けば皆々それを見習って付いてきてくれると思いきや、
 中年は怠け、若い者は遊興にふけり、
 常に私利私欲しか考えぬ。

 どれほど慈悲の心をもって優しい言葉をかけてやっても働かぬ。
 怠ける。もっと休ませろ、もっと銭をくれ、もっと所領をくれ。
 君主たるこの我がそれら全てをなげうって、国をここまで大きくしたのだぞ。
 それを、たかが年貢を百貫文から五十貫文あげるだけでこの大騒ぎじゃ。
 しかも、これは損をするわけではない。
 かわりに代官所を閉鎖し、治水の労役を減らし、
 土手方を解雇して国人衆の負担を減らし、伝馬では銭が入るように計らって、
 損をせぬよう心砕いているというに、
 目先の僅かな銭のために不平不満を言い立てて主君の命に従わぬ。
 今川の将兵はいつからこのような怠け者の集まりになってしまったのか。
 我はくちおしゅうて、くちおしゅうてたまらんわあっ、ああああああああああっ」

 父は黙ってそれを聞いていた。

 義元公がこのように感情を露わにされるお姿を元実は初めて耳にした。

 よほどお心に溜められたものが大きかったのであろう。

 「そうだ、これからの国政はそなたにまかせよう。
 太原雪斎も朝比奈泰能も排除する。
 我とともに今川家の経費削減を手伝ってはくれぬか、
 そしてよき国を共に作ってゆこう」

 「なりません」

 「なに、何と言うた」

 「それはなりません。雪斎様、泰能様は国の要にて、
 これを取り除けば国が傾きます。
 某は無学の者ですがそのような者でも、
 この物価安の時代に税をあげて、
 消費を絞れば国の景気が悪くなることくらいはわかります。
 もう一度、ゆっくりとご自分のお頭でお考えあそばしませ。
 他人の言の上をなぞってはなりません。
 ご自分の頭でお考えになるのです」

 暫く沈黙が続いた。

 「そなたもか、宗是、そなたも、
 たかが五十貫文が惜しくて忠義をおろそかにするか」

 「違いまする」

 「今、銭が惜しいから買い控えすると言うたではないか」

 「それは庶民の事でございまする」

「同じことじゃ。だいたい、そちらは無学故、
 学歴の高い賢人の意図が分からぬのじゃ。

 無学者には分からいでも、
 高学の者は無学の考えも及ばぬところまで考えた上で
 裏の裏の裏まで考えて結論を出しているのだ。

 何も分からぬ者はひたすら高学の賢人に従っておれ」

 「恐れ入ってございます」

 「馬鹿め」

 義元公は言葉を吐き捨てて我が家を出てゆかれた。

 その後、義元公が我が家に立ち寄られることは無かった。

 以後、義元公は父を使われなくなったものの、
 ありがたい事に元実は引き続きお使いくださった。
 まことに慈悲深き、思慮深き名君にあらせられる。


 義元公は二つの書状を発せられた。

 年貢の事
 本年年貢百貫文にあい候処、五十貫文増分を以て代官を停止し、一円の領掌を領主に一任する。

 伝馬の事
 定めるは五箇条なり
 一、一里十銭の内は処理に及ばぬ事

 一、いかな公用、国境の急用なれど一里十銭支払わぬ者に伝馬を出さぬこと

 一、一日五疋を超えたる場合は一里十五銭を取り立てること

 一、此度は特例であるとの奉公人の添え状があっても1里十銭を取ること

 付則、1里十銭支払ぬ場合は、伝馬は立てず、
 荷物を拘置し、通過させてはならぬ。
 たとえ荷物が失われようとも不測の事態が起ろうとも町衆に責任は問わない。

 右の条項は、決して違反、相違があってはならない。 

 指令発布は天文二十三年になされた。


 今川家臣団の期待もあり、
 雪斎様の強い要望もあり、義元公は織田と戦端を開かれた。

 それは織田信長を討伐する大軍勢を動員したのではなく、
 三河の村木に貿易港を擁する砦を作り、
 尾張津島、熱田の顧客を奪う貿易拠点をお作りになろうとされた。

 雪斎様は信長との直接体験を懸命に訴えたが、
 勘定方の御用商人友野氏らが、財政均衡が崩れると主張して
 全面対決に反対した。
 義元公は織田と戦うべきという雪斎様の案、財政均衡を守るべしとする
 友野氏の折衷案をとって、今回の戦を決められた。
 中途半端な進軍では意味がないとなおも食い下がる雪斎様を
 御用商人や京や大坂から招かれた高僧たちが時代遅れと嘲笑し、
 義元公に讒言していた。

 元実も先の実績を買われ、野伏を土手方として使うため三百人を用意するよう養成を受けた。

 実元は前とまったく同じ要領で伝手を使い、
 野伏を集めて村木砦に引き渡した。村木砦は早急に建設されたが、
 完全に防壁が完成する前に信長が大軍で来襲し、
 猛将、東条松平甚太郎義春殿の奮戦もむなしく、
 村木砦は落城したのであった。

 このたびのでは、先の丹羽氏勝との合戦において火槍を使い信長軍を撃退した先例に学び、
 大量の火槍と少数ではあるが最新鋭の南蛮渡りの種子島をもって信長軍を撃退しようとしたが、
 信長軍は火砲を南蛮渡りの種子島に統一装備し、
 それを信長ら火砲の使用になれた者が発砲し、
 後方で、玉詰役が次々と充填した鉄砲を渡して連射したために
 多くの村木砦側の将兵が狙い撃ちされて戦死した。

 また、今川方は種子島こそ鉄弾を使っていたものの、
 火槍は石玉を使っていたのに対して、
 織田方は全て鉄玉を使っていたので兜や鎧を貫通し今川方は死傷者を増やすこととなった。

 

 翌年、天文二十四年は年号が変わり弘治となる。




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