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五十三話 増税路線
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「事ここに至ってはもはや織田信長を討つしかない」
唐突に義元公が仰せられた。
軍議に参列した諸将から「おおっ」と歓喜の声が漏れる。
「ついにご決断めされたか、良きかな」
雪斎様は気色に満ちた顔で仰せになった。
「ついては、軍費調達のために増税と経費節減をいたす。
本年年貢百貫文のところ、五十貫文増分し代官所を閉鎖する」
続けて仰せになった義元公のお言葉にその場は凍り付いたように静まりかえった。
「お待ち下さい、代官所を閉鎖しては危急の時に臨機応変に対応できませぬ。
そのうえ、ただでさえ物価低迷で消費が減少している中、
代官所を閉鎖してより消費を削減されてなんとなさいます。
また、消費低迷の中で年貢をあげれば、庶民警戒して余計に消費を控えまする」
雪斎様お一人が必死になって訴えられた。
その声はその場にむなしく響いた。
「何を言うか雪斎、質素倹約は美徳ではなないか。
銭足りぬ分は始末して経費を減らせば良い。
ついで、治水土木の人員を削減し、伝馬は商人に委託する」
柔やかに夢を語られる義元公に朝比奈泰能殿がたまらず異をとなえた。
「お待ちください、伝令伝馬は軍の要にて、
これを分離したれば、お家の基礎が成り立ちません。
なにゆえそのような事を唐突に仰せになられるか、
今まで一度も左様なお話は伺ったことがなかった」
泰能殿は青ざめたお顔で必死に訴えられた。
「いずれ、一向宗あたりの入れ知恵でございましょう」
悲壮な表情で雪斎様が仰せになった。
「いかにも、一向宗の御坊のお教えであるが、
我はそれを道理であると納得した上で決めたのだ。
一向宗の御坊だけではない。
内々に比叡の高僧ともお話いたした。
本願寺の大僧正、比叡の高僧が口を揃えて、
年貢をあげて、伝馬を商人にまかせて銭を取れば国が栄えると仰せである。
そなたら無学の徒がなんぞ、天下の英知に反論せるか。
考え違いもはなはだしいわ」
「なりませぬ、物価下落の時勢に年貢を上げてはなりませぬ、決して」
雪斎様は声を荒げて叫ばれた。
このように叫ばれる雪斎様は今まで一度も見たことがなかった。
「雪斎よ、そこまで断言するなら我とて言わせてもらう。
賢者は歴史に学び、凡俗は経験に学び、
愚者は何も学ばず同じ失敗を繰り返して滅ぶ。
先に甲斐守護武田信虎殿は国内の農家大地主、建設土木を守る事に固執し、
増税をせず、年貢も上げず、国外から米を入れることを拒絶しつづけた故に米価は高騰し、
民は飢えに苦しみ、信虎殿は国外追放となった。
その後、晴信殿が他国より米を買うて勢をあげたれば、甲斐は栄えたではないか
そなたは信虎殿と同じく地主と土木を守ることにしか目が行かぬ愚者の説法じゃ」
「晴信殿は米価高き時は国外から入れましたが、
一旦米価が下がると見るや、米の買い入れを控え、
治水のための堤を大量に作りました。
これを甲斐では晴信堤と言うておりまする。
時勢の変化に対応してこその賢者でございまする」
「ならばこそ、忠義などと言わず、
銭この世の全てと考えるのが時勢の変化への対応であろう」
「それは対応にあらず。臣下に忠義あり、
君主に公ありてこそ国は回るもの。
水と糧無くば人死ぬると同じ根本の原理は変わりませぬ」
「そう言うて理屈を付けては、
過去に失敗した政策を繰り返そうとするは官官の習性」
「歴史に学ぶなら、晴信殿の堤の先例を何と心得まする」
「黙れ、詭弁を弄するな。
すでに決まったことじゃ。決まったことを覆すのはならぬ。
本日は散会としたす。散れ」
義元公は不快の情を露骨に表されて、奥に引き下がられた。
皆々困惑して顔を見合わせたのである。
この物が売れぬ時期に年貢をあげ、
税をあげ、伝馬から銭をとれば、
益々物は動かなくなる。
そのような事は馬鹿でも分かることだ。
しかし、それが何故、天下最高の英知である京の高僧の諸氏には理解できぬのか、
頭のよい方々のお考えになることは、
まことに諸人には理解の外であった。
唐突に義元公が仰せられた。
軍議に参列した諸将から「おおっ」と歓喜の声が漏れる。
「ついにご決断めされたか、良きかな」
雪斎様は気色に満ちた顔で仰せになった。
「ついては、軍費調達のために増税と経費節減をいたす。
本年年貢百貫文のところ、五十貫文増分し代官所を閉鎖する」
続けて仰せになった義元公のお言葉にその場は凍り付いたように静まりかえった。
「お待ち下さい、代官所を閉鎖しては危急の時に臨機応変に対応できませぬ。
そのうえ、ただでさえ物価低迷で消費が減少している中、
代官所を閉鎖してより消費を削減されてなんとなさいます。
また、消費低迷の中で年貢をあげれば、庶民警戒して余計に消費を控えまする」
雪斎様お一人が必死になって訴えられた。
その声はその場にむなしく響いた。
「何を言うか雪斎、質素倹約は美徳ではなないか。
銭足りぬ分は始末して経費を減らせば良い。
ついで、治水土木の人員を削減し、伝馬は商人に委託する」
柔やかに夢を語られる義元公に朝比奈泰能殿がたまらず異をとなえた。
「お待ちください、伝令伝馬は軍の要にて、
これを分離したれば、お家の基礎が成り立ちません。
なにゆえそのような事を唐突に仰せになられるか、
今まで一度も左様なお話は伺ったことがなかった」
泰能殿は青ざめたお顔で必死に訴えられた。
「いずれ、一向宗あたりの入れ知恵でございましょう」
悲壮な表情で雪斎様が仰せになった。
「いかにも、一向宗の御坊のお教えであるが、
我はそれを道理であると納得した上で決めたのだ。
一向宗の御坊だけではない。
内々に比叡の高僧ともお話いたした。
本願寺の大僧正、比叡の高僧が口を揃えて、
年貢をあげて、伝馬を商人にまかせて銭を取れば国が栄えると仰せである。
そなたら無学の徒がなんぞ、天下の英知に反論せるか。
考え違いもはなはだしいわ」
「なりませぬ、物価下落の時勢に年貢を上げてはなりませぬ、決して」
雪斎様は声を荒げて叫ばれた。
このように叫ばれる雪斎様は今まで一度も見たことがなかった。
「雪斎よ、そこまで断言するなら我とて言わせてもらう。
賢者は歴史に学び、凡俗は経験に学び、
愚者は何も学ばず同じ失敗を繰り返して滅ぶ。
先に甲斐守護武田信虎殿は国内の農家大地主、建設土木を守る事に固執し、
増税をせず、年貢も上げず、国外から米を入れることを拒絶しつづけた故に米価は高騰し、
民は飢えに苦しみ、信虎殿は国外追放となった。
その後、晴信殿が他国より米を買うて勢をあげたれば、甲斐は栄えたではないか
そなたは信虎殿と同じく地主と土木を守ることにしか目が行かぬ愚者の説法じゃ」
「晴信殿は米価高き時は国外から入れましたが、
一旦米価が下がると見るや、米の買い入れを控え、
治水のための堤を大量に作りました。
これを甲斐では晴信堤と言うておりまする。
時勢の変化に対応してこその賢者でございまする」
「ならばこそ、忠義などと言わず、
銭この世の全てと考えるのが時勢の変化への対応であろう」
「それは対応にあらず。臣下に忠義あり、
君主に公ありてこそ国は回るもの。
水と糧無くば人死ぬると同じ根本の原理は変わりませぬ」
「そう言うて理屈を付けては、
過去に失敗した政策を繰り返そうとするは官官の習性」
「歴史に学ぶなら、晴信殿の堤の先例を何と心得まする」
「黙れ、詭弁を弄するな。
すでに決まったことじゃ。決まったことを覆すのはならぬ。
本日は散会としたす。散れ」
義元公は不快の情を露骨に表されて、奥に引き下がられた。
皆々困惑して顔を見合わせたのである。
この物が売れぬ時期に年貢をあげ、
税をあげ、伝馬から銭をとれば、
益々物は動かなくなる。
そのような事は馬鹿でも分かることだ。
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