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鶯音を入る
第六十四夜
しおりを挟む「なれるかな……」
彼女が私の手を振り解こうとはしなかったのは良いが、静かな問い掛けがマイナー調の楽曲のアウトロのようにいつまでも耳から離れない。
「…………私、紅さんの前では子ども時代のやり直しをさせてもらってるみたいな感覚なんですよ。何でも思った事言って良いし、ストレスフリーで伸び伸び生きられるし、『良い子』である事も『良い人』である事も…………『良い女』である事も求められないから。紅さんは、初めて私を一人の人間として見てくれた人なんです。他人といて楽なの、初めてですよ、私。他人と過ごす時間が普段じゃない感覚、初めて腑に落ちました。紅さんが無理して私に合わせてるんだとしたら、それも意味ないですけど。勝手に女王様キャラとか付けちゃってますし。嫌なら辞退してくださいね、今からでも遠慮せず」
「アタシ、無理してるように見える?」
彼女が足を止めたので、私も足を止めた。
――――赤信号だ。私は初めて彼女の家にお呼ばれした時と同様に彼女に見惚れていたから、気付くのが遅れた。
否、気付く事が出来なかった。
「いえ、ちっとも。……女王様ですし、相変わらず」
それでも、懲りない私は、彼女の足元に視線を落としたまま答えた。長い事で有名な信号だから――――なんて言い訳をして。
「だよね。してないし、少しも。気に入ってるし、女王様キャラ」
何にでも合う濃い目のベージュのフラットなサンダルは、妊娠した時の事を想定してのチョイスだろうか。
それとも、まだ傍目にはわからないだけで、貴女のお腹には次なる命が宿っているのだろうか。
「なら、良かったです。…………お互い無理なくありのままで過ごせるって、関係性として理想的ですよね。最高の相性って感じ。私、このまま紅さんと二人でなら、どこに行って何をしても、大した苦労も喧嘩もなくずっと一緒にいられる気がします。……でも、私は……紅さんが自分の生んだ子を育てたいと思ってるのを知ってますし、どうせならそれも叶えたい。紅さんの夢は、私の夢でもあるんです。紅さんの事、もう他人とは思えませんし、現に他人じゃないんで。あの日、あのバーで声掛けられた瞬間に他人じゃなくなっちゃったんで」
複雑な思いは消えない。少しも消えやしない。
遮断しているだけの太陽光のように、私を容赦なく焼いて、焼くだけ焼いて、痛みとダメージを与える。
それでも、私は背負うと決めたから。
彼女の抱える事情ごと、彼女を愛したいと思ったから。
だから、今の自分に出来る精一杯の笑顔で、胸を張って打ち明けた。心からの想いを。
「………………でも、翠」
「そうですね。間に子どもが…………何人まで増えるかわかりませんけど、子どもも一緒にってなったら、確実に無理だってしなくちゃいけなくなりますし、余裕だって削れるでしょう。今みたいに自由気ままに生きられなくなって、教育方針の違いとかで衝突してばっかりになるかも。…………でも、その結果、私達が上手く行かなくなるなら、私達はそれまでだったって事だと思うんです。子どものせいじゃなくて、私達自身の問題」
顔を上げた瞬間に、信号が切り替わった。
向こう側の青に向かって先に踏み出したのは、私の方だった。
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