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逃水
第五夜
しおりを挟む「……それでだったの。翠から良い匂いがしてたのは」
突き放すような鋭利な返事は、その心を掠りもしなかったのだろうか。
彼女は意味深に呟いた。
「良い匂い、ですか? 汗臭いならわかりますけど。いや、臭くないように軽くシャワー浴びて着替えて出てきましたけど、そんなに臭いますかね……。なんかすみません」
「汗でも体臭でも何でもいい。アタシにとっては御馳走の匂い」
先ほどにも増して意味深な発言だ。
確かに、いつまでも嗅いでいたいと思う体臭を持つ男に出会った事はある。
彼女はそういう事を言っているのか。
「御馳走…………?」
だとしても、その表現は些か不自然に思えた。
「……ううん、何でもない。気になるなら、お風呂も貸す。このご時世、外出た身体でベッド入るの嫌って人も多いみたいだし」
怪訝な顔で復唱したが、のらりくらりと躱されて、それ以上何も聞けなくなった。
詮索されるのは嫌いだと言っていた彼女に、私はまだ嫌われたくないから。
「あー……。そう、そうですよね! 私もそういう感じで。有難くいただいちゃおうかな、お風呂」
「うん、どうぞ。場所、わかるよね」
彼女は私が洗面所の奥のバスルームに消える前にベッドルームを指し、『そこで待ってる』と伝言を残した。
外した腕時計を小さいカバンにしまってから、オトナになる直前の少女のように胸を高鳴らせて振り向くと、テーブルの上をだらだら片付けている彼女が手を振っていた。
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