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第2章 南郡平定戦
閑話6 立花里奈(エイン帝国軍所属)
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前線の滞在が1週間を過ぎたその日、私は部隊を指揮する貴族の将軍に呼ばれた。
すでに陣幕には彼の幕僚たちが集まっていた。
折り畳みの椅子に座って机を取り囲んでいる30代から40代の平均年齢高めのおじさんたちが一斉にこちらを向く。じっと見られるようで気分が悪い。
その中心、若くて荘厳な鎧を着ているのがここの将軍。名前は知らない。覚える気もない。
わたしはただ張人の代わりにここにいるだけ。戦略とか政治とか良く分からないから言われるがままにしている。
正直この将軍も嫌いだった。
偉ぶった様子で、ところどころに見下す視線を感じたから。顔もタイプじゃないし。
それでもこうやって軍議の場に呼ばれるのは、私が『あの男』の部下みたいな立ち位置にいるからその配慮だろう。
「今夜、出撃することになった」
将軍が若干頬を上気させ言葉を放つ。
「出撃?」
「うむ。これを見てみよ。ビンゴからの手紙だ。先日の申し出に対しての返答だ」
一片の紙きれを渡された。
とはいえ最近ようやく文字が読めるようになったくらいだ。読むのに四苦八苦する。
しかも文体がかなりかしこまって、婉曲表現を使っているようで、そういった言葉のニュアンスは正直よくわからない。
ただどうもビンゴ王国がへりくだった形で、和睦に乗り気だというのが分かった。
その証拠として、1つの情報が書いてあった。
「今夜撤退する? オムカが?」
「その通りだ。ビンゴの奴らも自分の立場というものをようやく理解したようで何よりだ。しかしこの準備不足はいただけないな。準備ができておらず明日の朝に追撃に移るなど。奴らは昼寝でもしたのか? かくなる上は我々が攻め入り、その勢いに乗ってオムカの王都も攻めとるしかあるまい!」
将軍の勇ましい声に幕僚たちが同調する。
どうやらもうすでに衆議は決まっているらしい。
「このオムカが撤退するというのは本当なのですか?」
「なにを言う。こちらにオムカの主力を引き付けて王都を狙う。まさにお主の主であるハルト将軍の作戦通りではないか」
主じゃないんだけど。てかあいつ以下に扱われるこの不快感は何?
とはいえその戦術は卓抜したものがあると感じる。
こっちの本隊がそのまま砦を落とせればよし。膠着したら張人が王都を襲撃して、撤退する敵軍を追撃する。
一挙両得の作戦と言っていい。
ただ、どうもうまくいきそうにないと思っているのは私だけだろうか。
理由はない。ただの勘。けどその勘でこれまで生きてきた。
「それに偵察も出しておる。平静を装っておるが、オムカの陣ではこれまで以上に人の動きが激しい。今夜、闇夜に乗じて退くのは間違いない。そこをわが軍が背後から追撃する! これにて勝利間違いなしだ! しかるに援軍のいなくなったビンゴなど鎧袖一触に追い散らすこともできよう。……ふはははは、この私がバーベルの領主になる日も遠くはない!」
この頭がお花畑の貴族様に、捕らぬ狸の皮算用ってことわざを教えてあげようかしら。
いや、いいわ。どうせ無駄だし。
自分との連絡をかかさないでくれれば、特に何もしなくていい。
そんな張人の頼みを聞いてこのザマ。
最近戦争もなくて頭痛も和らいできたってのに、こんなところでこんなやつの相手を1週間もするなんて聞いてない。
お風呂やトイレがないのもつらい。
報告のためと言って、定期的に家に帰れる立場じゃなければ発狂していたかもしれない。
帰ったら一発ぶん殴ってやろうかしら。
……ううん、落ち着くのよ。
なんだかこの世界に来て、暴力的な思考が増えている自分が怖い。
まるで自分じゃなくなっているような気がして。
何か別のモノに変化してしまっているような気がして。
「君、その時には教皇様にも私をよろしく言っておいてくれたまえよ。なんてったって、君はかのお方の片腕なのだら」
これも自分が自分でなくなっていくようなことの一因。
どうやら『あの男』は、この世界で強大な権力を持っているらしい。なんとかいう宗教の偉い人。
『あの男』と会ったのはほんの数度。
けどこうして片腕とか言われるのは、『あの男』が私と同じだからにすぎない。
プレイヤー。
同じ穴の狢だからこそ、同じ派閥に属しているに過ぎないわけで。
そうでもなければあんな野心が見え透いた男、相手するのも嫌だ。
何もかも明彦くんとは全く違う。正直嫌いなタイプだった。
それでもこの世界で生きていくには、『あの男』の庇護は必要だった。
我ながらアコギな考えだと思う。けど、そうでもしなければこの世界でやっていけないのだから仕方ない。
そう自分に納得させて名前も知らない将軍の前を去った。
そして数時間後。
陽が落ちて暗闇の中、馬に乗った私は軍の中にいた。その数2万2千。
8千は万が一ビンゴが裏切った時のために備えてあるという。
ここ数日、陣の中に引きこもっていた兵たちが久しぶりの外を満喫して伸び伸びと動いているように見える。
ただこれは奇襲作戦。
誰もが口をつぐみ、馬には(枚と呼ばれていた)木の枝のようなものを咥えさせて音を出さないようにしている。
正直、自分も何をしているのかよく分からない。
もともとただの大学生だった。それがこんなところで、人殺しの片棒を担がされている。
何で? って思う。悪い夢なら醒めて欲しい。けど半年を過ぎた今もその夢は醒めない。
あの時は大学生活と未来への期待、そして気になる人との出会いで白く光り輝いて見えた。
それが今や、赤と黒に染まり暗澹とした日々を送っている。
本当、何でこんなことになってしまったんだろう。
本当、何でこんなになっても生きているんだろう。
生きるために殺して。
敵対するから殺して。
殺すために殺す。
あれ、私ってそんなことをしてでも、生きていたいんだっけ。
他人様の命を吸ってまで、生にしがみつきたい理由があったんだっけ。
もはやその理由すらも希薄。
だから惰性で『あの男』に使われ、張人には適当にやらされてる。
もうそろそろいいかな。
そう思ってしまうのは、きっと仕方のないことで。
それが自分のためにも、他人のためにも、世界のためにもなるんじゃないかって。
それほど私の手は――
「よし、止まれ」
はっとした。
他の馬に倣って急に自分の馬が止まったので、放り出されそうになったのを必死で堪える。
いつの間にか丘の上まで来たみたい。
丘のふもとから少し行ったところに、無数の炎が焚かれた陣地がある。
「よし、まだかがり火が見えるな。人の動きもある」
あぁ、そうか。あそこにいる人たちを殺しに行くのか。
気は進まない。
けど、やらないと私に居場所はない。
どれだけ自分を卑下したところで、自暴自棄になったところで、私は独りになるのが怖い。死ぬのが怖い。
なんて卑怯者。
なんて人でなし。
分かり切っていたことだった。だからもう悩むのはやめようか。
どうせここには、私を分かってくれる人は誰もいないのだから――
「全軍、突撃! オムカの裏切り者どもを皆殺しにせい!」
将軍の号令のもと、2万2千の兵たちが一気に丘を駆け下りる。
よく転ばないな、なんてどうでもいいことを感じた。
遅れて将軍とその旗下に紛れ、私の馬も丘を駆け下りる。
陣には兵が充満していて、ごった返している。
「む、すでに逃げた後か!」
敵がいない。戦闘が行われた形跡もない。
代わりに武器や旗といったものが散乱しているだけだ。
「なんだこの木箱は……」
「分かりませんが、捨てられた武具を見る限り軍需物資かと。すごい量です」
副官が散乱する木箱を見ながら説明する。
「これほどの量をオムカが隠し持っていたとは。我々も長期間の対陣で物資が不足していたところだが」
「兵に運ばせましょう。なに、2万もいれば弱腰のオムカなど鎧袖一触です。何よりハルト将軍と挟み撃ちにできるわけですし」
「うむ、その通りだな。では1千でこの物資を我が陣に運べ! 残りは追撃に移る!」
将軍が次の指示を与えたその時だ。
「エイン帝国の愚将様に申し上げる!」
声が響いた。
ふとその声に振り返る。
どこか知っている人の声に聞こえたからだ。
「なんだ、あれは……」
誰もが見たのは私たちが入って来たのとは逆の陣の出入り口。
そこに馬に乗った1人の少女がいた。
少女は旗を右肩に担いだまま、こちらに対峙する。年の頃は12か13か。幼いと言ってもそん色ない年頃。かがり火に照らされたブロンドカラーの髪が美しい。
だが何かが違う。
あれは、あの子は、いや、あの子に感じた何か。
――明彦くん?
性別も年齢も身長も何もかも違うのに、そう感じた。
理屈は分からない。
他人に言えば100人が100人とも鼻で笑う、そんな妄想。
それでも私には無視できない確信。
「あれはオムカの軍服……まさか、あれがハルト将軍を撃退したオムカの軍師!? 確か名はジャンヌ・ダルク!」
ジャンヌ・ダルク。
その名前は聞いたことがある。もちろん日本でのことではない。この世界で、張人が言っていた名前だ。
そうか、彼女が。
あの時にオムカの王都を防衛したというプレイヤーの少女か。
あるいは彼女が本当に明彦くんなら、なんて運命的なのだろう。私が絶望に出会った日に、私は希望に出会ったのだ。赤と黒にまみれた世界に差した、一筋の光。
そんな馬鹿げた妄想を繰り広げている間にも、事態はどんどん進行する。
「わざわざのご足労痛み入る! いやしかしこれでオムカも安泰だ。なにせこうまでも愚かな人間が軍を統括しているのだからな! 是非とも貴君には生き延びてもらって、負け続けていただきたいものだ!」
少女の声が陣に木霊する。
これ以上ない侮蔑の言葉を聞いて、名も知らぬ将軍は怒りでプルプルと顔を震わせ、
「誰か奴を捕らえて黙らせろ! 捕らえたものは最大の恩賞を取らすぞ!」
「死地に留まる馬鹿が何を言うか!」
少女が一喝。
それはすがすがしい風として私の体を、心を打つ。
そして彼女は旗を振る。
青に染まったオムカの旗を。
ひゅんと、風を切る音が聞こえる。
もはや耳馴染みとなった音。矢が風を切る音だ。
だがそれは人には当たらない。
ところどころに落ちて、矢に装着された器が地面に砕けて中身をぶちまける。
鼻に着く匂い。油だ。
さらに矢は続く。テントや散乱した木箱に当たり、その時に初めてそれが火矢だと気づいた。
そして次の瞬間――大爆発が起きた。
いや、実際に爆発したわけじゃない。炎が爆発的に燃え上がっただけだ。
それでも衝撃と爆音が襲い掛かってくる。
悲鳴が辺りを包む。火に包まれた兵が地面に転がる。阿鼻叫喚の地獄が展開された。
火。
火だ。
私を焼いた火が、こんなにも多く囲んでいる。
「いやあああああああ!」
誰かの叫び声。
いや、違う。私だ。
私の叫びが、世界を揺るがす。
違う、これは地響き。多くの人が大地を揺るがす音。
「て、敵襲!」
「なんだと!? くっ、謀られたか! ええい、退け! 退け!」
誰もがこの地獄から抜け出そうと、来た道を戻る。
私の馬も、何も命令していないのにそれに倣った。
火。怖い。ここから逃げられるならなんでもよかった。
馬が何かを踏んだ。
生肉かなと思った。味方の兵だった。
酷い事をしたと思ったけど、そんなこともすぐにどうでもいい。
とにかく逃げる。炎から1歩でも、1センチでも遠くに逃げる。今はそれだけがすべてだった。
すぐに明るく照らされた場所から夜闇に戻る。
ホッと胸をなでおろす。もうここにあの炎はない。だから安全。安心。問題ない。
心臓がありえないくらい激しく胸を打ってる。うるさい。でも生きてる。それを感じる。
だがその時、前方から悲鳴が聞こえた。
先に逃げ出した味方の悲鳴。
「前方に敵! ……ビンゴ軍です!」
「おのれぇ! ビンゴの雑魚どもがぁ! おい貴様、なんとかせんか! 我先に逃げおって!」
え、私?
私が、先に、逃げた?
何を言っているのか分からない。
私はただみんなに従っただけ。
炎が怖いから、一歩でも先に離れたかっただけ。
「ええい、早くしないと死ぬぞ!」
死ぬ。
それは嫌だ。
さっきまでは死んでもいいと思ってたのに、なんて現金。
それでもあの子。
明彦くんを感じさせたあの少女のことを思うと、そんなことも言っていられない。
彼女が明彦くんならこんなところで死んでられない。
だからここでは生きなくちゃ。
生きるためには、戦わなくちゃ。
あぁありがとう女神様。
こんな時に生き残る力を与えてくれて。
この世界で生きるための目的を与えてくれて。
まぁちょっと気持ち悪くなるけど、それは罰だから。人様の命を奪って生き延びる罰だから。
それもしょうがないこと。
だから――
「……『収乱斬獲祭』」
瞬間、視界が炎に似た赤に染まった。
すでに陣幕には彼の幕僚たちが集まっていた。
折り畳みの椅子に座って机を取り囲んでいる30代から40代の平均年齢高めのおじさんたちが一斉にこちらを向く。じっと見られるようで気分が悪い。
その中心、若くて荘厳な鎧を着ているのがここの将軍。名前は知らない。覚える気もない。
わたしはただ張人の代わりにここにいるだけ。戦略とか政治とか良く分からないから言われるがままにしている。
正直この将軍も嫌いだった。
偉ぶった様子で、ところどころに見下す視線を感じたから。顔もタイプじゃないし。
それでもこうやって軍議の場に呼ばれるのは、私が『あの男』の部下みたいな立ち位置にいるからその配慮だろう。
「今夜、出撃することになった」
将軍が若干頬を上気させ言葉を放つ。
「出撃?」
「うむ。これを見てみよ。ビンゴからの手紙だ。先日の申し出に対しての返答だ」
一片の紙きれを渡された。
とはいえ最近ようやく文字が読めるようになったくらいだ。読むのに四苦八苦する。
しかも文体がかなりかしこまって、婉曲表現を使っているようで、そういった言葉のニュアンスは正直よくわからない。
ただどうもビンゴ王国がへりくだった形で、和睦に乗り気だというのが分かった。
その証拠として、1つの情報が書いてあった。
「今夜撤退する? オムカが?」
「その通りだ。ビンゴの奴らも自分の立場というものをようやく理解したようで何よりだ。しかしこの準備不足はいただけないな。準備ができておらず明日の朝に追撃に移るなど。奴らは昼寝でもしたのか? かくなる上は我々が攻め入り、その勢いに乗ってオムカの王都も攻めとるしかあるまい!」
将軍の勇ましい声に幕僚たちが同調する。
どうやらもうすでに衆議は決まっているらしい。
「このオムカが撤退するというのは本当なのですか?」
「なにを言う。こちらにオムカの主力を引き付けて王都を狙う。まさにお主の主であるハルト将軍の作戦通りではないか」
主じゃないんだけど。てかあいつ以下に扱われるこの不快感は何?
とはいえその戦術は卓抜したものがあると感じる。
こっちの本隊がそのまま砦を落とせればよし。膠着したら張人が王都を襲撃して、撤退する敵軍を追撃する。
一挙両得の作戦と言っていい。
ただ、どうもうまくいきそうにないと思っているのは私だけだろうか。
理由はない。ただの勘。けどその勘でこれまで生きてきた。
「それに偵察も出しておる。平静を装っておるが、オムカの陣ではこれまで以上に人の動きが激しい。今夜、闇夜に乗じて退くのは間違いない。そこをわが軍が背後から追撃する! これにて勝利間違いなしだ! しかるに援軍のいなくなったビンゴなど鎧袖一触に追い散らすこともできよう。……ふはははは、この私がバーベルの領主になる日も遠くはない!」
この頭がお花畑の貴族様に、捕らぬ狸の皮算用ってことわざを教えてあげようかしら。
いや、いいわ。どうせ無駄だし。
自分との連絡をかかさないでくれれば、特に何もしなくていい。
そんな張人の頼みを聞いてこのザマ。
最近戦争もなくて頭痛も和らいできたってのに、こんなところでこんなやつの相手を1週間もするなんて聞いてない。
お風呂やトイレがないのもつらい。
報告のためと言って、定期的に家に帰れる立場じゃなければ発狂していたかもしれない。
帰ったら一発ぶん殴ってやろうかしら。
……ううん、落ち着くのよ。
なんだかこの世界に来て、暴力的な思考が増えている自分が怖い。
まるで自分じゃなくなっているような気がして。
何か別のモノに変化してしまっているような気がして。
「君、その時には教皇様にも私をよろしく言っておいてくれたまえよ。なんてったって、君はかのお方の片腕なのだら」
これも自分が自分でなくなっていくようなことの一因。
どうやら『あの男』は、この世界で強大な権力を持っているらしい。なんとかいう宗教の偉い人。
『あの男』と会ったのはほんの数度。
けどこうして片腕とか言われるのは、『あの男』が私と同じだからにすぎない。
プレイヤー。
同じ穴の狢だからこそ、同じ派閥に属しているに過ぎないわけで。
そうでもなければあんな野心が見え透いた男、相手するのも嫌だ。
何もかも明彦くんとは全く違う。正直嫌いなタイプだった。
それでもこの世界で生きていくには、『あの男』の庇護は必要だった。
我ながらアコギな考えだと思う。けど、そうでもしなければこの世界でやっていけないのだから仕方ない。
そう自分に納得させて名前も知らない将軍の前を去った。
そして数時間後。
陽が落ちて暗闇の中、馬に乗った私は軍の中にいた。その数2万2千。
8千は万が一ビンゴが裏切った時のために備えてあるという。
ここ数日、陣の中に引きこもっていた兵たちが久しぶりの外を満喫して伸び伸びと動いているように見える。
ただこれは奇襲作戦。
誰もが口をつぐみ、馬には(枚と呼ばれていた)木の枝のようなものを咥えさせて音を出さないようにしている。
正直、自分も何をしているのかよく分からない。
もともとただの大学生だった。それがこんなところで、人殺しの片棒を担がされている。
何で? って思う。悪い夢なら醒めて欲しい。けど半年を過ぎた今もその夢は醒めない。
あの時は大学生活と未来への期待、そして気になる人との出会いで白く光り輝いて見えた。
それが今や、赤と黒に染まり暗澹とした日々を送っている。
本当、何でこんなことになってしまったんだろう。
本当、何でこんなになっても生きているんだろう。
生きるために殺して。
敵対するから殺して。
殺すために殺す。
あれ、私ってそんなことをしてでも、生きていたいんだっけ。
他人様の命を吸ってまで、生にしがみつきたい理由があったんだっけ。
もはやその理由すらも希薄。
だから惰性で『あの男』に使われ、張人には適当にやらされてる。
もうそろそろいいかな。
そう思ってしまうのは、きっと仕方のないことで。
それが自分のためにも、他人のためにも、世界のためにもなるんじゃないかって。
それほど私の手は――
「よし、止まれ」
はっとした。
他の馬に倣って急に自分の馬が止まったので、放り出されそうになったのを必死で堪える。
いつの間にか丘の上まで来たみたい。
丘のふもとから少し行ったところに、無数の炎が焚かれた陣地がある。
「よし、まだかがり火が見えるな。人の動きもある」
あぁ、そうか。あそこにいる人たちを殺しに行くのか。
気は進まない。
けど、やらないと私に居場所はない。
どれだけ自分を卑下したところで、自暴自棄になったところで、私は独りになるのが怖い。死ぬのが怖い。
なんて卑怯者。
なんて人でなし。
分かり切っていたことだった。だからもう悩むのはやめようか。
どうせここには、私を分かってくれる人は誰もいないのだから――
「全軍、突撃! オムカの裏切り者どもを皆殺しにせい!」
将軍の号令のもと、2万2千の兵たちが一気に丘を駆け下りる。
よく転ばないな、なんてどうでもいいことを感じた。
遅れて将軍とその旗下に紛れ、私の馬も丘を駆け下りる。
陣には兵が充満していて、ごった返している。
「む、すでに逃げた後か!」
敵がいない。戦闘が行われた形跡もない。
代わりに武器や旗といったものが散乱しているだけだ。
「なんだこの木箱は……」
「分かりませんが、捨てられた武具を見る限り軍需物資かと。すごい量です」
副官が散乱する木箱を見ながら説明する。
「これほどの量をオムカが隠し持っていたとは。我々も長期間の対陣で物資が不足していたところだが」
「兵に運ばせましょう。なに、2万もいれば弱腰のオムカなど鎧袖一触です。何よりハルト将軍と挟み撃ちにできるわけですし」
「うむ、その通りだな。では1千でこの物資を我が陣に運べ! 残りは追撃に移る!」
将軍が次の指示を与えたその時だ。
「エイン帝国の愚将様に申し上げる!」
声が響いた。
ふとその声に振り返る。
どこか知っている人の声に聞こえたからだ。
「なんだ、あれは……」
誰もが見たのは私たちが入って来たのとは逆の陣の出入り口。
そこに馬に乗った1人の少女がいた。
少女は旗を右肩に担いだまま、こちらに対峙する。年の頃は12か13か。幼いと言ってもそん色ない年頃。かがり火に照らされたブロンドカラーの髪が美しい。
だが何かが違う。
あれは、あの子は、いや、あの子に感じた何か。
――明彦くん?
性別も年齢も身長も何もかも違うのに、そう感じた。
理屈は分からない。
他人に言えば100人が100人とも鼻で笑う、そんな妄想。
それでも私には無視できない確信。
「あれはオムカの軍服……まさか、あれがハルト将軍を撃退したオムカの軍師!? 確か名はジャンヌ・ダルク!」
ジャンヌ・ダルク。
その名前は聞いたことがある。もちろん日本でのことではない。この世界で、張人が言っていた名前だ。
そうか、彼女が。
あの時にオムカの王都を防衛したというプレイヤーの少女か。
あるいは彼女が本当に明彦くんなら、なんて運命的なのだろう。私が絶望に出会った日に、私は希望に出会ったのだ。赤と黒にまみれた世界に差した、一筋の光。
そんな馬鹿げた妄想を繰り広げている間にも、事態はどんどん進行する。
「わざわざのご足労痛み入る! いやしかしこれでオムカも安泰だ。なにせこうまでも愚かな人間が軍を統括しているのだからな! 是非とも貴君には生き延びてもらって、負け続けていただきたいものだ!」
少女の声が陣に木霊する。
これ以上ない侮蔑の言葉を聞いて、名も知らぬ将軍は怒りでプルプルと顔を震わせ、
「誰か奴を捕らえて黙らせろ! 捕らえたものは最大の恩賞を取らすぞ!」
「死地に留まる馬鹿が何を言うか!」
少女が一喝。
それはすがすがしい風として私の体を、心を打つ。
そして彼女は旗を振る。
青に染まったオムカの旗を。
ひゅんと、風を切る音が聞こえる。
もはや耳馴染みとなった音。矢が風を切る音だ。
だがそれは人には当たらない。
ところどころに落ちて、矢に装着された器が地面に砕けて中身をぶちまける。
鼻に着く匂い。油だ。
さらに矢は続く。テントや散乱した木箱に当たり、その時に初めてそれが火矢だと気づいた。
そして次の瞬間――大爆発が起きた。
いや、実際に爆発したわけじゃない。炎が爆発的に燃え上がっただけだ。
それでも衝撃と爆音が襲い掛かってくる。
悲鳴が辺りを包む。火に包まれた兵が地面に転がる。阿鼻叫喚の地獄が展開された。
火。
火だ。
私を焼いた火が、こんなにも多く囲んでいる。
「いやあああああああ!」
誰かの叫び声。
いや、違う。私だ。
私の叫びが、世界を揺るがす。
違う、これは地響き。多くの人が大地を揺るがす音。
「て、敵襲!」
「なんだと!? くっ、謀られたか! ええい、退け! 退け!」
誰もがこの地獄から抜け出そうと、来た道を戻る。
私の馬も、何も命令していないのにそれに倣った。
火。怖い。ここから逃げられるならなんでもよかった。
馬が何かを踏んだ。
生肉かなと思った。味方の兵だった。
酷い事をしたと思ったけど、そんなこともすぐにどうでもいい。
とにかく逃げる。炎から1歩でも、1センチでも遠くに逃げる。今はそれだけがすべてだった。
すぐに明るく照らされた場所から夜闇に戻る。
ホッと胸をなでおろす。もうここにあの炎はない。だから安全。安心。問題ない。
心臓がありえないくらい激しく胸を打ってる。うるさい。でも生きてる。それを感じる。
だがその時、前方から悲鳴が聞こえた。
先に逃げ出した味方の悲鳴。
「前方に敵! ……ビンゴ軍です!」
「おのれぇ! ビンゴの雑魚どもがぁ! おい貴様、なんとかせんか! 我先に逃げおって!」
え、私?
私が、先に、逃げた?
何を言っているのか分からない。
私はただみんなに従っただけ。
炎が怖いから、一歩でも先に離れたかっただけ。
「ええい、早くしないと死ぬぞ!」
死ぬ。
それは嫌だ。
さっきまでは死んでもいいと思ってたのに、なんて現金。
それでもあの子。
明彦くんを感じさせたあの少女のことを思うと、そんなことも言っていられない。
彼女が明彦くんならこんなところで死んでられない。
だからここでは生きなくちゃ。
生きるためには、戦わなくちゃ。
あぁありがとう女神様。
こんな時に生き残る力を与えてくれて。
この世界で生きるための目的を与えてくれて。
まぁちょっと気持ち悪くなるけど、それは罰だから。人様の命を奪って生き延びる罰だから。
それもしょうがないこと。
だから――
「……『収乱斬獲祭』」
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思い込みの力で、主人公補正を自分のものにしていく勇者!
ざまぁフラグなんて知りません!
これは、自分のことを主人公だと信じて疑わない、勘違いした勇者の無双冒険譚。
・本来の主人公は荷物持ち
・主人公は追放する側の勇者に転生
・ざまぁフラグを無自覚回避して無双するお話です
・パーティー追放ものの逆側の話
※カクヨム、ハーメルンにて掲載
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
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(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
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