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第1錠
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「佐野! お前、社会人何年目だよ!?」
耐え難い怒号が真正面から飛んでくる。申し訳ございません、と口にしながらも心にはぎゅっと蓋をしている。そうしないと、ひびだらけの心がすぐに粉々に割れてしまいそうだから。
「なんで俺の言ってることができないんだよ」
「それは……」
「言い訳はいい。お前の口から出てくる言葉なんてどうせろくでもないからな」
なにか言おうとしたが、すぐに口を閉じる。込み上げてきた吐き気を、なんとかやり過ごす。怒鳴られている時はいつもそうだ。気持ち悪さが抜けない。
周りの社員たちはなにも言わないが、ちらちらとこちらを気にしている様子がわかる。背中にちりちりとした視線を感じるから。
そんなに見るなら、誰か助けてくれたらいいのに。
そう叫びたいが、そんなことをしたってなんの解決にもならないことはわかっている。怒りの矛先が、ストレスの捌け口が、たまたま自分に向いているだけ。そんなこともわかりきっている。しかしだからといって、我慢できるものでもない。
それからも怒号と小言をいくつか受け取って、佐野純平は自分の席に戻った。隣に座っている後輩の宮田が小さな声で「大丈夫ですか?」と尋ねてくる。大丈夫なわけがあるか、と思いながらも曖昧にうなずく。
ちらりとデスクの端を見れば書類の山。終業時間は迫っているが、仕事は山のようにある。今日も残業だ。あの怒ることしか能のない上司、上山にはさっさと帰ってほしいが、あの様子ではタバコ休憩などを繰り返して終業時間後も居座る気だろう。
上山が直属の上司になってから、労働環境は一気に悪化した。元々、仕事の量は多いほうではあったがそこに加えて上山からの無理難題が降りかかる。終電を過ぎることも多く、身体も心も常に限界を訴えていた。
それでも純平の中に「仕事を辞める」という選択肢はない。社会人になって六年目。同期の数は減り、転職や退職をしていく社員を多く見てきた。この環境から抜け出したことへの憧れはあるが、自分には勇気がない。新しい環境に飛び込んでいくことが怖いのだ。だから多少無理をしてでも、今の環境にしがみついているしかない。
定時で帰り支度をはじめた宮田に仕事を振ることもできず、純平は黙々と書類の山と向き合った。多くは発注処理の確認作業だ。すこし離れた位置のデスクに座っている上山のことは考えないことにする。
明日の会議の資料も印刷しておかなければならない。そう思い立って立ち上がると、ぐらりとめまいがした。デスクの端に手をついて視界がぐるぐると回るのをこらえる。しばらくぎゅっと目を閉じていると頭の中の揺れも落ち着いたようで動けるようになった。
ここ最近、こんなことの繰り返しだ。どうにも身体の調子が悪い。しかし休むことはできない。休んだら、また上山になにを言われるかわかったものではない。
◇ ◇ ◇
「疲れた……」
玄関に入って鍵を閉めるなり、純平はどっと座り込んで零した。時刻はすでに深夜を迎えている。
コンビニの袋を携え、重たい身体を引きずってなんとかワンルームに身体を滑り込ませる。ここのところ、自炊はしていない。というか自炊をする気力も時間もない。
見たくもないテレビをつけて、スーツ姿のままもそもそとコンビニ弁当を頬張る。一体、自分はいつまでこんな生活を続けるつもりなのか。転勤してきたばかりの上山が他の営業所へ行くにはあと数年はあるだろう。もしかしたら定年まで居座っているかもしれない。
スーツを脱ぎ捨て、浴室で熱いシャワーを浴びる。身体はクタクタなのに、心はちっとも休まっていないことを感じる。髪の毛を乾かした後、ルーティンのように缶ビールを一本だけ飲んだ。
SNSをチェックする気力すらなく、ベッドに潜り込む。仕事で疲れ切った身体を回復させるためには寝るしかないはずなのに、身体は疲れ切っているのに、まったく眠気がやってこない。
最近はいつもこうだ。寝ようと思っても眠れない。眠れないまま明け方になって、カーテンの隙間からぼんやりと朝日が差し込んでくるのを確認して、スマホのアラームが鳴って、ずるずるとベッドから這い出す。
一睡もできないことが当たり前になりつつあった。どうにかしないといけないという気持ちはある。気持ちはあるだけで、行動に移す時間はない。
そうしてまた迎えたくもない一日を迎えて、重たい身体を引きずって出社する。見たくもない上山の顔を見て、朝から一発、小言をもらう。
遅れて出社してきた宮田が、純平の顔をまじまじと見てから顔を寄せてきた。
「先輩、疲れてます?」
肌荒れひとつない、つやつやとした丸顔を見ながら純平はため息をついた。
「疲れてないように見えるか?」
つい、棘のあるような言い方になってしまう。後輩には優しく接しようと思っているのに、それができない。心の余裕がない。
「いや、なんというか……」
宮田はちらりとこちらを見てから、大層気の毒そうに言った。
「病院とか、行ったほうがいいんじゃないすかね。顔色が土みたいだし、目の下、隈で真っ黒ですよ」
耐え難い怒号が真正面から飛んでくる。申し訳ございません、と口にしながらも心にはぎゅっと蓋をしている。そうしないと、ひびだらけの心がすぐに粉々に割れてしまいそうだから。
「なんで俺の言ってることができないんだよ」
「それは……」
「言い訳はいい。お前の口から出てくる言葉なんてどうせろくでもないからな」
なにか言おうとしたが、すぐに口を閉じる。込み上げてきた吐き気を、なんとかやり過ごす。怒鳴られている時はいつもそうだ。気持ち悪さが抜けない。
周りの社員たちはなにも言わないが、ちらちらとこちらを気にしている様子がわかる。背中にちりちりとした視線を感じるから。
そんなに見るなら、誰か助けてくれたらいいのに。
そう叫びたいが、そんなことをしたってなんの解決にもならないことはわかっている。怒りの矛先が、ストレスの捌け口が、たまたま自分に向いているだけ。そんなこともわかりきっている。しかしだからといって、我慢できるものでもない。
それからも怒号と小言をいくつか受け取って、佐野純平は自分の席に戻った。隣に座っている後輩の宮田が小さな声で「大丈夫ですか?」と尋ねてくる。大丈夫なわけがあるか、と思いながらも曖昧にうなずく。
ちらりとデスクの端を見れば書類の山。終業時間は迫っているが、仕事は山のようにある。今日も残業だ。あの怒ることしか能のない上司、上山にはさっさと帰ってほしいが、あの様子ではタバコ休憩などを繰り返して終業時間後も居座る気だろう。
上山が直属の上司になってから、労働環境は一気に悪化した。元々、仕事の量は多いほうではあったがそこに加えて上山からの無理難題が降りかかる。終電を過ぎることも多く、身体も心も常に限界を訴えていた。
それでも純平の中に「仕事を辞める」という選択肢はない。社会人になって六年目。同期の数は減り、転職や退職をしていく社員を多く見てきた。この環境から抜け出したことへの憧れはあるが、自分には勇気がない。新しい環境に飛び込んでいくことが怖いのだ。だから多少無理をしてでも、今の環境にしがみついているしかない。
定時で帰り支度をはじめた宮田に仕事を振ることもできず、純平は黙々と書類の山と向き合った。多くは発注処理の確認作業だ。すこし離れた位置のデスクに座っている上山のことは考えないことにする。
明日の会議の資料も印刷しておかなければならない。そう思い立って立ち上がると、ぐらりとめまいがした。デスクの端に手をついて視界がぐるぐると回るのをこらえる。しばらくぎゅっと目を閉じていると頭の中の揺れも落ち着いたようで動けるようになった。
ここ最近、こんなことの繰り返しだ。どうにも身体の調子が悪い。しかし休むことはできない。休んだら、また上山になにを言われるかわかったものではない。
◇ ◇ ◇
「疲れた……」
玄関に入って鍵を閉めるなり、純平はどっと座り込んで零した。時刻はすでに深夜を迎えている。
コンビニの袋を携え、重たい身体を引きずってなんとかワンルームに身体を滑り込ませる。ここのところ、自炊はしていない。というか自炊をする気力も時間もない。
見たくもないテレビをつけて、スーツ姿のままもそもそとコンビニ弁当を頬張る。一体、自分はいつまでこんな生活を続けるつもりなのか。転勤してきたばかりの上山が他の営業所へ行くにはあと数年はあるだろう。もしかしたら定年まで居座っているかもしれない。
スーツを脱ぎ捨て、浴室で熱いシャワーを浴びる。身体はクタクタなのに、心はちっとも休まっていないことを感じる。髪の毛を乾かした後、ルーティンのように缶ビールを一本だけ飲んだ。
SNSをチェックする気力すらなく、ベッドに潜り込む。仕事で疲れ切った身体を回復させるためには寝るしかないはずなのに、身体は疲れ切っているのに、まったく眠気がやってこない。
最近はいつもこうだ。寝ようと思っても眠れない。眠れないまま明け方になって、カーテンの隙間からぼんやりと朝日が差し込んでくるのを確認して、スマホのアラームが鳴って、ずるずるとベッドから這い出す。
一睡もできないことが当たり前になりつつあった。どうにかしないといけないという気持ちはある。気持ちはあるだけで、行動に移す時間はない。
そうしてまた迎えたくもない一日を迎えて、重たい身体を引きずって出社する。見たくもない上山の顔を見て、朝から一発、小言をもらう。
遅れて出社してきた宮田が、純平の顔をまじまじと見てから顔を寄せてきた。
「先輩、疲れてます?」
肌荒れひとつない、つやつやとした丸顔を見ながら純平はため息をついた。
「疲れてないように見えるか?」
つい、棘のあるような言い方になってしまう。後輩には優しく接しようと思っているのに、それができない。心の余裕がない。
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