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第11錠
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もう二度と会うことはない。卒業式の日に告げられたあの言葉は、今も心の奥深いところに刺さったまま抜けないでいる。
サッカー仲間と飲んだ帰り、水瀬は見知った背中を見つけた。すこし猫背気味で、自信がないように丸まっている背中。疲れが溜まっているように見える横顔。そして彼の隣にいる――見知らぬ男。
水瀬が知らないその男は親しげに純平の肩を叩いて、離れていった。純平がその背中を見送っている。彼とはどういう関係なのだろう? 純平は最近、薬局に来ていない。不眠症は治ったのだろうか?
気がつけば足が勝手に彼のほうへ踏み出していた。関わるべきじゃないのに。そう思いながら何通かメッセージを送ったこともあった。一度も返信は来なかったけれど。
くるりと振り向いた純平が、自分の顔を見て驚いた表情を作る。はじめて薬局に来た時のように、目の下には濃い隈があって、寝ていないのだとわかる。水瀬はずんずんと距離を詰めると、純平の手を取った。
「今の男の人、誰です?」
自分でも予想外なほど、厳しい声が出た。詰問したかったわけじゃない。ただ、世間話のようにはじめたらよかったのに、加減ができなかった。掴んだ手首はひんやりと冷たい。彼の口がゆっくりと動き、自分の名前を呼んだ。
「あいつは、会社の元同期で――」
「どういう関係ですか?」
止めないといけないことはわかっている。こんな尋問みたいなやり方、よくないって。でも、止められない。純平の瞳が困ったように揺れる。
「どういうって……元同期以外の、何物でも」
「付き合っているわけではない?」
思い切って尋ねると、純平は大きく目を見開いた。まさかそんなこと聞かれると思わなかったのだろう。
「まさか。明石は結婚してるし、子どももいますよ」
掴んでいた手首を離した。ぎゅっと目を閉じ、頭の中を巣食う想像を振り払う。なんてことはない。大丈夫。自分はまだ正常だ。
「水瀬さん……?」
心配そうに純平に声をかけられ、水瀬は顔を上げた。
「すみません、突然色々聞いて」
純平の手首に触れていた手のひらが熱い。心地いい酔いはすっかり覚めていた。
「あの……」
純平が控えめに声をかけてくる。まだ自分と向き合ってくれていることが嬉しかった。
言うなら今しかない。
「佐野さんに、話があるんです」
◇ ◇ ◇
水瀬がミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、純平はぺこりと頭を下げて中身を数口飲んだ。
話がしたいから自分の家に来てほしい、という願いを純平はあっさり受け入れてくれた。その純平は今、ソファの上で落ち着かなさそうに辺りを見回している。
水瀬は自分の分のペットボトルも冷蔵庫から取り出すと、あえてソファとは離れた床に座った。余計なことで、純平を怖がらせたくなかった。
時刻はすでに二十三時を回っている。しかし純平は疲れた様子は見せているものの、眠そうな気配はない。酒を飲んだと言っていたが、飲んでも眠気は来ないらしい。
「不眠は治ったんですか」
水瀬は言葉を選んで、慎重に切り出した。本当はどうして薬局に来なくなったのか、と尋ねたかったが聞けなかった。
純平が力なく首を振る。
「ここ二週間ほど、ろくに寝ていません。人間、限界になったら寝れると思ったんですけど――」
「俺が原因ですか」
「え?」
純平がきょとんとして、水瀬を見る。
「俺があんなこと言ったから、病院通うのもやめて、薬局にも来なくなったんですか」
沈黙。純平は言葉に迷うように、顔をうつむけている。
もどかしかった。今すぐ近づいていって、その身体を腕の中に収めたかった。好きだと伝えたかった。薬局に来なかった二週間、純平のことを考えなかった日はないと言いたかった。
純平はやがてゆっくりと顔を上げ、ゆるゆると首を振った。
「水瀬さんのことは関係ありません。俺が弱かっただけです。副作用で薬を飲むのが怖くなって」
ペットボトルを傾ける、ちゃぽんとした音。水を飲み下すたび、上下に動く喉仏。一体自分はいつから、こんなにも純平のことを意識しはじめたのか。最初はただの、薬局に来た患者の一人だったはずなのに。
あの夜だ。あの夜が、すべてを変えてしまった。健忘に戸惑った純平が、自分を頼ってきたあの夜から――。
「佐野さん」
水瀬はペットボトルを床に置いて、立ち上がった。一歩ずつ踏みしめるようにして歩き、ソファのすぐそばまで行く。純平は動かなかった。ただそこに座って、自分の顔を見上げている。
しばらく迷って、手を伸ばした。ソファの背もたれに手をつく。純平に顔を近づける。彼はまだ動かない。ぼんやりとした目に、思い詰めたような自分の顔が映っている。
「俺、佐野さんのことが好きです」
わかっている。過去の傷を癒やしたいだけだ。二度と会うことはないと言われたあの日を、上書きしたいだけ。なにも言えないまま、純平とまた会えなくなるのは耐え難かったから。
純平が息を吸い込み、静かにまばたきをした。すくなくとも今すぐに拒絶の意思を示したわけではないように見える。彼はまだそこを動かない。
乾いた唇を舐めて、純平が一言だけ発した。
「すこし、考えさせてください」
サッカー仲間と飲んだ帰り、水瀬は見知った背中を見つけた。すこし猫背気味で、自信がないように丸まっている背中。疲れが溜まっているように見える横顔。そして彼の隣にいる――見知らぬ男。
水瀬が知らないその男は親しげに純平の肩を叩いて、離れていった。純平がその背中を見送っている。彼とはどういう関係なのだろう? 純平は最近、薬局に来ていない。不眠症は治ったのだろうか?
気がつけば足が勝手に彼のほうへ踏み出していた。関わるべきじゃないのに。そう思いながら何通かメッセージを送ったこともあった。一度も返信は来なかったけれど。
くるりと振り向いた純平が、自分の顔を見て驚いた表情を作る。はじめて薬局に来た時のように、目の下には濃い隈があって、寝ていないのだとわかる。水瀬はずんずんと距離を詰めると、純平の手を取った。
「今の男の人、誰です?」
自分でも予想外なほど、厳しい声が出た。詰問したかったわけじゃない。ただ、世間話のようにはじめたらよかったのに、加減ができなかった。掴んだ手首はひんやりと冷たい。彼の口がゆっくりと動き、自分の名前を呼んだ。
「あいつは、会社の元同期で――」
「どういう関係ですか?」
止めないといけないことはわかっている。こんな尋問みたいなやり方、よくないって。でも、止められない。純平の瞳が困ったように揺れる。
「どういうって……元同期以外の、何物でも」
「付き合っているわけではない?」
思い切って尋ねると、純平は大きく目を見開いた。まさかそんなこと聞かれると思わなかったのだろう。
「まさか。明石は結婚してるし、子どももいますよ」
掴んでいた手首を離した。ぎゅっと目を閉じ、頭の中を巣食う想像を振り払う。なんてことはない。大丈夫。自分はまだ正常だ。
「水瀬さん……?」
心配そうに純平に声をかけられ、水瀬は顔を上げた。
「すみません、突然色々聞いて」
純平の手首に触れていた手のひらが熱い。心地いい酔いはすっかり覚めていた。
「あの……」
純平が控えめに声をかけてくる。まだ自分と向き合ってくれていることが嬉しかった。
言うなら今しかない。
「佐野さんに、話があるんです」
◇ ◇ ◇
水瀬がミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、純平はぺこりと頭を下げて中身を数口飲んだ。
話がしたいから自分の家に来てほしい、という願いを純平はあっさり受け入れてくれた。その純平は今、ソファの上で落ち着かなさそうに辺りを見回している。
水瀬は自分の分のペットボトルも冷蔵庫から取り出すと、あえてソファとは離れた床に座った。余計なことで、純平を怖がらせたくなかった。
時刻はすでに二十三時を回っている。しかし純平は疲れた様子は見せているものの、眠そうな気配はない。酒を飲んだと言っていたが、飲んでも眠気は来ないらしい。
「不眠は治ったんですか」
水瀬は言葉を選んで、慎重に切り出した。本当はどうして薬局に来なくなったのか、と尋ねたかったが聞けなかった。
純平が力なく首を振る。
「ここ二週間ほど、ろくに寝ていません。人間、限界になったら寝れると思ったんですけど――」
「俺が原因ですか」
「え?」
純平がきょとんとして、水瀬を見る。
「俺があんなこと言ったから、病院通うのもやめて、薬局にも来なくなったんですか」
沈黙。純平は言葉に迷うように、顔をうつむけている。
もどかしかった。今すぐ近づいていって、その身体を腕の中に収めたかった。好きだと伝えたかった。薬局に来なかった二週間、純平のことを考えなかった日はないと言いたかった。
純平はやがてゆっくりと顔を上げ、ゆるゆると首を振った。
「水瀬さんのことは関係ありません。俺が弱かっただけです。副作用で薬を飲むのが怖くなって」
ペットボトルを傾ける、ちゃぽんとした音。水を飲み下すたび、上下に動く喉仏。一体自分はいつから、こんなにも純平のことを意識しはじめたのか。最初はただの、薬局に来た患者の一人だったはずなのに。
あの夜だ。あの夜が、すべてを変えてしまった。健忘に戸惑った純平が、自分を頼ってきたあの夜から――。
「佐野さん」
水瀬はペットボトルを床に置いて、立ち上がった。一歩ずつ踏みしめるようにして歩き、ソファのすぐそばまで行く。純平は動かなかった。ただそこに座って、自分の顔を見上げている。
しばらく迷って、手を伸ばした。ソファの背もたれに手をつく。純平に顔を近づける。彼はまだ動かない。ぼんやりとした目に、思い詰めたような自分の顔が映っている。
「俺、佐野さんのことが好きです」
わかっている。過去の傷を癒やしたいだけだ。二度と会うことはないと言われたあの日を、上書きしたいだけ。なにも言えないまま、純平とまた会えなくなるのは耐え難かったから。
純平が息を吸い込み、静かにまばたきをした。すくなくとも今すぐに拒絶の意思を示したわけではないように見える。彼はまだそこを動かない。
乾いた唇を舐めて、純平が一言だけ発した。
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