【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい

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第10錠

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 真っ暗な部屋で何度も寝返りを打つ。ベッドに入ってから何時間経っただろうか。カーテンの隙間から差し込む明かりが、すこしずつ明るくなっている気がする。
 薬を飲まなくなってから二週間。純平は薬を飲まないだけでなく、通院もやめた。健忘の副作用であれだけ水瀬に迷惑をかけてしまってからというもの、たとえ別の薬だとしても「薬を飲む」という行為自体が怖くなってしまっていた。

 けれど、症状が改善したから通院をやめたわけではない。当然、薬がないと純平は一睡もできなかった。三、四日寝ずに過ごすとたまにウトウトすることはできるが、それまで。しっかり朝までぐっすり、というのはここ薬をやめてから経験していない。
 ベッドの中でじっとしているのも限界で、純平は暗がりの中スマホを開いた。通知が一件、表示されている。純平は通知をタップし、メッセージを開いた。

『近々、会えないか? 佐野に話があって』

 メッセージの送り主はかつての同期、明石あかしだった。
 明石とは同期入社で、同じ部署で働いていたが数年前に彼は佐野を残して退職した。会社に不満があるわけではないとは言っていたが、退職するくらいなのだからそれなりに抱えていたものがあったのだろう。今は自分で起業して社長をやっていると聞いている。
 またごろりと寝返りを打って、明石から来たメッセージを見る。最後に会ったのはいつだったか。彼が退職した後に一度、飲みに行ったことはあったかもしれないが一年ほどは連絡も途切れていた。

 純平はすこし考えてから「日程を決めよう」と返事をした。今さらなんの用があって連絡してきたのか、と思わなくもないが、久しぶりに会うのも気分転換になるかもしれないと思ったのだ。
 返信をして、スマホを閉じる。起床時間にはだいぶ早いが、それ以上ベッドにいることもできなくて純平はゆっくりと起き上がった。
 キッチンの明かりだけをつけて、コーヒーを淹れる。精神を落ち着かせるその匂いが、水瀬の家で目覚めたあの日を思い起こさせる。
 水瀬はどういうつもりで、あんなメッセージを送ってきたのだろうか。


◇ ◇ ◇


「悪い、残業になって」

 予約した居酒屋に入るなり、純平は明石に謝った。約束の時間を二時間も過ぎている。定時で帰れるはずが、直前になって上山が膨大な仕事を押しつけてきた。自分がタバコ休憩を取りすぎて、処理しきれなかった分だ。

「気にするなよ。会社勤めなら残業なんてよくあることだろ」

 明石はすでに一人で飲んでいたようで、テーブルにはビールのグラスやいくつかのおつまみが並んでいる。
 純平はスーツの上着を脱ぐと彼の向かいに腰かけ、すこし迷ってからやってきた店員に生ビールを注文した。薬を飲んでいた頃は酒も控えていたが、今は薬は飲んでいない。酒を控える必要もないということだ。
 届いたビールで乾杯し、とりとめもない話をする。上司との相性が悪い、と言った時、明石は眉をひそめた。

「それでお前、そんな死にそうな顔してるのか?」
「え?」
「佐野、毎朝鏡見てるか? 死人みたいな顔してるぞ」

 明石に言われ、無意識に両手で顔を拭う。そんなひどい顔をしているだろうか。毎朝、髭を剃るために洗面台で鏡は見ているが、自分ではひどい顔だと思ったことはない。すこし寝不足が滲んでいる、と思ったくらいだ。
 ビールを傾けてから、明石は居住まいを正した。ようやく本題に入るらしい。

「佐野、今の会社を辞めてうちに来る気はないか」

 枝豆に伸ばしかけていた手が止まる。

「会社を辞める?」
「そうだ。俺が起業したのは知ってるだろ? 要は引き抜きだよ。俺はお前と一緒に仕事がしたい」

 突然の展開に、純平はしばらく口を閉ざした。なんと言ったらいいか、返事の一言すら浮かばなかったから。
 会社を辞めるというのは魅力的な提案だ。あのパワハラ上司から離れられたら、自分の不眠症も解消するんじゃないかと思っている。しかし――。

「佐野が考えてることもわかる。せっかく大手に入ったのに、この歳で辞めてベンチャーに転職するのが怖いんだろ?」

 純平は素直にうなずいた。明石の言う通りだ。明石には悪いが、彼の会社はまだ安定しているとは言いづらい。一緒に仕事がしたいと誘ってくれたのは嬉しいが、転職するには不安が残るというのも正直なところだ。
 それに今の会社での不満は上司についてだけである。上山さえいなくなってくれたら、純平はまた以前のように働けるのだ。
 今のキャリアを捨てて明石についていくか。上山が営業所を離れるまでの辛抱だと思って耐えるか。

「……ちょっと、考えさせてくれ」

 純平は絞り出すように言った。

「当たり前だ。いくらだって考えてくれていい」

 その後はお互いにぼちぼちと仕事の話をした後、自然と会計を済ませて居酒屋を出た。酒を飲んで火照った身体に夜風が気持ちいい。今日は眠れるかもしれない。酒が入って、思考が若干ふわふわとしている。

「じゃあ、引き抜きの話。考えといてくれよ」

 そう言って、明石は純平とは反対方向の駅に向かって歩き出して行った。その背中を見送り、純平も家に帰ろうと振り返る。

「――佐野さん」

 急に目の前に現れた人物に、純平は慌てて足を止めた。
 白衣を着ていない、ラフな格好をした水瀬が立っている。仕事終わりなのか、はたまた休日だったのか、耳にはいくつものピアスがついていて、薬局で会うのとはちがう雰囲気だ。
 水瀬は大股で距離を詰めてくると、純平の手を取った。怒っているのかもしれない、と思った。この頃、純平は薬局にも行っていないし、水瀬から届くメッセージをすべて無視していたから。
 街灯の明かりを受けて茶色の瞳がきらめく。染め直したのか、前よりすこし明るくなった茶髪が夜風に揺れた。

「今の男の人、誰です?」
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