29 / 38
5章(5)
しおりを挟む
どうして、という編集者の声を、しずくは視線で打ち切った。
「何度も言わせないでもらえます? 野々みどりに書いてもらう。この点を譲るつもりはありません」
編集者は、まだなにか言いたげにしずくに視線を寄越した。当のしずくはそっぽを向いて、編集部の壁に貼られたポスターや、忙しなくフロアを行き交う社員たちを眺めている。
「野々先生のどこがいいのです? 彼は夢見先生とちがって、実績もない。一作出しただけで終わった作家でしょう」
「一作出しただけで終わった作家にしたのは、あなたがたのほうじゃなくって?」
編集者が黙り込んだ。しずくが視線を戻すと、顔を伏せる。自覚はあるということだ。
「わたくしの現役中学生……高校生という点に商機を見出して、あなたがたはわたくしにばかり原稿を書かせた。野々先生だって、わたくしと同じ年の受賞者だというのに、あなたがたは彼を蔑ろにした。ちがう?」
「それは……僕たちも、商売ですから。売れる人に書いてほしいとお願いすることは、悪いことでは――」
「野々先生のデビュー作は決して売れなかったわけじゃない」
しずくは静かに言い切った。前の担当編集からも聞いていた話だ。しずくの本を大々的に売るため、同時期に出版する碧のデビュー作はかなり初版の部数を絞った、と。
碧は味方だと思っていた編集部に裏切られたも同然だった。よくやったほうだと思う。しずくの話題性にも負けず、彼のデビュー作はすくなくとも初版部数をすべて売りきったのだから。
すぐに増刷をしなかったのは、編集部の意向だ。増刷がされていれば、碧のデビュー作はもっと売れた。きっと二作目のオファーもすぐに来た。碧からすべての可能性を断ち切ったのは編集部だ。
「今回の連載を野々先生に書かせないのなら……わたくし、次の原稿は別の出版社へ持っていきます」
「そんな……! ちょっと待ってください!」
「待ちません。自分たちがなにをやってきたか、自覚はあるのでしょう?」
しずくはカップに残った紅茶には目もくれず、席を立ち上がった。
碧に対して、負い目がある。そのことを自覚したのは、自身の二作目が出版された時だった。もし自分が碧の立場だったら――しずくのことを恨むだろう。あいつさえいなければ、自分の本はもっと売れたはず。そう思うだろう。
けれど、碧はしずくが想像していたよりもずっと強かった。しずくが着々と新刊を出し続ける間にも、彼は二作目を出そうと担当編集に企画書やプロットを送り続けていた。編集部には、野々みどりの二作目を出す意向など、まるでなかったというのに。それを知らずに、碧はただひたむきに書き続けていた。
しずくはもう、出版業界で欲しいものを手に入れたと言ってもよかった。どんな本を出しても売れるし、サイン会を開けば毎度多くの人が行列を作ってくれる。発売前重版だって経験した。それでもしずくの中には、どこかそれらの功績はすべて碧から奪ったものだという意識が強かった。
「罪滅ぼし、かしら」
しずくが呟くと、キーボードを叩いていた碧が振り返った。出版社からまっすぐ碧を缶詰にしているホテルにやってきたしずくは、なんとか執筆に食らいついている碧の後ろ姿を眺めていた。
つい先日、碧がホテルから脱走した。行き先は自分の住むアパートだったようだ。書けないと音を上げてアパートに逃げ帰ったのかと思ったが、とっ捕まえて話を聞くと、碧はしきりに十束旭陽という青年に会いたいと繰り返した。隣の部屋に住む大学生らしい。
だからしずくはわざわざアパートまで出向いて、十束旭陽なる青年に釘を刺しておいた。本人はなんのことかわかっていないようにポカンとしていたけれど。もしかしたら目の前にいるのがあの作家の夢見しずくだということも知らなかったのかもしれない。
「僕はいつになったら、解放されるんだ……」
「言ったでしょ。連載三回分の原稿が完成したらよ」
碧はもう限界だというように手を止めた。そして大きく伸びをしてから、ベッドの端に腰かけているしずくを見る。
「君は執筆中、迷ったことはないのか? 常に自分の書いているものが世界で一番面白いと自信があるのか?」
「あるわけないじゃない、そんなもの」
しずくは鼻で笑った。自分の小説に自信があるのなら、わざわざこんな格好はしていないし、編集部が現役女子中学生作家で売りたいと言った時も反対しただろう。話題性で固めているのは、自分の作品に自信がないことの現れだ。筆一本で勝負している碧とは、大違いなことくらい自分が一番よく自覚している。
「ねぇ、野々先生」
天井を振り仰ぐ碧に声をかけた。疲労で充血した目を見ても、可哀想だとは思わない。彼ならもっとやれるはず。自分なんかより、面白い話が書けるはず。
「わたくし、あなたには期待しているのよ。デビューした時から、ずっと」
「そりゃ、どうも」
「本当よ。受賞作を読んだ時……あなたに負けたって思ったんだから」
碧はもうなにも言わなかった。細い指で目頭を揉んで、またパソコンの画面にかじりつくのを、しずくは黙って見ていた。
「何度も言わせないでもらえます? 野々みどりに書いてもらう。この点を譲るつもりはありません」
編集者は、まだなにか言いたげにしずくに視線を寄越した。当のしずくはそっぽを向いて、編集部の壁に貼られたポスターや、忙しなくフロアを行き交う社員たちを眺めている。
「野々先生のどこがいいのです? 彼は夢見先生とちがって、実績もない。一作出しただけで終わった作家でしょう」
「一作出しただけで終わった作家にしたのは、あなたがたのほうじゃなくって?」
編集者が黙り込んだ。しずくが視線を戻すと、顔を伏せる。自覚はあるということだ。
「わたくしの現役中学生……高校生という点に商機を見出して、あなたがたはわたくしにばかり原稿を書かせた。野々先生だって、わたくしと同じ年の受賞者だというのに、あなたがたは彼を蔑ろにした。ちがう?」
「それは……僕たちも、商売ですから。売れる人に書いてほしいとお願いすることは、悪いことでは――」
「野々先生のデビュー作は決して売れなかったわけじゃない」
しずくは静かに言い切った。前の担当編集からも聞いていた話だ。しずくの本を大々的に売るため、同時期に出版する碧のデビュー作はかなり初版の部数を絞った、と。
碧は味方だと思っていた編集部に裏切られたも同然だった。よくやったほうだと思う。しずくの話題性にも負けず、彼のデビュー作はすくなくとも初版部数をすべて売りきったのだから。
すぐに増刷をしなかったのは、編集部の意向だ。増刷がされていれば、碧のデビュー作はもっと売れた。きっと二作目のオファーもすぐに来た。碧からすべての可能性を断ち切ったのは編集部だ。
「今回の連載を野々先生に書かせないのなら……わたくし、次の原稿は別の出版社へ持っていきます」
「そんな……! ちょっと待ってください!」
「待ちません。自分たちがなにをやってきたか、自覚はあるのでしょう?」
しずくはカップに残った紅茶には目もくれず、席を立ち上がった。
碧に対して、負い目がある。そのことを自覚したのは、自身の二作目が出版された時だった。もし自分が碧の立場だったら――しずくのことを恨むだろう。あいつさえいなければ、自分の本はもっと売れたはず。そう思うだろう。
けれど、碧はしずくが想像していたよりもずっと強かった。しずくが着々と新刊を出し続ける間にも、彼は二作目を出そうと担当編集に企画書やプロットを送り続けていた。編集部には、野々みどりの二作目を出す意向など、まるでなかったというのに。それを知らずに、碧はただひたむきに書き続けていた。
しずくはもう、出版業界で欲しいものを手に入れたと言ってもよかった。どんな本を出しても売れるし、サイン会を開けば毎度多くの人が行列を作ってくれる。発売前重版だって経験した。それでもしずくの中には、どこかそれらの功績はすべて碧から奪ったものだという意識が強かった。
「罪滅ぼし、かしら」
しずくが呟くと、キーボードを叩いていた碧が振り返った。出版社からまっすぐ碧を缶詰にしているホテルにやってきたしずくは、なんとか執筆に食らいついている碧の後ろ姿を眺めていた。
つい先日、碧がホテルから脱走した。行き先は自分の住むアパートだったようだ。書けないと音を上げてアパートに逃げ帰ったのかと思ったが、とっ捕まえて話を聞くと、碧はしきりに十束旭陽という青年に会いたいと繰り返した。隣の部屋に住む大学生らしい。
だからしずくはわざわざアパートまで出向いて、十束旭陽なる青年に釘を刺しておいた。本人はなんのことかわかっていないようにポカンとしていたけれど。もしかしたら目の前にいるのがあの作家の夢見しずくだということも知らなかったのかもしれない。
「僕はいつになったら、解放されるんだ……」
「言ったでしょ。連載三回分の原稿が完成したらよ」
碧はもう限界だというように手を止めた。そして大きく伸びをしてから、ベッドの端に腰かけているしずくを見る。
「君は執筆中、迷ったことはないのか? 常に自分の書いているものが世界で一番面白いと自信があるのか?」
「あるわけないじゃない、そんなもの」
しずくは鼻で笑った。自分の小説に自信があるのなら、わざわざこんな格好はしていないし、編集部が現役女子中学生作家で売りたいと言った時も反対しただろう。話題性で固めているのは、自分の作品に自信がないことの現れだ。筆一本で勝負している碧とは、大違いなことくらい自分が一番よく自覚している。
「ねぇ、野々先生」
天井を振り仰ぐ碧に声をかけた。疲労で充血した目を見ても、可哀想だとは思わない。彼ならもっとやれるはず。自分なんかより、面白い話が書けるはず。
「わたくし、あなたには期待しているのよ。デビューした時から、ずっと」
「そりゃ、どうも」
「本当よ。受賞作を読んだ時……あなたに負けたって思ったんだから」
碧はもうなにも言わなかった。細い指で目頭を揉んで、またパソコンの画面にかじりつくのを、しずくは黙って見ていた。
1
あなたにおすすめの小説
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
本気になった幼なじみがメロすぎます!
文月あお
BL
同じマンションに住む年下の幼なじみ・玲央は、イケメンで、生意気だけど根はいいやつだし、とてもモテる。
俺は失恋するたびに「玲央みたいな男に生まれたかったなぁ」なんて思う。
いいなぁ玲央は。きっと俺より経験豊富なんだろうな――と、つい出来心で聞いてしまったんだ。
「やっぱ唇ってさ、やわらけーの?」
その軽率な質問が、俺と玲央の幼なじみライフを、まるっと変えてしまった。
「忘れないでよ、今日のこと」
「唯くんは俺の隣しかだめだから」
「なんで邪魔してたか、わかんねーの?」
俺と玲央は幼なじみで。男同士で。生まれたときからずっと一緒で。
俺の恋の相手は女の子のはずだし、玲央の恋の相手は、もっと素敵な人であるはずなのに。
「素数でも数えてなきゃ、俺はふつーにこうなんだよ、唯くんといたら」
そんな必死な顔で迫ってくんなよ……メロすぎんだろーが……!
【攻め】倉田玲央(高一)×【受け】五十嵐唯(高三)
初恋ミントラヴァーズ
卯藤ローレン
BL
私立の中高一貫校に通う八坂シオンは、乗り物酔いの激しい体質だ。
飛行機もバスも船も人力車もダメ、時々通学で使う電車でも酔う。
ある朝、学校の最寄り駅でしゃがみこんでいた彼は金髪の男子生徒に助けられる。
眼鏡をぶん投げていたため気がつかなかったし何なら存在自体も知らなかったのだが、それは学校一モテる男子、上森藍央だった(らしい)。
知り合いになれば不思議なもので、それまで面識がなかったことが嘘のように急速に距離を縮めるふたり。
藍央の優しいところに惹かれるシオンだけれど、優しいからこそその本心が掴みきれなくて。
でも想いは勝手に加速して……。
彩り豊かな学校生活と夏休みのイベントを通して、恋心は芽生え、弾んで、時にじれる。
果たしてふたりは、恋人になれるのか――?
/金髪顔整い×黒髪元気時々病弱/
じれたり悩んだりもするけれど、王道満載のウキウキハッピハッピハッピーBLです。
集まると『動物園』と称されるハイテンションな友人たちも登場して、基本騒がしい。
◆毎日2回更新。11時と20時◆
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
【完結】口遊むのはいつもブルージー 〜双子の兄に惚れている後輩から、弟の俺が迫られています〜
星寝むぎ
BL
お気に入りやハートを押してくださって本当にありがとうございます! 心から嬉しいです( ; ; )
――ただ幸せを願うことが美しい愛なら、これはみっともない恋だ――
“隠しごとありの年下イケメン攻め×双子の兄に劣等感を持つ年上受け”
音楽が好きで、SNSにひっそりと歌ってみた動画を投稿している桃輔。ある日、新入生から唐突な告白を受ける。学校説明会の時に一目惚れされたらしいが、出席した覚えはない。なるほど双子の兄のことか。人違いだと一蹴したが、その新入生・瀬名はめげずに毎日桃輔の元へやってくる。
イタズラ心で兄のことを隠した桃輔は、次第に瀬名と過ごす時間が楽しくなっていく――
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
「普通を探した彼の二年間の物語」
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる