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第5章 第十五次帝国戦役編
第361話 将の器
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「500かぁ」
アラタがアイザックと食事をした翌日、空を見上げながらエルモが呟いた。
彼の腰は馬が引く台車の荷台に置かれていて、ナチュラルにさぼる彼を取り締まるべくアーキムが近寄る。
また頭をはたかれるのは嫌だからと、エルモは荷台から降りて馬の用意を始めた。
そんなんなら最初っから準備をしろ、とアーキムは小言を溢す。
「なあアラタ、俺たちはまとめてどこかの砦に入るのか?」
「いや、分散するだろ」
「俺たちは?」
「知らね」
今度は彼も、何も知らない。
勝敗を決したあの激戦の後、アラタは部下たちに作戦の真実を打ち明けた。
勿論司令部の許可を取ったうえでの話である。
自分は部下である君たちを欺いた。
何もかも嘘で塗り固めて、その中で大勢死んでしまった。
初めから教えていれば、もっと違う結末もあったかもしれない。
もっと多くの人が生き残ったうえで、よりよい勝利を手にすることが出来たかもしれない。
しかし、自分は司令部の作戦に従って任務を押し通した。
すまなかった、そう彼は部下に頭を下げた。
「……まぁ、命令ならなぁ」
と、これはバートン・フリードマンの反応。
それに同調するアーキム。
残る面々も、反応に困りながら、まあそうだよなと返した。
やはり中隊の中でも気づく人は気づいていたらしい。
いつものアラタの行動原理や司令部との関わり方と若干の齟齬があったので、いつもとは違う程度の認識は初めから持たれていた。
その上で合理性を欠く指示の数々、わざと苦境に陥らせたことも1回だけではない。
それでも彼らが作戦指示に忠実に動いたのは、偏にアラタのおかげだろう。
途中不審がられたこともあったけれど、それでも彼の『俺についてこい』、『俺を信じろ』という嘘偽りない決意の言葉で、中隊諸君は勇敢に戦い抜いた。
人間、相手が嘘をついているかどうかなんて案外すぐにわかる。
状況証拠的に追い詰めることも出来るし、勘の一言で片づけることもある。
どちらの場合でも、やはり嘘をつく側に何らかの変化があることが起因とされる。
上官は何かを隠している、その上で自分たちは命を懸けて戦うことが出来るのか。
もしそこまでされても指揮官の命令に従って戦うことが出来るのなら、それは上官の器の大きさがそうさせたと言えるのかもしれない。
「301中隊、出発するぞ」
コートランド川の戦いに決着がついた数日後、アラタたち第301中隊を含む500名の兵士たちは、ミラ丘陵地帯戦に参加するために公国軍第1師団へと差し戻されることとなった。
「いやぁ、惜しいですなぁ」
「なんのことだ?」
「閣下のお気に入りの彼ですよ。確か今日ミラに向かって出発するんですよね?」
「そうだ。もう出ている頃だろう」
ブレア・ラトレイア中将は、緑色の布を張ったタープテントの下で、汗を拭いながらアイザックに話しかけた。
2人とも帯剣しているだけで、鎧は着ていない。
「貴官がアラタに同調するとは思っていなかったよ。てっきり恨んでいると思って余計な気を回して損した」
「……何のことです?」
「いや、いい」
「分からないんですよ。本当に何のことです?」
「大公選の折り、ラトレイア家に強制捜査という名の襲撃を行い、同家の権威を失墜させた実働部隊に彼もいたんだよ。知らなかったのか?」
特殊配達課から出奔し、同部隊が冒険者ギルドによって壊滅させられた後、アラタはクリスと2人で活動していた時期がある。
その代表的な事件が金眼の鷲殲滅戦。
ラトレイア家の私兵でやりたい放題をしている彼らを始末すると共に、同家の行ってきたウル帝国との癒着を明らかにした。
この一件で当主ビヨンド・ラトレイアは家督を譲り渡し、半分隠居状態にまで追い込まれている。
アイザックはラトレイア家とアラタとの確執を知っていたので、中将とアラタの間で変ないざこざが発生しないように今まで気を揉んできた。
だが、どうにも感触がおかしい。
忘れているのか、それとも知らなかったのか。
もし後者なら、余計な事を言ったかもしれないと今更後悔し始める。
しかし、その心配は不要だった。
「あー、なるほど。えぇ、知ってはいましたが、その上で恨んではおりませんよ」
しっかりと言質が取れたことで老将は胸を撫でおろす。
自分で余計な仕事を作ってしまったかと思ったから。
「我が家が不正に手を染めていたのは事実。それに私は貴族の不毛な争いが大嫌いですから。むしろせいせいしましたよ。私の家の中での発言力も強まるというもの」
「逞しいな」
「どうも。それに、私も彼には報われて欲しいですから」
ブレア中将は、ポケットからヒマワリの種を取り出して、それをおもむろに口に運んだ。
味が付いていると案外うまい。
彼がテーブルの上に適当に置いたので、アイザックもそれに手を付ける。
塩味の利いたヒマワリの種は、口が物淋しい時の相棒になる。
「なあ」
「はい?」
「やはり、アラタは軍には来ないのだろうか」
「どうでしょう。私はクレスト家が彼を離してくれるとは思えませんが」
「貴官はそれでいいと思っているのかね?」
「多分ですけど、閣下の考えていることをここで言うのは良くないですな。貴族の、それも大公の批判なんて」
「そんなつもりは無い。ただ、アラタは……」
「アラタ君は?」
「アラタに必要なのは、金でも名誉でもない。心を落ち着かせることのできる、帰るべき場所だ」
アイザックが種の殻を吐き捨てた。
彼が種1つ分の殻を吐き捨てるまでに、ブレア中将は5,6個食べている。
彼の前世はハムスターだったのではないかと思えてくるほど、ヒマワリの種を食べるのが速い。
そんな口をぴたりと止めて、中将は少し考えこんだ。
中央の覇権争いなんて犬も食わぬと静観していた彼にとって、アラタはつまらない戦いに巻き込まれた被害者だ。
実際のところ、アラタは自分の意志で戦いに身を投じていたのだから、ブレア中将の認識と現実の間には僅かな乖離があるものの、これはいいだろう。
中将も、アラタが戦うところは見たことがある。
悲しい戦い方だ。
とても剣を握ってから1年と少しの人間の動きではない。
生まれたときから殺しの英才教育を受けてきたと言われても納得できるほどの戦闘力。
青年を見て、中将は思った。
剣なんて早々に捨てて、田舎に引っ込んで誰かとくっついて、子育てと仕事に奮闘するくらいが彼には似合っていると。
いや、そんな平凡で幸せな人生を送ってほしいと願った。
そんな彼にこの戦局の重大局面を任せたのだから、彼ら司令部も若干の矛盾を抱えている。
どれも、致し方ない話だ。
「確かに、家に帰っても任務があれば心が休ますことはできませんね」
ブレア中将の言葉は、半ばクレスト家への批判とも取れる。
ノエル・クレストのお守りをさせるべきではない、彼には彼の人生があると。
彼自身が自分の現状をどう思っているかは分からないが、アイザック・アボット大将や第1師団のリーバイ・トランプ中佐が、軍隊に彼をスカウトしたのはあながち実利だけではないのかもしれない。
貴族の世界から軍の世界に引きずり込めば、違う世界を見せてあげられるという、彼らなりの優しさから来る誘いだったのだ。
世界は優しさと、厳しさと、誤解に満ちていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「良い匂いがする」
「やめてよ。あんたがそんなこと言う時って……」
アリソン・フェンリルの言葉は、ディラン・ウォーカーには届いていなかった。
千里を見通す彼の眼には、この先で行われている催し物がはっきりと見えている。
そしてアリソンのいう通り、『良い匂い』という言葉の指すところというのは、勿論食べ物の匂いのことではない。
中々に古い付き合いなだけあって、彼女はディランのことをよく分かっていた。
彼が目を輝かせるときは大抵何か良くないことが起こっている。
「……はぁ」
アンニュイな雰囲気を醸しながらついた溜息は、風と共に去っていった。
コートランド川の戦いで敗北した帝国軍は、立て直しのために川から40kmほど東へ後退していた。
元は2万いた兵士もいまや5千を僅かに上回る程度。
歴史を紐解いてみても、これほどの大敗北はそう多くない。
1万数千からなる公国軍2個師団を相手取るには、少し兵を減らし過ぎた。
それに加えて遠征という状況下、敵の補給とこちらの補給の難易度もコストも段違い。
早い話、もはやこの戦争はコストに見合う成果を獲得することが難しくなりつつあった。
もしここから奇跡的に帝国軍が勝利を収めたとして、どこまで公国内部に影響力を拡大することが出来るのだろうか。
東部? それともそのさらに一部?
どちらにせよ大差ない。
ただ、落とし前というものは必要であるからして、それを今ここでつけようとしていた。
「元司令官殿。かれこれもう1時間になりますが、みっともないのでいい加減ハッスルしてくれませんか」
イリノイ元帥は無言でエヴァラトルコヴィッチ中将を睨みつけた。
白装束に裸足、彼の前にはお膳立てされた短刀がある。
そして背後に立つのは首切り処刑人。
この時代、この場所、自刃は必ずしも一般的な作法ではなかった。
ただ、概念的に存在していたことは事実であり、このように大敗の責を取る形で自らの腹を割くということもあった。
馬からおろされ、着替えさせられ、こうして荒野のど真ん中で最期を言い渡されてから1時間と少し。
もはや味方は誰もおらず、彼が死ぬことは免れない。
では最後は潔く、華々しく、なんて振舞うことが出来るのは、一部の頭のねじが外れた人間だけだろう。
残るほとんどの良識と常識ある人間は、自分で自分の命を絶つ事なんて出来るはずもない。
それくらい、自分の命という物は重いのだ。
「いい加減飽きてきたな。閣下、軽くでもいいので少し皮膚を傷つけてください。あとは我々がやりますから」
「……貴様、ろくな死に方せんぞ」
「それはあなたの方だ。堂々と最期を飾るか、国に戻って斬首されるか、選んでください」
答えに詰まる元帥を尻目に、中将は少しイライラしてきた。
そう仕向けたのが自分であることに変わりはなくとも、こうももたつかれると首を刎ねたくもなる。
それでは望む形にならないので、こうして回りくどく手間をかけている。
「閣下、いい加減に——」
「面白そうなことをしているね! ね! 僕の言ったとおりだ!」
「はいはい。鬱陶しい」
赤髪。
赤色の瞳。
彫刻のように理想的な面構え。
ただものではないと誰もが分かるオーラ。
彼は、アラタも知る帝国人ディラン・ウォーカー。
「誰だ貴様」
「あ、あー…………」
ディランは自身の髪を触り、それから胸元をまさぐった。
そして取り出されたのは、一つのペンダント。
帝国宮廷武官のエンブレムである、剣と盾と杖を象った紋章。
一般兵ならいざ知らず、司令部付きの人間たちならそれを知らないはずがない。
ペンダントを出しただけで、周囲の反応が変わった。
アリソンはその様子を見ながら、小者だと周囲を見下した。
そんなもの無くても、この男の禍々しい存在感を理解できないなんて、もっとアンテナを高くして生きてほしいものだと嘆息する。
何はともあれ、存在証明は成った。
「宮廷の方がなぜ……」
「なぜって……戦いを求めて?」
「あ、はぁ、そうでしたね」
先ほどまであんなにイキっていたエヴァラトルコヴィッチもどこかぎこちない。
「それで? この状況は?」
「元帥閣下による自刃の儀式の最中です」
「あー……な・る・ほ・ど・ね……」
ディランは辺りを、特にイリノイのことを凝視した。
一通り観察し終えると、おもむろに、
「アリ、あとで謝っといて」
「あっ! 待っ——」
アリソンが杖を構える暇もなかった。
きょとんとした顔で彼の方を見ていたイリノイの首を、ディランは一刀のもとに刎ね飛ばした。
首は静かに斜めにずり落ちると、胴の隣に着地した。
呆気に取られてものも言えない。
まさにそんな様子だった。
ただ一人、ディランは血曇り一つない剣を収めると、イリノイの左手に短剣を握らせた。
それから白装束の前をはだけさせ、横一文字に切れ線を入れる。
「はい、終了。見事な最期でした」
イカれてやがる。
アリソンやその親衛隊を除く、元からこの司令部にいた人間たちは、一様にそう思った。
この男、戦闘力では測れない恐ろしさがあると、そう恐怖を刻み込むには十分すぎる出来事は、表向きイリノイ・テレピン元帥の自刃という形で闇に葬られたのだった。
アラタがアイザックと食事をした翌日、空を見上げながらエルモが呟いた。
彼の腰は馬が引く台車の荷台に置かれていて、ナチュラルにさぼる彼を取り締まるべくアーキムが近寄る。
また頭をはたかれるのは嫌だからと、エルモは荷台から降りて馬の用意を始めた。
そんなんなら最初っから準備をしろ、とアーキムは小言を溢す。
「なあアラタ、俺たちはまとめてどこかの砦に入るのか?」
「いや、分散するだろ」
「俺たちは?」
「知らね」
今度は彼も、何も知らない。
勝敗を決したあの激戦の後、アラタは部下たちに作戦の真実を打ち明けた。
勿論司令部の許可を取ったうえでの話である。
自分は部下である君たちを欺いた。
何もかも嘘で塗り固めて、その中で大勢死んでしまった。
初めから教えていれば、もっと違う結末もあったかもしれない。
もっと多くの人が生き残ったうえで、よりよい勝利を手にすることが出来たかもしれない。
しかし、自分は司令部の作戦に従って任務を押し通した。
すまなかった、そう彼は部下に頭を下げた。
「……まぁ、命令ならなぁ」
と、これはバートン・フリードマンの反応。
それに同調するアーキム。
残る面々も、反応に困りながら、まあそうだよなと返した。
やはり中隊の中でも気づく人は気づいていたらしい。
いつものアラタの行動原理や司令部との関わり方と若干の齟齬があったので、いつもとは違う程度の認識は初めから持たれていた。
その上で合理性を欠く指示の数々、わざと苦境に陥らせたことも1回だけではない。
それでも彼らが作戦指示に忠実に動いたのは、偏にアラタのおかげだろう。
途中不審がられたこともあったけれど、それでも彼の『俺についてこい』、『俺を信じろ』という嘘偽りない決意の言葉で、中隊諸君は勇敢に戦い抜いた。
人間、相手が嘘をついているかどうかなんて案外すぐにわかる。
状況証拠的に追い詰めることも出来るし、勘の一言で片づけることもある。
どちらの場合でも、やはり嘘をつく側に何らかの変化があることが起因とされる。
上官は何かを隠している、その上で自分たちは命を懸けて戦うことが出来るのか。
もしそこまでされても指揮官の命令に従って戦うことが出来るのなら、それは上官の器の大きさがそうさせたと言えるのかもしれない。
「301中隊、出発するぞ」
コートランド川の戦いに決着がついた数日後、アラタたち第301中隊を含む500名の兵士たちは、ミラ丘陵地帯戦に参加するために公国軍第1師団へと差し戻されることとなった。
「いやぁ、惜しいですなぁ」
「なんのことだ?」
「閣下のお気に入りの彼ですよ。確か今日ミラに向かって出発するんですよね?」
「そうだ。もう出ている頃だろう」
ブレア・ラトレイア中将は、緑色の布を張ったタープテントの下で、汗を拭いながらアイザックに話しかけた。
2人とも帯剣しているだけで、鎧は着ていない。
「貴官がアラタに同調するとは思っていなかったよ。てっきり恨んでいると思って余計な気を回して損した」
「……何のことです?」
「いや、いい」
「分からないんですよ。本当に何のことです?」
「大公選の折り、ラトレイア家に強制捜査という名の襲撃を行い、同家の権威を失墜させた実働部隊に彼もいたんだよ。知らなかったのか?」
特殊配達課から出奔し、同部隊が冒険者ギルドによって壊滅させられた後、アラタはクリスと2人で活動していた時期がある。
その代表的な事件が金眼の鷲殲滅戦。
ラトレイア家の私兵でやりたい放題をしている彼らを始末すると共に、同家の行ってきたウル帝国との癒着を明らかにした。
この一件で当主ビヨンド・ラトレイアは家督を譲り渡し、半分隠居状態にまで追い込まれている。
アイザックはラトレイア家とアラタとの確執を知っていたので、中将とアラタの間で変ないざこざが発生しないように今まで気を揉んできた。
だが、どうにも感触がおかしい。
忘れているのか、それとも知らなかったのか。
もし後者なら、余計な事を言ったかもしれないと今更後悔し始める。
しかし、その心配は不要だった。
「あー、なるほど。えぇ、知ってはいましたが、その上で恨んではおりませんよ」
しっかりと言質が取れたことで老将は胸を撫でおろす。
自分で余計な仕事を作ってしまったかと思ったから。
「我が家が不正に手を染めていたのは事実。それに私は貴族の不毛な争いが大嫌いですから。むしろせいせいしましたよ。私の家の中での発言力も強まるというもの」
「逞しいな」
「どうも。それに、私も彼には報われて欲しいですから」
ブレア中将は、ポケットからヒマワリの種を取り出して、それをおもむろに口に運んだ。
味が付いていると案外うまい。
彼がテーブルの上に適当に置いたので、アイザックもそれに手を付ける。
塩味の利いたヒマワリの種は、口が物淋しい時の相棒になる。
「なあ」
「はい?」
「やはり、アラタは軍には来ないのだろうか」
「どうでしょう。私はクレスト家が彼を離してくれるとは思えませんが」
「貴官はそれでいいと思っているのかね?」
「多分ですけど、閣下の考えていることをここで言うのは良くないですな。貴族の、それも大公の批判なんて」
「そんなつもりは無い。ただ、アラタは……」
「アラタ君は?」
「アラタに必要なのは、金でも名誉でもない。心を落ち着かせることのできる、帰るべき場所だ」
アイザックが種の殻を吐き捨てた。
彼が種1つ分の殻を吐き捨てるまでに、ブレア中将は5,6個食べている。
彼の前世はハムスターだったのではないかと思えてくるほど、ヒマワリの種を食べるのが速い。
そんな口をぴたりと止めて、中将は少し考えこんだ。
中央の覇権争いなんて犬も食わぬと静観していた彼にとって、アラタはつまらない戦いに巻き込まれた被害者だ。
実際のところ、アラタは自分の意志で戦いに身を投じていたのだから、ブレア中将の認識と現実の間には僅かな乖離があるものの、これはいいだろう。
中将も、アラタが戦うところは見たことがある。
悲しい戦い方だ。
とても剣を握ってから1年と少しの人間の動きではない。
生まれたときから殺しの英才教育を受けてきたと言われても納得できるほどの戦闘力。
青年を見て、中将は思った。
剣なんて早々に捨てて、田舎に引っ込んで誰かとくっついて、子育てと仕事に奮闘するくらいが彼には似合っていると。
いや、そんな平凡で幸せな人生を送ってほしいと願った。
そんな彼にこの戦局の重大局面を任せたのだから、彼ら司令部も若干の矛盾を抱えている。
どれも、致し方ない話だ。
「確かに、家に帰っても任務があれば心が休ますことはできませんね」
ブレア中将の言葉は、半ばクレスト家への批判とも取れる。
ノエル・クレストのお守りをさせるべきではない、彼には彼の人生があると。
彼自身が自分の現状をどう思っているかは分からないが、アイザック・アボット大将や第1師団のリーバイ・トランプ中佐が、軍隊に彼をスカウトしたのはあながち実利だけではないのかもしれない。
貴族の世界から軍の世界に引きずり込めば、違う世界を見せてあげられるという、彼らなりの優しさから来る誘いだったのだ。
世界は優しさと、厳しさと、誤解に満ちていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「良い匂いがする」
「やめてよ。あんたがそんなこと言う時って……」
アリソン・フェンリルの言葉は、ディラン・ウォーカーには届いていなかった。
千里を見通す彼の眼には、この先で行われている催し物がはっきりと見えている。
そしてアリソンのいう通り、『良い匂い』という言葉の指すところというのは、勿論食べ物の匂いのことではない。
中々に古い付き合いなだけあって、彼女はディランのことをよく分かっていた。
彼が目を輝かせるときは大抵何か良くないことが起こっている。
「……はぁ」
アンニュイな雰囲気を醸しながらついた溜息は、風と共に去っていった。
コートランド川の戦いで敗北した帝国軍は、立て直しのために川から40kmほど東へ後退していた。
元は2万いた兵士もいまや5千を僅かに上回る程度。
歴史を紐解いてみても、これほどの大敗北はそう多くない。
1万数千からなる公国軍2個師団を相手取るには、少し兵を減らし過ぎた。
それに加えて遠征という状況下、敵の補給とこちらの補給の難易度もコストも段違い。
早い話、もはやこの戦争はコストに見合う成果を獲得することが難しくなりつつあった。
もしここから奇跡的に帝国軍が勝利を収めたとして、どこまで公国内部に影響力を拡大することが出来るのだろうか。
東部? それともそのさらに一部?
どちらにせよ大差ない。
ただ、落とし前というものは必要であるからして、それを今ここでつけようとしていた。
「元司令官殿。かれこれもう1時間になりますが、みっともないのでいい加減ハッスルしてくれませんか」
イリノイ元帥は無言でエヴァラトルコヴィッチ中将を睨みつけた。
白装束に裸足、彼の前にはお膳立てされた短刀がある。
そして背後に立つのは首切り処刑人。
この時代、この場所、自刃は必ずしも一般的な作法ではなかった。
ただ、概念的に存在していたことは事実であり、このように大敗の責を取る形で自らの腹を割くということもあった。
馬からおろされ、着替えさせられ、こうして荒野のど真ん中で最期を言い渡されてから1時間と少し。
もはや味方は誰もおらず、彼が死ぬことは免れない。
では最後は潔く、華々しく、なんて振舞うことが出来るのは、一部の頭のねじが外れた人間だけだろう。
残るほとんどの良識と常識ある人間は、自分で自分の命を絶つ事なんて出来るはずもない。
それくらい、自分の命という物は重いのだ。
「いい加減飽きてきたな。閣下、軽くでもいいので少し皮膚を傷つけてください。あとは我々がやりますから」
「……貴様、ろくな死に方せんぞ」
「それはあなたの方だ。堂々と最期を飾るか、国に戻って斬首されるか、選んでください」
答えに詰まる元帥を尻目に、中将は少しイライラしてきた。
そう仕向けたのが自分であることに変わりはなくとも、こうももたつかれると首を刎ねたくもなる。
それでは望む形にならないので、こうして回りくどく手間をかけている。
「閣下、いい加減に——」
「面白そうなことをしているね! ね! 僕の言ったとおりだ!」
「はいはい。鬱陶しい」
赤髪。
赤色の瞳。
彫刻のように理想的な面構え。
ただものではないと誰もが分かるオーラ。
彼は、アラタも知る帝国人ディラン・ウォーカー。
「誰だ貴様」
「あ、あー…………」
ディランは自身の髪を触り、それから胸元をまさぐった。
そして取り出されたのは、一つのペンダント。
帝国宮廷武官のエンブレムである、剣と盾と杖を象った紋章。
一般兵ならいざ知らず、司令部付きの人間たちならそれを知らないはずがない。
ペンダントを出しただけで、周囲の反応が変わった。
アリソンはその様子を見ながら、小者だと周囲を見下した。
そんなもの無くても、この男の禍々しい存在感を理解できないなんて、もっとアンテナを高くして生きてほしいものだと嘆息する。
何はともあれ、存在証明は成った。
「宮廷の方がなぜ……」
「なぜって……戦いを求めて?」
「あ、はぁ、そうでしたね」
先ほどまであんなにイキっていたエヴァラトルコヴィッチもどこかぎこちない。
「それで? この状況は?」
「元帥閣下による自刃の儀式の最中です」
「あー……な・る・ほ・ど・ね……」
ディランは辺りを、特にイリノイのことを凝視した。
一通り観察し終えると、おもむろに、
「アリ、あとで謝っといて」
「あっ! 待っ——」
アリソンが杖を構える暇もなかった。
きょとんとした顔で彼の方を見ていたイリノイの首を、ディランは一刀のもとに刎ね飛ばした。
首は静かに斜めにずり落ちると、胴の隣に着地した。
呆気に取られてものも言えない。
まさにそんな様子だった。
ただ一人、ディランは血曇り一つない剣を収めると、イリノイの左手に短剣を握らせた。
それから白装束の前をはだけさせ、横一文字に切れ線を入れる。
「はい、終了。見事な最期でした」
イカれてやがる。
アリソンやその親衛隊を除く、元からこの司令部にいた人間たちは、一様にそう思った。
この男、戦闘力では測れない恐ろしさがあると、そう恐怖を刻み込むには十分すぎる出来事は、表向きイリノイ・テレピン元帥の自刃という形で闇に葬られたのだった。
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