男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

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第2章 悪霊の爪痕

蔡華

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「悪霊ではない可能性か」

「毒をもれるような状況はなかったとのことですが。もう少し洗い直すのがいいと思います」

 気を取り直し、羅刹は自分の考えを説明した。
 腕を組み、頷く張り子の後頭部。表情はわからないが、否定しないところを見るに羅刹の考察は及第点のようだ。

「そこで内朝で働く女たちの噂話と、後宮の過去の記録、死体を検分した医官への聞き込み、あと、徳妃にもお話を伺いたく思います」

「徳妃……」

 一瞬、雲嵐の動きが止まったが。何か気になることでもあるのだろうか。

「唯一生きている上級妃ですので。それに徳妃の鏡花様は、三十五というご年齢でありますし、過去に同様の悪霊騒ぎが続いていたかどうかも、お分かりになるかと」

「わかった。侍女の噂については、頼りになるものに頼むとしよう。それ以外はお前が直接調べられるよう、手を回しておく」

 そういうが早いか、雲嵐は立ち上がると扉の方へと向かって歩いていく。

「今、外すごい雨ですけど、帰るんですか?」

「大丈夫だ」

「じゃあせめて傘を」

「なくともなんとかなる」

 それだけ言って雲遠ざかっていく雲蘭の背中だが、面が前後逆なので、ずっと凝視されているような感覚になる。

「やっぱりあれ、前後直してあげたほうがよかったかな」

 後宮の悪霊に加え、新しい妖怪伝説が爆誕してしまいそうだ。


 ◇ ◇ ◇


 ふり続けた雨でぬかるんだ路は、道ゆく人々の足元を汚していた。自宅から皇城が遠い羅刹は、他の官に比べて汚れが激しく、登朝後も靴に付着した泥を取るために難儀した。

 泥を拭き終え、吏部の執務室に向けて外廊下を歩いていると、前方から書類を抱えた人が歩いてくる。背中まである錦糸のような結い髪が、馬の尾のように揺れているのが見えた。

 あ、たしか皇帝付きの宦官の……蔡華さいかさんだっけ。
 官が被る黒い幞頭ぼくとうを彼も被っているが、複雑な紋様の入った絹を使ったものを被っている。宦官服も他の官が着ているような薄鼠色ではなく、紺色の胡服を着ていた。

 すれ違おうというところ、蔡華と目があう。すると神から与えられた極上の美貌を持った男は、柔らかく微笑んだ。

「おや、君は。柳羅刹だね?」

「おはようございます。お名前を覚えていただいているとは恐縮です」

 両こぶしを合わせ、軽く頭を下げた。帝付きの宦官とあらば、丁寧にしておくに越したことはない。

「状元だもの。もちろん覚えているさ。主上しゅじょうも褒めていらしたよ。その若さで状元とは素晴らしいって」

 丸みを帯びた柔らかい声だ。宦官は概して声が高いが、大人になってからイチモツを切り取られた場合、不自然な裏声になる場合が多い。

 これだけ美しい高音になるということは、子どもの頃に宮刑に処されたのかな。

 書物で読む分には何も感じなかったが、本人を前にするとなんとも言えない気分になる。
 子ども時代に宦官になったとあれば、親に売られたか、それとも。

 羅刹の記憶から、一冊の史書が浮かび上がる。書かれた内容のうち、蔡華の容姿に該当する一族についての記述が抜き出された。

 特徴的な錦の髪と、抜けるような青い瞳を持つ一族、えん氏。謀反を疑われ、国を追われた燕の一族は、隠れ里を作って慎ましやかに暮らしていた。しかし里が暴かれ、一族郎党処分された。

「どうしたんだい?」

 蔡華に顔を覗き込まれ、羅刹は目の前の現実に引き戻される。

「あ、いえ。主上にそのようにおっしゃっていただけるとは、喜びの極みで……感動のあまり言葉を失っておりました」

「うーん、そんなふうには見えなかったなあ」

 楊枝がいくつも乗りそうな長いまつ毛で瞬きをしながら、彼の口元が弧を描く。

「状元だからっていじめられているのかな。君、小さいし、弱そうだし。気の強い同僚や先輩に目をつけられているんじゃないの」

 パッと李漢林の顔が浮かぶ。あれ、もしかして。

 あのとき投げられた扇子の要には、皇族の紋が彫られていた。皇帝に徴用されている彼なら、扇子くらい下賜されていてもおかしくない。

「困ったら相談しにおいで。力になってあげるから」

 そう言って蔡華は羅刹の頭を撫でると、「じゃあまたね」と言って微笑み、風のように去っていった。

「人気があるのも頷ける。って、お礼言いそびれちゃった」

 また話す機会があったら言わなければ。そう心に決めた羅刹だった。
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