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第2章 悪霊の爪痕
羅刹は考える
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雨が降ってきた。地面を鳴らす雨粒の音は、だんだんと激しさを増していく。
「こりゃ、嵐になるなあ。……この人、帰れるのかな」
相変わらず雲嵐はぐうぐうと寝ている。
「布団は一揃えしかないんですけど」
寝るためだけに借りた小さな一軒家には、必要最低限のものと史書しかない。
最近は仕事が忙しく、泊まり込みも多かった。せっかく家でゆっくり眠れる機会なのだから、掛け布団もなく震えながら寝るのはごめん被りたい。
「しかし、悪霊ねえ……」
後宮には何百という妃嬪がいながらも、お渡りがあるのは一握り。たとえお手つきとなっても、帝の心を捕まえることができなければ、一度きりの逢瀬で終わってしまうことの方が多い。自尊心をずたずたにされ、絶望の末に自ら命を断つ妃嬪は少なくない。
それに対し、帝の寵愛厚く、子どもまで授かった妃嬪は多くの妃にとって嫉妬の対象に違いない。悪霊となって呪い殺そうとする妃という話は筋としては理解できる。だが、それは霊魂に限ってのことではない。生きている人間も実行しそうなことだ。
羅刹は雲嵐が書き付けてくれた帳面を彼の襦裙の中から引っ張り出し、パラパラとめくり始めた。
時期はずれているが、三妃とも上級妃で、身罷られるまでの経緯も酷似している。
定期的に帝の御渡りがあった。
しかし御渡りが続けば続くほど、吐き気など体の不調を訴え、やがて錯乱し情緒不安定になり、目に見えて衰弱していった。
自分を追う妃の悪霊に怯えていた。
「毒殺の可能性だって捨て切れない」
幻覚作用のある毒だってある。ただ、誰もが皆揃って妃の幽霊を見ているという点が不可思議であり、毒の摂取経路も見つからない。結論として悪霊という話になっているのだろうが。どこか見落としている可能性がある。
雲嵐が羅刹に「除霊」を依頼したのは、そちらの方の可能性を考えてのことだろう。先入観のない第三者且つ、男女を使い分けて調査ができる人間にもう一度本件を調べなおさせたいのだ。
侍女頭を尋ねる道中で雲嵐は言っていた。怯える妃やその親類、侍女や官女たちを安心させるため、わざわざ高名な道士を呼んで祈祷を行ったこともあるらしい。だが道士の健闘虚しく、芙蓉妃が身罷られたそうだ。
「となると、いくつかやることがある」
ぶつぶつとひとりごとを呟きながら、羅刹は墨と紙を用意した。養父が餞別としてくれたものだ。
後宮の悪霊はいつから現れ始めたのか。直近の三妃以前にも同様の事件があったのか。寵妃が亡くなったことで騒ぎになっているが、もしかしたら把握されていないだけで、寵を受けていない妃にも同様の死に方をしたものがいるかもしれない。後宮の医官にも聞き込みがしたい。
「となると、侍女にも聞き込みが必要だな。女は噂話が好きだし、掘ればいくらでも出てきそう。あとは……」
皇城内であった出来事については、詳細に記録が残っているはず。後宮についても担当の官が文書で残しているはずだ。
「ということは、史書になる以前の歴史の痕跡を読むことができる……!」
思わず口角が緩む。自分が関わったことのない人間たちの生きた証。しかも一般人が触れることができない、殿上人の人々の生の生活記録である。
「ふふ、ふふふふふ……!」
それに触れて読むことができるなんて。
「ふはははははは!」
「気色悪いな」
「!!」
突然背後から聞こえてきた声に振り向けば、雲嵐が起きていた。
「な、起きているなら声をかけてください!」
「あまりに楽しそうだったので、声をかけそびれた」
気だるそうな顔をした雲嵐は、仰向けのまま顔だけをこちらに向けていた。
恥ずかしさから頬が紅潮し、全身の毛が逆立つ。
だがそれも長く続かず、目の前の男の瞳に興味がうつった。
「雲嵐、その瞳って」
面を外した時は眠っていたので、彼が瞼を開けた顔を今初めて見た。
彼の瞳は、翡翠のように美しい緑色。禹国の大半を占める楊族には見られない瞳の色だ。まるで浅い海の底をのぞいているようで、引き込まれてしまう。
「瞳……?」
眉間に皺を寄せた彼だったが、自分の顔を手で触り、頭上に置かれた張り子面に気がつき、文字通り飛び上がった。凄まじい速さで面を被ったが、相当慌てていたらしい。こちらに向いているのはかんざしをつけた後頭部の方だ。
「あの、別に隠すほどのことではないのでは。お顔は美しいわけですし、瞳が緑であろうと、そう気にするものでもないと思うのですが」
「お前はこの瞳を見ても、何も思わないのか?」
「綺麗だなー、珍しいなーとは思いますが、それだけです」
「……俺の瞳のことは誰にも言うな。そして勝手に面をとるな」
かんざしをさした後頭部が怒る。もはやどこから突っ込んだらいいのかわからない。
瞳が宝石のような色をしていることより、どでかい体で女装をして、おかしな面を被っている方がよっぽど恥ずかしいと思うのだが。
「それに……いきなり面なしで話すのは……何というか……」
モジモジとそう言う張り子面の女装男。気色悪いのはどっちだ。
「まさか、恥ずかしいとか」
ためらいがちに、雲嵐は頷く。図体のでかい女装男の恥じらいなんて可愛くない。
「とりあえず、ようやく起きてくださったわけですし、本題に入りますか……」
そう言いつつ羅刹は、お茶をいれなおすために立ち上がったのだった。
「こりゃ、嵐になるなあ。……この人、帰れるのかな」
相変わらず雲嵐はぐうぐうと寝ている。
「布団は一揃えしかないんですけど」
寝るためだけに借りた小さな一軒家には、必要最低限のものと史書しかない。
最近は仕事が忙しく、泊まり込みも多かった。せっかく家でゆっくり眠れる機会なのだから、掛け布団もなく震えながら寝るのはごめん被りたい。
「しかし、悪霊ねえ……」
後宮には何百という妃嬪がいながらも、お渡りがあるのは一握り。たとえお手つきとなっても、帝の心を捕まえることができなければ、一度きりの逢瀬で終わってしまうことの方が多い。自尊心をずたずたにされ、絶望の末に自ら命を断つ妃嬪は少なくない。
それに対し、帝の寵愛厚く、子どもまで授かった妃嬪は多くの妃にとって嫉妬の対象に違いない。悪霊となって呪い殺そうとする妃という話は筋としては理解できる。だが、それは霊魂に限ってのことではない。生きている人間も実行しそうなことだ。
羅刹は雲嵐が書き付けてくれた帳面を彼の襦裙の中から引っ張り出し、パラパラとめくり始めた。
時期はずれているが、三妃とも上級妃で、身罷られるまでの経緯も酷似している。
定期的に帝の御渡りがあった。
しかし御渡りが続けば続くほど、吐き気など体の不調を訴え、やがて錯乱し情緒不安定になり、目に見えて衰弱していった。
自分を追う妃の悪霊に怯えていた。
「毒殺の可能性だって捨て切れない」
幻覚作用のある毒だってある。ただ、誰もが皆揃って妃の幽霊を見ているという点が不可思議であり、毒の摂取経路も見つからない。結論として悪霊という話になっているのだろうが。どこか見落としている可能性がある。
雲嵐が羅刹に「除霊」を依頼したのは、そちらの方の可能性を考えてのことだろう。先入観のない第三者且つ、男女を使い分けて調査ができる人間にもう一度本件を調べなおさせたいのだ。
侍女頭を尋ねる道中で雲嵐は言っていた。怯える妃やその親類、侍女や官女たちを安心させるため、わざわざ高名な道士を呼んで祈祷を行ったこともあるらしい。だが道士の健闘虚しく、芙蓉妃が身罷られたそうだ。
「となると、いくつかやることがある」
ぶつぶつとひとりごとを呟きながら、羅刹は墨と紙を用意した。養父が餞別としてくれたものだ。
後宮の悪霊はいつから現れ始めたのか。直近の三妃以前にも同様の事件があったのか。寵妃が亡くなったことで騒ぎになっているが、もしかしたら把握されていないだけで、寵を受けていない妃にも同様の死に方をしたものがいるかもしれない。後宮の医官にも聞き込みがしたい。
「となると、侍女にも聞き込みが必要だな。女は噂話が好きだし、掘ればいくらでも出てきそう。あとは……」
皇城内であった出来事については、詳細に記録が残っているはず。後宮についても担当の官が文書で残しているはずだ。
「ということは、史書になる以前の歴史の痕跡を読むことができる……!」
思わず口角が緩む。自分が関わったことのない人間たちの生きた証。しかも一般人が触れることができない、殿上人の人々の生の生活記録である。
「ふふ、ふふふふふ……!」
それに触れて読むことができるなんて。
「ふはははははは!」
「気色悪いな」
「!!」
突然背後から聞こえてきた声に振り向けば、雲嵐が起きていた。
「な、起きているなら声をかけてください!」
「あまりに楽しそうだったので、声をかけそびれた」
気だるそうな顔をした雲嵐は、仰向けのまま顔だけをこちらに向けていた。
恥ずかしさから頬が紅潮し、全身の毛が逆立つ。
だがそれも長く続かず、目の前の男の瞳に興味がうつった。
「雲嵐、その瞳って」
面を外した時は眠っていたので、彼が瞼を開けた顔を今初めて見た。
彼の瞳は、翡翠のように美しい緑色。禹国の大半を占める楊族には見られない瞳の色だ。まるで浅い海の底をのぞいているようで、引き込まれてしまう。
「瞳……?」
眉間に皺を寄せた彼だったが、自分の顔を手で触り、頭上に置かれた張り子面に気がつき、文字通り飛び上がった。凄まじい速さで面を被ったが、相当慌てていたらしい。こちらに向いているのはかんざしをつけた後頭部の方だ。
「あの、別に隠すほどのことではないのでは。お顔は美しいわけですし、瞳が緑であろうと、そう気にするものでもないと思うのですが」
「お前はこの瞳を見ても、何も思わないのか?」
「綺麗だなー、珍しいなーとは思いますが、それだけです」
「……俺の瞳のことは誰にも言うな。そして勝手に面をとるな」
かんざしをさした後頭部が怒る。もはやどこから突っ込んだらいいのかわからない。
瞳が宝石のような色をしていることより、どでかい体で女装をして、おかしな面を被っている方がよっぽど恥ずかしいと思うのだが。
「それに……いきなり面なしで話すのは……何というか……」
モジモジとそう言う張り子面の女装男。気色悪いのはどっちだ。
「まさか、恥ずかしいとか」
ためらいがちに、雲嵐は頷く。図体のでかい女装男の恥じらいなんて可愛くない。
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そう言いつつ羅刹は、お茶をいれなおすために立ち上がったのだった。
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