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第3章 凰家の足跡
憂い
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咲き乱れる月季の花が、皇帝のおわす雷光宮の庭を紅色に初めている。
宮から伸びた橋の先、小島の上に建てられた四阿には今上帝である蒼徳の姿があった。
「またここにいらしたのですか」
丸みを帯びた柔らかな声が聞こえた。蒼徳は振り返らなかったが、そこに誰がいるのかはわかった。
「蔡華か」
陰鬱な雨上がりの土の匂いを、華やかな茶の香りが掻き消す。卓の上に青磁の器に入った茶が置かれる。
「茉莉花茶をお淹れしました」
「今は何か飲む気分ではない」
「朝白湯を召し上がってから、一度も水分を取られていないはずです。少しでも構いませんので、お召し上がりください」
蒼徳は口を歪めたが、蔡華を叱りつけるようなことはしなかった。黙って茶器を手に持ち、口をつける。
「……うまい」
「キャラバンが来ておりましたので、一等良い茶葉を購入いたしました。主上はお疲れのようですから」
芍薬もそっぽをむきそうなほどに美しい顔が、にこりと微笑む。女であれば傾国の美女となったであろう。宦官であっても厄介ごとは多いと聞いている。
「ところで、今日の御渡りはどちらへ」
「しばらくいい。悪霊騒ぎで妃嬪たちは怯えている」
「悪霊などおりませんよ。あまりに御渡りを控えては、噂を助長させましょう」
蔡華の言うことは間違っていない。
世継ぎを残すことも、帝の重要な責務である。悪霊などというまやかしを恐れ、責を逃れようとするなど馬鹿げている。
「徳妃のもとへ渡られるのはいかがでしょう。あの方は悪霊など気にされないと思いますが」
蔡華の提案に、蒼徳は眉根を寄せる。
「徳妃の元へはいかぬ。お前もわかっているだろう」
「ではたまには下級妃の元を訪れるのはいかがでしょう。彼女たちにとっては出世の機会ですから。喜ばれると思いますよ」
「そうだな……そうしよう」
むせかえるほどの香と、花に彩られ、蝋燭に照らし出された清潔な寝所。
そして飾り立てられ、人形のように自分を待つ批判の姿。その光景を思いうかべ、蒼徳の額には冷や汗が滲んだ。
「お時間を頂ければ、私が資料をまとめましょう。四夫人の宮を三つも空けたままにしておけば、東宮に力を与えることになります。男の子どもが得られなければ、彼があなたの命を脅かすことになりましょう」
東宮という言葉を聞き、蒼徳の頭には血が登った。凪いでいた感情が荒ぶり、息を詰めるような焦燥感が胸の中を支配する。
「東宮が力を得れば、主上のことをどうなさるでしょうか?」
「下級妃から適切な候補を選べ。できるだけ早く」
「承知いたしました」
美しい所作で、蔡華は礼をとる。彼を見送った後で、蒼徳は息をはいた。
この世の栄華を極めたはずなのに。
どうしようもなく喉がかわく。陰鬱な気分は抜けず、周りは全て敵だらけに見える。
だが、ここで終わるわけにはいかない。
「余こそが禹国の帝であり、この国の発展を導くものとなるのだ」
口に出して自分を鼓舞しようとしたが、声になったその言葉は、弱々しいものだった。
宮から伸びた橋の先、小島の上に建てられた四阿には今上帝である蒼徳の姿があった。
「またここにいらしたのですか」
丸みを帯びた柔らかな声が聞こえた。蒼徳は振り返らなかったが、そこに誰がいるのかはわかった。
「蔡華か」
陰鬱な雨上がりの土の匂いを、華やかな茶の香りが掻き消す。卓の上に青磁の器に入った茶が置かれる。
「茉莉花茶をお淹れしました」
「今は何か飲む気分ではない」
「朝白湯を召し上がってから、一度も水分を取られていないはずです。少しでも構いませんので、お召し上がりください」
蒼徳は口を歪めたが、蔡華を叱りつけるようなことはしなかった。黙って茶器を手に持ち、口をつける。
「……うまい」
「キャラバンが来ておりましたので、一等良い茶葉を購入いたしました。主上はお疲れのようですから」
芍薬もそっぽをむきそうなほどに美しい顔が、にこりと微笑む。女であれば傾国の美女となったであろう。宦官であっても厄介ごとは多いと聞いている。
「ところで、今日の御渡りはどちらへ」
「しばらくいい。悪霊騒ぎで妃嬪たちは怯えている」
「悪霊などおりませんよ。あまりに御渡りを控えては、噂を助長させましょう」
蔡華の言うことは間違っていない。
世継ぎを残すことも、帝の重要な責務である。悪霊などというまやかしを恐れ、責を逃れようとするなど馬鹿げている。
「徳妃のもとへ渡られるのはいかがでしょう。あの方は悪霊など気にされないと思いますが」
蔡華の提案に、蒼徳は眉根を寄せる。
「徳妃の元へはいかぬ。お前もわかっているだろう」
「ではたまには下級妃の元を訪れるのはいかがでしょう。彼女たちにとっては出世の機会ですから。喜ばれると思いますよ」
「そうだな……そうしよう」
むせかえるほどの香と、花に彩られ、蝋燭に照らし出された清潔な寝所。
そして飾り立てられ、人形のように自分を待つ批判の姿。その光景を思いうかべ、蒼徳の額には冷や汗が滲んだ。
「お時間を頂ければ、私が資料をまとめましょう。四夫人の宮を三つも空けたままにしておけば、東宮に力を与えることになります。男の子どもが得られなければ、彼があなたの命を脅かすことになりましょう」
東宮という言葉を聞き、蒼徳の頭には血が登った。凪いでいた感情が荒ぶり、息を詰めるような焦燥感が胸の中を支配する。
「東宮が力を得れば、主上のことをどうなさるでしょうか?」
「下級妃から適切な候補を選べ。できるだけ早く」
「承知いたしました」
美しい所作で、蔡華は礼をとる。彼を見送った後で、蒼徳は息をはいた。
この世の栄華を極めたはずなのに。
どうしようもなく喉がかわく。陰鬱な気分は抜けず、周りは全て敵だらけに見える。
だが、ここで終わるわけにはいかない。
「余こそが禹国の帝であり、この国の発展を導くものとなるのだ」
口に出して自分を鼓舞しようとしたが、声になったその言葉は、弱々しいものだった。
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