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第4章 急転直下
犯人
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「離してください! 私は何もしていません」
通された個室には、女が一人。手足を縛られ、床に転がされていた。白の上衣に薄紫色の下衣を合わせた襦裙は梓晴妃の侍女を表す。彼女は妃の騒ぎの様子を窓から伺っていたらしい。そして立ち去ろうとしたところを、梓晴の侍女たちに目撃され、取り押さえられた。
侍女らによれば、誰もこの女のことを知らないという。
騒いでいた女は、雲嵐の面を見上げ、ひゅっと喉を鳴らす。彼と初対面の人間の一般的な反応である。
「なんですか、あなた方は」
白塗りの女の面を被った宦官一とごく平凡な宦官二、そして後宮医局の責任者という顔ぶれに女は、戸惑いの表情を浮かべている。
羅刹は咳払いをして、一歩前に出た。
「あなたは、梓晴妃の侍女ではないようですね」
「新しく入ったばかりでした」
「あの場所で何を?」
「ただ掃除をしていただけです」
「掃除道具も持たずに?」
「これから取りに行くところでした」
「侍女頭に確認しましたが、あなたのことは知らないと言っています」
「頭と名のつくのに、自分の部下の顔も覚えていないなんて。笑ってしまいますね」
ああ言えばこう言う。どう考えてもこのまましらを切れるわけがないのに。
後宮妃付きの侍女の名簿と突き合わせれば、彼女が何と言おうと梓晴妃の侍女でないことは明らかになる。
「今言えば、酷い目に遭わずに済みますよ。刑吏の取り調べは荒々しいですからね」
女の顔がこわばった。これまで自信ありげに振る舞っていたが、視線を伏せ何やら考え事をしているように見えた。自分が拷問に遭うことを想像していなかったのだろうか。
「私は刑吏になんて引き渡されません」
自分に言い聞かせるように、彼女はそう言う。見れば、まだ十代半ばの少女である。
御渡りを妬んだ他の妃に頼まれて、梓晴妃に薬を持ったのだろうか。それとも何か別の企みであの場をうろついていたのか。
話さないなら衣を剥いで持ち物を調べるしかない。
羅刹がそう考えた時だった。
「う……」
横たわっている女が苦しみ出す。血色の良かった肌はみるみるうちに青白くなり、呼吸が荒くなる。
鵜承が即座に駆け寄り、女の口の中に指を突っ込んだ。
「吐け! 吐き出せ!」
苦しみにえずき、吐瀉物が流れ出るが、すでに女の顔色は土気色になっていた。体は痙攣し、水面で息をしようと喘ぐ鯉のように、のたうち、苦痛に顔を歪める。鵜承の必死の救命も虚しく、女の体はやがて動かなくなり、力を失った四肢が投げ出された。
見開かれたままの瞳孔を覗き込み、再度脈を確認した鵜承は、項垂れた。
「服毒していたようです。吐瀉物を見るに、おそらく遅効性のものでしょう」
死んだってこと? 今の今まで生きて、悪態をついていた女が。
血の気が引き、くらり、と頭が揺れる。
羅刹は動かなくなった女を前にして、気を失った。
◇ ◇ ◇
額に冷たいものが触れる。
しっかりと綿の入った厚い布団が心地よい。
湯にでも浸かっているように温かく、眠る前は氷のようだった体が温度を取り戻している。
ずっとこうしていたい。だがそろそろ外朝に向かわねば。
今日もまた山ほどの仕事が待っている。惰眠を貪りたい気持ち封印し、体を起こそうと力を入れた。
重い瞼を開ければ、白塗りの女。切長の目にあけられた空虚な二つの穴の向こうに見える翡翠の瞳が、こちらをのぞいている。
「うあああああああああああ!」
飛び起きた羅刹は、それが雲嵐の小面であることに気がついた。
「な、な、な。なんで面をしたまま覗き込むんですか! こ、怖いじゃないですか!」
「いや、これが平常運転なのでな」
「平常運転って! やめてくださいよ、心臓が止まるかと思いましたよ!」
ゼエゼエと息をして、はた、と気がつく。
飾り気はないが、上等な家具の置かれた清潔な部屋に、庶民では手にできないような真綿の詰まった寝具。
ここは自分の荒屋でも、医局でもない。どうやら羅刹は、以前雲嵐が自分を運び込んだ、あの部屋にいるらしかった。
「お前をあのまま医局に運ぶわけにはいかなかったのでな。俺の部屋に連れてきた」
「あ、ありがとう……ございます」
助かった。医局に運ばれていたら、女だとバレていたに違いない。
雲嵐の部屋ということは、ここは内朝の東宮殿ということか。
「あの、さっきの女は」
「死んだ」
「……そうですか」
人の命の灯火が消える瞬間をこの目で見てしまった。
思い出した瞬間、また気が遠くなりそうになる。
「驚いたか」
「はい。普段、目にすることなんてないですから」
羅刹がそう言えば、小面は俯き押し黙る。何を考えているのかわからないが、とてつもなく重いものがこの沈黙の中に隠れている気がした。
「女が死んだあと、衣服を調べたところ。これが出てきた」
しばしの間を挟んで、おもむろにそう言った彼は、羅刹の前に紙で折られた小袋を差し出す。
受け取り、破れないように紙を開いていく。ずいぶん上質な紙だ。それにほのかにいい香りもする。開かれた中から出てきたのは、ベッコウ色をした、小指の先ほどの小さな物体だった。
「これは、飴、ですか?」
「大麻を材料に使った飴だった」
これを持っていたということはつまり、あの女が妃に薬を持った犯人であることを意味する。後宮でよく見られる類のものではない。飴であれば、毒が食器類に残っていなかったことも、食事や飲み物に入っていなかったことも説明がつく。
「……女の正体は?」
雲嵐が仮面を外す。現れた雲嵐の眉間には、山脈ができていた。
「誰だったんです」
絹のように美しい自分の黒髪を、雲嵐が片手でぐしゃぐしゃと乱す。
「徳妃 鏡花付きの侍女だった」
通された個室には、女が一人。手足を縛られ、床に転がされていた。白の上衣に薄紫色の下衣を合わせた襦裙は梓晴妃の侍女を表す。彼女は妃の騒ぎの様子を窓から伺っていたらしい。そして立ち去ろうとしたところを、梓晴の侍女たちに目撃され、取り押さえられた。
侍女らによれば、誰もこの女のことを知らないという。
騒いでいた女は、雲嵐の面を見上げ、ひゅっと喉を鳴らす。彼と初対面の人間の一般的な反応である。
「なんですか、あなた方は」
白塗りの女の面を被った宦官一とごく平凡な宦官二、そして後宮医局の責任者という顔ぶれに女は、戸惑いの表情を浮かべている。
羅刹は咳払いをして、一歩前に出た。
「あなたは、梓晴妃の侍女ではないようですね」
「新しく入ったばかりでした」
「あの場所で何を?」
「ただ掃除をしていただけです」
「掃除道具も持たずに?」
「これから取りに行くところでした」
「侍女頭に確認しましたが、あなたのことは知らないと言っています」
「頭と名のつくのに、自分の部下の顔も覚えていないなんて。笑ってしまいますね」
ああ言えばこう言う。どう考えてもこのまましらを切れるわけがないのに。
後宮妃付きの侍女の名簿と突き合わせれば、彼女が何と言おうと梓晴妃の侍女でないことは明らかになる。
「今言えば、酷い目に遭わずに済みますよ。刑吏の取り調べは荒々しいですからね」
女の顔がこわばった。これまで自信ありげに振る舞っていたが、視線を伏せ何やら考え事をしているように見えた。自分が拷問に遭うことを想像していなかったのだろうか。
「私は刑吏になんて引き渡されません」
自分に言い聞かせるように、彼女はそう言う。見れば、まだ十代半ばの少女である。
御渡りを妬んだ他の妃に頼まれて、梓晴妃に薬を持ったのだろうか。それとも何か別の企みであの場をうろついていたのか。
話さないなら衣を剥いで持ち物を調べるしかない。
羅刹がそう考えた時だった。
「う……」
横たわっている女が苦しみ出す。血色の良かった肌はみるみるうちに青白くなり、呼吸が荒くなる。
鵜承が即座に駆け寄り、女の口の中に指を突っ込んだ。
「吐け! 吐き出せ!」
苦しみにえずき、吐瀉物が流れ出るが、すでに女の顔色は土気色になっていた。体は痙攣し、水面で息をしようと喘ぐ鯉のように、のたうち、苦痛に顔を歪める。鵜承の必死の救命も虚しく、女の体はやがて動かなくなり、力を失った四肢が投げ出された。
見開かれたままの瞳孔を覗き込み、再度脈を確認した鵜承は、項垂れた。
「服毒していたようです。吐瀉物を見るに、おそらく遅効性のものでしょう」
死んだってこと? 今の今まで生きて、悪態をついていた女が。
血の気が引き、くらり、と頭が揺れる。
羅刹は動かなくなった女を前にして、気を失った。
◇ ◇ ◇
額に冷たいものが触れる。
しっかりと綿の入った厚い布団が心地よい。
湯にでも浸かっているように温かく、眠る前は氷のようだった体が温度を取り戻している。
ずっとこうしていたい。だがそろそろ外朝に向かわねば。
今日もまた山ほどの仕事が待っている。惰眠を貪りたい気持ち封印し、体を起こそうと力を入れた。
重い瞼を開ければ、白塗りの女。切長の目にあけられた空虚な二つの穴の向こうに見える翡翠の瞳が、こちらをのぞいている。
「うあああああああああああ!」
飛び起きた羅刹は、それが雲嵐の小面であることに気がついた。
「な、な、な。なんで面をしたまま覗き込むんですか! こ、怖いじゃないですか!」
「いや、これが平常運転なのでな」
「平常運転って! やめてくださいよ、心臓が止まるかと思いましたよ!」
ゼエゼエと息をして、はた、と気がつく。
飾り気はないが、上等な家具の置かれた清潔な部屋に、庶民では手にできないような真綿の詰まった寝具。
ここは自分の荒屋でも、医局でもない。どうやら羅刹は、以前雲嵐が自分を運び込んだ、あの部屋にいるらしかった。
「お前をあのまま医局に運ぶわけにはいかなかったのでな。俺の部屋に連れてきた」
「あ、ありがとう……ございます」
助かった。医局に運ばれていたら、女だとバレていたに違いない。
雲嵐の部屋ということは、ここは内朝の東宮殿ということか。
「あの、さっきの女は」
「死んだ」
「……そうですか」
人の命の灯火が消える瞬間をこの目で見てしまった。
思い出した瞬間、また気が遠くなりそうになる。
「驚いたか」
「はい。普段、目にすることなんてないですから」
羅刹がそう言えば、小面は俯き押し黙る。何を考えているのかわからないが、とてつもなく重いものがこの沈黙の中に隠れている気がした。
「女が死んだあと、衣服を調べたところ。これが出てきた」
しばしの間を挟んで、おもむろにそう言った彼は、羅刹の前に紙で折られた小袋を差し出す。
受け取り、破れないように紙を開いていく。ずいぶん上質な紙だ。それにほのかにいい香りもする。開かれた中から出てきたのは、ベッコウ色をした、小指の先ほどの小さな物体だった。
「これは、飴、ですか?」
「大麻を材料に使った飴だった」
これを持っていたということはつまり、あの女が妃に薬を持った犯人であることを意味する。後宮でよく見られる類のものではない。飴であれば、毒が食器類に残っていなかったことも、食事や飲み物に入っていなかったことも説明がつく。
「……女の正体は?」
雲嵐が仮面を外す。現れた雲嵐の眉間には、山脈ができていた。
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