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第5章 母と息子
鏡花
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徳妃鏡花。歳は三十五歳。目鼻立ちのはっきりとした美女だ。その佇まいは堂々としており、王者のごとき風格を持っている。
凰家の翠美妃が出産したのと数日おかずに男児を出産したが、生まれて間もなく子は息を引き取った。
翠美が自害をしたため、鏡花は中級妃から上級妃に昇格。二人の子どもの生死は入れ替えられ、翠美の子どもが亡くなり、鏡花の子どもが無事生まれたことになった。
それが、東宮翠嵐だ。
つまり鏡花は表向き翠嵐の実母ということになる。
そして、悪霊によるとされた上級妃の不審死は、鏡花の侍女によるものだと断定された。
羅刹は雲嵐からそう聞いて、どんな顔をしたら良いのかわからなくなった。
徳妃鏡花には、他の妃嬪を殺す動機がありすぎる。誰もが納得する事件の筋書きだ。
翠嵐を息子とすることで表向きは上級妃となったものの、後宮の花としての役割は終わってしまった。翠嵐を疎む皇帝は、徳妃のもとに全く足を向けなくなったという。自分の息子の死を悼むことも許されず、世間で存在を消された一族の息子を押し付けられた彼女の恨みはいかほどであろう。
「雲嵐は、徳妃が黒幕であると思いますか」
「正直なところ、わからない」
彼は険しい顔をして、腕を組む。
「母上は、俺と言葉を交わされない。何を考えているのか、わからない」
「……会話を、されたことがないのですか」
「ほとんど、ない。同じ部屋で、庭を見ながら菓子をつまんだことがあるくらいだ」
静寂の中、ただそこに存在するだけの母親。その前で、緊張の面持ちで菓子をつまむ子ども。その歪な光景を想像して、羅刹の胸は苦しくなる。
私に親はいなかった。
でも紙屋の養父も養母も、親子という関係にはならなかっただけで、優しく接してくれた。
仕事はきついが皆可愛がってくれた。おかげで羅刹は、親がいなくともまっすぐに育つことができたのだ。
戸籍は抜けたが、たまに文をくれる元同僚もいて、その中に養い親からの餞別が入っていることもある。
でも雲嵐にはきっと、そういう相手がいなかった。
実父に憎まれ、義母に憎まれ、周囲の人間からも腫れ物のように扱われた。本当の自分は存在することさえ許されず、常に隠れて生きていかねばならない。
「雲嵐……」
「なんだ」
「あの、大丈夫ですか」
「俺が? なぜだ」
「お母様が、こんなことになって」
「あれは母ではない。ただ、建前上親ということになっているだけだ」
彼の表情には、微塵の変化もない。それが何だか悲しかった。
不幸な出来事が、この人にとっては当たり前のことになっている。
「あの。辛いことや、悲しいことがあったら、私に話してくださいね。官吏といっても進士ですし、できることは少ないですが。雲嵐が泣きたくなった時、肩を貸すくらいはできますから」
そう声をかけると、彼は困惑したようだった。出口の見えない迷路に放り込まれた、子どものような顔だ。
顎に手を当てて考え込んだかと思うと、口角が上がった。
うわ。
彼の笑顔を初めてみた。
翡翠の瞳が細められ、頬が不器用に緩んでいる。嬉しいが、それを素直に表現するのが難しいという表情だ。
どこかあどけなさの残る、少年のような笑顔に、羅刹はどきりとした。
「そんなことを言われたのは初めてだ。……心配されるというのは、嬉しいものだな」
「そ、そうですか」
「なぜ赤くなっている」
「ナンデモナイデス」
面をつけていないいつもの雲嵐のように、羅刹は顔を背けた。
冷静になろうと、事件のことを考え始める。
一見、綺麗にまとまったように見える。実行犯が捕まり、証拠が見つかった。これから徳妃への聞き取りが行われ、事件は早々に処理されたことになり、後宮には平和が戻るだろう。
だが、腑におちない。
亡骸に問うことはできない。だがまだ調べられることはある。
このままで終わらせてはならない。羅刹の頭の中で、警鐘が鳴っていた。
凰家の翠美妃が出産したのと数日おかずに男児を出産したが、生まれて間もなく子は息を引き取った。
翠美が自害をしたため、鏡花は中級妃から上級妃に昇格。二人の子どもの生死は入れ替えられ、翠美の子どもが亡くなり、鏡花の子どもが無事生まれたことになった。
それが、東宮翠嵐だ。
つまり鏡花は表向き翠嵐の実母ということになる。
そして、悪霊によるとされた上級妃の不審死は、鏡花の侍女によるものだと断定された。
羅刹は雲嵐からそう聞いて、どんな顔をしたら良いのかわからなくなった。
徳妃鏡花には、他の妃嬪を殺す動機がありすぎる。誰もが納得する事件の筋書きだ。
翠嵐を息子とすることで表向きは上級妃となったものの、後宮の花としての役割は終わってしまった。翠嵐を疎む皇帝は、徳妃のもとに全く足を向けなくなったという。自分の息子の死を悼むことも許されず、世間で存在を消された一族の息子を押し付けられた彼女の恨みはいかほどであろう。
「雲嵐は、徳妃が黒幕であると思いますか」
「正直なところ、わからない」
彼は険しい顔をして、腕を組む。
「母上は、俺と言葉を交わされない。何を考えているのか、わからない」
「……会話を、されたことがないのですか」
「ほとんど、ない。同じ部屋で、庭を見ながら菓子をつまんだことがあるくらいだ」
静寂の中、ただそこに存在するだけの母親。その前で、緊張の面持ちで菓子をつまむ子ども。その歪な光景を想像して、羅刹の胸は苦しくなる。
私に親はいなかった。
でも紙屋の養父も養母も、親子という関係にはならなかっただけで、優しく接してくれた。
仕事はきついが皆可愛がってくれた。おかげで羅刹は、親がいなくともまっすぐに育つことができたのだ。
戸籍は抜けたが、たまに文をくれる元同僚もいて、その中に養い親からの餞別が入っていることもある。
でも雲嵐にはきっと、そういう相手がいなかった。
実父に憎まれ、義母に憎まれ、周囲の人間からも腫れ物のように扱われた。本当の自分は存在することさえ許されず、常に隠れて生きていかねばならない。
「雲嵐……」
「なんだ」
「あの、大丈夫ですか」
「俺が? なぜだ」
「お母様が、こんなことになって」
「あれは母ではない。ただ、建前上親ということになっているだけだ」
彼の表情には、微塵の変化もない。それが何だか悲しかった。
不幸な出来事が、この人にとっては当たり前のことになっている。
「あの。辛いことや、悲しいことがあったら、私に話してくださいね。官吏といっても進士ですし、できることは少ないですが。雲嵐が泣きたくなった時、肩を貸すくらいはできますから」
そう声をかけると、彼は困惑したようだった。出口の見えない迷路に放り込まれた、子どものような顔だ。
顎に手を当てて考え込んだかと思うと、口角が上がった。
うわ。
彼の笑顔を初めてみた。
翡翠の瞳が細められ、頬が不器用に緩んでいる。嬉しいが、それを素直に表現するのが難しいという表情だ。
どこかあどけなさの残る、少年のような笑顔に、羅刹はどきりとした。
「そんなことを言われたのは初めてだ。……心配されるというのは、嬉しいものだな」
「そ、そうですか」
「なぜ赤くなっている」
「ナンデモナイデス」
面をつけていないいつもの雲嵐のように、羅刹は顔を背けた。
冷静になろうと、事件のことを考え始める。
一見、綺麗にまとまったように見える。実行犯が捕まり、証拠が見つかった。これから徳妃への聞き取りが行われ、事件は早々に処理されたことになり、後宮には平和が戻るだろう。
だが、腑におちない。
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