男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ

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第5章 母と息子

玉龍宮

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 蓮池を望む四阿の下、薄墨色の襦裙を着た女は、薄い玻璃の器に入った白酒を揺らしていた。

「鏡花妃、お話を宜しいかな」
「刑部尚書自らお越しになるとは。外朝はそれほど暇なのかしら」

 黒い立派な髭に、剛毛の眉。美しい妃とは対照的な尚書は、困った顔をする。

「徳妃に最大限の礼を払った故のことです」
「私を処刑するおつもり?」

 他の妃のように宝石を身につけることもなく、衣には刺繍さえない。喪に服しているかのごとき襦裙は、度々非難の的となる。徳妃ともあろうものが、妃の品位を下げていると。

 しかし当の鏡花は悪びれることもなく、堂々とこの衣で通している。
 そして飾り気のない彼女の姿は、清廉で美しかった。

「処刑などと。まずは調べを……」
「調べるふりをして、偽りの事実を作り上げるのでしょう?」

 眉尻を下げ、優雅に笑う妃の色香に、無骨な尚書は口をつぐむ。首をぶんぶんと左右に振り、正気を取り戻そうとしている。

「刑部尚書は徳妃様のことを慮っておられるのですよ。これ以上、罪が重くならないように」
「あら、あなたもいたのねぇ、蔡華」

 凪いだ水面のようだった鏡花の表情が揺らぐ。それは後宮の女たちが蔡華に向ける恋情とは違うものだった。

「蒼の君のご様子は? すべては解決したわけですから、ふんぞりかえってお酒でも嗜んでいる頃かしら」
「翠の瞳が、近づいてくると」

 刑部尚書は蔡華の発言の意図を計りかねているようだったが。鏡花は意を得たりとばかりに哀れみの笑みを向ける。

「自業自得だわ」

 緩やかに立ち上がり、微笑をたたえたまま彼女は言った。

「妾の動機は、そうねえ。他の妃に嫉妬した故に行った愚行。私をこの立場へ追いやった蒼の君への恨み。そんなところでお願いしましょうか」


 ◇ ◇ ◇


 おかしい。絶対におかしい。
 凄まじい速さで書類に目を通し、仕分けをしながら羅刹は考えていた。

 徳妃はあっさりと罪を認め、現在は軟禁状態で刑部の聞き取りを受けているという。
 本当に彼女がやったのだろうか。では大麻はどうやって入手したのか? 調べが進めばわかることだろうが、どうも納得がいかない。

 ううんとうなり、首を傾げる。
 やはり自分の手でも大麻の入手経路については調べておきたい。
 解をを出すためには、情報は多ければ多いほどよい。その方がより正確に物事の判断ができる。
 

「こちらの書類仕分け終わりました。本日配布の書類を届けてまいります」

「何だか張り切ってるなぁ。まあ、張り切ってるのはいつものことか。働きすぎて擦り切れるなよぉ、若者」

 綺尚書は大きな腹を窮屈そうに丸め、書類に印を押す。殺伐としがちな吏部の雰囲気は、彼がいる時間だけは角が取れている感じがする。

「はい! 大丈夫です! まだまだ働けますよ!」

 羅刹は書類を担ぎ、道を進む。
 仕事が終わったら、雲嵐と会う約束をしている。府庫にある史書を読みに行くためだ。

 大麻騒乱。国内での大麻の運び役を務めた一族の名を、雲嵐も知らなかった。
 急激に終わりへと向かう妃の殺害事件に、違和感を抱えていたのは雲嵐も同じで、手付かずとなっていた大麻の入手経路の調査は続行することにした。

 あれだけ大きな事件を収束させるために、国内の主犯格がとらえられていない可能性は少ない。
 今回の犯行に大麻が使われたとしたら、流通に一枚噛んでいるに違いないのだ。
 そうすれば自ずと、今回の犯人の手がかりも見えてくるだろう。

 普段行く書庫にある史書はもう読み尽くしていて、羅刹の頭の中に入っている。他に大麻騒乱の関連資料があるとすれば、普段あまり参照されない史書を納めている府庫にあるはずという話になり、今日向かうことになった。

 書類はすぐに配り終わり、羅刹は吏部へと足を向ける。すると向こうから、錦の髪の麗人がこちらへ向かってくるのが見えた。

「羅刹さん。探しましたよ」

「僕にご用ですか?」

 少女のような無邪気さを含む笑みが、羅刹に向けられる。

「ええ、雲嵐さんに呼んでくるよう言われまして」

「雲嵐、ですか?」

 どうしたのだろうか。彼が人を寄越すなど珍しい。いつもおかしな面を被って、突然現れるのに。

「こちらへ」

 宦官にしてはゴツゴツとした手が、羅刹の手首を掴む。急ぐように言われ、普段は向かわない方角へと歩いていく。行先は外朝のはずれだ。この方向には使われていない古い建物があるのみで、人気もない。

手にはじわりと汗をかいていた。
目の前にいるのは美貌の宦官。誰もが慕う優男。そのはずなのだが。

「あの、本当にここで雲嵐が待っているんですか?」

 彼は黙ったまま、今は閉ざされ、苔むした扉の前で立ち止まる。

「羅刹さんは、彼と親しいのですか?」

「……親しいというか。腐れ縁と言いますか」

の仲と言っても差し支えありませんか?」

「いやいや、まさかそんな」

 そこまで言って、羅刹の表情が固まる。
 今、男女と言わなかっただろうか。

「おや、冗談で言ってみたのに。なぜ羅刹さんは動揺しているのでしょうか? まさか本当に、女だったりしますか?」

 ぐい、と手首を引っ張られ、扉の側に追い詰められる。青い瞳が間近に迫っていた。

「何をするおつもりですか」

 刹那、喉元をグッと指で押される。喉仏を確認されているのだと、分かった。

「ああ。確かに女の子だ。なぜ気がつかなかったんでしょう。こんなにわかりやすい弱みが、君にあったとは」

 誰もが見惚れる美しい男のはずなのに、うすら寒さを感じる。

 ああ、そうか。この人、目が笑っていないんだ。

 錦の髪に、青い瞳の燕族。滅んだはずの一族の、最後の生き残り。
 腹に抱えたものが、ないはずがない。

「あ……!」

「どうしましたか」

 なぜ気がつかなかったのだろう。燕族が働いた謀反については、詳しい記録が残っていなかった。だが彼らが処刑された時期は、大麻騒乱による混乱が収束した時期と重なる。

 蔡華は皇帝のお気に入りだ。あの皇帝なら、寵愛する臣下のため、不都合な過去を一目につかないように丁寧に覆い隠してしまうだろう。そう、凰一族にしたように。

「大麻騒乱の時、運び屋をしていたのは、燕族ですね」

「おや、そこまで辿り着きましたか。さすが、状元及第」

 直後、ずしん、という重い一撃が鳩尾にめり込む。
 羅刹の意識は、そこで途切れた。

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