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第三章 魔王様、アルバイトは時給千円からです!
第72話 メインディッシュ・ロワイヤルと、魔王、球を追う
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【異世界・王宮大広間】
王宮晩餐会の空気は、メインディッシュの登場と共に、新たな局面を迎えていた。会場に漂うのは、二種類の全く異なる、しかしどちらも抗いがたい芳香。
厨房右翼、グラント陣営からは、完璧な焼き加減の仔羊のロースト。ローズマリーとニンニクの香りが、洗練されたソースの香りと絡み合い、貴族たちの期待感を静かに、しかし確実に高めている。給仕たちの動きも、まるで訓練されたバレエ団のように優雅だ。
対する左翼、我らがマカイ亭。 「わわっ! シェフ! お肉が! お肉がプルプルで、お皿から逃げ出しそうです!」 「リリア、それは褒め言葉だ! 落とすなよ! バルガス! ソース、あとレンゲ半分! 違う、その小皿じゃない! もっとこう、慈愛に満ちた感じでかけるんだ!」 「……じあい……?」 「ギギ! 付け合わせのニンジン、向きが逆だ! 竜のツノは上向き! そうじゃなきゃただの曲がったイモだ!」 「ひぃぃ! い、命ばかりは!」
厨房は相変わらずのカオス。だが、その中心で陽人が仕上げている『水晶玉葱と牛肉のデミグラスソース風煮込み・マカイ亭スタイル』は、見た目こそグラントの芸術品には劣るものの、コトコトと煮込まれた牛肉と、飴色に輝く水晶玉葱、そして醤油とみりん風調味料が隠し味となったソースが、家庭的で温かく、それでいて抗いがたい食欲をそそる香りを放っていた。
「よし、第二陣、出撃! 味で、心で勝負だ!」 陽人の檄を受け、リリアとバルガス(もはや完全に給仕係として認知されている)が、熱々の皿を手に、決死の面持ちで大広間へと向かう。
大広間の反応は、まさに両陣営への評価を二分していた。 グラントの仔羊には、「完璧だ…」「これぞ王宮の味…」「ソースの深みが…」と、予定調和の賞賛の声。貴族たちは、その洗練された味わいに、満足げに頷いている。
一方、陽人の煮込みがテーブルに置かれた瞬間。 「む…? これは…煮込み料理か? 晩餐会で、このような家庭的なものを出すとは…」 「見た目は、少々、地味ですわね…」 「しかし、この香りは…! なんだか、故郷を思い出すような…?」
ボルドア子爵は、待ってましたとばかりに、隣席の貴族に扇子で口元を隠しながら囁く。 「ご覧なさい。やはり下町の料理。品格というものが…」
だが、その言葉は途中で途切れた。 一口食べた貴族たちの表情が、次々と変化していくのだ。 最初は訝しげに、次いで驚きに、そして最後には、蕩けるような幸福感に。
「なっ…!? こ、これは……!?」 「柔らかい…! 牛肉が、口の中で、とろける…!」 「このソース…! 濃厚なのに、後味がしつこくない…! なんだ、この懐かしいような、それでいて初めて味わうような深みは…!?」
ボルドア派の貴族でさえ、思わず「うむ…」と唸り声を漏らし、二口、三口とスプーンを進めてしまう。その様子に、ボルドア子爵は扇子を持つ手を微かに震わせ、苦々しげに料理を睨みつけた。オルロフ公爵は、その光景を、満足げな笑みを浮かべて静かに見守っている。
【日本・横浜・河原】
「うおおおおおおっりゃあああああああ!!!」
魔王ゼファーの、地軸を揺るがすかのような雄叫びが、平和な日曜日の河川敷にこだました。 彼の手から放たれた白球――軟式ボール――は、物理法則を無視したかのような速度と角度で、空へと打ち上げられた。
「あーーーーーっ!!!」 ボールを教えた少年――オヤカタの息子、ケンタ君――が、悲鳴に近い叫び声を上げる。ボールは遥か彼方、川の対岸の茂みへと吸い込まれていった。
「……やりすぎたか」 ゼファーは、己の剛腕(まだ魔力が完全ではないため、純粋な筋力だ)を見下ろし、ポツリと呟いた。 彼にとって、「きゃっちぼーる」なる遊戯は、理解不能な代物だった。なぜ球を投げ、捕るのか。そこに戦略性は? 支配は? 栄光は? 何もない。ただ、投げ、捕る。その繰り返しの、なんと非生産的なことか。
だが、ケンタ君は熱心だった。 「ゼファーのおっちゃ…じゃなくて、ゼファーさん! こう、手首のスナップを利かせて!」 「すなっぷ…? それは骨を砕く技か?」 「ちがーう! こう、ヒュッて!」
ゼファーは、少年の屈託のない笑顔と、その小さな手に握られた古びたグローブを見ているうちに、いつしかムキになっていた。負けず嫌いの血が騒いだのだ。王たるもの、たとえ遊戯であろうと、頂点を極めねばならぬ、と。 その結果が、場外ホームラン(キャッチボールだが)である。
「ご、ごめん、ケンタ君……。ボール、なくなっちゃった……」 しょんぼりと肩を落とすケンタ君に、近くでオヤカタや他の作業員たちとバーベキューの続きを楽しんでいたギギが、慌てて駆け寄ってきた。 「け、ケンタ様! お怪我は!? 魔王様の剛速球…いえ、剛腕、お許しください!」 「ううん、大丈夫だよ、ギギさん。でも、ボール……父ちゃんに買ってもらったばっかなのに……」
その時だった。ゼファーが、やおら茂みの方へと歩き出した。 「案ずるな、少年よ。我が『探索』の魔眼――いや、我が眼力をもってすれば、失われし球を見つけ出すことなど、造作もない」 「え? でも、あっち、立ち入り禁止の……」
ケンタ君の制止も聞かず、ゼファーは「関係ない」とばかりに、草むらへと分け入っていく。王の威厳を取り戻すには、ここで成果を上げるしかなかった。
数分後。 「むんっ!」 という気合と共に、ゼファーが茂みから姿を現した。その手には、泥だらけのボールが……いや、ボールだけでなく、なぜか古びた長靴と、錆びた空き缶も一緒に握られていた。
「見つけたぞ、少年! ついでに、この世界の古代遺物(アーティファクト)らしきものも発見した! 褒めてつかわす!」 「わーい! ボールあったー! ……って、おっちゃん、それ、ただのゴミだよ……」
ケンタ君はボールを受け取って喜んだが、ゼファーのドヤ顔での「古代遺物」発言には、さすがに苦笑いを浮かべるしかなかった。 だが、そのやり取りを見ていたオヤカタたちは、腹を抱えて笑っていた。
「はっはっは! ゼファーさん、あんた最高だよ! 見た目は怖えけど、面白い奴だな!」 「いやー、まさか魔王様(?)とキャッチボールする日が来るとはなー!」
ゼファーは、その笑い声の中心で、少しだけ居心地が悪そうに、しかし、満更でもないような表情を浮かべていた。 (……解せぬ。だが……悪くない。この、理由なき、連帯感……)
バーベキューの煙と、人々の笑い声。平和な休日の、ありふれた光景。 それが、魔王の心を、静かに、しかし確実に、変えていく。 彼はまだ、その変化の本当の意味を知らない。だが、無意識のうちに、「力」ではない、「温かさ」に触れていた。 それは、彼が異世界で作り出した、あの奇跡の肉じゃがに通じる、何かだったのかもしれない。
王宮晩餐会の空気は、メインディッシュの登場と共に、新たな局面を迎えていた。会場に漂うのは、二種類の全く異なる、しかしどちらも抗いがたい芳香。
厨房右翼、グラント陣営からは、完璧な焼き加減の仔羊のロースト。ローズマリーとニンニクの香りが、洗練されたソースの香りと絡み合い、貴族たちの期待感を静かに、しかし確実に高めている。給仕たちの動きも、まるで訓練されたバレエ団のように優雅だ。
対する左翼、我らがマカイ亭。 「わわっ! シェフ! お肉が! お肉がプルプルで、お皿から逃げ出しそうです!」 「リリア、それは褒め言葉だ! 落とすなよ! バルガス! ソース、あとレンゲ半分! 違う、その小皿じゃない! もっとこう、慈愛に満ちた感じでかけるんだ!」 「……じあい……?」 「ギギ! 付け合わせのニンジン、向きが逆だ! 竜のツノは上向き! そうじゃなきゃただの曲がったイモだ!」 「ひぃぃ! い、命ばかりは!」
厨房は相変わらずのカオス。だが、その中心で陽人が仕上げている『水晶玉葱と牛肉のデミグラスソース風煮込み・マカイ亭スタイル』は、見た目こそグラントの芸術品には劣るものの、コトコトと煮込まれた牛肉と、飴色に輝く水晶玉葱、そして醤油とみりん風調味料が隠し味となったソースが、家庭的で温かく、それでいて抗いがたい食欲をそそる香りを放っていた。
「よし、第二陣、出撃! 味で、心で勝負だ!」 陽人の檄を受け、リリアとバルガス(もはや完全に給仕係として認知されている)が、熱々の皿を手に、決死の面持ちで大広間へと向かう。
大広間の反応は、まさに両陣営への評価を二分していた。 グラントの仔羊には、「完璧だ…」「これぞ王宮の味…」「ソースの深みが…」と、予定調和の賞賛の声。貴族たちは、その洗練された味わいに、満足げに頷いている。
一方、陽人の煮込みがテーブルに置かれた瞬間。 「む…? これは…煮込み料理か? 晩餐会で、このような家庭的なものを出すとは…」 「見た目は、少々、地味ですわね…」 「しかし、この香りは…! なんだか、故郷を思い出すような…?」
ボルドア子爵は、待ってましたとばかりに、隣席の貴族に扇子で口元を隠しながら囁く。 「ご覧なさい。やはり下町の料理。品格というものが…」
だが、その言葉は途中で途切れた。 一口食べた貴族たちの表情が、次々と変化していくのだ。 最初は訝しげに、次いで驚きに、そして最後には、蕩けるような幸福感に。
「なっ…!? こ、これは……!?」 「柔らかい…! 牛肉が、口の中で、とろける…!」 「このソース…! 濃厚なのに、後味がしつこくない…! なんだ、この懐かしいような、それでいて初めて味わうような深みは…!?」
ボルドア派の貴族でさえ、思わず「うむ…」と唸り声を漏らし、二口、三口とスプーンを進めてしまう。その様子に、ボルドア子爵は扇子を持つ手を微かに震わせ、苦々しげに料理を睨みつけた。オルロフ公爵は、その光景を、満足げな笑みを浮かべて静かに見守っている。
【日本・横浜・河原】
「うおおおおおおっりゃあああああああ!!!」
魔王ゼファーの、地軸を揺るがすかのような雄叫びが、平和な日曜日の河川敷にこだました。 彼の手から放たれた白球――軟式ボール――は、物理法則を無視したかのような速度と角度で、空へと打ち上げられた。
「あーーーーーっ!!!」 ボールを教えた少年――オヤカタの息子、ケンタ君――が、悲鳴に近い叫び声を上げる。ボールは遥か彼方、川の対岸の茂みへと吸い込まれていった。
「……やりすぎたか」 ゼファーは、己の剛腕(まだ魔力が完全ではないため、純粋な筋力だ)を見下ろし、ポツリと呟いた。 彼にとって、「きゃっちぼーる」なる遊戯は、理解不能な代物だった。なぜ球を投げ、捕るのか。そこに戦略性は? 支配は? 栄光は? 何もない。ただ、投げ、捕る。その繰り返しの、なんと非生産的なことか。
だが、ケンタ君は熱心だった。 「ゼファーのおっちゃ…じゃなくて、ゼファーさん! こう、手首のスナップを利かせて!」 「すなっぷ…? それは骨を砕く技か?」 「ちがーう! こう、ヒュッて!」
ゼファーは、少年の屈託のない笑顔と、その小さな手に握られた古びたグローブを見ているうちに、いつしかムキになっていた。負けず嫌いの血が騒いだのだ。王たるもの、たとえ遊戯であろうと、頂点を極めねばならぬ、と。 その結果が、場外ホームラン(キャッチボールだが)である。
「ご、ごめん、ケンタ君……。ボール、なくなっちゃった……」 しょんぼりと肩を落とすケンタ君に、近くでオヤカタや他の作業員たちとバーベキューの続きを楽しんでいたギギが、慌てて駆け寄ってきた。 「け、ケンタ様! お怪我は!? 魔王様の剛速球…いえ、剛腕、お許しください!」 「ううん、大丈夫だよ、ギギさん。でも、ボール……父ちゃんに買ってもらったばっかなのに……」
その時だった。ゼファーが、やおら茂みの方へと歩き出した。 「案ずるな、少年よ。我が『探索』の魔眼――いや、我が眼力をもってすれば、失われし球を見つけ出すことなど、造作もない」 「え? でも、あっち、立ち入り禁止の……」
ケンタ君の制止も聞かず、ゼファーは「関係ない」とばかりに、草むらへと分け入っていく。王の威厳を取り戻すには、ここで成果を上げるしかなかった。
数分後。 「むんっ!」 という気合と共に、ゼファーが茂みから姿を現した。その手には、泥だらけのボールが……いや、ボールだけでなく、なぜか古びた長靴と、錆びた空き缶も一緒に握られていた。
「見つけたぞ、少年! ついでに、この世界の古代遺物(アーティファクト)らしきものも発見した! 褒めてつかわす!」 「わーい! ボールあったー! ……って、おっちゃん、それ、ただのゴミだよ……」
ケンタ君はボールを受け取って喜んだが、ゼファーのドヤ顔での「古代遺物」発言には、さすがに苦笑いを浮かべるしかなかった。 だが、そのやり取りを見ていたオヤカタたちは、腹を抱えて笑っていた。
「はっはっは! ゼファーさん、あんた最高だよ! 見た目は怖えけど、面白い奴だな!」 「いやー、まさか魔王様(?)とキャッチボールする日が来るとはなー!」
ゼファーは、その笑い声の中心で、少しだけ居心地が悪そうに、しかし、満更でもないような表情を浮かべていた。 (……解せぬ。だが……悪くない。この、理由なき、連帯感……)
バーベキューの煙と、人々の笑い声。平和な休日の、ありふれた光景。 それが、魔王の心を、静かに、しかし確実に、変えていく。 彼はまだ、その変化の本当の意味を知らない。だが、無意識のうちに、「力」ではない、「温かさ」に触れていた。 それは、彼が異世界で作り出した、あの奇跡の肉じゃがに通じる、何かだったのかもしれない。
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