異世界召喚された俺の料理が美味すぎて魔王軍が侵略やめた件

さかーん

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第三章 魔王様、アルバイトは時給千円からです!

第85話 聖者の供物と、魔王、最強の敵(ルール)と戦う

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【異世界・マカイ亭】

 翌朝、陽人は、己がしでかしたことの重大さを、まったく別の形で思い知らされていた。

「し、シェフ! ど、どうしましょう!? 店が……店が埋まってます!」 リリアの悲鳴に似た声に、厨房で頭を抱えていた陽人は、慌てて店の入り口へと向かった。

 店の扉は、まだ固く閉じられている。「支度中」の札も下がったままだ。 だが、その扉の前には、昨日までの「吊るし上げてやる」という殺気立った雰囲気とは真逆の、静かで、しかし異様な熱気を帯びた人だかりができていた。いや、人だかりではない。供物(そなえもの)の山だった。

「……なんだ、これ」 陽人は、扉の隙間から外を覗き、絶句した。 店の前には、瑞々しい野菜が詰まったカゴ、高級そうなワインの樽、花束、あまつさえ「聖者様へ」と書かれた拙い文字の手紙までが、山のように積まれている。

「ひぃぃぃ! き、昨日、シェフが『聖餐(せいさん)』とか言ったからです!  私たち、完全に本物の聖地だと思われてますぅ!」 ギギが、カウンターの陰から顔を半分だけ出して、わなわなと震えている。 「……肉。……上質だ」 バルガスだけが、供物(と彼が認識しているかは不明だが)の山の中にある、見事な霜降りの肉塊を鑑定し、静かに頷いていた。

「は、はは……。どうすんだよ、これ……」 陽人は、乾いた笑いを漏らした。 昨日の公聴審査会  での逆転劇は、尾ひれどころか巨大な竜の翼がついて王都中を駆け巡ったらしい。「ギルドの頑固者どもを、一皿の料理で泣き崩れさせた」「ボルドア子爵の邪気を、聖なる光で浄化した」――そんな、もはや原型を留めていない噂と共に。

「シェフ!」リリアが、興奮と不安で顔を上気させながら、陽人の腕を掴んだ。「こ、これ、どうします!? もしかして、私たち、もう働かなくても、このお供え物だけで暮らしていけちゃうんじゃ……!?」 「馬鹿言え!」陽人は、リリアの頭を軽く小突いた。「俺たちは食堂だ! 神社じゃない! 頂いたものはありがたいが、これじゃ商売上がったりだ!」

「品格がない」と吊るし上げられたかと思えば、次の日には「聖者」として崇められる。この世界の評価の振り幅は、ジェットコースターよりも激しい。 (……だが、このままじゃ、本当に『マカイ亭』じゃなくて『聖ハルト教会』になっちまう)

 陽人は、決意した。 「よし。リリア、ギギ、バルガス!」 「「「はいっ!(ウス)」」」 「これは、客からの『前金』だ! 頂いた食材は、全て使わせてもらう。だが、タダにはしない!」

 陽人は、店の扉に「準備中」の札を叩きつけるように貼り付け直した。 「今日は、この『供物』を使って、王都一の『炊き出しスープ』を作る! そして、来てくれた人たち全員に、無料で振る舞うぞ!」 「えええっ!? 無料ですか!?」 「ああ! 聖者の奇跡(笑)なんかに金は取れねえだろ! 俺たちは、料理人だ。美味いメシを食わせて、笑顔で帰ってもらう。それだけだ!」

 陽人のその言葉に、リリアは一瞬きょとんとしたが、すぐに「はいっ!」と最高の笑顔で頷いた。 「……合理的だ」 バルガスが、さっそく一番大きな寸胴鍋を運び出す。 「ひぃぃ! 炊き出し! 頑張りますぅ!」

 陽人は、供物の山から、ひときわ立派な野菜を手に取った。 (面倒なことになったのは変わらないが……。これで、少しは『聖者』の熱狂も冷めるだろ)

 だが、陽人はまだ知らない。彼が「善意」で振る舞うこの炊き出しスープが、彼の評判をさらに固定化させ、「やはり聖者様は、慈悲深い…!」と、熱狂にさらなる油を注ぐことになるということを――。

【日本・横浜・区役所】

 魔王ゼファーは、己の王としてのキャリアにおいて、これほどまでに無力感を味わったことはなかった。 目の前には、高さわずか90センチほどの、アクリルの板。 その向こう側には、丁寧な笑顔を浮かべた、市役所の女性職員。

 彼女こそが、ゼファーが昨日挑んだ『法学入門』や『日本の警察システム』  の知識を、いともたやすく無力化する、現代日本の最強の門番だった。

「――ですから、ゼファー様」 「『様』は不要だ」 「……はい。ゼファーさん。ですので、この『健康保険証(という名のアミュレット)』  を発行するには、まず、ゼファーさんの『身分を証明するもの』が必要になるんです」 「ゆえに、申しておる!」ゼファーは、苛立ちを抑え、カウンターを(ごく優しく)ドンと叩いた。「我が身分は、魔王! 魔界の統治者であると!」

「はあ……」職員は、完璧な「またこの手の人が来た」という顔で、ため息を隠そうともしない。「そういう『設定』ではなくてですね……。パスポートとか、運転免許証とか……」 「ぱすぽーと……?」 「……あの、オヤカタさんからお聞きしました。昨日、川の氾濫を食い止めるのを手伝ってくださった、現場のゼファーさん、ですよね?」 

「うむ! 我が『治水術』、見たか!」 ゼファーが胸を張った。 「はい。大変感謝しております。ですが、それとこれとは、話が別でして」 職員は、一枚の申請用紙をゼファーの前に滑らせた。

「まず、こちらに『住民登録』をしていただく必要があります。ですが、それには『在留カード』が必要でして。それがないということは、えーっと……」 「ふ、不法入国ですぅ!」 ゼファーの足元で、ギギが、ついに言ってはいけない言葉を、涙ながらに叫んでしまった。

「……ふほう、にゅうこく……?」 ゼファーの眉が、ピクリと動く。 職員の目が、初めて笑顔ではなく、真剣なものになった。 「……お客様。ちょっと、あちらの別室で、詳しいお話を……」

(――まずい) ゼファーは本能で悟った。この「べっしつ」という名の空間は、恐らくは「尋問室」だ。ここで、自らの素性(魔王)を語ったが最後、この世界の「法」によって、社会的に抹殺(病院送り)される!

「……オヤカタが、呼んでおる」 ゼファーは、王としての威厳をかなぐり捨て、最もありきたりな嘘をついた。 「え? でも……」 「行くぞ、ギギ!」 「は、はいぃぃ!」 ゼファーは、ギギの首根っこを掴むと、職員の制止を振り切り、脱兎のごとく市役所から駆け出した。

「ちょ、お客様! お待ちください!」 職員の声が、遠くなっていく。 ゼファーとギギは、全速力で工事現場の事務所へと逃げ込んだ。

「ぜぇ……はぁ……。オヤカタよ!」 「お、おう、ゼファーさん? どうした、そんなに慌てて。まるで憲兵に追われたみたいじゃねえか」 ゼファーは、オヤカタの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。 「『みぶん』だ! 我が『身分』を、この世界に『登録』する方法を教えろ! 我は、『ふほうにゅうこくしゃ』という名の、最下層カーストから脱却せねばならん!」

「はあ!? ふほうにゅうこく!? あんた、いったい何者なんだよ!?」 オヤカタは、さすがにいつものジョークでは済まされない単語に、目を丸くする。

「……我は、王だ」 ゼファーは、観念したように、真実(の一部)を語ることにした。 「……だが、この世界では、無力な一人の男だ。そして、住む家(アパート)を失いたくない。……オヤカタよ。我を、貴様の『従業員』として、正式に登録してはくれぬか?」

 ゼファーは、魔王として、生まれて初めて、他者に、心の底から頭を下げて「懇願」した。 オヤカタは、その、あまりにも真剣で、どこか悲痛なゼファーの表情に、しばし呆気に取られていたが……。

 やがて、頭をガシガシとかきながら、大きくため息をついた。 「……はーーーっ。分かったよ! 面倒くせえことに巻き込まれた気もするが、しょうがねえ! あんたのその怪力(バカ力)には、昨日、命助けられてるからな!」 「……おお!」 「よし、ウチの会社で雇ってやる! 身元保証人は、このオヤカタこと、山本権蔵がなってやるよ! これで、あんたも今日から、晴れて『横浜市民』だ!」

「……やまもと……ごんぞう……」 ゼファーは、その恩人の名を、確かに胸に刻んだ。 「……恩に着る。この借りは、我が魔界の『国宝』をもって、いずれ……」 「いや、国宝はいらねえから、明日も現場で鉄骨運んでくれよな、ゼファーさん!」

 こうして、魔王ゼファーは、横浜市鶴見区在住、山本建設所属、作業員「ゼファー」(推定30代)という、この世界における、揺るぎない「身分(アイデンティティ)」を手に入れたのだった。 彼の次なる目標は、もちろん、最強の護符(アミュレット)――「健康保険証」の再取得である。
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