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第七話 契約文の穴、埋めます(あなたの心も……とは言いません)
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「……つまり、こういうことですの? 私はこれから一生、誰に対しても『まあ、素敵な髪型ですこと(本当は鳥の巣みたいだけど)』と言えなくなる、と」
「正確には、『素敵な髪型ですね』と言おうとすると喉が引きつり、代わりに『斬新な鳥の巣ですね』という言葉が自動選択されて出力される。……素晴らしい機能だろう?」
宰相府の執務室。 私はテーブルに突っ伏して、絶望の淵にいた。 目の前では、私の新しい夫(契約上)であるアシュ様が、涼しい顔で紅茶を啜っている。
「素晴らしくありませんわ! 社交界は『建前』と『皮肉』と『お世辞』で構成されているんですのよ!? 本音しか言えないなんて、裸で戦場に出るようなものです!」
私はガバッと顔を上げ、抗議した。 契約直後、私はこの『真実の誓約印(ヴェリタス・シジル)』の恐ろしさを身をもって体験した。 試しにニナの作ったクッキーを「世界一美味しい」と褒めようとしたら、「焦げてるけど愛は感じる」と口走ってしまい、ニナを複雑な表情にさせてしまったのだ。
「安心しろ。完全に口を封じられるわけではない。沈黙は許されている」
アシュ様は書類から目を離さずに言う。
「どうしても言いたくない本音がある場合は、黙っていればいい。……もっとも、私との会話においては、沈黙もまた一つの回答(肯定)とみなすが」
「鬼! 悪魔! 合理的サイボーグ!」
「褒め言葉として受け取っておく。事実、私は感情に流されず、常に最適解を導き出すよう訓練されているからな」
アシュ様の左手の薬指が、キラリと光った。 ……今の「褒め言葉として受け取る」も、本心からの発言なのだ。 この人、本当に鋼のメンタルをしている。嫌味を言われても、それが事実(合理的であること)なら喜んでしまうなんて。
「はぁ……。わかりました。もう契約してしまった以上、嘆いても仕方ありません」
私は気持ちを切り替えた。 嘆く時間があるなら、対策を講じるのが『鉄薔薇』流だ。
「契約文の修正、もしくは『運用ルールの厳格化』を提案します」
私は羽ペンを取り、新しい羊皮紙を広げた。
「まず、公の場における私の発言権の制限。私が失言しそうになったら、アシュ様が即座に会話を遮ってください。これは夫としての義務です」
「ふむ。私の妻が『無礼な女』と評価されるのは、私の管理能力の欠如とみなされる。合理的だ。採用しよう」
「次に、質問への回答義務の緩和。アシュ様が私に質問をした際、私が『ノーコメント』と答えた場合は、それ以上の追求を禁止してください。……乙女には秘密が必要なんです」
「却下だ」
即答だった。
「なぜです!?」
「我々は運命共同体だ。君が抱えるリスクや爆弾は、すべて私が把握しておく必要がある。……ただし、君の趣味嗜好や、昨夜食べたお菓子のカロリーといった『業務に関係ない事項』については、追求しないと約束しよう」
「……ぐぬぬ。妥協点としては悪くありませんわね」
私は渋々頷き、条文を追加していく。 こうして、私たちは数時間にわたり、まるで敵国同士の和平交渉のように、互いの権利と義務を微調整し続けた。
やがて、日が傾き始めた頃。 ようやく最終的な『無愛契約婚・運用マニュアル』が完成した。
「……ふう。これで何とか、社会的に抹殺されるリスクは減りましたわ」
私はペンを置き、凝り固まった肩を回した。 すると、アシュ様が立ち上がり、私の背後に回った。
「えっ、何を……」
驚く間もなく、彼の手が私の肩に置かれ、絶妙な力加減で揉みほぐし始めたのだ。
「!?」
「疲労が蓄積しているようだな。この後のダンス練習に支障が出る」
アシュ様は淡々と言う。 そう、来週の夜会に向けたダンスの練習も、今日の予定に入っていたのだ。
「い、いえ、大丈夫ですわ! お気遣いなく!」
「遠慮するな。君のコンディション管理も、私の重要な責務だ。……それに」
彼の手が止まる。 ふと、耳元で低い声がした。
「君の書類作成能力と、交渉における粘り強さ。……実に見事だった。これほど建設的な議論ができたのは、久しぶりだ」
ドキリとした。 振り返りそうになるのを、必死で堪える。
『嘘がつけない契約』。 それはつまり、今のアシュ様の言葉も、100パーセント純粋な本音だということだ。 社交辞令でも、ご機嫌取りでもない。 氷の宰相と呼ばれる彼が、私の能力を心から認めてくれている。
「……あ、ありがとうございます」
私が小さくお礼を言うと、アシュ様はふっと息を吐いた。
「礼を言うのは私の方だ。君となら――この国の腐った政治も、少しは変えられるかもしれない」
彼の声には、いつもの冷徹さとは違う、微かな熱が宿っていた。 私は恐る恐る振り返り、彼を見上げた。
そこには。 ほんのわずかに、口角を緩めて微笑むアシュ様の姿があった。
氷が解けるような、儚くも美しい微笑み。 窓から差し込む夕日が、彼の銀髪を黄金色に染め、その表情を神々しいものにしている。
ドクン。
心臓が、痛いほどの音を立てた。 な、なにこれ。 反則じゃない? こんな顔、契約書には書いてなかったわよ!
「……どうした? 顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
アシュ様が急に真顔に戻り、私の額に手を伸ばそうとする。 私は慌てて飛びのいた。
「な、なんでもありません! さあ、ダンスの練習をしましょう! スパルタでお願いしますわ!」
私は逃げるように部屋の中央へ移動した。 危ない。非常に危ない。 『愛さない契約』を結んだばかりなのに、こちらの心臓(防御壁)が持たないかもしれない。 この男、無自覚に人を殺す気か。
その後のダンス練習は、散々なものだった。 アシュ様のエスコートは完璧すぎて機械のようだし、私は動揺して何度もステップを踏み間違えた。 そのたびに「非効率な動きだ。修正する」と腰を引き寄せられ、距離が縮まる。 これは……ある種の拷問だわ。
◇
その日の夜。 ヘトヘトになって屋敷に戻った私を待っていたのは、ニナの差し出した一通の手紙だった。
「お嬢様。これ……王宮の使いからではなく、裏口のポストに直接入れられていたそうです」
封筒には差出人の名前がない。 けれど、見覚えのある筆跡。 そして、微かに漂う香水の匂い。
レオンハルト殿下だ。
私は顔をしかめながら、ペーパーナイフで封を切った。 中には、乱れた文字でこう書かれていた。
『リディア。話がある。 あの夜から、私の身体がおかしいんだ。 ミレイユを抱こうとしても、胸が焼けるように痛んで、何もできない。 お前の顔がちらついて、夜も眠れない。 これは呪いか? お前が何かしたのか? 頼む、会って解呪してくれ。 やり直したいとは言わない。ただ、元に戻りたいんだ』
読み終えた私は、手紙をくしゃりと握りつぶした。
「……馬鹿な人」
呪い? いいえ、それはご自身でかけた『公的拒絶誓約』の副作用ですわ。 「君を愛することはない」と宣言したことで、彼の魂にはその言葉が鎖となって巻き付いている。 その状態で、別の女性(ミレイユ様)を愛そうとしたり、あるいは私への未練(愛に近い感情)を持ったりすれば、誓約と感情が矛盾し、精神と肉体に負荷がかかるのは当然だ。
自業自得。 まさにその一言に尽きる。
けれど、この手紙からは、彼がすでに精神的に追い詰められつつあることが読み取れる。 追い詰められた獣は、何をするかわからない。
「ニナ。この手紙、アシュ様の元へ転送して」
「えっ? お返事は書かないのですか?」
「書かないわ。私が動けば、また『リディアが未練がましく連絡してきた』と捏造されるだけよ。……それに」
私はニヤリと笑った。
「こういう『有害な害虫駆除』こそ、契約した夫の役目でしょ?」
私は手紙をニナに託すと、窓の外の月を見上げた。 来週の夜会。 そこで私たちの結婚発表が行われる。 レオンハルト殿下が、黙って指をくわえて見ているはずがない。 きっと、そこで最後の大博打に出るつもりだ。
望むところよ。 アシュ様との『嘘がつけない』最強コンビで、あなたの未練も陰謀も、すべて粉砕してあげる。
私は拳を握りしめ、来るべき決戦(夜会)への闘志を燃やした。 ……まあその前に、アシュ様とのダンス練習で、私の心臓が爆発しないように鍛える必要があるけれど。
「正確には、『素敵な髪型ですね』と言おうとすると喉が引きつり、代わりに『斬新な鳥の巣ですね』という言葉が自動選択されて出力される。……素晴らしい機能だろう?」
宰相府の執務室。 私はテーブルに突っ伏して、絶望の淵にいた。 目の前では、私の新しい夫(契約上)であるアシュ様が、涼しい顔で紅茶を啜っている。
「素晴らしくありませんわ! 社交界は『建前』と『皮肉』と『お世辞』で構成されているんですのよ!? 本音しか言えないなんて、裸で戦場に出るようなものです!」
私はガバッと顔を上げ、抗議した。 契約直後、私はこの『真実の誓約印(ヴェリタス・シジル)』の恐ろしさを身をもって体験した。 試しにニナの作ったクッキーを「世界一美味しい」と褒めようとしたら、「焦げてるけど愛は感じる」と口走ってしまい、ニナを複雑な表情にさせてしまったのだ。
「安心しろ。完全に口を封じられるわけではない。沈黙は許されている」
アシュ様は書類から目を離さずに言う。
「どうしても言いたくない本音がある場合は、黙っていればいい。……もっとも、私との会話においては、沈黙もまた一つの回答(肯定)とみなすが」
「鬼! 悪魔! 合理的サイボーグ!」
「褒め言葉として受け取っておく。事実、私は感情に流されず、常に最適解を導き出すよう訓練されているからな」
アシュ様の左手の薬指が、キラリと光った。 ……今の「褒め言葉として受け取る」も、本心からの発言なのだ。 この人、本当に鋼のメンタルをしている。嫌味を言われても、それが事実(合理的であること)なら喜んでしまうなんて。
「はぁ……。わかりました。もう契約してしまった以上、嘆いても仕方ありません」
私は気持ちを切り替えた。 嘆く時間があるなら、対策を講じるのが『鉄薔薇』流だ。
「契約文の修正、もしくは『運用ルールの厳格化』を提案します」
私は羽ペンを取り、新しい羊皮紙を広げた。
「まず、公の場における私の発言権の制限。私が失言しそうになったら、アシュ様が即座に会話を遮ってください。これは夫としての義務です」
「ふむ。私の妻が『無礼な女』と評価されるのは、私の管理能力の欠如とみなされる。合理的だ。採用しよう」
「次に、質問への回答義務の緩和。アシュ様が私に質問をした際、私が『ノーコメント』と答えた場合は、それ以上の追求を禁止してください。……乙女には秘密が必要なんです」
「却下だ」
即答だった。
「なぜです!?」
「我々は運命共同体だ。君が抱えるリスクや爆弾は、すべて私が把握しておく必要がある。……ただし、君の趣味嗜好や、昨夜食べたお菓子のカロリーといった『業務に関係ない事項』については、追求しないと約束しよう」
「……ぐぬぬ。妥協点としては悪くありませんわね」
私は渋々頷き、条文を追加していく。 こうして、私たちは数時間にわたり、まるで敵国同士の和平交渉のように、互いの権利と義務を微調整し続けた。
やがて、日が傾き始めた頃。 ようやく最終的な『無愛契約婚・運用マニュアル』が完成した。
「……ふう。これで何とか、社会的に抹殺されるリスクは減りましたわ」
私はペンを置き、凝り固まった肩を回した。 すると、アシュ様が立ち上がり、私の背後に回った。
「えっ、何を……」
驚く間もなく、彼の手が私の肩に置かれ、絶妙な力加減で揉みほぐし始めたのだ。
「!?」
「疲労が蓄積しているようだな。この後のダンス練習に支障が出る」
アシュ様は淡々と言う。 そう、来週の夜会に向けたダンスの練習も、今日の予定に入っていたのだ。
「い、いえ、大丈夫ですわ! お気遣いなく!」
「遠慮するな。君のコンディション管理も、私の重要な責務だ。……それに」
彼の手が止まる。 ふと、耳元で低い声がした。
「君の書類作成能力と、交渉における粘り強さ。……実に見事だった。これほど建設的な議論ができたのは、久しぶりだ」
ドキリとした。 振り返りそうになるのを、必死で堪える。
『嘘がつけない契約』。 それはつまり、今のアシュ様の言葉も、100パーセント純粋な本音だということだ。 社交辞令でも、ご機嫌取りでもない。 氷の宰相と呼ばれる彼が、私の能力を心から認めてくれている。
「……あ、ありがとうございます」
私が小さくお礼を言うと、アシュ様はふっと息を吐いた。
「礼を言うのは私の方だ。君となら――この国の腐った政治も、少しは変えられるかもしれない」
彼の声には、いつもの冷徹さとは違う、微かな熱が宿っていた。 私は恐る恐る振り返り、彼を見上げた。
そこには。 ほんのわずかに、口角を緩めて微笑むアシュ様の姿があった。
氷が解けるような、儚くも美しい微笑み。 窓から差し込む夕日が、彼の銀髪を黄金色に染め、その表情を神々しいものにしている。
ドクン。
心臓が、痛いほどの音を立てた。 な、なにこれ。 反則じゃない? こんな顔、契約書には書いてなかったわよ!
「……どうした? 顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
アシュ様が急に真顔に戻り、私の額に手を伸ばそうとする。 私は慌てて飛びのいた。
「な、なんでもありません! さあ、ダンスの練習をしましょう! スパルタでお願いしますわ!」
私は逃げるように部屋の中央へ移動した。 危ない。非常に危ない。 『愛さない契約』を結んだばかりなのに、こちらの心臓(防御壁)が持たないかもしれない。 この男、無自覚に人を殺す気か。
その後のダンス練習は、散々なものだった。 アシュ様のエスコートは完璧すぎて機械のようだし、私は動揺して何度もステップを踏み間違えた。 そのたびに「非効率な動きだ。修正する」と腰を引き寄せられ、距離が縮まる。 これは……ある種の拷問だわ。
◇
その日の夜。 ヘトヘトになって屋敷に戻った私を待っていたのは、ニナの差し出した一通の手紙だった。
「お嬢様。これ……王宮の使いからではなく、裏口のポストに直接入れられていたそうです」
封筒には差出人の名前がない。 けれど、見覚えのある筆跡。 そして、微かに漂う香水の匂い。
レオンハルト殿下だ。
私は顔をしかめながら、ペーパーナイフで封を切った。 中には、乱れた文字でこう書かれていた。
『リディア。話がある。 あの夜から、私の身体がおかしいんだ。 ミレイユを抱こうとしても、胸が焼けるように痛んで、何もできない。 お前の顔がちらついて、夜も眠れない。 これは呪いか? お前が何かしたのか? 頼む、会って解呪してくれ。 やり直したいとは言わない。ただ、元に戻りたいんだ』
読み終えた私は、手紙をくしゃりと握りつぶした。
「……馬鹿な人」
呪い? いいえ、それはご自身でかけた『公的拒絶誓約』の副作用ですわ。 「君を愛することはない」と宣言したことで、彼の魂にはその言葉が鎖となって巻き付いている。 その状態で、別の女性(ミレイユ様)を愛そうとしたり、あるいは私への未練(愛に近い感情)を持ったりすれば、誓約と感情が矛盾し、精神と肉体に負荷がかかるのは当然だ。
自業自得。 まさにその一言に尽きる。
けれど、この手紙からは、彼がすでに精神的に追い詰められつつあることが読み取れる。 追い詰められた獣は、何をするかわからない。
「ニナ。この手紙、アシュ様の元へ転送して」
「えっ? お返事は書かないのですか?」
「書かないわ。私が動けば、また『リディアが未練がましく連絡してきた』と捏造されるだけよ。……それに」
私はニヤリと笑った。
「こういう『有害な害虫駆除』こそ、契約した夫の役目でしょ?」
私は手紙をニナに託すと、窓の外の月を見上げた。 来週の夜会。 そこで私たちの結婚発表が行われる。 レオンハルト殿下が、黙って指をくわえて見ているはずがない。 きっと、そこで最後の大博打に出るつもりだ。
望むところよ。 アシュ様との『嘘がつけない』最強コンビで、あなたの未練も陰謀も、すべて粉砕してあげる。
私は拳を握りしめ、来るべき決戦(夜会)への闘志を燃やした。 ……まあその前に、アシュ様とのダンス練習で、私の心臓が爆発しないように鍛える必要があるけれど。
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