「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第十四話 黒幕、貴族院にいました(王太子の背後、派閥の親玉)

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 翌朝の宰相府執務室は、いつになく殺伐とした空気に包まれていた。

 私のデスクと、アシュ様の執務机。  その間には、昨日ミレイユ様から託された「黒い手帳」が置かれている。  解析班による徹夜の作業の結果、そこに記されていた暗号はすべて解読され、おぞましい真実が白日の下に晒されていた。

 『洗脳術式による思考誘導実験記録』  『被験体:王太子レオンハルト』  『主導者:ヴァルガス公爵』

 ヴァルガス公爵。  貴族院の最長老であり、建国の功臣の末裔。  いつも穏やかな笑みを浮かべ、王太子の良き相談役として振る舞っていたあの好々爺が、裏では自分の傀儡を作るために、次期国王の脳を魔法でいじくり回していたのだ。

「……信じられませんわ」

 私は手帳をデスクに叩きつけた。

「殿下が愚かなのは元々の資質だと思っていましたけれど、まさか魔法で増幅されていたなんて。これじゃあ、殿下もある意味では被害者ではありませんか」

「被害者かつ加害者だ。洗脳されていたとしても、彼が君を傷つけた事実は消えない」

 アシュ様は書類に目を通したまま、冷淡に答える。

「問題はそこではない。このヴァルガス公爵をどう処理するかだ」

「決まっていますわ! 今すぐ騎士団を率いて公爵邸に踏み込み、この手帳を突きつけて逮捕するんです! 国家反逆罪と傷害罪、それに禁忌魔法使用罪のフルコースで!」

 私は鼻息荒く立ち上がった。  悪の親玉がわかったのだ。一刻も早く成敗して、ミレイユ様や殿下(ついでに)を解放してあげるのが筋というものだ。

 けれど。

「却下だ」

 アシュ様の一言が、私の熱意に冷水を浴びせた。

「は?」

「今すぐの逮捕は不可能だ。また、非効率だ」

 アシュ様はペンを置き、冷静な青い瞳で私を見据えた。

「相手は貴族院のトップだ。『不逮捕特権』を持っている。この手帳一冊だけでは証拠として弱すぎる。『これは捏造だ』『盗まれた日記だ』と言い逃れされれば、それを覆すのには数ヶ月かかる。その間に証拠隠滅され、トカゲの尻尾切りで終わるのがオチだ」

「で、ではどうするとおっしゃるんですか? 指をくわえて見ていろと?」

「外堀を埋める。公爵と癒着している下位貴族や商人たちから先に摘発し、公爵の資金源と手足を奪う。完全に逃げ場をなくしてから、確実に首を取る。……それが最も確実な手順だ」

 正論だ。  ぐうの音も出ないほど、論理的で正しい。  でも。

「……それには、どれくらいの時間がかかりますの?」

「最短で三ヶ月。長くて半年といったところか」

「半年!?」

 私は声を荒らげた。

「そんなに時間をかけていたら、ミレイユ様はずっと怯えたまま暮らすことになります! それに殿下の洗脳だって進行して、廃人になってしまうかもしれませんわ!」

「感情論を持ち込むな、リディア」

 アシュ様の声が低くなる。

「私は国全体の利益と、法秩序の維持を最優先している。一人の少女や、無能な王太子のために、拙速な捜査で巨悪を逃すリスクは犯せない」

 カチン、ときた。

 私はアシュ様の机に両手をつき、彼の顔を至近距離から睨みつけた。

「感情論ですって? ええ、そうですわよ! 私は人間ですから感情がありますの! 目の前で苦しんでいる人を『リスク』の一言で切り捨てるなんて、私にはできません!」

「私は切り捨てるとは言っていない。優先順位の話をしている」

「それが冷たいと言っているんです! この……合理的サイボーグ!」

「君こそ、短絡的だ。……この猪突猛進娘」

 バチバチバチ。  視線と視線がぶつかり合い、火花が散る音が聞こえそうだった。  周りの文官たちが「ひいいっ」と悲鳴を上げて机の下に隠れる気配がする。

 これが、私たち夫婦の初めての喧嘩だった。  原因は「浮気」でも「生活態度の不一致」でもなく、「行政手続きと正義の執行プロセスの相違」。  なんと可愛げのない夫婦喧嘩だろう。

 しかも、最悪なことに私たちは『嘘がつけない』。   「あなたのそういう、数字しか見ていないところが大嫌いです!」

「君のそういう、後先考えずに突っ走る無鉄砲さは見ていて胃が痛くなる!」

 本音が鋭利なナイフとなって飛び交う。  お互いに一歩も引かない。   「もういいです! アシュ様が動かないなら、私一人でやります! 私の社交人脈を使って、公爵の悪評を流して外堀を埋めてやりますわ!」

「待て。勝手な真似は許さん。君は私の管理下にある」

「管理? 私はあなたの道具ではありません! ……ふんっ!」

 私は踵を返し、執務室を飛び出した。  背後でアシュ様が「リディア!」と呼ぶ声が聞こえたけれど、無視だ。  頭を冷やす必要がある。私も、あの石頭の宰相様も。

 ◇

 私は王宮の庭園にあるベンチで、一人憤慨していた。  目の前の池に小石を投げ込む。

「合理的、合理的って……。人の心がわからないの?」

 ポチャン、と波紋が広がる。  わかっている。アシュ様の言っていることが正しいことは。  公爵のような大物を狩るには、慎重すぎるほどの準備が必要だ。私が焦って動けば、逆に返り討ちに遭う可能性が高い。

 でも、あの手帳を見たときの衝撃。  人の心を弄ぶ悪意に対する怒り。  それを「半年待て」と言われて、はいそうですかと頷けるほど、私は物分かりの良い大人じゃない。

「……はぁ。私、なんであんなに怒っちゃったんだろ」

 冷静になると、自己嫌悪が押し寄せてくる。  アシュ様は私を守ろうとしてくれているのに。「管理下にある」という言葉も、不器用な彼なりの「危険な目に遭わせたくない」という本音の裏返しだったはずだ。  『嘘がつけない』からこそ、言葉の端々にある感情(愛おしさや心配)も、ちゃんと伝わってきていたのに。

「……隣、いいか」

 不意に、頭上から声が降ってきた。  見上げると、少し息を切らせたアシュ様が立っていた。  いつもの完璧な宰相服が、少しだけ乱れている。走って追いかけてきてくれたのだろうか。

「……どうぞ。ここは公共の場所ですから」

 私がそっけなく答えると、彼は無言で隣に座った。  しばらくの間、沈黙が流れる。  聞こえるのは風の音と、鳥のさえずりだけ。

「……すまなかった」

 先に口を開いたのは、アシュ様の方だった。

「言いすぎた。君の行動力と正義感は、君の最大の長所だ。それを否定するつもりはなかった」

 素直な謝罪。  『嘘がつけない』彼が謝るということは、心底そう思っているということだ。

「……私の方こそ、ごめんなさい。アシュ様の計画が一番確実だとわかっているのに、感情的になってしまって」

 私も俯いて謝った。  すると、アシュ様の手が伸びてきて、私の手をぎこちなく握った。

「リディア。私は怖いんだ」

「え?」

 アシュ様が私を見る。  その青い瞳が、不安げに揺れていた。

「君が一人で突っ走って、私の手の届かない場所で傷つくことが。……計算できないリスク(君の安否)が、私にとって最大の恐怖だ」

 ドクン。  心臓が大きな音を立てた。  何それ。  そんなの、愛の告白と何が違うの?

「君は、私にとってただの契約者ではない。……君のいない世界は、色彩を失ったモノクロ映画のように退屈で、耐え難い」

 彼は私の手を両手で包み込み、真剣な眼差しで告げた。

「君が必要だ、リディア。感情論としてではなく、私の人生を構成する不可欠な要素(パーツ)として」

 ずるい。  本当にずるい。  こんな理屈っぽい言い方なのに、どんな甘い言葉よりも胸に響くなんて。

「……わかりました」

 私はため息交じりに、でも隠しきれない笑みを浮かべて答えた。

「仲直りしましょう。ただし、条件があります」

「なんだ? 慰謝料の増額か?」

「違います。捜査のスピードアップです。半年なんて待てません。せめて一ヶ月……いいえ、二週間で公爵を追い詰めるプランを立ててください。私手伝いますから」

 アシュ様は目を丸くし、それからフッと吹き出した。

「二週間か。……無茶な要求だ。だが、君となら不可能ではない気がする」

 彼は立ち上がり、私に手を差し伸べた。

「いいだろう。契約更新だ。最強の効率厨(私)と、最速の行動派(君)で、貴族院の狸親父を特急で地獄へ送ろう」

「ええ、喜んで!」

 私は彼の手を取り、力強く握り返した。

 雨降って地固まる。  夫婦喧嘩を経て、私たちの結束はより強固なものになった。  さあ、ヴァルガス公爵。  覚悟なさい。  宰相府の全力と、悪役令嬢の全速力が、あなたに向かったわよ!
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