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第十五話 宰相様の本音:君は“国を救う言葉”を持っている
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「期限は二週間だ。……死ぬ気で働け」
アシュ・ヴァレンシュタイン宰相の号令により、宰相府は戦場と化した。 通常なら半年かかる貴族院トップへの強制捜査準備を、わずか十四日で完了させる。 それは狂気の沙汰とも言える業務量だったが、部下たちは誰一人として文句を言わなかった。 彼らは知っているのだ。 自分たちのボスが、本気で国の大掃除をする時、どれほど冷徹で、そして頼もしいかを。
もちろん、妻(契約上)である私も例外ではない。
「リディア、貴族院の資金フロー解析はまだか」 「あと三分で終わらせますわ! こちらの裏帳簿、ワインの輸入に見せかけて違法薬物の取引をしています!」 「よし、証拠確保(マーク)だ。次、公爵の愛人リストと隠し資産の照合」 「もう終わっています! 愛人宅の名義が、すべて公爵家の遠縁の者になっていますわ。脱税の証拠になります!」
私たちは言葉を交わす時間すら惜しみ、阿吽の呼吸で書類を捌いていく。 不思議だった。 身体はクタクタのはずなのに、精神は研ぎ澄まされ、高揚している。 隣で同じ速度で思考し、同じ敵に向かって走るアシュ様の存在が、私に無限の活力を与えてくれているようだった。
◇
深夜二時。 ようやくその日のノルマを達成し、執務室に静寂が戻った。 部下たちは仮眠室へ倒れ込み、部屋には私とアシュ様だけが残された。
「……ふぅ。さすがに目が回りますわね」
私が椅子に深くもたれかかると、アシュ様が無言で温かいハーブティーを差し出してくれた。
「飲め。神経を鎮める効果がある」
「ありがとうございます」
湯気と共に香るカモミールの匂いに、張り詰めていた糸が少しだけ緩む。 アシュ様も自分のカップを手に、窓際へと歩いていった。 月明かりに照らされたその背中は、どこか寂しげで、そしてひどく孤独に見えた。
「……リディア」
不意に、彼が口を開いた。
「なぜ君は、そこまでして他人のために怒れるんだ?」
「え?」
「ミレイユ嬢のことだ。彼女は君にとって、元婚約者を奪ったライバルだったはずだ。それなのに君は、自分の危険を顧みずに彼女を救おうとした。……私には理解できない」
アシュ様は窓の外、眠る王都を見下ろしたまま続けた。
「感情は判断を鈍らせる。情けは弱点になる。私はそう学んで生きてきた。だから私は、すべての人間関係を『契約』と『利害』で定義し直した。……そうすれば、裏切られても傷つかずに済むからな」
その言葉の響きに、私は胸が締め付けられるような痛みを感じた。 『裏切られても傷つかずに済む』。 それはつまり、彼は過去に深く傷ついた経験があるということだ。
「……昔、何かあったのですか?」
私が恐る恐る尋ねると、アシュ様はしばらく沈黙し、ポツリと語り始めた。
「私の父は、言葉の美しい人だった」
前宰相であった彼の父は、誰に対しても愛を語り、理想を説き、多くの人々から慕われていたという。 幼いアシュ様にとっても、父は自慢の英雄だった。
「だが、すべては嘘だった。父は裏で汚職に手を染め、母を愛していると言いながら何人もの愛人を囲い、私を愛していると言いながら政敵への人質として差し出す準備をしていた」
淡々とした口調。 でも、そこには血の滲むような絶望が隠されていた。
「父の嘘が露見した時、家は崩壊した。母は絶望して自ら命を絶ち、私は『詐欺師の息子』としてすべてを奪われた。……その時、私は悟ったんだ。言葉など無価値だ。愛などという不確かな感情は、人を殺すための甘い毒でしかないと」
だから彼は、言葉を捨てた。 嘘のつけない『誓約魔法』を開発し、法と契約で国を縛ることで、二度とあのような悲劇が起きない世界を作ろうとしたのだ。 氷の宰相という仮面の下には、傷ついた少年の心が今も泣いている。
「……だが、君は違う」
アシュ様が振り返り、私を真っ直ぐに見つめた。
「君の言葉には、嘘がない。契約魔法があるからではない。君自身の魂が、嘘を嫌っているからだ。……君が『助けたい』と言えば、それは計算ではなく純粋な意志だ。君が『許せない』と怒れば、それは正義だ」
彼はゆっくりと私に近づき、私の手を取った。 その指先が、微かに震えている。
「私は、言葉を信じることを諦めていた。だが……君の言葉だけは、信じたくなる。君の紡ぐ言葉なら、この腐りきった国さえも、あるいは私自身さえも、救えるのではないかと……非合理な期待をしてしまうんだ」
ドクン。 心臓が大きな音を立てた。 これは、最高の賛辞だ。 そして、何よりも重い告白だ。
私は、彼の手を両手で包み込み、精一杯の力を込めて握り返した。
「……期待してください。私は裏切りませんわ」
私は彼を見上げ、ニッコリと微笑んだ。
「私は『鉄薔薇』ですよ? 一度根を張ったら、ちょっとやそっとじゃ枯れませんし、動きません。あなたが私を必要としてくれる限り、私はあなたの隣で、あなたのために言葉を紡ぎます。……契約書になんて書いてあろうと、これだけは私の本音です」
嘘がつけない契約。 だからこそ、この言葉は絶対の真実として彼の心に届く。
アシュ様の瞳が揺れた。 氷が解け、その奥にある凪いだ海のような優しさが溢れ出してくる。
「……ああ。知っている」
彼は私の手を引き寄せ、その甲に額を押し付けた。
「君は、私の光だ。……ありがとう、リディア」
静寂の中、二人の心音が重なる音が聞こえた気がした。 愛という言葉は使わない。 けれど、ここにある信頼と絆は、どんな愛の言葉よりも深く、強く、私たちを結びつけていた。
◇
翌日。 私たちの捜査は最終局面を迎えていた。 ヴァルガス公爵を追い詰めるための決定的な証拠――公爵家の金の流れと、洗脳魔法の研究施設への送金記録の照合が完了したのだ。
「これでチェックメイトですわね」
私は完成した告発状の束を見つめ、満足げに頷いた。
「ああ。明日の朝一番で、特捜班を公爵邸に突入させる。これで全てが終わる」
アシュ様もまた、確信に満ちた表情で頷く。
しかし。 物語の悪役というのは、往々にして最後の瞬間に最も醜悪な足掻きを見せるものだ。
その日の夕方。 王宮から緊急の伝令が飛び込んできた。
「報告! レオンハルト王太子殿下が、貴族院にて緊急会見を開いております!」
「なんだと? 何を騒いでいる?」
アシュ様が眉をひそめる。 伝令の兵士は、青ざめた顔で答えた。
「それが……『リディア・エルヴァインによる洗脳被害の告発』です!」
「は?」
私とアシュ様は顔を見合わせた。 洗脳? 私が?
「殿下は涙ながらに訴えておられます。『自分はリディアの黒魔術によって操られ、ミレイユへの偽の愛を植え付けられていた』と。そして『正気に戻った今、真に愛しているのはリディアではなく、国である』と……」
「……はぁ?」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。 自分の浮気と婚約破棄を、すべて私の黒魔術のせいにして、被害者面をするつもりか? しかも、裏で糸を引いているのは間違いなくヴァルガス公爵だ。 自分たちの行った「洗脳実験」の事実を、あろうことか私になすりつけ、真実を隠蔽しようというのだ。
「……なるほど。究極のマッチポンプだな」
アシュ様の目が、絶対零度の光を宿した。
「自分たちの罪を被害者に転嫁し、世論を味方につけて逃げ切る算段か。……見上げたクズだ」
「許せません……!」
私は拳を震わせた。 私を悪者にするのはいい(慣れているし)。 でも、アシュ様との必死の捜査を、そしてミレイユ様の勇気を、こんな茶番で無かったことにされるのだけは、絶対に許さない。
「アシュ様、行きますわよ。でっち上げの会見なんて、本物の証拠で殴りに行けばいいんです!」
「待て、リディア」
アシュ様が冷静な声で止めた。
「相手も馬鹿ではない。ただ会見を開くだけではないはずだ。……おそらく、捏造された『物的証拠』を用意している」
「えっ?」
「今、飛び込めば彼らの罠にかかる。……ここは一度、泳がせる」
アシュ様は不敵な笑みを浮かべた。
「彼らが『最大の証拠』を出してきた瞬間こそが、彼らの『最大の墓穴』になる。……リディア、君には少し汚名を着てもらうことになるが、耐えられるか?」
私はニヤリと笑い返した。
「愚問ですわ。私は悪役令嬢ですよ? 汚名のひとつやふたつ、ドレスの飾りみたいなものです!」
アシュ・ヴァレンシュタイン宰相の号令により、宰相府は戦場と化した。 通常なら半年かかる貴族院トップへの強制捜査準備を、わずか十四日で完了させる。 それは狂気の沙汰とも言える業務量だったが、部下たちは誰一人として文句を言わなかった。 彼らは知っているのだ。 自分たちのボスが、本気で国の大掃除をする時、どれほど冷徹で、そして頼もしいかを。
もちろん、妻(契約上)である私も例外ではない。
「リディア、貴族院の資金フロー解析はまだか」 「あと三分で終わらせますわ! こちらの裏帳簿、ワインの輸入に見せかけて違法薬物の取引をしています!」 「よし、証拠確保(マーク)だ。次、公爵の愛人リストと隠し資産の照合」 「もう終わっています! 愛人宅の名義が、すべて公爵家の遠縁の者になっていますわ。脱税の証拠になります!」
私たちは言葉を交わす時間すら惜しみ、阿吽の呼吸で書類を捌いていく。 不思議だった。 身体はクタクタのはずなのに、精神は研ぎ澄まされ、高揚している。 隣で同じ速度で思考し、同じ敵に向かって走るアシュ様の存在が、私に無限の活力を与えてくれているようだった。
◇
深夜二時。 ようやくその日のノルマを達成し、執務室に静寂が戻った。 部下たちは仮眠室へ倒れ込み、部屋には私とアシュ様だけが残された。
「……ふぅ。さすがに目が回りますわね」
私が椅子に深くもたれかかると、アシュ様が無言で温かいハーブティーを差し出してくれた。
「飲め。神経を鎮める効果がある」
「ありがとうございます」
湯気と共に香るカモミールの匂いに、張り詰めていた糸が少しだけ緩む。 アシュ様も自分のカップを手に、窓際へと歩いていった。 月明かりに照らされたその背中は、どこか寂しげで、そしてひどく孤独に見えた。
「……リディア」
不意に、彼が口を開いた。
「なぜ君は、そこまでして他人のために怒れるんだ?」
「え?」
「ミレイユ嬢のことだ。彼女は君にとって、元婚約者を奪ったライバルだったはずだ。それなのに君は、自分の危険を顧みずに彼女を救おうとした。……私には理解できない」
アシュ様は窓の外、眠る王都を見下ろしたまま続けた。
「感情は判断を鈍らせる。情けは弱点になる。私はそう学んで生きてきた。だから私は、すべての人間関係を『契約』と『利害』で定義し直した。……そうすれば、裏切られても傷つかずに済むからな」
その言葉の響きに、私は胸が締め付けられるような痛みを感じた。 『裏切られても傷つかずに済む』。 それはつまり、彼は過去に深く傷ついた経験があるということだ。
「……昔、何かあったのですか?」
私が恐る恐る尋ねると、アシュ様はしばらく沈黙し、ポツリと語り始めた。
「私の父は、言葉の美しい人だった」
前宰相であった彼の父は、誰に対しても愛を語り、理想を説き、多くの人々から慕われていたという。 幼いアシュ様にとっても、父は自慢の英雄だった。
「だが、すべては嘘だった。父は裏で汚職に手を染め、母を愛していると言いながら何人もの愛人を囲い、私を愛していると言いながら政敵への人質として差し出す準備をしていた」
淡々とした口調。 でも、そこには血の滲むような絶望が隠されていた。
「父の嘘が露見した時、家は崩壊した。母は絶望して自ら命を絶ち、私は『詐欺師の息子』としてすべてを奪われた。……その時、私は悟ったんだ。言葉など無価値だ。愛などという不確かな感情は、人を殺すための甘い毒でしかないと」
だから彼は、言葉を捨てた。 嘘のつけない『誓約魔法』を開発し、法と契約で国を縛ることで、二度とあのような悲劇が起きない世界を作ろうとしたのだ。 氷の宰相という仮面の下には、傷ついた少年の心が今も泣いている。
「……だが、君は違う」
アシュ様が振り返り、私を真っ直ぐに見つめた。
「君の言葉には、嘘がない。契約魔法があるからではない。君自身の魂が、嘘を嫌っているからだ。……君が『助けたい』と言えば、それは計算ではなく純粋な意志だ。君が『許せない』と怒れば、それは正義だ」
彼はゆっくりと私に近づき、私の手を取った。 その指先が、微かに震えている。
「私は、言葉を信じることを諦めていた。だが……君の言葉だけは、信じたくなる。君の紡ぐ言葉なら、この腐りきった国さえも、あるいは私自身さえも、救えるのではないかと……非合理な期待をしてしまうんだ」
ドクン。 心臓が大きな音を立てた。 これは、最高の賛辞だ。 そして、何よりも重い告白だ。
私は、彼の手を両手で包み込み、精一杯の力を込めて握り返した。
「……期待してください。私は裏切りませんわ」
私は彼を見上げ、ニッコリと微笑んだ。
「私は『鉄薔薇』ですよ? 一度根を張ったら、ちょっとやそっとじゃ枯れませんし、動きません。あなたが私を必要としてくれる限り、私はあなたの隣で、あなたのために言葉を紡ぎます。……契約書になんて書いてあろうと、これだけは私の本音です」
嘘がつけない契約。 だからこそ、この言葉は絶対の真実として彼の心に届く。
アシュ様の瞳が揺れた。 氷が解け、その奥にある凪いだ海のような優しさが溢れ出してくる。
「……ああ。知っている」
彼は私の手を引き寄せ、その甲に額を押し付けた。
「君は、私の光だ。……ありがとう、リディア」
静寂の中、二人の心音が重なる音が聞こえた気がした。 愛という言葉は使わない。 けれど、ここにある信頼と絆は、どんな愛の言葉よりも深く、強く、私たちを結びつけていた。
◇
翌日。 私たちの捜査は最終局面を迎えていた。 ヴァルガス公爵を追い詰めるための決定的な証拠――公爵家の金の流れと、洗脳魔法の研究施設への送金記録の照合が完了したのだ。
「これでチェックメイトですわね」
私は完成した告発状の束を見つめ、満足げに頷いた。
「ああ。明日の朝一番で、特捜班を公爵邸に突入させる。これで全てが終わる」
アシュ様もまた、確信に満ちた表情で頷く。
しかし。 物語の悪役というのは、往々にして最後の瞬間に最も醜悪な足掻きを見せるものだ。
その日の夕方。 王宮から緊急の伝令が飛び込んできた。
「報告! レオンハルト王太子殿下が、貴族院にて緊急会見を開いております!」
「なんだと? 何を騒いでいる?」
アシュ様が眉をひそめる。 伝令の兵士は、青ざめた顔で答えた。
「それが……『リディア・エルヴァインによる洗脳被害の告発』です!」
「は?」
私とアシュ様は顔を見合わせた。 洗脳? 私が?
「殿下は涙ながらに訴えておられます。『自分はリディアの黒魔術によって操られ、ミレイユへの偽の愛を植え付けられていた』と。そして『正気に戻った今、真に愛しているのはリディアではなく、国である』と……」
「……はぁ?」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。 自分の浮気と婚約破棄を、すべて私の黒魔術のせいにして、被害者面をするつもりか? しかも、裏で糸を引いているのは間違いなくヴァルガス公爵だ。 自分たちの行った「洗脳実験」の事実を、あろうことか私になすりつけ、真実を隠蔽しようというのだ。
「……なるほど。究極のマッチポンプだな」
アシュ様の目が、絶対零度の光を宿した。
「自分たちの罪を被害者に転嫁し、世論を味方につけて逃げ切る算段か。……見上げたクズだ」
「許せません……!」
私は拳を震わせた。 私を悪者にするのはいい(慣れているし)。 でも、アシュ様との必死の捜査を、そしてミレイユ様の勇気を、こんな茶番で無かったことにされるのだけは、絶対に許さない。
「アシュ様、行きますわよ。でっち上げの会見なんて、本物の証拠で殴りに行けばいいんです!」
「待て、リディア」
アシュ様が冷静な声で止めた。
「相手も馬鹿ではない。ただ会見を開くだけではないはずだ。……おそらく、捏造された『物的証拠』を用意している」
「えっ?」
「今、飛び込めば彼らの罠にかかる。……ここは一度、泳がせる」
アシュ様は不敵な笑みを浮かべた。
「彼らが『最大の証拠』を出してきた瞬間こそが、彼らの『最大の墓穴』になる。……リディア、君には少し汚名を着てもらうことになるが、耐えられるか?」
私はニヤリと笑い返した。
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