処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人

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第15話 シオン、誘拐される

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 雪原に降り注いでいた純白の光が消え、戦場に静寂が戻った。  先ほどまで大地を埋め尽くしていたアンデッドの軍勢は、跡形もなく浄化され、残されたのはただ、真っ白な雪と、呆然と立ち尽くす生者たちだけだった。

 私は、雪を踏みしめて走った。  心臓が破裂しそうなほど脈打っている。  視線の先には、雪の上に膝をつくアレクセイと、その腕の中でぐったりとしているシオンの姿があった。

 「アレクセイ様! シオン!」

 私が叫ぶと、アレクセイがゆっくりとこちらを振り向いた。  彼の瞳は、いつもの冷徹さを失い、ひどく動揺して揺れていた。

 「……レティシア」

 「シオンは!? 無事なのですか!?」

 私は雪崩れ込むように二人のそばに滑り込み、シオンの顔を覗き込んだ。  シオンは目を閉じ、穏やかな顔で眠っていた。  呼吸はしている。脈もしっかりしている。  ただ、身体が氷のように冷たかった。魔力欠乏(マナ・ドレイン)の症状だ。

 「……眠っているだけだ。だが、魔力を使い果たしている」

 アレクセイが掠れた声で言った。  彼はシオンを、壊れ物を扱うように抱きしめ直した。

 「レティシア。……俺は、見たんだ」

 「え?」

 「あの光を。……この小さな背中から、太陽のような光が溢れ出し、ドラゴンゾンビを一瞬で消滅させたのを。俺を守るために、彼が……」

 アレクセイの言葉は震えていた。  無理もない。  一歳児が戦略級魔法、それも失われた古代魔法を行使したのだ。  常識で考えればあり得ない。  しかし、目の前の現実は、シオンが「ただの赤ちゃん」ではないことを残酷なまでに証明していた。

 私はどう答えるべきか迷った。  誤魔化すべきか。それとも、認めるべきか。  しかし、アレクセイの目は真剣だった。  そこにあるのは、恐怖や猜疑心ではない。  圧倒的な感謝と、そして「理解できないもの」への畏敬の念だった。

 「……シオンは、特別な子です」

 私は言葉を選びながら言った。

 「あの子には、私たちには計り知れない力が宿っています。……神様からの贈り物なのか、あるいは何かの生まれ変わりなのかはわかりませんが」

 私はシオンの冷たい頬を撫でた。

 「でも、一つだけ確かなことは、あの子がパパを助けたくて、必死に力を振り絞ったということです」

 「……俺を、助けるために」

 アレクセイの目から、涙がこぼれ落ちた。  彼はシオンの小さなおでこに、自分のおでこを押し付けた。

 「馬鹿な息子だ……。親が子を守るのが道理だろう。……こんな小さな体で、俺なんかを守って……」

 彼は男泣きした。  氷の公爵が、子供のように声を殺して泣いていた。  周囲の兵士たちが遠巻きに見守る中、私たちは雪原の中心で、互いの体温を分け合うように身を寄せ合った。

 (ありがとう、シオン。……パパは、あなたの秘密を受け入れてくれたみたいよ)

 眠るシオンの顔が、少しだけ笑ったように見えた。

       ◆

 要塞に戻ると、私たちは英雄として迎えられた。  兵士たちは口々に公爵家の名を叫び、勝利を祝った。  しかし、アレクセイは祝勝会を早々に切り上げ、シオンの治療に専念した。

 要塞の奥まった部屋。  暖炉には火が燃え、部屋は十分に暖められている。  ベッドにはシオンが寝かされ、私は彼に特製の「魔力回復シロップ」をスプーンで少しずつ飲ませていた。

 「……顔色が戻ってきたわ」

 私が安堵の息を吐くと、椅子に座ってシオンを見守っていたアレクセイも、肩の力を抜いた。

 「よかった……。本当によかった」

 「アレクセイ様も、少しお休みになってください。丸一日、戦い通しだったじゃありませんか」

 「いや、俺はいい。シオンが目を覚ますまで、ここにいる」

 彼は頑固だった。  シオンの手を握りしめ、片時も離そうとしない。

 「……レティシア。俺は決めたよ」

 彼が静かに言った。

 「シオンの力は、あまりにも強大すぎる。もし世間に知れ渡れば、国だけでなく、教会や他国も黙っていないだろう。『聖女』や『救世主』として祭り上げられるか、あるいは『化け物』として排除されるかだ」

 「……はい」

 「だから、隠す。今日起きたことは、すべて『公爵家の秘匿魔道具によるもの』として処理する。箝口令も敷いた。目撃者の記憶処理も、信頼できる魔術師に頼んである」

 徹底している。  さすが公爵家当主だ。

 「シオンは、ただの子供だ。俺たちの愛する息子だ。……それ以上の肩書きなんていらない。あの子が望まない限り、俺が全力で普通の生活を守ってみせる」

 彼の言葉に、胸が熱くなった。  この人なら大丈夫だ。  シオンの「異常性」も含めて、すべてを愛してくれる。

 「ありがとうございます、あなた。……最高のパパですね」

 「……よせ。息子に守られた情けない父親だ」

 彼は照れくさそうに顔を背けたが、その耳は赤かった。

       ◆

 その夜は、久しぶりに穏やかな時間が流れた。  シオンはまだ深く眠っていたが、魔力回路は安定しており、明日の朝には元気に目を覚ますだろう。

 私は隣の部屋で、アレクセイと共に遅い夕食をとっていた。  久しぶりの温かい食事。ワインも少し開けた。  緊張の糸が切れ、心地よい疲労感が身体を包んでいる。

 「……そういえば、ヴィクトルはどうなった?」

 アレクセイがグラスを揺らしながら尋ねた。

 「逃げました。でも、相当な深手を負わせたはずです。シオンの……いえ、魔道具の一撃で」

 「そうか。だが、奴はしつこい。必ずまた現れる」

 「ええ。でも次は負けません。対策は練ってあります」

 私たちは微笑み合った。  どんな敵が来ても、家族三人なら乗り越えられる。  そう信じて疑わなかった。

 食事が終わり、私はシオンの様子を見に行くことにした。

 「様子を見てきますね。アレクセイ様は先にお風呂へどうぞ」

 「ああ。後で交代しよう」

 私は軽い足取りで廊下を歩いた。  要塞の警備は厳重だ。  廊下には騎士が立ち、扉には結界が張られている。  何も心配することはない。

 ガチャリ。

 シオンの部屋の扉を開ける。  暖炉の火が、パチパチと爆ぜている。  ベッドの布団が、小さく膨らんでいる。

 「シオン、いい子にしてた?」

 私はベッドに近づき、布団をめくった。  そこには――。

 枕があった。  シオンの形に丸められた、枕と毛布だけがあった。

 「……え?」

 思考が停止する。  トイレ? まさか。まだ歩ける状態じゃないはずだ。  かくれんぼ? そんな元気はないはずだ。

 「シオン? どこ?」

 部屋を見渡す。  いない。  バスルームも、クローゼットも、ベッドの下も。  どこにもいない。

 背筋が凍りついた。  窓を見る。  鍵は掛かっている。  結界も作動している。  侵入された形跡は一切ない。

 「……嘘」

 私は震える手で、シオンの枕を握りしめた。  そこには、一枚の紙片が残されていた。  黒い、焦げたような紙片。  そこに書かれていたのは、赤いインクで記された一文。

 『宝物は預かった。返して欲しければ、一人で来い。場所は“古の処刑場”』

 ヴィクトルだ。  奴は、逃げたと見せかけて、潜んでいたのだ。  この要塞の中に。  あるいは、最初から「内通者」がいたのか。

 「イヤァァァァァァァッ!!」

 私は絶叫した。  その声を聞きつけ、バスルームから濡れ髪のアレクセイが飛び込んできた。

 「どうした!? レティシア!」

 「シオンが……! シオンがいません! 連れ去られました!」

 私は泣き崩れながら、紙片を差し出した。  アレクセイはそれをひったくり、一読した瞬間――。

 パリンッ!

 部屋の窓ガラスが、すべて粉々に砕け散った。  アレクセイから噴出した魔力が、物理的な衝撃波となって部屋を破壊したのだ。

 「……ヴィクトルゥゥゥゥッ!!」

 彼の咆哮が、夜の要塞に響き渡った。  その瞳は、蒼を通り越して、白く発光していた。  怒りではない。  これは、殺意の具現化だ。

       ◆

 少し時間を遡る。  シオンの部屋。

 シオンは深い眠りの中にいた。  魔力を使い果たし、意識は泥のように重い。  外部の気配を察知するセンサーも、今はオフになっている。

 その枕元に、音もなく影が滲み出た。  それは人の形をしていたが、実体はない。  ヴィクトルが最後の魔力を振り絞って生み出した、「影の従者」だ。

 『……見つけた』

 影が囁く。  部屋の結界は「外部からの侵入」を防ぐものだ。  しかし、この影は、昼間の戦いの混乱に乗じて、負傷兵の影に紛れてすでに要塞内部に侵入していたのだ。  そして、シオンが一人になる瞬間を、じっと待っていた。

 影はシオンの体を包み込んだ。  闇の毛布のように、優しく、しかし拘束するように。

 『……う……ん……』

 シオンが微かに呻く。  しかし、目は開かない。  影は強制睡眠の魔法も含んでいる。

 『さあ、行きますよ。魔王の器……』

 影はシオンごと床に沈み込んだ。  空間転移ではない。  「影渡り」という、影の次元を通って移動する術だ。  結界をすり抜け、物理的な壁も無視して、彼らは闇の中へと消えた。

       ◆

 現在。  要塞の作戦会議室。  空気は凍りつき、居並ぶ騎士たちは呼吸すら忘れていた。  上座に座るアレクセイの圧力が、凄まじかったからだ。

 「……要塞内の影という影をすべて洗え。ネズミ一匹逃すな」

 アレクセイの声は低く、静かだった。  だが、その静けさは、噴火直前の火山のような不気味さを孕んでいる。

 「場所は特定できたか?」

 「は、はい! 『古の処刑場』とは、ここから北へ十キロ地点にある、旧帝国の遺跡だと思われます!」

 諜報員が震えながら地図を指差す。  そこは、かつて多くの罪人が処刑され、怨念が渦巻く心霊スポットとしても有名な場所だ。

 「……行くぞ」

 アレクセイが立ち上がる。

 「総員、出撃準備。……いや、必要ない。俺一人で行く」

 「お待ちください! 敵は罠を張っているはずです! 単独行動は危険です!」

 騎士団長が止めるが、アレクセイは聞く耳を持たない。

 「罠? それがどうした。……シオンを攫った奴らが、五体満足で死ねると思うなよ」

 彼の背後から、氷のオーラが立ち上り、ドラゴンの形を形成している。  もはや人間をやめている。

 「私も行きます!」

 私が声を上げると、アレクセイは足を止めた。  振り返った彼の瞳は、私を見た瞬間だけ、少し人間らしい色を取り戻した。

 「……レティシア。君はここにいろ。危険だ」

 「嫌です。シオンは私の息子です。……それに、指定されたのは『一人で来い』でしょう? アレクセイ様が行けば、彼らはシオンを傷つけるかもしれません」

 「だからこそ、俺が奇襲を……」

 「いいえ。……私が行きます」

 私は毅然と言った。

 「私が囮(おとり)になります。彼らの要求通り、無力な母親が一人で来たと思わせて、油断させます。……その隙に、アレクセイ様が隠れて接近し、一網打尽にしてください」

 「……囮だと? 君を危険に晒すなど、できるわけがない!」

 「できます。……私を信じてください」

 私は彼の手を握った。

 「私はただの守られるだけの女じゃありません。公爵夫人で、薬師で、そしてあの子の母親です。……ヴィクトルに一泡吹かせてやった時のこと、忘れていませんよね?」

 アレクセイは私の目をじっと見つめた。  数秒の沈黙の後、彼は大きく息を吐き、そして私の手を強く握り返した。

 「……わかった。君の覚悟、受け取った」

 彼は懐から、小さな短剣を取り出し、私に渡した。  氷のように透き通った刃を持つ、美しい短剣だ。

 「これは『氷華(ヒョウカ)』。俺の魔力を封じた護身刀だ。いざという時は、これを振るえ。俺の最大級の魔法が発動する」

 「はい。お守りにします」

 「……必ず守る。君も、シオンも。傷一つつけさせない」

       ◆

 深夜の雪原。  私は一人、ランタンを提げて歩いていた。  吹き荒れる風が頬を叩くが、不思議と寒さは感じない。  アレクセイが掛けてくれた何重もの保温結界と、私自身の怒りの熱が体を温めているからだ。

 『古の処刑場』が見えてきた。  朽ち果てた石柱が並び、中央には断頭台のような台座がある。  その台座の上に、小さな籠が置かれていた。

 「シオン!」

 私は駆け寄ろうとした。  その時、闇の中から声が響いた。

 「おやおや、本当に一人で来ましたか。……感心ですね、公爵夫人」

 石柱の影から、ヴィクトルが現れた。  彼は昼間の戦闘で負った傷は癒えているようだが、その顔色は土気色で、消耗しているのがわかる。  彼の周囲には、数人の黒装束の男たち――帝国の暗殺部隊が控えていた。

 「シオンを返しなさい!」

 私は叫んだ。  ヴィクトルはニヤリと笑い、台座の上の籠を指差した。

 「ご安心を。まだ手は出していませんよ。……彼の中の『勇者』が目覚めるのを待っているところです」

 籠の中で、シオンが眠っているのが見える。  その周囲には、不気味な魔法陣が描かれ、紫色の光が明滅している。  あれは、魔力を強制的に活性化させる儀式陣だ。

 「貴方の目的は何なの? なぜシオンを?」

 「言ったでしょう。彼は『器』です。……かつて私を倒した勇者の魂と、最強の魔術師の血統。これらを融合させ、私が乗っ取ることで、私は完全なる存在……『真の魔王』へと至るのです」

 狂っている。  自分の力を取り戻すために、赤ちゃんの体を乗っ取るなんて。

 「そんなこと、させるわけないでしょう!」

 私は隠し持っていた短剣の柄に手をかけた。

 「おや、抵抗しますか? 無駄ですよ。……アレクセイが隠れているのはわかっています」

 ヴィクトルが指を鳴らした。  瞬間、周囲の空間が歪み、透明な壁が出現した。  結界だ。処刑場全体を覆う、強力な遮断結界。

 「この結界は、外部からの干渉を一切受け付けません。アレクセイといえど、これを破るには数分かかるでしょう。……その間に、儀式は終わります」

 「なっ……!」

 アレクセイの気配が、結界の外で膨れ上がるのを感じる。  ドォォォン!!  結界の外壁に衝撃が走る。アレクセイが攻撃を始めたのだ。  しかし、結界はビクともしない。

 「ククク……さあ、始めましょうか」

 ヴィクトルがシオンに手を伸ばす。

 「絶望しなさい、母親よ。貴方の目の前で、愛する息子が『私』に変わる瞬間を見せてあげましょう」

 万事休す。  誰も助けに来られない密室。  私は短剣を構えたが、距離がありすぎる。

 その時。

 「……う……ん……」

 籠の中から、寝言のような声が聞こえた。  シオンが、目を開けた。

 「おや、お目覚めですか、英雄殿」

 ヴィクトルが覗き込む。

 シオンは、ぼんやりとした目でヴィクトルを見た。  そして、周囲の状況を確認し、最後に私を見た。  私が泣きそうな顔で立っているのを見て、彼の瞳に光が宿った。

 (……なるほど。そういうことか)

 シオンは状況を理解した。  誘拐されたこと。  ママが助けに来てくれたこと。  そして、目の前のハゲ(ヴィクトル)がまた余計なことをしようとしていること。

 シオンはむっくりと起き上がった。  そして、大きくあくびをした。

 「ふぁ~……」

 「……随分と余裕ですね。状況がわかっていないのですか?」

 ヴィクトルが嘲笑う。

 シオンはヴィクトルを無視して、私に向かって手を伸ばした。

 「ママ、だっこ」

 「シオン……!」

 「動くな! 動けば殺す!」

 暗殺者たちが剣を突きつける。  しかし、シオンは彼らを「汚いもの」を見る目で見下ろした。

 『……うるさいな。寝起きなんだから、静かにしてよ』

 シオンの声が、全員の脳内に響いた。  今までの「可愛い声」ではない。  地獄の底から響くような、ドスの効いた声だ。

 『あと、僕のママに剣を向けるな。……万死に値するよ』

 シオンが指を鳴らした。  パチン。

 その瞬間、暗殺者たちの持っていた剣が、飴細工のようにぐにゃりと曲がった。  さらに、彼らの足元の地面が泥沼のように変化し、彼らを飲み込んでいく。

 「な、なんだこれは!?」  「魔法!? 詠唱もなしに!?」

 ヴィクトルが目を見開く。

 「き、貴様……! 魔力は空のはずでは……!」

 『ああ、空だったよ。……さっきまではね』

 シオンは台座の上に立ち上がった。  その体から、黄金色の魔力が湯気のように立ち上っている。

 『寝ている間に、この土地の魔力(レイライン)を吸い上げさせてもらった。……ここは「古の処刑場」だろう? 怨念も魔力も、たっぷり溜まってて美味しかったよ』

 シオンはニヤリと笑った。  その笑顔は、天使の愛らしさと、魔王の残忍さが同居する、極上の「悪役」の顔だった。

 『さて、第二ラウンドといこうか。……おじさん、今度こそ逃がさないからね』

 最強の赤ちゃん、完全復活。  そして、結界の外では、ブチ切れたパパが氷のハンマー(サイズ:城壁並み)を振りかぶっていた。

 ヴィクトルにとっての本当の地獄は、ここからだった。
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