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第16話 赤ちゃん無双(物理)
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「古の処刑場」の冷たい空気が、黄金色の魔力によって熱を帯び始めていた。 台座の上に立つ一歳児、シオン・フロスト。 彼の小さな体から立ち昇るオーラは、周囲の闇を払拭し、まるで真昼のような輝きを放っている。
対峙するのは、帝国の賢者であり、魔王の力に魅入られた男、ヴィクトル。 彼は顔を引きつらせ、信じられないものを見る目でシオンを凝視していた。
「ば、馬鹿な……。ここ一帯のレイライン(地脈)を吸い尽くしただと……? そんなことをすれば、器である肉体が崩壊するはずだ!」
ヴィクトルが叫ぶ。 確かに、常識で考えれば自殺行為だ。 赤ちゃんの柔らかな肉体に、土地神クラスの膨大なエネルギーを流し込むなど、コップに滝の水を注ぐようなもの。
しかし、シオンは涼しい顔で――いや、不敵な笑みを浮かべて首を鳴らした。
『器? 崩壊? ……勘違いするなよ、三流魔術師』
シオンの声が、脳内に直接響く。 その響きは、重低音の威圧感を伴っていた。
『僕の魂(なかみ)は、かつて世界中の魔力を総動員して魔王を殴り飛ばした「勇者」だぞ? この程度の田舎の地脈、朝のミルク代わりにもなりゃしない』
シオンが軽く右手を振った。 それだけの動作で、衝撃波が発生する。
ドォン!!
ヴィクトルの周囲に展開されていた防御結界が、ガラス細工のように砕け散った。
「くっ……!」
ヴィクトルが後退る。 私は、その隙に短剣を構え直し、シオンの前に立とうとした。
「シオン! 今のうちに逃げるわよ! パパがもうすぐ……」
『ママは下がってて。……汚い仕事は、男の役目だ』
シオンは私を制した。 その背中は小さいはずなのに、頼もしすぎて涙が出そうになる。
『さて、おじさん。……さっき僕を「魔王の器」にするとか言ってたね? 乗っ取るとか何とか』
シオンが一歩踏み出す。 地面の石畳が、彼の足元から蜘蛛の巣状にひび割れていく。
『百億年早いんだよ。……僕の体を使っていいのは、ママに抱っこされる時と、パパに高い高いされる時だけだ!』
シオンが地面を蹴った。 その速度は、視認不可能。 瞬間移動と見紛うほどの速さで、ヴィクトルの懐に潜り込む。
「は……!?」
ヴィクトルが反応するより早く、シオンの小さな拳が、彼の腹部にめり込んだ。
ズドォォォォン!!
重戦車が激突したような轟音が響く。 ヴィクトルの体が「く」の字に折れ曲がり、砲弾のように吹き飛んだ。 彼は処刑場の石柱を三本へし折り、瓦礫の山に突っ込んでようやく止まった。
「ガハッ……!」
ヴィクトルが血を吐く。 彼は驚愕に目を見開いたまま、震える手で腹を押さえた。
「物理……攻撃……だと……?」
そう。魔法ではない。 純粋な筋力(魔力強化済み)による、正拳突きだ。
『魔法使いだからって、魔法戦をすると思った? 甘いね。……僕は前世で、魔法が効かないゴーレムを素手で解体したこともあるんだ』
シオンは瓦礫の山を見下ろし、パパンと手の埃を払った。 その仕草は、完全に歴戦の武道家だ。
「お、おのれ……! ふざけるな、ガキがァァッ!」
ヴィクトルが瓦礫を弾き飛ばして立ち上がった。 彼の全身から、どす黒い影が噴出する。 人の姿を捨て、本性を現そうとしているのだ。
「我が真の力を見せてやる! 『影魔王(シャドウ・ロード)』顕現!」
ズズズズズ……。 ヴィクトルの体が膨張し、黒い影の巨人と化した。 身長は五メートルほど。両腕は鋭利な鎌のように変化し、顔には巨大な一つ目が赤く輝いている。
「潰れろォォォ!」
影の巨人が、鎌のような腕を振り下ろす。 その一撃は、大地を引き裂く威力だ。
私は悲鳴を上げた。 「シオン! 危ない!」
しかし、シオンは動じない。 彼はポケットから、お気に入りの「おしゃぶり」を取り出した。
『……武器がないなら、現地調達するまで』
シオンはおしゃぶりを口にくわえる……のではなく、指で弾いた。 デコピンの要領で。
『超電磁(レールガン)・おしゃぶり』
ヒュンッ!!
音速を超えたおしゃぶりが、空気を切り裂き、プラズマを纏って直進する。
バヂィィィィン!!
おしゃぶりは、影の巨人の振り下ろされた腕を貫通し、さらにその背後の岩壁をも粉砕した。
「ギャアアアアア!!」
巨人が腕を押さえて絶叫する。 物理的におしゃぶりに撃ち抜かれた腕が、霧散していく。
『次は眉間だ。……降参するなら今のうちだよ?』
シオンは次弾(予備の哺乳瓶の蓋)を装填(指にセット)した。
圧倒的だ。 あまりにも一方的な蹂躙。 私は呆然と立ち尽くしていた。 これが、私の息子? 可愛くて、バブバブ言っていた、あのシオン?
(……教育方針、見直すべきかしら。武闘家コースに変更?)
そんな現実逃避をしている間にも、戦いは続く。 ヴィクトルは半狂乱になって影の槍を乱射するが、シオンはあくびをしながら、最小限の動きですべて回避している。
『遅い。止まって見える』
シオンはステップを踏むように近づき、巨人の足元へ。
『足元がお留守だよ』
ローキック。 という名の、魔力爆砕蹴り。
バキィッ!!
巨人の膝関節が逆方向に曲がった。 巨体がバランスを崩して倒れ込む。
『仕上げだ』
シオンが跳躍する。 空中で回転し、踵(かかと)落としの体勢に入る。 その足に、まばゆい光が集束していく。
『流星踵(メテオ・ヒール)』
ドゴォォォォォォォォン!!!!!
巨人の脳天に、シオンの踵が直撃した。 処刑場全体が揺れるほどの衝撃。 地面が陥没し、クレーターができる。 影の巨人は悲鳴を上げる暇もなく、黒い霧となって霧散した。
土煙が晴れると、クレーターの中心に、ボロボロになったヴィクトル(人間形態)が倒れていた。 彼は白目を剥き、ピクピクと痙攣している。 完全なるKOだ。
シオンは着地し、ふぅ、と息を吐いた。
『……手応えのない』
彼は呟き、私の方を振り返った。 そして、ニッコリと天使の笑顔を作った。
「マンマ! やっつけた!」
「……う、うん。凄かったわね、シオン」
私は引きつった笑顔で答えるのが精一杯だった。 凄かった、というレベルではない。 災害だ。これはもう、歩く天災だ。
その時だった。
パリーン……!
処刑場を覆っていた遮断結界に、ヒビが入った。 そこから、冷気が漏れ出してくる。 そして、次の瞬間。
ガシャァァァァン!!!!!
結界が、外部からの物理攻撃によって粉々に砕け散った。 氷の破片と共に、一人の男が飛び込んでくる。
「レティシアッ! シオンッ!!」
アレクセイだ。 彼は巨大な氷の戦槌(ウォーハンマー)を手に、鬼のような形相で現れた。 その全身からは、周囲を凍てつかせるほどの殺気が噴き出している。
「……無事か!?」
アレクセイは私たちを見るなり、戦槌を放り投げて駆け寄ってきた。 そして、私とシオンを同時に抱きしめた。
「よかった……! 間に合った……!」
彼の体は震えていた。 結界が破れず、焦燥と恐怖で気が狂いそうだったのだろう。
「アレクセイ様……」
「怪我はないか? 奴はどこだ? 八つ裂きにしてやる!」
アレクセイが周囲を見渡す。 そして、クレーターの中心で白目を剥いて伸びているヴィクトルを発見した。
「……あいつは?」
「あ、あの……シオンが……」
私が言い淀むと、シオンがすかさず口を挟んだ。
「パパ! あのね、パパのおまもりが、ピカッてして、おじさんドーンってなった!」
シオンは、私が持っていた短剣「氷華」を指差した。
「……護身刀が?」
アレクセイは短剣を見た。 確かに、私が握りしめていたせいで魔力が活性化し、微かに光っている。
「そうか……。俺の込めた守りの魔法が、過剰反応して暴発したのか。……いや、それにしても威力が凄まじすぎるが……」
アレクセイは陥没した地面を見て首を傾げたが、すぐに納得したように頷いた。
「まあいい。結果として君たちが無事なら、何でもいい」
彼はヴィクトルに歩み寄った。 その目は、再び冷徹な氷の色に戻っていた。
「……起きろ、ヴィクトル」
アレクセイが冷水を浴びせるように魔力を放つと、ヴィクトルがビクリと跳ねて意識を取り戻した。
「はっ……! わ、私は……」
ヴィクトルは焦点の定まらない目で周囲を見回し、そして目の前に立つアレクセイを見て、恐怖に顔を歪めた。
「ア、アレクセイ……!」
「……よくも。俺の大切な家族に手を出してくれたな」
アレクセイがヴィクトルの胸倉を掴み、持ち上げた。 周囲の空気が凍りつき、ダイヤモンドダストが舞う。
「弁明は聞かん。……貴様には、死よりも重い償いをしてもらう」
「ま、待て! 私は帝国の……」
「帝国がどうした。貴様がどこの誰であろうと関係ない。……俺の敵だ」
アレクセイの手から、氷が侵食していく。 ヴィクトルの手足が、徐々に凍りついていく。
「ひ、ひぃぃっ! 助けてくれ! もう二度としない! この国からも出て行く!」
「遅い」
アレクセイが無慈悲に告げた時、私は声を上げた。
「待ってください、アレクセイ様」
「……レティシア? 止めるのか?」
「いいえ。止めません。……ただ、少しだけ質問をさせてください」
私はヴィクトルに近づいた。 シオンも私の足元で、冷ややかな目で見上げている。
「ヴィクトル。……貴方が探していた『あの方たち』というのは、誰のこと?」
アリスが言っていた言葉。 そして、ヴィクトルが背後にいると思われる組織。
ヴィクトルは凍えながら、ニヤリと笑った。
「クク……知りたいか? ……教えてやろう。帝国には『七賢人』と呼ばれる組織がある。私はその末席に過ぎない……」
「七賢人……」
「彼らは、すでに動き出している。……この国の王宮にも、すでに根を張っているぞ。……お前たちの平和ごっこも、長くは続かない……!」
ヴィクトルは呪詛のように吐き捨てた。
「……そうか。情報提供、感謝する」
アレクセイは冷たく言った。
「だが、それがどうした。七人だろうが百人だろうが、全員凍らせるだけだ」
パキパキパキ……!
氷がヴィクトルの首まで達する。
「さようなら、旧友。……地獄で反省しろ」
「ア……アレクセ……」
ヴィクトルは最後に何かを言いかけたが、その声は氷の中に封じ込められた。 彼は永遠に溶けない氷像となり、処刑場のオブジェと化した。
◆
戦いは終わった。 朝になり、要塞からの救援部隊が到着した時、そこには氷像となったヴィクトルと、寄り添って眠る親子三人の姿があったという。
要塞に戻ると、帝国軍は完全に撤退していた。 指揮官と最強の賢者を失った彼らに、戦う意思は残っていなかったようだ。 私たちの完全勝利だ。
その日の午後。 私たちは飛竜便で王都への帰路についた。 行きとは違い、帰りは穏やかな晴天だった。
ゴンドラの中で、シオンは私の膝の上でぐっすりと眠っていた。 今度こそ、本当に疲れて眠っているようだ。 その寝顔は、世界を救った英雄には見えない、ただの愛らしい赤ちゃんだ。
「……よく頑張ったな、シオン」
アレクセイがシオンの頭を撫でる。 その手つきは優しく、慈愛に満ちていた。
「レティシア。……君にも感謝している。君が囮になってくれなければ、結界を破るのに時間がかかり、手遅れになっていたかもしれない」
「いいえ。私も、アレクセイ様が必ず来てくれると信じていましたから」
私たちは見つめ合い、自然とキスをした。 シオンが「んぅ……」と身じろぎしたので、慌てて離れたけれど。
「……王都に戻ったら、忙しくなるぞ」
アレクセイが窓の外を見ながら言った。
「帝国の『七賢人』とやら。……徹底的に調べ上げ、排除する。これ以上、俺の家庭に手出しはさせない」
「ええ。私も手伝います。……まずは、アリス様からもっと情報を引き出してみましょうか」
私の言葉に、アレクセイは苦笑した。
「君も強くなったな。……頼もしいよ」
「伊達に悪役令嬢やってませんから」
私たちは笑い合った。 不安はある。敵はまだ残っている。 でも、今の私たちには、どんな困難も乗り越えられる絆がある。 最強のパパ、最強の(知恵袋)ママ、そして最強の(物理)赤ちゃん。 フロスト家は無敵だ。
こうして、私たちは王都へと帰還した。 しかし、平和な日常に戻る間もなく、新たな事件が私たちを待ち受けていた。 アリスが牢獄から消えたという、信じられない報告と共に。
対峙するのは、帝国の賢者であり、魔王の力に魅入られた男、ヴィクトル。 彼は顔を引きつらせ、信じられないものを見る目でシオンを凝視していた。
「ば、馬鹿な……。ここ一帯のレイライン(地脈)を吸い尽くしただと……? そんなことをすれば、器である肉体が崩壊するはずだ!」
ヴィクトルが叫ぶ。 確かに、常識で考えれば自殺行為だ。 赤ちゃんの柔らかな肉体に、土地神クラスの膨大なエネルギーを流し込むなど、コップに滝の水を注ぐようなもの。
しかし、シオンは涼しい顔で――いや、不敵な笑みを浮かべて首を鳴らした。
『器? 崩壊? ……勘違いするなよ、三流魔術師』
シオンの声が、脳内に直接響く。 その響きは、重低音の威圧感を伴っていた。
『僕の魂(なかみ)は、かつて世界中の魔力を総動員して魔王を殴り飛ばした「勇者」だぞ? この程度の田舎の地脈、朝のミルク代わりにもなりゃしない』
シオンが軽く右手を振った。 それだけの動作で、衝撃波が発生する。
ドォン!!
ヴィクトルの周囲に展開されていた防御結界が、ガラス細工のように砕け散った。
「くっ……!」
ヴィクトルが後退る。 私は、その隙に短剣を構え直し、シオンの前に立とうとした。
「シオン! 今のうちに逃げるわよ! パパがもうすぐ……」
『ママは下がってて。……汚い仕事は、男の役目だ』
シオンは私を制した。 その背中は小さいはずなのに、頼もしすぎて涙が出そうになる。
『さて、おじさん。……さっき僕を「魔王の器」にするとか言ってたね? 乗っ取るとか何とか』
シオンが一歩踏み出す。 地面の石畳が、彼の足元から蜘蛛の巣状にひび割れていく。
『百億年早いんだよ。……僕の体を使っていいのは、ママに抱っこされる時と、パパに高い高いされる時だけだ!』
シオンが地面を蹴った。 その速度は、視認不可能。 瞬間移動と見紛うほどの速さで、ヴィクトルの懐に潜り込む。
「は……!?」
ヴィクトルが反応するより早く、シオンの小さな拳が、彼の腹部にめり込んだ。
ズドォォォォン!!
重戦車が激突したような轟音が響く。 ヴィクトルの体が「く」の字に折れ曲がり、砲弾のように吹き飛んだ。 彼は処刑場の石柱を三本へし折り、瓦礫の山に突っ込んでようやく止まった。
「ガハッ……!」
ヴィクトルが血を吐く。 彼は驚愕に目を見開いたまま、震える手で腹を押さえた。
「物理……攻撃……だと……?」
そう。魔法ではない。 純粋な筋力(魔力強化済み)による、正拳突きだ。
『魔法使いだからって、魔法戦をすると思った? 甘いね。……僕は前世で、魔法が効かないゴーレムを素手で解体したこともあるんだ』
シオンは瓦礫の山を見下ろし、パパンと手の埃を払った。 その仕草は、完全に歴戦の武道家だ。
「お、おのれ……! ふざけるな、ガキがァァッ!」
ヴィクトルが瓦礫を弾き飛ばして立ち上がった。 彼の全身から、どす黒い影が噴出する。 人の姿を捨て、本性を現そうとしているのだ。
「我が真の力を見せてやる! 『影魔王(シャドウ・ロード)』顕現!」
ズズズズズ……。 ヴィクトルの体が膨張し、黒い影の巨人と化した。 身長は五メートルほど。両腕は鋭利な鎌のように変化し、顔には巨大な一つ目が赤く輝いている。
「潰れろォォォ!」
影の巨人が、鎌のような腕を振り下ろす。 その一撃は、大地を引き裂く威力だ。
私は悲鳴を上げた。 「シオン! 危ない!」
しかし、シオンは動じない。 彼はポケットから、お気に入りの「おしゃぶり」を取り出した。
『……武器がないなら、現地調達するまで』
シオンはおしゃぶりを口にくわえる……のではなく、指で弾いた。 デコピンの要領で。
『超電磁(レールガン)・おしゃぶり』
ヒュンッ!!
音速を超えたおしゃぶりが、空気を切り裂き、プラズマを纏って直進する。
バヂィィィィン!!
おしゃぶりは、影の巨人の振り下ろされた腕を貫通し、さらにその背後の岩壁をも粉砕した。
「ギャアアアアア!!」
巨人が腕を押さえて絶叫する。 物理的におしゃぶりに撃ち抜かれた腕が、霧散していく。
『次は眉間だ。……降参するなら今のうちだよ?』
シオンは次弾(予備の哺乳瓶の蓋)を装填(指にセット)した。
圧倒的だ。 あまりにも一方的な蹂躙。 私は呆然と立ち尽くしていた。 これが、私の息子? 可愛くて、バブバブ言っていた、あのシオン?
(……教育方針、見直すべきかしら。武闘家コースに変更?)
そんな現実逃避をしている間にも、戦いは続く。 ヴィクトルは半狂乱になって影の槍を乱射するが、シオンはあくびをしながら、最小限の動きですべて回避している。
『遅い。止まって見える』
シオンはステップを踏むように近づき、巨人の足元へ。
『足元がお留守だよ』
ローキック。 という名の、魔力爆砕蹴り。
バキィッ!!
巨人の膝関節が逆方向に曲がった。 巨体がバランスを崩して倒れ込む。
『仕上げだ』
シオンが跳躍する。 空中で回転し、踵(かかと)落としの体勢に入る。 その足に、まばゆい光が集束していく。
『流星踵(メテオ・ヒール)』
ドゴォォォォォォォォン!!!!!
巨人の脳天に、シオンの踵が直撃した。 処刑場全体が揺れるほどの衝撃。 地面が陥没し、クレーターができる。 影の巨人は悲鳴を上げる暇もなく、黒い霧となって霧散した。
土煙が晴れると、クレーターの中心に、ボロボロになったヴィクトル(人間形態)が倒れていた。 彼は白目を剥き、ピクピクと痙攣している。 完全なるKOだ。
シオンは着地し、ふぅ、と息を吐いた。
『……手応えのない』
彼は呟き、私の方を振り返った。 そして、ニッコリと天使の笑顔を作った。
「マンマ! やっつけた!」
「……う、うん。凄かったわね、シオン」
私は引きつった笑顔で答えるのが精一杯だった。 凄かった、というレベルではない。 災害だ。これはもう、歩く天災だ。
その時だった。
パリーン……!
処刑場を覆っていた遮断結界に、ヒビが入った。 そこから、冷気が漏れ出してくる。 そして、次の瞬間。
ガシャァァァァン!!!!!
結界が、外部からの物理攻撃によって粉々に砕け散った。 氷の破片と共に、一人の男が飛び込んでくる。
「レティシアッ! シオンッ!!」
アレクセイだ。 彼は巨大な氷の戦槌(ウォーハンマー)を手に、鬼のような形相で現れた。 その全身からは、周囲を凍てつかせるほどの殺気が噴き出している。
「……無事か!?」
アレクセイは私たちを見るなり、戦槌を放り投げて駆け寄ってきた。 そして、私とシオンを同時に抱きしめた。
「よかった……! 間に合った……!」
彼の体は震えていた。 結界が破れず、焦燥と恐怖で気が狂いそうだったのだろう。
「アレクセイ様……」
「怪我はないか? 奴はどこだ? 八つ裂きにしてやる!」
アレクセイが周囲を見渡す。 そして、クレーターの中心で白目を剥いて伸びているヴィクトルを発見した。
「……あいつは?」
「あ、あの……シオンが……」
私が言い淀むと、シオンがすかさず口を挟んだ。
「パパ! あのね、パパのおまもりが、ピカッてして、おじさんドーンってなった!」
シオンは、私が持っていた短剣「氷華」を指差した。
「……護身刀が?」
アレクセイは短剣を見た。 確かに、私が握りしめていたせいで魔力が活性化し、微かに光っている。
「そうか……。俺の込めた守りの魔法が、過剰反応して暴発したのか。……いや、それにしても威力が凄まじすぎるが……」
アレクセイは陥没した地面を見て首を傾げたが、すぐに納得したように頷いた。
「まあいい。結果として君たちが無事なら、何でもいい」
彼はヴィクトルに歩み寄った。 その目は、再び冷徹な氷の色に戻っていた。
「……起きろ、ヴィクトル」
アレクセイが冷水を浴びせるように魔力を放つと、ヴィクトルがビクリと跳ねて意識を取り戻した。
「はっ……! わ、私は……」
ヴィクトルは焦点の定まらない目で周囲を見回し、そして目の前に立つアレクセイを見て、恐怖に顔を歪めた。
「ア、アレクセイ……!」
「……よくも。俺の大切な家族に手を出してくれたな」
アレクセイがヴィクトルの胸倉を掴み、持ち上げた。 周囲の空気が凍りつき、ダイヤモンドダストが舞う。
「弁明は聞かん。……貴様には、死よりも重い償いをしてもらう」
「ま、待て! 私は帝国の……」
「帝国がどうした。貴様がどこの誰であろうと関係ない。……俺の敵だ」
アレクセイの手から、氷が侵食していく。 ヴィクトルの手足が、徐々に凍りついていく。
「ひ、ひぃぃっ! 助けてくれ! もう二度としない! この国からも出て行く!」
「遅い」
アレクセイが無慈悲に告げた時、私は声を上げた。
「待ってください、アレクセイ様」
「……レティシア? 止めるのか?」
「いいえ。止めません。……ただ、少しだけ質問をさせてください」
私はヴィクトルに近づいた。 シオンも私の足元で、冷ややかな目で見上げている。
「ヴィクトル。……貴方が探していた『あの方たち』というのは、誰のこと?」
アリスが言っていた言葉。 そして、ヴィクトルが背後にいると思われる組織。
ヴィクトルは凍えながら、ニヤリと笑った。
「クク……知りたいか? ……教えてやろう。帝国には『七賢人』と呼ばれる組織がある。私はその末席に過ぎない……」
「七賢人……」
「彼らは、すでに動き出している。……この国の王宮にも、すでに根を張っているぞ。……お前たちの平和ごっこも、長くは続かない……!」
ヴィクトルは呪詛のように吐き捨てた。
「……そうか。情報提供、感謝する」
アレクセイは冷たく言った。
「だが、それがどうした。七人だろうが百人だろうが、全員凍らせるだけだ」
パキパキパキ……!
氷がヴィクトルの首まで達する。
「さようなら、旧友。……地獄で反省しろ」
「ア……アレクセ……」
ヴィクトルは最後に何かを言いかけたが、その声は氷の中に封じ込められた。 彼は永遠に溶けない氷像となり、処刑場のオブジェと化した。
◆
戦いは終わった。 朝になり、要塞からの救援部隊が到着した時、そこには氷像となったヴィクトルと、寄り添って眠る親子三人の姿があったという。
要塞に戻ると、帝国軍は完全に撤退していた。 指揮官と最強の賢者を失った彼らに、戦う意思は残っていなかったようだ。 私たちの完全勝利だ。
その日の午後。 私たちは飛竜便で王都への帰路についた。 行きとは違い、帰りは穏やかな晴天だった。
ゴンドラの中で、シオンは私の膝の上でぐっすりと眠っていた。 今度こそ、本当に疲れて眠っているようだ。 その寝顔は、世界を救った英雄には見えない、ただの愛らしい赤ちゃんだ。
「……よく頑張ったな、シオン」
アレクセイがシオンの頭を撫でる。 その手つきは優しく、慈愛に満ちていた。
「レティシア。……君にも感謝している。君が囮になってくれなければ、結界を破るのに時間がかかり、手遅れになっていたかもしれない」
「いいえ。私も、アレクセイ様が必ず来てくれると信じていましたから」
私たちは見つめ合い、自然とキスをした。 シオンが「んぅ……」と身じろぎしたので、慌てて離れたけれど。
「……王都に戻ったら、忙しくなるぞ」
アレクセイが窓の外を見ながら言った。
「帝国の『七賢人』とやら。……徹底的に調べ上げ、排除する。これ以上、俺の家庭に手出しはさせない」
「ええ。私も手伝います。……まずは、アリス様からもっと情報を引き出してみましょうか」
私の言葉に、アレクセイは苦笑した。
「君も強くなったな。……頼もしいよ」
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私たちは笑い合った。 不安はある。敵はまだ残っている。 でも、今の私たちには、どんな困難も乗り越えられる絆がある。 最強のパパ、最強の(知恵袋)ママ、そして最強の(物理)赤ちゃん。 フロスト家は無敵だ。
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