処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人

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第16話 赤ちゃん無双(物理)

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 「古の処刑場」の冷たい空気が、黄金色の魔力によって熱を帯び始めていた。  台座の上に立つ一歳児、シオン・フロスト。  彼の小さな体から立ち昇るオーラは、周囲の闇を払拭し、まるで真昼のような輝きを放っている。

 対峙するのは、帝国の賢者であり、魔王の力に魅入られた男、ヴィクトル。  彼は顔を引きつらせ、信じられないものを見る目でシオンを凝視していた。

 「ば、馬鹿な……。ここ一帯のレイライン(地脈)を吸い尽くしただと……? そんなことをすれば、器である肉体が崩壊するはずだ!」

 ヴィクトルが叫ぶ。  確かに、常識で考えれば自殺行為だ。  赤ちゃんの柔らかな肉体に、土地神クラスの膨大なエネルギーを流し込むなど、コップに滝の水を注ぐようなもの。

 しかし、シオンは涼しい顔で――いや、不敵な笑みを浮かべて首を鳴らした。

 『器? 崩壊? ……勘違いするなよ、三流魔術師』

 シオンの声が、脳内に直接響く。  その響きは、重低音の威圧感を伴っていた。

 『僕の魂(なかみ)は、かつて世界中の魔力を総動員して魔王を殴り飛ばした「勇者」だぞ? この程度の田舎の地脈、朝のミルク代わりにもなりゃしない』

 シオンが軽く右手を振った。  それだけの動作で、衝撃波が発生する。

 ドォン!!

 ヴィクトルの周囲に展開されていた防御結界が、ガラス細工のように砕け散った。

 「くっ……!」

 ヴィクトルが後退る。  私は、その隙に短剣を構え直し、シオンの前に立とうとした。

 「シオン! 今のうちに逃げるわよ! パパがもうすぐ……」

 『ママは下がってて。……汚い仕事は、男の役目だ』

 シオンは私を制した。  その背中は小さいはずなのに、頼もしすぎて涙が出そうになる。

 『さて、おじさん。……さっき僕を「魔王の器」にするとか言ってたね? 乗っ取るとか何とか』

 シオンが一歩踏み出す。  地面の石畳が、彼の足元から蜘蛛の巣状にひび割れていく。

 『百億年早いんだよ。……僕の体を使っていいのは、ママに抱っこされる時と、パパに高い高いされる時だけだ!』

 シオンが地面を蹴った。  その速度は、視認不可能。  瞬間移動と見紛うほどの速さで、ヴィクトルの懐に潜り込む。

 「は……!?」

 ヴィクトルが反応するより早く、シオンの小さな拳が、彼の腹部にめり込んだ。

 ズドォォォォン!!

 重戦車が激突したような轟音が響く。  ヴィクトルの体が「く」の字に折れ曲がり、砲弾のように吹き飛んだ。  彼は処刑場の石柱を三本へし折り、瓦礫の山に突っ込んでようやく止まった。

 「ガハッ……!」

 ヴィクトルが血を吐く。  彼は驚愕に目を見開いたまま、震える手で腹を押さえた。

 「物理……攻撃……だと……?」

 そう。魔法ではない。  純粋な筋力(魔力強化済み)による、正拳突きだ。

 『魔法使いだからって、魔法戦をすると思った? 甘いね。……僕は前世で、魔法が効かないゴーレムを素手で解体したこともあるんだ』

 シオンは瓦礫の山を見下ろし、パパンと手の埃を払った。  その仕草は、完全に歴戦の武道家だ。

 「お、おのれ……! ふざけるな、ガキがァァッ!」

 ヴィクトルが瓦礫を弾き飛ばして立ち上がった。  彼の全身から、どす黒い影が噴出する。  人の姿を捨て、本性を現そうとしているのだ。

 「我が真の力を見せてやる! 『影魔王(シャドウ・ロード)』顕現!」

 ズズズズズ……。  ヴィクトルの体が膨張し、黒い影の巨人と化した。  身長は五メートルほど。両腕は鋭利な鎌のように変化し、顔には巨大な一つ目が赤く輝いている。

 「潰れろォォォ!」

 影の巨人が、鎌のような腕を振り下ろす。  その一撃は、大地を引き裂く威力だ。

 私は悲鳴を上げた。  「シオン! 危ない!」

 しかし、シオンは動じない。  彼はポケットから、お気に入りの「おしゃぶり」を取り出した。

 『……武器がないなら、現地調達するまで』

 シオンはおしゃぶりを口にくわえる……のではなく、指で弾いた。  デコピンの要領で。

 『超電磁(レールガン)・おしゃぶり』

 ヒュンッ!!

 音速を超えたおしゃぶりが、空気を切り裂き、プラズマを纏って直進する。

 バヂィィィィン!!

 おしゃぶりは、影の巨人の振り下ろされた腕を貫通し、さらにその背後の岩壁をも粉砕した。

 「ギャアアアアア!!」

 巨人が腕を押さえて絶叫する。  物理的におしゃぶりに撃ち抜かれた腕が、霧散していく。

 『次は眉間だ。……降参するなら今のうちだよ?』

 シオンは次弾(予備の哺乳瓶の蓋)を装填(指にセット)した。

 圧倒的だ。  あまりにも一方的な蹂躙。  私は呆然と立ち尽くしていた。  これが、私の息子?  可愛くて、バブバブ言っていた、あのシオン?

 (……教育方針、見直すべきかしら。武闘家コースに変更?)

 そんな現実逃避をしている間にも、戦いは続く。  ヴィクトルは半狂乱になって影の槍を乱射するが、シオンはあくびをしながら、最小限の動きですべて回避している。

 『遅い。止まって見える』

 シオンはステップを踏むように近づき、巨人の足元へ。

 『足元がお留守だよ』

 ローキック。  という名の、魔力爆砕蹴り。

 バキィッ!!

 巨人の膝関節が逆方向に曲がった。  巨体がバランスを崩して倒れ込む。

 『仕上げだ』

 シオンが跳躍する。  空中で回転し、踵(かかと)落としの体勢に入る。  その足に、まばゆい光が集束していく。

 『流星踵(メテオ・ヒール)』

 ドゴォォォォォォォォン!!!!!

 巨人の脳天に、シオンの踵が直撃した。  処刑場全体が揺れるほどの衝撃。  地面が陥没し、クレーターができる。  影の巨人は悲鳴を上げる暇もなく、黒い霧となって霧散した。

 土煙が晴れると、クレーターの中心に、ボロボロになったヴィクトル(人間形態)が倒れていた。  彼は白目を剥き、ピクピクと痙攣している。  完全なるKOだ。

 シオンは着地し、ふぅ、と息を吐いた。

 『……手応えのない』

 彼は呟き、私の方を振り返った。  そして、ニッコリと天使の笑顔を作った。

 「マンマ! やっつけた!」

 「……う、うん。凄かったわね、シオン」

 私は引きつった笑顔で答えるのが精一杯だった。  凄かった、というレベルではない。  災害だ。これはもう、歩く天災だ。

 その時だった。

 パリーン……!

 処刑場を覆っていた遮断結界に、ヒビが入った。  そこから、冷気が漏れ出してくる。  そして、次の瞬間。

 ガシャァァァァン!!!!!

 結界が、外部からの物理攻撃によって粉々に砕け散った。  氷の破片と共に、一人の男が飛び込んでくる。

 「レティシアッ! シオンッ!!」

 アレクセイだ。  彼は巨大な氷の戦槌(ウォーハンマー)を手に、鬼のような形相で現れた。  その全身からは、周囲を凍てつかせるほどの殺気が噴き出している。

 「……無事か!?」

 アレクセイは私たちを見るなり、戦槌を放り投げて駆け寄ってきた。  そして、私とシオンを同時に抱きしめた。

 「よかった……! 間に合った……!」

 彼の体は震えていた。  結界が破れず、焦燥と恐怖で気が狂いそうだったのだろう。

 「アレクセイ様……」

 「怪我はないか? 奴はどこだ? 八つ裂きにしてやる!」

 アレクセイが周囲を見渡す。  そして、クレーターの中心で白目を剥いて伸びているヴィクトルを発見した。

 「……あいつは?」

 「あ、あの……シオンが……」

 私が言い淀むと、シオンがすかさず口を挟んだ。

 「パパ! あのね、パパのおまもりが、ピカッてして、おじさんドーンってなった!」

 シオンは、私が持っていた短剣「氷華」を指差した。

 「……護身刀が?」

 アレクセイは短剣を見た。  確かに、私が握りしめていたせいで魔力が活性化し、微かに光っている。

 「そうか……。俺の込めた守りの魔法が、過剰反応して暴発したのか。……いや、それにしても威力が凄まじすぎるが……」

 アレクセイは陥没した地面を見て首を傾げたが、すぐに納得したように頷いた。

 「まあいい。結果として君たちが無事なら、何でもいい」

 彼はヴィクトルに歩み寄った。  その目は、再び冷徹な氷の色に戻っていた。

 「……起きろ、ヴィクトル」

 アレクセイが冷水を浴びせるように魔力を放つと、ヴィクトルがビクリと跳ねて意識を取り戻した。

 「はっ……! わ、私は……」

 ヴィクトルは焦点の定まらない目で周囲を見回し、そして目の前に立つアレクセイを見て、恐怖に顔を歪めた。

 「ア、アレクセイ……!」

 「……よくも。俺の大切な家族に手を出してくれたな」

 アレクセイがヴィクトルの胸倉を掴み、持ち上げた。  周囲の空気が凍りつき、ダイヤモンドダストが舞う。

 「弁明は聞かん。……貴様には、死よりも重い償いをしてもらう」

 「ま、待て! 私は帝国の……」

 「帝国がどうした。貴様がどこの誰であろうと関係ない。……俺の敵だ」

 アレクセイの手から、氷が侵食していく。  ヴィクトルの手足が、徐々に凍りついていく。

 「ひ、ひぃぃっ! 助けてくれ! もう二度としない! この国からも出て行く!」

 「遅い」

 アレクセイが無慈悲に告げた時、私は声を上げた。

 「待ってください、アレクセイ様」

 「……レティシア? 止めるのか?」

 「いいえ。止めません。……ただ、少しだけ質問をさせてください」

 私はヴィクトルに近づいた。  シオンも私の足元で、冷ややかな目で見上げている。

 「ヴィクトル。……貴方が探していた『あの方たち』というのは、誰のこと?」

 アリスが言っていた言葉。  そして、ヴィクトルが背後にいると思われる組織。

 ヴィクトルは凍えながら、ニヤリと笑った。

 「クク……知りたいか? ……教えてやろう。帝国には『七賢人』と呼ばれる組織がある。私はその末席に過ぎない……」

 「七賢人……」

 「彼らは、すでに動き出している。……この国の王宮にも、すでに根を張っているぞ。……お前たちの平和ごっこも、長くは続かない……!」

 ヴィクトルは呪詛のように吐き捨てた。

 「……そうか。情報提供、感謝する」

 アレクセイは冷たく言った。

 「だが、それがどうした。七人だろうが百人だろうが、全員凍らせるだけだ」

 パキパキパキ……!

 氷がヴィクトルの首まで達する。

 「さようなら、旧友。……地獄で反省しろ」

 「ア……アレクセ……」

 ヴィクトルは最後に何かを言いかけたが、その声は氷の中に封じ込められた。  彼は永遠に溶けない氷像となり、処刑場のオブジェと化した。

       ◆

 戦いは終わった。  朝になり、要塞からの救援部隊が到着した時、そこには氷像となったヴィクトルと、寄り添って眠る親子三人の姿があったという。

 要塞に戻ると、帝国軍は完全に撤退していた。  指揮官と最強の賢者を失った彼らに、戦う意思は残っていなかったようだ。  私たちの完全勝利だ。

 その日の午後。  私たちは飛竜便で王都への帰路についた。  行きとは違い、帰りは穏やかな晴天だった。

 ゴンドラの中で、シオンは私の膝の上でぐっすりと眠っていた。  今度こそ、本当に疲れて眠っているようだ。  その寝顔は、世界を救った英雄には見えない、ただの愛らしい赤ちゃんだ。

 「……よく頑張ったな、シオン」

 アレクセイがシオンの頭を撫でる。  その手つきは優しく、慈愛に満ちていた。

 「レティシア。……君にも感謝している。君が囮になってくれなければ、結界を破るのに時間がかかり、手遅れになっていたかもしれない」

 「いいえ。私も、アレクセイ様が必ず来てくれると信じていましたから」

 私たちは見つめ合い、自然とキスをした。  シオンが「んぅ……」と身じろぎしたので、慌てて離れたけれど。

 「……王都に戻ったら、忙しくなるぞ」

 アレクセイが窓の外を見ながら言った。

 「帝国の『七賢人』とやら。……徹底的に調べ上げ、排除する。これ以上、俺の家庭に手出しはさせない」

 「ええ。私も手伝います。……まずは、アリス様からもっと情報を引き出してみましょうか」

 私の言葉に、アレクセイは苦笑した。

 「君も強くなったな。……頼もしいよ」

 「伊達に悪役令嬢やってませんから」

 私たちは笑い合った。  不安はある。敵はまだ残っている。  でも、今の私たちには、どんな困難も乗り越えられる絆がある。  最強のパパ、最強の(知恵袋)ママ、そして最強の(物理)赤ちゃん。  フロスト家は無敵だ。

 こうして、私たちは王都へと帰還した。  しかし、平和な日常に戻る間もなく、新たな事件が私たちを待ち受けていた。  アリスが牢獄から消えたという、信じられない報告と共に。
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