23 / 31
第二十三話「王都の裁定:継母資格」
しおりを挟む
地響きは鳴り止まない。 王城の窓ガラスがビリビリと振動し、シャンデリアが不吉な音を立てて揺れている。 窓の外、北の空を染めるドス黒い紫色は、見る者の根源的な恐怖を呼び覚ます色だった。
「きょ、境界が……崩れた……?」
会場の貴族たちが窓に殺到し、悲鳴を上げる。 それは、エルディア大陸に住む者なら誰もが知る、終末の予兆。 北方の守りが決壊し、魔獣の大群が世界へ溢れ出す悪夢の始まり。
「総員、退避だ! 騎士団は防衛体制を!」
レオンハルト様が、王城の広間に響き渡る声で叫んだ。 もはや審問会などと言っている場合ではない。彼は公爵として、国の守護者として、即座に指揮を執ろうとした。
しかし。
「――待てぇぇぇい!!」
その声を遮ったのは、他ならぬ王太子ルドルフ殿下だった。 彼は顔を真っ赤にし、泡を飛ばさんばかりの勢いで喚き散らした。
「騙されるな! これも演出だ! あの女が、魔術で幻を見せているに決まっている! 空の色を変え、城を揺らすなど、大掛かりな手品で審問を有耶無耶にする気だ!」
正気ではない。 誰もがそう思った。 これほどの規模の魔術を、個人が行使できるはずがない。ましてや、北の空一面を染めるなど、神の御業に等しい。 だが、プライドを粉々にされた殿下は、現実を認めることができなくなっていた。 自分の思い通りにならない現実は、すべて「悪女の小細工」だと信じ込むことで、崩壊寸前の自我を保っているのだ。
「やれ! 暗部! 子供たちを確保しろ! あの女を捕らえろ!」
殿下の狂気じみた命令に、王宮魔術師団の暗部たちが戸惑いながらも動こうとする。 彼らもまた、王命には逆らえない操り人形だ。
「しつこい……!」
レオンハルト様が私と子供たちを庇うように立つ。 剣は抜けない。抜けば反逆罪。 だが、魔法攻撃を受ければ、無防備な子供たちはひとたまりもない。
このままでは、国の危機を前にして、愚かな内輪揉めで消耗するだけだ。 ここで終わらせなければならない。 完全に、徹底的に。
私は、スッと前に出た。 レオンハルト様の背中から離れ、暗部たちの前に、そして狂乱する王太子の前に、無防備な姿を晒す。
「クラリス!」
「大丈夫です、あなた」
私は夫に目配せをし、懐から二つの物を取り出した。 一つは、あの誘拐犯から押収した「薔薇と蛇」の紋章が入った革袋。 もう一つは、セレスが集めてくれた分厚い帳簿の束だ。
「ルドルフ殿下。……いい加減、現実をご覧なさい」
私の声は、地響きの中でも鮮明に響いた。 マイクなど使っていない。ただ、腹の底から出した「母親」のドスが効いた声だ。
「幻? 演出? ……いいえ、これが現実です。そして、こちらの『現実』も直視していただきましょう」
私は革袋を壇上に放り投げた。 チャリッ、と重い音がして、袋の口から金貨と、一通の指令書がこぼれ落ちる。
「それは……!」
リディア様が悲鳴を上げて口元を押さえた。 見覚えがあるはずだ。自分の実家の紋章なのだから。
「先日の私の息子の誘拐未遂事件。その実行犯が持っていた報酬と指令書です。紋章はバーンズ男爵家のもの。……リディア様、あなたの実家ですね?」
「ち、違います! 捏造ですわ! 私の家がそんなことをするはずが……!」
「往生際が悪いですね」
私は冷徹に告げた。
「実行犯たちはすでに我が家の地下牢で全てを白状しました。『王太子妃候補のリディア様のためにやった』と。証言記録もここにあります」
会場がざわつく。 公爵家の子息誘拐。それは重罪だ。 しかも王太子の婚約者の家が関与していたとなれば、スキャンダルどころの話ではない。
「さらに、こちら」
私は帳簿の束を高々と掲げた。
「これは、北方への補給物資――特にポーションの物流記録と、王都の倉庫管理記録の写しです」
「な、なぜそれを……!」
殿下が青ざめる。
「不思議でしたの。なぜ、前線で命を張る騎士たちにポーションが届かないのか。調べてみれば、簡単なことでした。王都の倉庫には山のように備蓄があるのに、『王太子派』の貴族たちが管理するルートだけが、意図的に出荷を止めていたのですから」
私は帳簿を検察官の席に叩きつけた。
「これは横領、および利敵行為です! あなた方は、グレイフ家を困らせたいというくだらない私怨のために、国を守る騎士たちを見殺しにしようとした! これが王族のすることですか!」
私の糾弾は、雷のように会場を打った。 貴族たちが色めき立つ。 「まさか」「国を守る公爵家に対して、そこまで……」「腐っている」
「ち、違う……予は知らぬ! 部下が勝手にやったことだ!」
殿下が狼狽えて後ずさる。 見苦しい。責任転嫁まで始めた。
「知らなかったでは済みません! あなたはトップでしょう!? 任命責任はどうなるのです!」
私は一歩踏み出した。
「あなたは言いましたね。『子供を保護する』と。……笑わせないでください。自分の国の兵士すら守れず、あまつさえ幼子を誘拐の道具に使い、保身のために嘘を重ねる人間に、誰かを保護する資格などありません!」
私の言葉は、法廷の空気を完全に支配した。 誰もが息を呑み、この「悪役令嬢」の気迫に圧倒されていた。 それは、ただの論破ではない。 母として、公爵夫人として、そして一人の人間としての、魂の叫びだった。
「くっ、くそぉぉぉぉ! 黙れ! 黙れ悪女め!」
殿下は完全に理性を失った。 彼は腰の剣を引き抜き、壇上から駆け下りてきた。 私に向かって。
「予を愚弄する者は死刑だ! ここで斬り捨ててやる!」
殺気立った刃が迫る。 レオンハルト様が動くより早い。 暗部たちも虚を突かれて動けない。
だが、私は一歩も動かなかった。 逃げる必要などないからだ。
「――お止めなさい、馬鹿者が!!」
雷鳴のような怒号が、広間を揺るがした。
キィンッ!!
殿下の剣が、横から伸びた杖によって弾き飛ばされた。 金属音が響き、剣が床を転がる。
「う、わっ……!?」
殿下が情けなく尻餅をつく。 その前に立ちはだかったのは、ヴィルヘルミナ夫人。 そして、その後ろからゆっくりと歩み出てきた、威厳ある老紳士――国王陛下その人だった。
「ち、父上……!?」
殿下が震える声で呼ぶ。 国王陛下は、氷のような冷たい目で息子を見下ろした。
「見損なったぞ、ルドルフ。……公爵家の内輪揉めに介入するだけでなく、裏社会を使って子供を攫い、さらには前線への補給を止めていたとはな」
「ご、誤解です! 予は、ただ正義のために……!」
「黙れ!」
陛下の一喝に、殿下は縮こまった。
「すべて聞いていた。そなたの醜態も、クラリス嬢の正論もな。……国の危機に際し、私怨で動く者は王族の資格なし」
陛下は近衛兵に合図を送った。
「ルドルフ、およびリディア嬢を拘束せよ。後ほど、たっぷりと沙汰を下す」
「そ、そんな……いやだ、離せ! 予は王太子だぞ!」 「殿下! 助けて! 私は悪くありませんわ!」
二人は無様に抵抗しながら、広間から引きずり出されていった。 その姿に、同情する者は誰もいなかった。 かつて私を「悪役令嬢」として追放した彼らが、今度は自らが「悪役」として舞台から退場させられたのだ。 なんという皮肉だろうか。
静寂が戻る。 しかし、地響きはまだ続いている。
国王陛下は、私たちの方へ向き直った。 その表情は厳しく、しかし深い謝罪の色が浮かんでいた。
「……レオンハルト、そしてクラリス嬢。愚息が迷惑をかけた。王として、父として詫びる」
「もったいないお言葉です、陛下」
レオンハルト様が頭を下げる。私もそれに倣う。
「詫びは後だ。今は……事態が切迫している」
陛下は窓の外、紫色の空を指差した。
「北方の『裂け目』が、完全に崩壊したとの報が入った。魔獣の大群が、グレイフ領へ向かっているそうだ」
「……っ」
予想はしていた。 けれど、決定的な言葉として聞かされると、心臓が凍りつく。 グレイフ領。 私たちの屋敷。 あそこには、多くの使用人たちが、領民たちがいる。
「レオンハルト。直ちに領地へ戻り、防衛の指揮を執れ。王軍もすぐに派遣するが、初動はそなたたちにかかっている」
「はっ! 承知いたしました!」
レオンハルト様が即答する。 そして、彼は私を見た。 その瞳には、迷いがあった。 戦場へ行く。それは当然だ。 だが、妻と子供たちを、どうするか。
「クラリス。君たちはここに……」
「いいえ」
私は食い気味に否定した。
「帰ります。私たちの家へ」
「だが、戦場になるんだぞ!?」
「だからこそです!」
私は彼の腕を掴んだ。
「屋敷には、私が手塩にかけて育てた薬草があります。備蓄もあります。何より、領民たちが不安に震えている時に、領主の家族が王都でぬくぬくとしているわけにはいきません!」
私は振り返り、子供たちを見た。
「あなたたちはどうしますか? ここに残りますか?」
問いかけるまでもなかった。 アルフォンス様はすでに拳を握りしめ、頷いていた。
「帰ります。僕は次期当主です。領民を見捨てるなんてできません」
「私もよ! 私の大事なドレスを縫ってくれたあの部屋を、魔獣になんか渡さない!」 ミレイユ様も強気だ。
「ぼくも、かえる。……おうまさん、はやくはしらせて!」 ノア様も、小さな足を踏ん張っている。
誰も、逃げようとはしなかった。 私たちは、すでに一つのチームだった。
「……分かった」
レオンハルト様は、痛いくらいに強く私の肩を抱いた。
「行こう。俺たちの家を守りに」
「はい!」
国王陛下が、感嘆したように頷いた。
「見事だ。……グレイフ公爵家、武運を祈る」
私たちは王城を後にした。 勝訴の余韻に浸る暇はない。 馬車に飛び乗り、御者に鞭を入れさせる。
「急げ! 全速力だ!」
馬車が石畳を蹴って走り出す。 背後で遠ざかる王都の華やかな街並み。 前方には、どす黒い雲が渦巻く北の空。
ここからが、本当の戦いだ。 ルドルフ殿下との戦いは、前座に過ぎなかった。 世界を飲み込もうとする闇に対し、私たちは家族の絆という小さな灯火だけで立ち向かわなければならない。
馬車の中で、私は震える子供たちを抱き寄せた。 手袋をした左手で、ノア様の背中をさする。 右手で、ミレイユ様の手を握る。 アルフォンス様は、膝の上で短剣(護身用にレオンハルト様から渡されたもの)を握りしめている。
「大丈夫。パパがいるわ。ママがいるわ」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。 その時、窓の外でピカッと閃光が走った。 雷ではない。 裂け目から放たれた、魔力の奔流だ。
「……近い」
レオンハルト様が窓の外を睨み、呟く。
「急がなければ……屋敷が飲み込まれる」
「きょ、境界が……崩れた……?」
会場の貴族たちが窓に殺到し、悲鳴を上げる。 それは、エルディア大陸に住む者なら誰もが知る、終末の予兆。 北方の守りが決壊し、魔獣の大群が世界へ溢れ出す悪夢の始まり。
「総員、退避だ! 騎士団は防衛体制を!」
レオンハルト様が、王城の広間に響き渡る声で叫んだ。 もはや審問会などと言っている場合ではない。彼は公爵として、国の守護者として、即座に指揮を執ろうとした。
しかし。
「――待てぇぇぇい!!」
その声を遮ったのは、他ならぬ王太子ルドルフ殿下だった。 彼は顔を真っ赤にし、泡を飛ばさんばかりの勢いで喚き散らした。
「騙されるな! これも演出だ! あの女が、魔術で幻を見せているに決まっている! 空の色を変え、城を揺らすなど、大掛かりな手品で審問を有耶無耶にする気だ!」
正気ではない。 誰もがそう思った。 これほどの規模の魔術を、個人が行使できるはずがない。ましてや、北の空一面を染めるなど、神の御業に等しい。 だが、プライドを粉々にされた殿下は、現実を認めることができなくなっていた。 自分の思い通りにならない現実は、すべて「悪女の小細工」だと信じ込むことで、崩壊寸前の自我を保っているのだ。
「やれ! 暗部! 子供たちを確保しろ! あの女を捕らえろ!」
殿下の狂気じみた命令に、王宮魔術師団の暗部たちが戸惑いながらも動こうとする。 彼らもまた、王命には逆らえない操り人形だ。
「しつこい……!」
レオンハルト様が私と子供たちを庇うように立つ。 剣は抜けない。抜けば反逆罪。 だが、魔法攻撃を受ければ、無防備な子供たちはひとたまりもない。
このままでは、国の危機を前にして、愚かな内輪揉めで消耗するだけだ。 ここで終わらせなければならない。 完全に、徹底的に。
私は、スッと前に出た。 レオンハルト様の背中から離れ、暗部たちの前に、そして狂乱する王太子の前に、無防備な姿を晒す。
「クラリス!」
「大丈夫です、あなた」
私は夫に目配せをし、懐から二つの物を取り出した。 一つは、あの誘拐犯から押収した「薔薇と蛇」の紋章が入った革袋。 もう一つは、セレスが集めてくれた分厚い帳簿の束だ。
「ルドルフ殿下。……いい加減、現実をご覧なさい」
私の声は、地響きの中でも鮮明に響いた。 マイクなど使っていない。ただ、腹の底から出した「母親」のドスが効いた声だ。
「幻? 演出? ……いいえ、これが現実です。そして、こちらの『現実』も直視していただきましょう」
私は革袋を壇上に放り投げた。 チャリッ、と重い音がして、袋の口から金貨と、一通の指令書がこぼれ落ちる。
「それは……!」
リディア様が悲鳴を上げて口元を押さえた。 見覚えがあるはずだ。自分の実家の紋章なのだから。
「先日の私の息子の誘拐未遂事件。その実行犯が持っていた報酬と指令書です。紋章はバーンズ男爵家のもの。……リディア様、あなたの実家ですね?」
「ち、違います! 捏造ですわ! 私の家がそんなことをするはずが……!」
「往生際が悪いですね」
私は冷徹に告げた。
「実行犯たちはすでに我が家の地下牢で全てを白状しました。『王太子妃候補のリディア様のためにやった』と。証言記録もここにあります」
会場がざわつく。 公爵家の子息誘拐。それは重罪だ。 しかも王太子の婚約者の家が関与していたとなれば、スキャンダルどころの話ではない。
「さらに、こちら」
私は帳簿の束を高々と掲げた。
「これは、北方への補給物資――特にポーションの物流記録と、王都の倉庫管理記録の写しです」
「な、なぜそれを……!」
殿下が青ざめる。
「不思議でしたの。なぜ、前線で命を張る騎士たちにポーションが届かないのか。調べてみれば、簡単なことでした。王都の倉庫には山のように備蓄があるのに、『王太子派』の貴族たちが管理するルートだけが、意図的に出荷を止めていたのですから」
私は帳簿を検察官の席に叩きつけた。
「これは横領、および利敵行為です! あなた方は、グレイフ家を困らせたいというくだらない私怨のために、国を守る騎士たちを見殺しにしようとした! これが王族のすることですか!」
私の糾弾は、雷のように会場を打った。 貴族たちが色めき立つ。 「まさか」「国を守る公爵家に対して、そこまで……」「腐っている」
「ち、違う……予は知らぬ! 部下が勝手にやったことだ!」
殿下が狼狽えて後ずさる。 見苦しい。責任転嫁まで始めた。
「知らなかったでは済みません! あなたはトップでしょう!? 任命責任はどうなるのです!」
私は一歩踏み出した。
「あなたは言いましたね。『子供を保護する』と。……笑わせないでください。自分の国の兵士すら守れず、あまつさえ幼子を誘拐の道具に使い、保身のために嘘を重ねる人間に、誰かを保護する資格などありません!」
私の言葉は、法廷の空気を完全に支配した。 誰もが息を呑み、この「悪役令嬢」の気迫に圧倒されていた。 それは、ただの論破ではない。 母として、公爵夫人として、そして一人の人間としての、魂の叫びだった。
「くっ、くそぉぉぉぉ! 黙れ! 黙れ悪女め!」
殿下は完全に理性を失った。 彼は腰の剣を引き抜き、壇上から駆け下りてきた。 私に向かって。
「予を愚弄する者は死刑だ! ここで斬り捨ててやる!」
殺気立った刃が迫る。 レオンハルト様が動くより早い。 暗部たちも虚を突かれて動けない。
だが、私は一歩も動かなかった。 逃げる必要などないからだ。
「――お止めなさい、馬鹿者が!!」
雷鳴のような怒号が、広間を揺るがした。
キィンッ!!
殿下の剣が、横から伸びた杖によって弾き飛ばされた。 金属音が響き、剣が床を転がる。
「う、わっ……!?」
殿下が情けなく尻餅をつく。 その前に立ちはだかったのは、ヴィルヘルミナ夫人。 そして、その後ろからゆっくりと歩み出てきた、威厳ある老紳士――国王陛下その人だった。
「ち、父上……!?」
殿下が震える声で呼ぶ。 国王陛下は、氷のような冷たい目で息子を見下ろした。
「見損なったぞ、ルドルフ。……公爵家の内輪揉めに介入するだけでなく、裏社会を使って子供を攫い、さらには前線への補給を止めていたとはな」
「ご、誤解です! 予は、ただ正義のために……!」
「黙れ!」
陛下の一喝に、殿下は縮こまった。
「すべて聞いていた。そなたの醜態も、クラリス嬢の正論もな。……国の危機に際し、私怨で動く者は王族の資格なし」
陛下は近衛兵に合図を送った。
「ルドルフ、およびリディア嬢を拘束せよ。後ほど、たっぷりと沙汰を下す」
「そ、そんな……いやだ、離せ! 予は王太子だぞ!」 「殿下! 助けて! 私は悪くありませんわ!」
二人は無様に抵抗しながら、広間から引きずり出されていった。 その姿に、同情する者は誰もいなかった。 かつて私を「悪役令嬢」として追放した彼らが、今度は自らが「悪役」として舞台から退場させられたのだ。 なんという皮肉だろうか。
静寂が戻る。 しかし、地響きはまだ続いている。
国王陛下は、私たちの方へ向き直った。 その表情は厳しく、しかし深い謝罪の色が浮かんでいた。
「……レオンハルト、そしてクラリス嬢。愚息が迷惑をかけた。王として、父として詫びる」
「もったいないお言葉です、陛下」
レオンハルト様が頭を下げる。私もそれに倣う。
「詫びは後だ。今は……事態が切迫している」
陛下は窓の外、紫色の空を指差した。
「北方の『裂け目』が、完全に崩壊したとの報が入った。魔獣の大群が、グレイフ領へ向かっているそうだ」
「……っ」
予想はしていた。 けれど、決定的な言葉として聞かされると、心臓が凍りつく。 グレイフ領。 私たちの屋敷。 あそこには、多くの使用人たちが、領民たちがいる。
「レオンハルト。直ちに領地へ戻り、防衛の指揮を執れ。王軍もすぐに派遣するが、初動はそなたたちにかかっている」
「はっ! 承知いたしました!」
レオンハルト様が即答する。 そして、彼は私を見た。 その瞳には、迷いがあった。 戦場へ行く。それは当然だ。 だが、妻と子供たちを、どうするか。
「クラリス。君たちはここに……」
「いいえ」
私は食い気味に否定した。
「帰ります。私たちの家へ」
「だが、戦場になるんだぞ!?」
「だからこそです!」
私は彼の腕を掴んだ。
「屋敷には、私が手塩にかけて育てた薬草があります。備蓄もあります。何より、領民たちが不安に震えている時に、領主の家族が王都でぬくぬくとしているわけにはいきません!」
私は振り返り、子供たちを見た。
「あなたたちはどうしますか? ここに残りますか?」
問いかけるまでもなかった。 アルフォンス様はすでに拳を握りしめ、頷いていた。
「帰ります。僕は次期当主です。領民を見捨てるなんてできません」
「私もよ! 私の大事なドレスを縫ってくれたあの部屋を、魔獣になんか渡さない!」 ミレイユ様も強気だ。
「ぼくも、かえる。……おうまさん、はやくはしらせて!」 ノア様も、小さな足を踏ん張っている。
誰も、逃げようとはしなかった。 私たちは、すでに一つのチームだった。
「……分かった」
レオンハルト様は、痛いくらいに強く私の肩を抱いた。
「行こう。俺たちの家を守りに」
「はい!」
国王陛下が、感嘆したように頷いた。
「見事だ。……グレイフ公爵家、武運を祈る」
私たちは王城を後にした。 勝訴の余韻に浸る暇はない。 馬車に飛び乗り、御者に鞭を入れさせる。
「急げ! 全速力だ!」
馬車が石畳を蹴って走り出す。 背後で遠ざかる王都の華やかな街並み。 前方には、どす黒い雲が渦巻く北の空。
ここからが、本当の戦いだ。 ルドルフ殿下との戦いは、前座に過ぎなかった。 世界を飲み込もうとする闇に対し、私たちは家族の絆という小さな灯火だけで立ち向かわなければならない。
馬車の中で、私は震える子供たちを抱き寄せた。 手袋をした左手で、ノア様の背中をさする。 右手で、ミレイユ様の手を握る。 アルフォンス様は、膝の上で短剣(護身用にレオンハルト様から渡されたもの)を握りしめている。
「大丈夫。パパがいるわ。ママがいるわ」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。 その時、窓の外でピカッと閃光が走った。 雷ではない。 裂け目から放たれた、魔力の奔流だ。
「……近い」
レオンハルト様が窓の外を睨み、呟く。
「急がなければ……屋敷が飲み込まれる」
596
あなたにおすすめの小説
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした
由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。
無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。
再び招かれたのは、かつて母を追放した国。
礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。
これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。
虐げられていた次期公爵の四歳児の契約母になります!~幼子を幸せにしたいのに、未来の旦那様である王太子が私を溺愛してきます~
八重
恋愛
伯爵令嬢フローラは、公爵令息ディーターの婚約者。
しかし、そんな日々の裏で心を痛めていることが一つあった。
それはディーターの異母弟、四歳のルイトが兄に虐げられていること。
幼い彼を救いたいと思った彼女は、「ある計画」の準備を進めることにする。
それは、ルイトを救い出すための唯一の方法──。
そんな時、フローラはディーターから突然婚約破棄される。
婚約破棄宣言を受けた彼女は「今しかない」と計画を実行した。
彼女の計画、それは自らが代理母となること。
だが、この代理母には国との間で結ばれた「ある契約」が存在して……。
こうして始まったフローラの代理母としての生活。
しかし、ルイトの無邪気な笑顔と可愛さが、フローラの苦労を温かい喜びに変えていく。
さらに、見目麗しいながら策士として有名な第一王子ヴィルが、フローラに興味を持ち始めて……。
ほのぼの心温まる、子育て溺愛ストーリーです。
※ヒロインが序盤くじけがちな部分ありますが、それをバネに強くなります
※「小説家になろう」が先行公開です(第二章開始しました)
白い結婚だったはずなのに、少し糖度が高すぎる気がするのですが。~殿下が今更復縁を懇願してきましたが、もう遅いです~
水上
恋愛
王太子から理不尽に婚約破棄された伯爵令嬢ヴィオラ。
しかし、実は彼女のその知識は、国を支える要だった。
「お前の知識と技術が必要だ」
そんな彼女を拾ったのは、強面で料理上手の辺境伯。
契約結婚から始まった二人は、領地の改革に着手する。
その過程で、二人の関係性も徐々に進展していき……。
一方、彼女を捨てた王宮はボロボロに崩れ始め……?
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
【番外編も完結】で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?
Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。
一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。
ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。
そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。
オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。
オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。
「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「はい?」
ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。
*--*--*
覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★2/17 番外編を投稿することになりました。→完結しました!
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。
第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ
もしよかったら宜しくお願いしますね!
婚約破棄された私は、号泣しながらケーキを食べた~限界に達したので、これからは自分の幸せのために生きることにしました~
キョウキョウ
恋愛
幼い頃から辛くて苦しい妃教育に耐えてきたオリヴィア。厳しい授業と課題に、何度も心が折れそうになった。特に辛かったのは、王妃にふさわしい体型維持のために食事制限を命じられたこと。
とても頑張った。お腹いっぱいに食べたいのを我慢して、必死で痩せて、体型を整えて。でも、その努力は無駄になった。
婚約相手のマルク王子から、無慈悲に告げられた別れの言葉。唐突に、婚約を破棄すると言われたオリヴィア。
アイリーンという令嬢をイジメたという、いわれのない罪で責められて限界に達した。もう無理。これ以上は耐えられない。
そしてオリヴィアは、会場のテーブルに置いてあったデザートのケーキを手づかみで食べた。食べながら泣いた。空腹の辛さから解放された気持ちよさと、ケーキの美味しさに涙が出たのだった。
※本作品は、少し前に連載していた試作の完成版です。大まかな展開や設定は、ほぼ変わりません。加筆修正して、完成版として連載します。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる