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第4話 雪国行きの名目
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(視点:レージ)
主人の決断は、唐突に見えて必然だった。
リディア様が「無能になる」と宣言したあの夜。
彼女の瞳には、怯えと共に、奇妙なほど透き通った覚悟の光が宿っていた。
半年後に何が起きるのか、私は知らない。
だが、彼女が何かに追いつめられ、逃げ場を求めていることだけは確かだ。
ならば、その逃げ場を用意するのが執事の務めである。
執務室の暖炉には、赤々とした火が爆(は)ぜていた。
机の上には、王都の貴族たちから届いた茶会の招待状や、王家からの問い合わせの書状が山積みになっている。
これらをすべて処理し、彼女を王都から引き剥がさなければならない。
「療養、ですか」
アルノー公爵は、私が提出した診断書を疑わしげに眺めた。
もちろん、その診断書は私が懇意にしている医師に書かせたものだ。
『心身の耗弱(こうじゃく)。環境を変えての長期静養が必要』と、もっともらしい病名が並んでいる。
「はい。王都の喧騒は、今のリディア様には毒でございます。北の清浄な空気の中で過ごされれば、あるいは」
「……ふむ。王太子殿下との婚約はどうする。別邸に引きこもれば、噂になるぞ」
「『未来の国母となるために、辺境の過酷な環境を知る視察』という建前も用意しております。これなら、王家への聞こえも悪くありません」
嘘だ。
リディア様は、ただ逃げたいだけだ。
だが、公爵を納得させるには「公爵家の利益」をちらつかせるのが一番早い。
案の定、公爵は顎を撫でて頷いた。
「よかろう。レージ、お前に任せる。リディアを連れて行け」
「御意」
執務室を出て、私は廊下の陰で一通の手紙を取り出した。
それは、王都の裏社会に通じる情報屋からの密書だ。
『教会派の動き、活発化。聖女候補ミレイユについて調査中』
短い文面だが、きな臭さは十分に伝わってくる。
リディア様が何を感じ取ったのかは分からないが、王都が腐り始めているのは事実だ。
彼女をこの泥沼から遠ざける判断は、正しい。
私は手紙を丸め、廊下の飾り棚に置かれたキャンドルの火にかざした。
紙がチリチリと焦げ、黒い灰へと変わっていく。
焦げた紙の匂いが、鼻孔をくすぐった。
「守りますよ、リディア様」
灰になった手紙を、ハンカチで包んで握り潰す。
たとえあなたが無能を演じ、すべてを投げ出したとしても。
その「逃げ道」を作るためなら、私はどんな汚い手でも使う。
王都の権力者たちに貸しを作り、嘘の診断書を回し、情報を揉み消す。
執事の仕事は、掃除だけではない。
主人の歩く道に落ちている石を、誰にも気づかれずに取り除くことこそが本分だ。
あなたが「黙っていろ」と言うのなら、私は口を閉ざそう。
その代わり、私の手は今まで以上に多くを語り、多くを始末することになるだろう。
冷たい廊下で、私は一人、音もなく微笑んだ。
全ては、彼女の静寂を守るために。
主人の決断は、唐突に見えて必然だった。
リディア様が「無能になる」と宣言したあの夜。
彼女の瞳には、怯えと共に、奇妙なほど透き通った覚悟の光が宿っていた。
半年後に何が起きるのか、私は知らない。
だが、彼女が何かに追いつめられ、逃げ場を求めていることだけは確かだ。
ならば、その逃げ場を用意するのが執事の務めである。
執務室の暖炉には、赤々とした火が爆(は)ぜていた。
机の上には、王都の貴族たちから届いた茶会の招待状や、王家からの問い合わせの書状が山積みになっている。
これらをすべて処理し、彼女を王都から引き剥がさなければならない。
「療養、ですか」
アルノー公爵は、私が提出した診断書を疑わしげに眺めた。
もちろん、その診断書は私が懇意にしている医師に書かせたものだ。
『心身の耗弱(こうじゃく)。環境を変えての長期静養が必要』と、もっともらしい病名が並んでいる。
「はい。王都の喧騒は、今のリディア様には毒でございます。北の清浄な空気の中で過ごされれば、あるいは」
「……ふむ。王太子殿下との婚約はどうする。別邸に引きこもれば、噂になるぞ」
「『未来の国母となるために、辺境の過酷な環境を知る視察』という建前も用意しております。これなら、王家への聞こえも悪くありません」
嘘だ。
リディア様は、ただ逃げたいだけだ。
だが、公爵を納得させるには「公爵家の利益」をちらつかせるのが一番早い。
案の定、公爵は顎を撫でて頷いた。
「よかろう。レージ、お前に任せる。リディアを連れて行け」
「御意」
執務室を出て、私は廊下の陰で一通の手紙を取り出した。
それは、王都の裏社会に通じる情報屋からの密書だ。
『教会派の動き、活発化。聖女候補ミレイユについて調査中』
短い文面だが、きな臭さは十分に伝わってくる。
リディア様が何を感じ取ったのかは分からないが、王都が腐り始めているのは事実だ。
彼女をこの泥沼から遠ざける判断は、正しい。
私は手紙を丸め、廊下の飾り棚に置かれたキャンドルの火にかざした。
紙がチリチリと焦げ、黒い灰へと変わっていく。
焦げた紙の匂いが、鼻孔をくすぐった。
「守りますよ、リディア様」
灰になった手紙を、ハンカチで包んで握り潰す。
たとえあなたが無能を演じ、すべてを投げ出したとしても。
その「逃げ道」を作るためなら、私はどんな汚い手でも使う。
王都の権力者たちに貸しを作り、嘘の診断書を回し、情報を揉み消す。
執事の仕事は、掃除だけではない。
主人の歩く道に落ちている石を、誰にも気づかれずに取り除くことこそが本分だ。
あなたが「黙っていろ」と言うのなら、私は口を閉ざそう。
その代わり、私の手は今まで以上に多くを語り、多くを始末することになるだろう。
冷たい廊下で、私は一人、音もなく微笑んだ。
全ては、彼女の静寂を守るために。
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