後宮の幻華 -死にかけ皇帝と胡乱な数日間ー

丹羽 史京賀

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皇帝の愛する妃

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「正妃様を恐れて、陛下もそのことを隠そうとされているから、意外に知られていないけど。絶対そうだと思うわ。まっ、これ、私の憶測も入っているから、ここだけの話ってことなんだけど」

 しかし、残念なことに、ここだけの話にはならなかった。
 いくら声を落としても、すぐ隣に張本人の春霞がいるのだ。

「第三妃に関しては、本当に情報が少ないのよ。御名前すら、近しい方しかご存知ないみたい。だから、勝手にみんなで後宮の「幻華げんか」って呼んでいるらしいわ」
「幻……華。まぼろしの華ですか?」

 随分と、美しい渾名あだなだ。
 名付け親は想像力の素晴らしい人に違いない。

「華なのですから、それは「お美しい」方なんでしょうね?」
「そりゃそうよ。お妃様は、本来入宮すら出来ないような低い身分の出だったけど、一目惚れした陛下がどうしても……と所望して、入宮が決定したって話だから」
「一目惚れ? 所望した?」

 言葉を繰り返しながら、青波が春霞の方に視線を走らせると、彼は無の境地で、天井を仰いでいた。

(……疾しいことがあるんだな)

 目も合わせないということは、きっと、そういうことなのだ。

「なんでも、このお妃様もお体が弱いらしくてね。ほとんど表にお出ましになることはないみたいよ。でも、陛下はご病気を患うまで、足繁く、そのお妃様のもとに通っていたって」
「まさか、犯人?」
「犯人?」

 明淑が目を丸くしたので、再び青波は笑って誤魔化した。

 ……皇帝陛下がご寵愛する「お妃様」。

 例えば、無理に入宮させられたことを恨みに思って、春霞に殺意を抱いたとか? 
 身元不明のお妃様なら、意外に術なんか使えたりするかもしれない。

 ……などと、我ながら、酷い憶測だった。

「後宮の幻華……か」
「嘘? なに、妃に興味あるの? 青波は出世したいの?」

 それこそ好奇の目で、明淑が青波を覗きこんでいた。

「そ、そうですね。実家の仕送りを増やしたくて」
「ああ、青波の実家って貧しいんだよね。そうだよね。色々とお金かかるものね」
「はい」

 青波の家族は、自給自足の生活を楽しんでいる逞しい人達なのだが、貧しいという点は間違いない。
 明淑もお金に苦労しているので、金銭的な話となると、同情的になって、色々協力してくれるのだ。

「じゃあさ、学司がくし様に近づいてみたら? 教養があれば、興味を持って下さるみたいよ」 
「学司?」
「後宮で妃嬪相手に、学問を教えている「先生」のことを言うの。特に国史を教えてらっしゃる先生は、お妃様方だけでなく、陛下とも仲が宜しいみたいだから、上手く取り入れば出世間違いなしよ」
「後宮には、そんな所もあるのですか?」
「妃に学がなかったら、この国の恥じゃない」

 まあ、そうだ。
 国の顔とも呼べる地位にいる妃なら、それなりの知識は不可欠だ。

「私は簡単な文章を読むのもやっとだけど、青波は文字も書けて、詩だって分かるんでしょう。だったら、上手く自己主張ができたら、学司様も相手してくれるんじゃない? ほら、最悪陛下が崩御されても、次に向けてさ」
「やってみます」
「よく分からないけど、初めて貴方のやる気を見たわ。頑張って」
「はい!」

 ――と、威勢よく返事をしてみたが……。
 そもそも、春霞が意識を取り戻してくれたら、何とでもなるのだ。

『後宮の学司……ね』

 苦々しく呟いた春霞は、その学司をよく知っているようだった。
 明らかな嫌悪感を示している。

(……一体、陛下しゅんかは何を私に隠したいんだろう?)

 後宮の幻華……と、脳内で呟いただけで、青波は吹き出してしまいそうなのに。

(あの小さかった春霞に、寵愛する妃がいるなんてね)

 もう、胸の痛みには慣れたつもりでいた。

 即位後、間もなく春霞が妃を迎えたと耳にした時点で、青波は子供の頃の感傷を断ち切ろうと頑張ったのだ。
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