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怪しい学司
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◆◆◆
翌日。
徹夜明けの青波は、寝不足で倒れてしまいそうだった。
明淑から夜遅くまで、後宮や皇帝の側近の話を聞き、それから、春霞に明淑の話していた「学司に会いたい」と延々訴え、脅しをかけていたら、夜が明けていたのだ。
『ほーら。だから、会わない方が良いって言ったでしょう?』
今日も隈一つない麗しいご尊顔の春霞だったが、その表情は曇ったままだ。
理由は至極単純だ。
青波に根負けして、「学司」のことを話してしまったことが不服なのだ。
そして、容易く青波がその学司と接触してしまったことを怒っている。
『私、言ったよね? しっかり準備をして、段取りを立ててから会わないと、とんでもない奴なんだって……。それなのに、青波、貴方ときたら……』
「あー、もうっ、今更ですよ! 仕方ないでしょう!!」
こうとなってしまったら、腹を括るしかないではないか。
それなのに、くどくどと……。
「えー……と」
……と。
眼前にいる大柄の見た目武人のような宦官が、青波の怒声に怯えていた。
普通は、逆だ。
怯えるのは、青波の方であるはずなのに。
(…………私は、やらかしてしまったのか)
……そう。
青波は、春霞から(脅迫まがいに)聞きだした方法を実践しようとしたのだ。
彼は、確かにこう言った。
『…………その学司と、どうしても連絡を取りたいのなら、青い糸を尚寝殿の隣、芳正殿の中庭の木に結ぶといい。飛んで来るだろうよ。絶対、お勧めはしないけどね』
(お勧めも何も……。陛下のお勧めする方法なんて待っていたら、一生、何もできないよ)
自分のことなのに、彼はまるで他人事だ。
昔から、刹那的な部分があったけれど、万が一、手遅れだったら、後悔するのは、青波の方なのだ。
(私が動くしかないんだ)
焦っている青波は、適当な春霞の言葉に、食らいつくしかなかった。
その後も、春霞がやたら、くどくどと注意を促していたが……。
(知ったことか……と、私、思ったんだよな)
そして、青波は、朝一番に、裁縫係の女官から青い糸を分けて貰うと、春霞に言われた通り、中庭の木の枝に結ぼうとした。
…………そうだ。
あくまで、結んでみようと思っただけなのだ。
(実行には、移さなかったんだよね)
さすがに、怪しいと思い、青波はもう少しだけ調べてからにしようと考えたのだ。
それなのに……。
芳正殿の廊下を歩いていた青波の前に突然現れたこの見た目怖い兄ちゃんは、有無をも言わさない迫力で、青波の袖を掴み、強引にこの室へと運んだのだった。
(……まさか、後宮内で堂々と誘拐されるとは……)
「誘拐」
あれは、誰がどう見ても、犯罪だった。
しかも、とんでもなく、長い道程だった。
最下層の女官の在所である尚寝殿は、朱微殿の外れに位置しているので、他の場所に移動すること自体、重労働なのだ。
ただでさえ、隣の芳正殿に行くのに、体力を使ったのに、この宦官は朱微殿の心臓部、麒最殿を目指した。
(まあ、麒最殿ということなら、「学司」の住処があるところみたいだし、この人が例の学司と見て、間違いないんだろうけど)
女の園である後宮に「男」は存在しないのだから、一応、このような見た目でも、宦官ではあるのだろう。
……そして、今、現在。
謎の宦官は、埃と書物に埋もれきった一室に辿り着いたところで、我に返って困っているのだ。
「ああ、何たることを私はしでかしてしまったんだ!! 瞬 青波さん……! 大変、申し訳ありません。私としたことが、こんな大胆なことをしてしまうなんて。貴方がお怒りなのは、重々承知していますが、しかし、私は……聞かずにはいられないのです。貴方は、裁縫係の女官から糸を貰い、中庭の木を気にかけていましたから。もしや、陛下のご命令? やはり、陛下が貴方と私を引き合わせようとしていた? ……やはり、運命? なのでしょうか?」
(……ああ、本当にやらかしたな。私)
最後の「運命」のくだりで、本能的に鳥肌が立った。
春霞の言う通り、この宦官には会うべきではなかったのか?
間近で見ると、更に怖い容貌。
血走った目に、緩く一つに結っただけのぼさぼさの髪。……怪しさしかない。
(この人、本当に宦官で、学司……なんだよね?)
青波は目を丸くしながら、春霞を見遣るが、彼は
『ほら、一応、会えたんだから、もういいでしょう? とっとと尚寝殿に帰ろうよ』
……と、子供がつまらない玩具に飽きて、家に帰りたいと駄々をこねているような感じだ。
(ここまで嫌悪するということは、陛下はよほど、この人に会いたくなかったんだな?)
むしろ。
(……このガタイの良い兄ちゃんは、陛下にとって、私に話して欲しくない大きな情報を握っているということなんじゃ?)
どうでも良い人物であったら、かえって春霞は面白がるのではないか?
(……うーん。だとしたら?)
後宮の「学司」。
国内の誰よりも、優秀で賢い宦官でなければ、就けない役職だ。
青波が抱いていた学司の印象は、繊細で線の細い、老人のような人物だった。
しかし、彼は若々しく、筋肉隆々で背も高い。武官のような居住まいをしていた。
若干、声は高く、顔は綺麗ではあるが……。
見た目は圧倒的に「男」だ。
こんなのが後宮で妃嬪に学問を教えていて、良いのだろうか?
(悪人というわけではなさそうだけどさ)
すべてを正直に話そうか否か、青波が考えあぐねていると……。
宦官の方が、痺れを切らして口を開いた。
「……つまり。貴方は、私に「皇帝陛下のお命が狙われている」と。そう伝えたかったのではないですか?」
「な、な、なぜ、それを?」
「やはり、運命でしたか」
「……はあ?」
急に目眩がして、青波はひっくり返りそうになってしまった。
主に「運命」という単語の薄気味悪さのせいで。
燭台の灯に晒されているこの人の袍服の色は、深緑。
大きく九つに分かれた身分の等級にして、真ん中くらいの地位にいる人のようだ。
知らなかった。
「学司」というのは、それほど官位が高いわけではないらしい。
平時であれば、皇帝に直言できるような身分でもないようだ。
「ああ、そうでした。そうでしたね。私としたことが、失礼。まずは自己紹介でした」
宦官はここまできて、ようやく、少しだけ冷静になったらしい。
青波が最下層の身分であることを知っているはずなのに、丁重に挨拶をしてくれたのだ。
「私は学司の一人、国史を教えている霜 景和と申します。出会いがしらに、私の室に連れてきてしまったことは、改めてお詫びいたします。ですが、安心してください。尚寝殿の方には、貴殿を連れ出したとちゃんと伝えておきましたからね」
「はあ」
(最初から、そういう対応をして欲しかった)
しかし、かえって大事になってしまって、益々、安心できないのではないか?
恐る恐る、春霞に視線を向けたら、彼はそっぽを向いていて、景和が開いたままの書物に目を留めていた。
(何なんだ。まったく……)
誰のために、青波がこんな目に遭っていると思っているのか……。
(勝手に首を突っ込んだのは、私だけどさ)
はあ……と溜息を吐くと、景和は再び慌てふためいていた。
翌日。
徹夜明けの青波は、寝不足で倒れてしまいそうだった。
明淑から夜遅くまで、後宮や皇帝の側近の話を聞き、それから、春霞に明淑の話していた「学司に会いたい」と延々訴え、脅しをかけていたら、夜が明けていたのだ。
『ほーら。だから、会わない方が良いって言ったでしょう?』
今日も隈一つない麗しいご尊顔の春霞だったが、その表情は曇ったままだ。
理由は至極単純だ。
青波に根負けして、「学司」のことを話してしまったことが不服なのだ。
そして、容易く青波がその学司と接触してしまったことを怒っている。
『私、言ったよね? しっかり準備をして、段取りを立ててから会わないと、とんでもない奴なんだって……。それなのに、青波、貴方ときたら……』
「あー、もうっ、今更ですよ! 仕方ないでしょう!!」
こうとなってしまったら、腹を括るしかないではないか。
それなのに、くどくどと……。
「えー……と」
……と。
眼前にいる大柄の見た目武人のような宦官が、青波の怒声に怯えていた。
普通は、逆だ。
怯えるのは、青波の方であるはずなのに。
(…………私は、やらかしてしまったのか)
……そう。
青波は、春霞から(脅迫まがいに)聞きだした方法を実践しようとしたのだ。
彼は、確かにこう言った。
『…………その学司と、どうしても連絡を取りたいのなら、青い糸を尚寝殿の隣、芳正殿の中庭の木に結ぶといい。飛んで来るだろうよ。絶対、お勧めはしないけどね』
(お勧めも何も……。陛下のお勧めする方法なんて待っていたら、一生、何もできないよ)
自分のことなのに、彼はまるで他人事だ。
昔から、刹那的な部分があったけれど、万が一、手遅れだったら、後悔するのは、青波の方なのだ。
(私が動くしかないんだ)
焦っている青波は、適当な春霞の言葉に、食らいつくしかなかった。
その後も、春霞がやたら、くどくどと注意を促していたが……。
(知ったことか……と、私、思ったんだよな)
そして、青波は、朝一番に、裁縫係の女官から青い糸を分けて貰うと、春霞に言われた通り、中庭の木の枝に結ぼうとした。
…………そうだ。
あくまで、結んでみようと思っただけなのだ。
(実行には、移さなかったんだよね)
さすがに、怪しいと思い、青波はもう少しだけ調べてからにしようと考えたのだ。
それなのに……。
芳正殿の廊下を歩いていた青波の前に突然現れたこの見た目怖い兄ちゃんは、有無をも言わさない迫力で、青波の袖を掴み、強引にこの室へと運んだのだった。
(……まさか、後宮内で堂々と誘拐されるとは……)
「誘拐」
あれは、誰がどう見ても、犯罪だった。
しかも、とんでもなく、長い道程だった。
最下層の女官の在所である尚寝殿は、朱微殿の外れに位置しているので、他の場所に移動すること自体、重労働なのだ。
ただでさえ、隣の芳正殿に行くのに、体力を使ったのに、この宦官は朱微殿の心臓部、麒最殿を目指した。
(まあ、麒最殿ということなら、「学司」の住処があるところみたいだし、この人が例の学司と見て、間違いないんだろうけど)
女の園である後宮に「男」は存在しないのだから、一応、このような見た目でも、宦官ではあるのだろう。
……そして、今、現在。
謎の宦官は、埃と書物に埋もれきった一室に辿り着いたところで、我に返って困っているのだ。
「ああ、何たることを私はしでかしてしまったんだ!! 瞬 青波さん……! 大変、申し訳ありません。私としたことが、こんな大胆なことをしてしまうなんて。貴方がお怒りなのは、重々承知していますが、しかし、私は……聞かずにはいられないのです。貴方は、裁縫係の女官から糸を貰い、中庭の木を気にかけていましたから。もしや、陛下のご命令? やはり、陛下が貴方と私を引き合わせようとしていた? ……やはり、運命? なのでしょうか?」
(……ああ、本当にやらかしたな。私)
最後の「運命」のくだりで、本能的に鳥肌が立った。
春霞の言う通り、この宦官には会うべきではなかったのか?
間近で見ると、更に怖い容貌。
血走った目に、緩く一つに結っただけのぼさぼさの髪。……怪しさしかない。
(この人、本当に宦官で、学司……なんだよね?)
青波は目を丸くしながら、春霞を見遣るが、彼は
『ほら、一応、会えたんだから、もういいでしょう? とっとと尚寝殿に帰ろうよ』
……と、子供がつまらない玩具に飽きて、家に帰りたいと駄々をこねているような感じだ。
(ここまで嫌悪するということは、陛下はよほど、この人に会いたくなかったんだな?)
むしろ。
(……このガタイの良い兄ちゃんは、陛下にとって、私に話して欲しくない大きな情報を握っているということなんじゃ?)
どうでも良い人物であったら、かえって春霞は面白がるのではないか?
(……うーん。だとしたら?)
後宮の「学司」。
国内の誰よりも、優秀で賢い宦官でなければ、就けない役職だ。
青波が抱いていた学司の印象は、繊細で線の細い、老人のような人物だった。
しかし、彼は若々しく、筋肉隆々で背も高い。武官のような居住まいをしていた。
若干、声は高く、顔は綺麗ではあるが……。
見た目は圧倒的に「男」だ。
こんなのが後宮で妃嬪に学問を教えていて、良いのだろうか?
(悪人というわけではなさそうだけどさ)
すべてを正直に話そうか否か、青波が考えあぐねていると……。
宦官の方が、痺れを切らして口を開いた。
「……つまり。貴方は、私に「皇帝陛下のお命が狙われている」と。そう伝えたかったのではないですか?」
「な、な、なぜ、それを?」
「やはり、運命でしたか」
「……はあ?」
急に目眩がして、青波はひっくり返りそうになってしまった。
主に「運命」という単語の薄気味悪さのせいで。
燭台の灯に晒されているこの人の袍服の色は、深緑。
大きく九つに分かれた身分の等級にして、真ん中くらいの地位にいる人のようだ。
知らなかった。
「学司」というのは、それほど官位が高いわけではないらしい。
平時であれば、皇帝に直言できるような身分でもないようだ。
「ああ、そうでした。そうでしたね。私としたことが、失礼。まずは自己紹介でした」
宦官はここまできて、ようやく、少しだけ冷静になったらしい。
青波が最下層の身分であることを知っているはずなのに、丁重に挨拶をしてくれたのだ。
「私は学司の一人、国史を教えている霜 景和と申します。出会いがしらに、私の室に連れてきてしまったことは、改めてお詫びいたします。ですが、安心してください。尚寝殿の方には、貴殿を連れ出したとちゃんと伝えておきましたからね」
「はあ」
(最初から、そういう対応をして欲しかった)
しかし、かえって大事になってしまって、益々、安心できないのではないか?
恐る恐る、春霞に視線を向けたら、彼はそっぽを向いていて、景和が開いたままの書物に目を留めていた。
(何なんだ。まったく……)
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