悪役令嬢、心理学無双で氷の騎士様の心を溶してみせます

希羽

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5. 実験3: ハロー効果の逆利用(別名: ギャップ萌え)

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 私の評判は地に落ちていた。

 「氷の令嬢」から「不気味な令嬢」へ。そして今や「危なっかしいポンコツ令嬢」という、もはや威厳も何もない称号まで手に入れつつある。

 しかし、科学者として、これは好機と捉えるべきだ。ネガティブな第一印象が強ければ強いほど、その後のポジティブな情報が与えるインパクトは増大する。

 今回の実験計画は『ハロー効果の逆利用と、戦略的ギャップ萌えの導入』。

 ハロー効果とは、一つの顕著な特徴が、その人物全体の評価に影響を及ぼす認知バイアス。つまり、私の「冷たい」という印象が、他の全ての行動を「悪意あるもの」と誤解させている。

 ならば、その逆を突くまで。

 「冷たい氷の令嬢」という強烈なパブリックイメージを最大限に利用し、その裏に隠された(と誤認させる)温かい一面を「目撃」させるのだ。この急激な落差――すなわち「ギャップ萌え」は、対象の脳内に強烈な印象を刻み込み、私への興味を強制的に引き上げるはず。

 実験場に選んだのは、王城の片隅にある忘れられた噴水広場。ここはケイン様の巡回ルートの端に位置しており、人通りも少ない。完璧な舞台だ。

 私は噴水の縁に腰掛け、一冊の難しい哲学書を広げた。誰が来ようと決して顔を上げず、世界への関心を失ったかのような、孤高で冷徹な雰囲気を全身から醸し出す。

(よし。今の私は、誰も寄せ付けない氷の要塞。この後、この要塞が、か弱い小動物の前でだけ、ふにゃりと溶けて見せるのよ…!)

 しかし、計画には一つの欠陥があった。

 肝心の「か弱い小動物」が一向に現れないのだ。

 待てど暮らせど、現れるのは羽虫ばかり。一時間が経過し、私の集中力も切れ、哲学書の内容が全く頭に入ってこなくなった頃だった。

「…にゃあ」

 か細い声に顔を上げると、一匹の小さな子猫が、広場の隅にある大きな樫の木を見上げて鳴いていた。その視線の先、地上からかなり高い枝の上に、もう一匹の兄弟らしき子猫が怯えて身動きが取れなくなっている。

(来た…! 完璧なシチュエーション!)

 私は内心で快哉を叫び、役者モードのスイッチを入れた。

 周囲に誰もいないことを「確認するフリ」をして(本当はケイン様が物陰からこちらを窺っていることを、木の葉の不自然な揺れで察知している)、私はすっと立ち上がった。

 そして、先ほどまでの氷のような表情を完全に消し去り、柔らかな慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

「まあ、大変。あんな高いところに…」

 私は木の根元へ駆け寄り、枝を見上げる。

「大丈夫よ、今助けてあげるからね」

 その声色は、自分でも驚くほど優しく、甘かった。

 普通の令嬢ならここで人を呼ぶだろう。しかし、それではインパクトが弱い。

(枝の角度、子猫の体重、そして私の身長…。物理演算開始…!)

 私は近くに落ちていた手頃な長さの枯れ枝を拾うと、木の幹に軽く助走をつけて駆け上がった。ドレスの裾が翻るのも構わない。数歩で幹を蹴り、目当ての枝の少し下に片足をかける。そして、拾った枯れ枝で、子猫がいる枝の先端を軽く、しかしリズミカルに叩き始めた。

(過度な刺激は逆効果。共振周波数を利用して、枝に安定した縦揺れを…!)

 すると、枝は子猫を振り落とさない程度に優しくしなり始め、その揺れに導かれるように、子猫は少しずつ幹の方へと後ずさってきた。安全な位置まで来たところで、私はそっと手を伸ばし、その小さな体を抱きかかえる。

 ふわりと地面に着地し、子猫を優しく地面に下ろしてやると、二匹は嬉しそうに鳴きながらじゃれ合い、茂みの中へと消えていった。

 私はその姿を、心の底から愛おしそうな表情で見送った。
 そして、満足げに微笑む。

「……」

 物陰から、息を呑む気配がした。

 ケイン様が、信じられないものを見るような目で、こちらを凝視している。

 氷の令嬢が、木に駆け上がり、物理法則を応用して猫を救助する。彼の常識の範疇を遥かに超えた光景だったに違いない。

 私は彼に気づかないフリをして、何事もなかったかのように噴水の縁に戻り、再び哲学書を開いた。しかし、その口元が、わずかに緩んでいたのを彼が見ていたかどうかは、分からない。

 その日の夜、私は報告書を書き上げた。

【実験3:ハロー効果の逆利用に関する報告】

  結果: 対象に「冷徹な令嬢」と「猫を救うため木に登る物理学者(?)」という、極めて乖離した二つの側面を提示することに成功。対象の認知に、意図的な混乱(認知的ディソナンス)を生じさせることに成功したと推測される。
  考察: 強力なギャップは、対象の既存の人物像(スキーマ)を破壊し、再構築を促す。これにより、対象は私のことを「単なる不審者」ではなく、「理解不能な、しかし興味深い存在」として認識し始める可能性がある。観測を継続する。

 ペンを置き、私は窓の外の月を見上げた。

 きっと今頃、あの氷の騎士様の頭の中は、私という名の解けないパズルでいっぱいだろう。

 それでいい。

 無関心より、よほどいい。

 人の心が動く第一歩は、いつだって「なぜ?」という名の、小さな疑問なのだから。
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