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第六話:荒野の変数と観測対象
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王都の滑らかな石畳の道はとうに終わり、馬車は未舗装の街道を、不快な周期で揺れながら進んでいた。文明の光が遠ざかるにつれ、車窓から見える景色は、手入れされた田園から、徐々に荒々しい自然へとその姿を変えていく。
私はその揺れをものともせず、膝の上で密かに持ち出した辺境の地図を広げ、思考の海に深く沈んでいた。
追放先の「西の辺境」。
魔物の森と隣接し、土地は痩せ、資源も乏しい。王都の貴族たちにとっては、流刑地か姥捨て山くらいの認識しかない不毛の地。しかし、私の調査では、そこには極めて興味深い「変数」が存在していた。忘れられた古代文明の遺跡、そして、それによって引き起こされる特異な魔力場。これ以上、私の知的好奇心をくすぐる場所はなかった。
「おい」
不意に、向かいに座る護衛の衛兵が、侮蔑を隠さない声で話しかけてきた。
「罪人のくせに、ずいぶんと落ち着いているじゃないか、元公爵令嬢殿」
私は地図から顔も上げずに答えた。
「この馬車のサスペンションは、明らかに設計上の欠陥を抱えています。この周期の振動を吸収しきれないのは、物理法則として当然の結果。取り乱す理由がありませんわ」
「……何だと?」
「あなたも、車軸の構造力学について少し学べば、この不快な揺れの原因が理解できるはずです」
私の返答に、衛兵は気味の悪いものでも見るような目つきになると、それきり黙り込んでしまった。
数日間の無言の旅の末、馬車はようやく目的地――西の国境検問所に到着した。しかし、そこに検問所らしい建物はなく、ただ荒涼とした風が吹き抜ける、一本の杭が打ち付けられただけの場所だった。
「降りろ」
衛兵に促され、私は馬車から降り立つ。乾いた土埃が、高価だったドレスの裾を汚した。衛兵は革袋に入った水と、数日分の固いパンを地面に放り投げると、機械的な口調で言った。
「勅命通り、ここまで送り届けた。ここから先は王国ではない。魔物に食われようが、野盗に襲われようが、好きにするがいい」
私は何も答えず、ただ黙って食料を拾い上げた。感謝も恨み言も、もはや彼らに向ける感情は何もなかった。彼らは私の人生における役目を終えた、ただの過去の存在だ。
衛兵たちは任務を終えたとばかりにさっさと馬車に乗り込み、一度も振り返ることなく、王都へと引き返していった。
やがて馬車の姿が見えなくなり、後に残されたのは、私一人。
広大な荒野に吹きすさぶ風の音だけが、耳に響いていた。
私はまず、夜空の色をしたドレスの裾を掴むと、躊躇なく膝上まで引き裂いた。動きやすくなった足元を確認し、貴族令嬢だった自分との決別を実感する。次に、ドレスの隠しポケットから自作の魔力方位磁針を取り出し、針が示すかすかな魔力の流れを読み解く。目的地は、ここから半日ほど歩いた先にあるはずの、辺境唯一の村だ。
歩き始めて数時間。道なき道を進む私の前に、一体の魔物が姿を現した。岩石でできた体を持つ、ロックゴーレム。知能は低いが、その剛腕は脅威だ。
しかし、私は慌てなかった。攻撃は最大の愚策。まずは観察と分析。私は即座に物陰に隠れると、計算尺を取り出し、ゴーレムの関節の可動域と重心の位置、そして周囲の地形から、最も安全に通り抜けられる最適ルートを導き出そうとした。
――その、瞬間だった。
ヒュゴォッ!と、空気を切り裂く轟音。次の瞬間、凄まじい威力を秘めた風の刃が、私の計算をあざ笑うかのようにゴーレムの胴体に突き刺さり、その核である魔石を寸分たがわず粉砕した。ゴーレムは動きを止め、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
呆気にとられる私の視線の先、風が吹いてきた方向の岩陰から、一人の男が姿を現した。
無骨な革鎧を纏い、背には大剣。整っているだろうに無精髭で隠された顔には、鋭い狩人の目が光っていた。
男は私の姿を一瞥すると、心底面倒くさそうに「ちっ」と舌打ちをした。
「よそ者か。狩りの邪魔だ」
その声は、彼の無愛想な見た目通り、低く、ぶっきらぼうだった。
彼は私を助けたというより、獲物を横取りされそうになったことに苛立っているようだった。
「ここは、あんたみたいなのがフラフラして生きられる場所じゃない。さっさと街にでも帰るか、そこで魔物の餌になるか、好きにしろ」
男はそれだけ言い捨てると、ゴーレムの残骸から魔石だけを器用にえぐり出し、私に背を向けて去っていこうとする。
私は彼を呼び止めなかった。ただ、彼の放った魔法の痕跡が残る地面を、食い入るように見つめていた。地面は深くえぐられ、そこには膨大な魔力の残滓が渦を巻いている。
(なんて出力……! 王宮の宮廷魔術師たちなど、比較にもならないほどのエネルギー量だわ)
だが、同時に看破する。
(でも、数式があまりに乱雑すぎる。エネルギーの大半がベクトルを定められず、衝撃波や熱として霧散している。有効に作用したのは、全エネルギーのわずか40%……? これほどの才能を、これほど無駄遣いしているなんて……!)
私の目に、王都にいた時には決して灯ることのなかった、純粋な探求者としての輝きが宿った。
去っていく男の背中と、遠くに見える辺境の村の煙。その二つを交互に見つめ、私の唇に、自然と笑みが浮かんだ。
「面白い。実に興味深い、観測対象が見つかったわ」
この荒涼とした不毛の地は、私にとって、最高の楽園になるかもしれない。
私の新たな研究が、今、始まろうとしていた。
私はその揺れをものともせず、膝の上で密かに持ち出した辺境の地図を広げ、思考の海に深く沈んでいた。
追放先の「西の辺境」。
魔物の森と隣接し、土地は痩せ、資源も乏しい。王都の貴族たちにとっては、流刑地か姥捨て山くらいの認識しかない不毛の地。しかし、私の調査では、そこには極めて興味深い「変数」が存在していた。忘れられた古代文明の遺跡、そして、それによって引き起こされる特異な魔力場。これ以上、私の知的好奇心をくすぐる場所はなかった。
「おい」
不意に、向かいに座る護衛の衛兵が、侮蔑を隠さない声で話しかけてきた。
「罪人のくせに、ずいぶんと落ち着いているじゃないか、元公爵令嬢殿」
私は地図から顔も上げずに答えた。
「この馬車のサスペンションは、明らかに設計上の欠陥を抱えています。この周期の振動を吸収しきれないのは、物理法則として当然の結果。取り乱す理由がありませんわ」
「……何だと?」
「あなたも、車軸の構造力学について少し学べば、この不快な揺れの原因が理解できるはずです」
私の返答に、衛兵は気味の悪いものでも見るような目つきになると、それきり黙り込んでしまった。
数日間の無言の旅の末、馬車はようやく目的地――西の国境検問所に到着した。しかし、そこに検問所らしい建物はなく、ただ荒涼とした風が吹き抜ける、一本の杭が打ち付けられただけの場所だった。
「降りろ」
衛兵に促され、私は馬車から降り立つ。乾いた土埃が、高価だったドレスの裾を汚した。衛兵は革袋に入った水と、数日分の固いパンを地面に放り投げると、機械的な口調で言った。
「勅命通り、ここまで送り届けた。ここから先は王国ではない。魔物に食われようが、野盗に襲われようが、好きにするがいい」
私は何も答えず、ただ黙って食料を拾い上げた。感謝も恨み言も、もはや彼らに向ける感情は何もなかった。彼らは私の人生における役目を終えた、ただの過去の存在だ。
衛兵たちは任務を終えたとばかりにさっさと馬車に乗り込み、一度も振り返ることなく、王都へと引き返していった。
やがて馬車の姿が見えなくなり、後に残されたのは、私一人。
広大な荒野に吹きすさぶ風の音だけが、耳に響いていた。
私はまず、夜空の色をしたドレスの裾を掴むと、躊躇なく膝上まで引き裂いた。動きやすくなった足元を確認し、貴族令嬢だった自分との決別を実感する。次に、ドレスの隠しポケットから自作の魔力方位磁針を取り出し、針が示すかすかな魔力の流れを読み解く。目的地は、ここから半日ほど歩いた先にあるはずの、辺境唯一の村だ。
歩き始めて数時間。道なき道を進む私の前に、一体の魔物が姿を現した。岩石でできた体を持つ、ロックゴーレム。知能は低いが、その剛腕は脅威だ。
しかし、私は慌てなかった。攻撃は最大の愚策。まずは観察と分析。私は即座に物陰に隠れると、計算尺を取り出し、ゴーレムの関節の可動域と重心の位置、そして周囲の地形から、最も安全に通り抜けられる最適ルートを導き出そうとした。
――その、瞬間だった。
ヒュゴォッ!と、空気を切り裂く轟音。次の瞬間、凄まじい威力を秘めた風の刃が、私の計算をあざ笑うかのようにゴーレムの胴体に突き刺さり、その核である魔石を寸分たがわず粉砕した。ゴーレムは動きを止め、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
呆気にとられる私の視線の先、風が吹いてきた方向の岩陰から、一人の男が姿を現した。
無骨な革鎧を纏い、背には大剣。整っているだろうに無精髭で隠された顔には、鋭い狩人の目が光っていた。
男は私の姿を一瞥すると、心底面倒くさそうに「ちっ」と舌打ちをした。
「よそ者か。狩りの邪魔だ」
その声は、彼の無愛想な見た目通り、低く、ぶっきらぼうだった。
彼は私を助けたというより、獲物を横取りされそうになったことに苛立っているようだった。
「ここは、あんたみたいなのがフラフラして生きられる場所じゃない。さっさと街にでも帰るか、そこで魔物の餌になるか、好きにしろ」
男はそれだけ言い捨てると、ゴーレムの残骸から魔石だけを器用にえぐり出し、私に背を向けて去っていこうとする。
私は彼を呼び止めなかった。ただ、彼の放った魔法の痕跡が残る地面を、食い入るように見つめていた。地面は深くえぐられ、そこには膨大な魔力の残滓が渦を巻いている。
(なんて出力……! 王宮の宮廷魔術師たちなど、比較にもならないほどのエネルギー量だわ)
だが、同時に看破する。
(でも、数式があまりに乱雑すぎる。エネルギーの大半がベクトルを定められず、衝撃波や熱として霧散している。有効に作用したのは、全エネルギーのわずか40%……? これほどの才能を、これほど無駄遣いしているなんて……!)
私の目に、王都にいた時には決して灯ることのなかった、純粋な探求者としての輝きが宿った。
去っていく男の背中と、遠くに見える辺境の村の煙。その二つを交互に見つめ、私の唇に、自然と笑みが浮かんだ。
「面白い。実に興味深い、観測対象が見つかったわ」
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