婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

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第五話:自由への第一歩

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「――貴様を我が国から永久に追放する!」

 エドワード王子の甲高い声が、大広間のシャンデリアを震わせた。

 死刑宣告にも等しい言葉。聴衆は誰もが息をのみ、次に私が上げるであろう悲鳴や、流すであろう涙を期待して、固唾をのんで見守っていた。

 しかし、彼らの期待は裏切られることになる。

 私はその言葉を浴びながら、絶望するどころか、心の内で歓喜に打ち震えていた。

(待っていた。ええ、その言葉を、ずっと)

 ゆっくりと、私は両手でドレスの裾をつまみ、背筋を伸ばす。そして、王家への最高敬意を示す、最も深く、最も優雅な礼(カーテシー)をしてみせた。夜空の色のドレスが、まるで嵐の中の静かな水面のように、床に広がる。

 しばしの静寂の後、私は顔を上げ、澄み切った声で言った。その声は、驚くほど穏やかに、静まり返ったホールに響き渡った。
「私、リディア・フォン・アークライトは、エドワード王子殿下との婚約破棄、並びに国外追放の勅命を、謹んで拝受いたします」

 そして、こう続けた。

「殿下。わたくしに『自由』をお与えくださり、心より感謝申し上げますわ」
「――なっ」

 王子は、言葉を失っていた。彼の頭の中では、私が泣き崩れ、許しを乞い、無様に床に這いつくばる筋書きだったのだろう。穏やかな感謝の言葉は、彼の矮小なプライドを打ち砕くには、何より痛烈な一撃となった。

「じ、自由だと……? これは罰なのだぞ、この愚かな女めが!」
「罰、でございますか?」

 私は礼を解き、まっすぐに立ち上がると、ほんの少しだけ哀れむような笑みを浮かべた。

「殿下にとって、伝統と感情論に縛られたこの王宮は、さぞかしお心地の良い場所なのでしょう。ですが、わたくしにとって、そこは非合理という名の鉄格子でできた、窮屈な鳥籠でしかありませんでした。あなたは今、その鳥籠の鍵を、自ら開けてくださったのです」

 その言葉は、王子だけでなく、そこにいた全ての貴族たちの胸に突き刺さった。彼らの中の、聡明な者たちは気づき始めていた。王子が今、国から追放しようとしているのは、ただの生意気な令嬢ではない。計り知れない価値を秘めた、恐るべき知性そのものである、と。

 私は最後に、石のように固まったままの父、アークライト公爵へと向き直った。

「お父様。我がアークライト家の名誉を汚しましたこと、お詫びの言葉もございません。わたくしは、わたくしの信じる真理の道を、ただ進みますゆえ。どうか、お健やかで」

 父は何も答えず、ただ顔を背けた。それが、私とアークライト公爵家との、完全な断絶の証だった。

「衛兵! 衛兵は何をしている! この罪人を、今すぐ私の目の前から連れ出せ!」

 我に返った王子が、癇癪を起した子供のように叫ぶ。二人の屈強な衛兵が、ためらうように私へと近づいてきた。

 だが、彼らが私の腕を掴む必要はなかった。私は自ら彼らに背を向け、大広間の巨大な扉へと、まっすぐに歩き始めたのだから。

 私のために、再び人々が道を開ける。しかし、今度の囁き声に、侮蔑の色はなかった。そこにあるのは、畏怖と、当惑と、そしてほんのわずかな、羨望。

 たった一人、誰にも媚びず、己の知性だけを頼りに、権力に立ち向かった女。その背中は、罪人というにはあまりに潔く、そして気高かった。

 大広間の扉が開き、夜の冷たい空気が肌を撫でる。

 豪華絢爛な光の世界に背を向け、私は暗い廊下へと一歩を踏み出した。

 王宮の正面玄関には、公爵家の豪華な馬車ではなく、紋章も入っていない、質素な一台の馬車が停まっていた。衛兵の一人が、事務的な口調で告げる。

「これより、西の国境までお送りします。国境を越えた先は、ご随意に」
「ご苦労様です」

 私は短く答えると、ためらうことなく馬車に乗り込んだ。

 重い扉が閉められ、私の視界から、光り輝く王宮の姿が完全に遮断される。ガタン、と重い音を立てて車輪が軋み、馬車がゆっくりと動き出した。

 王都の喧騒が遠ざかっていく。

 完全な闇と静寂に包まれた馬車の内で、私の唇に、ようやく心の底からの、何の計算も含まれていない、純粋な笑みが浮かんだ。

(さあ、始めましょう)

 窮屈な鳥籠は、もうない。

 目の前に広がるのは、未知の数式に満ちた、広大な世界。

(変数は全て設定された。これから、実験を開始する)

 私の新たな人生が、今、静かに幕を開けた。
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